6 スティナの神技
ダスクの後ろには護衛の女性もいる。
まさか人がいるとは思わず、スティナは激しく動揺した。
――は、恥ずかしすぎる……!
一人で感傷に浸り、泣きながら全力熱唱をしていた。そんな痛々しい姿を見られてしまった。体中の熱が顔に集まる。
「今のはなんだと聞いている! 答えろ!」
ダスクは激昂したまま、大股で近づいてきた。
「な、なんだ、と言われましても……歌っていただけですけど……!?」
羞恥のあまり俯き、少々逆ギレ気味に答えるスティナ。そのときになってようやく周囲の異変に気づいた。
「あれ? 何これ……?」
先ほどまでからからに乾いていた荒れた地面を、青々とした草が覆っていた。くすくすと、風に紛れてささやき声が耳を撫でる。
スティナは慌てて立ち上がり、地面とダスクを交互に見た。
「お前の歌に呼応するようにマナが集まり、精霊が活性化したように見えた。一体お前は何者だ」
「…………はぁ」
スティナにも何が何だかさっぱり分からなかった。
心当たりがあるとすれば、異世界から転生を果たした神の卵ということだけだ。
――もしかして、それが原因?
ハルが年齢不相応の魔力を秘めていたように、スティナも何か才能が与えられていたのかもしれない。
いや、そうとしか思えない。これがニャピの言っていた神技なのだろう。
――わぁ、ファンタジーなチート……。
滅びに向かう世界において、わりと役に立ちそうな能力だと思う。上級魔法使いが驚くほどなのだから、希少価値も高そうだ。
その分、能力の由来を説明するのが大変である。スティナにはどういう原理なのか分からないのだ。
ダスクに“神選びの遊戯”のことを話すわけにもいかず、誤魔化そうにも他に言い訳を思いつかない。
スティナは考えがまとまるまで、アドリブで場を繋げることにした。自らの腕を抱き、涙ぐんだ瞳でダスクを見上げる。
「あ、あの、お貴族様はどうしてここにいらっしゃるのですか……?」
「あ?」
低い声に、ますますスティナは委縮した。半分は演技、半分は本気で怖かった。
「まさか、わたしにひどいことをするつもりで、後をつけて――」
「ば、馬鹿なことをっ! そんな趣味はない!」
「……では、何のためですか、ダスク様。私も気になっておりました。町を出ていくその娘を追いかけたのはなぜです?」
問いかけたのは護衛の女性だった。味方からの予期せぬ言葉にダスクは顔をしかめた。
――本当にわたしのことをつけてきたの? 何のために?
警戒心を高めるスティナを見て、ダスクが舌打ちをした。
「ミント、お前」
「申し訳ございません。しかし私は奥方様にだんな様の行動を逐一記録するよう、仰せつかっております」
「なん、だと……?」
ダスクの表情が一瞬、捕食者から非捕食者のものに変わった。
恐妻家なのかな、と奥さんに尻に敷かれるダスクを想像し、スティナは何とも言えない気分になった。
「はぁ……まぁ良い。鑑定のときから目をつけていたのだ。この娘には精霊に愛される才能がある。体内の魔力が極端に少ないのも、精霊に勝手に食われているからだ!」
人差し指をずばっと向けられ、スティナは反射的に手を上げた。
「全然意味が分かりません! 精霊に愛されるってどういうことですか? というか、精霊についても……?」
「これだから田舎の子どもは嫌いだ。こんなことも知らぬとは……」
ぶつくさ言いつつも、ダスクは説明してくれた。
「天地を巡るマナから生まれ、滞りなく世界にマナを循環させる存在、それが精霊だ。昨今、目にすることはほとんどできなくなってしまったがな」
マナは、魔力の元となる神秘的な粒子のこと。精霊はマナの集合体のようなもので、自然界のマナを循環させ増幅させる存在らしい。
体内の魔力を増やすイメージと似ているな、とスティナはぼんやり考えた。
「お前は精霊に愛されている……つまり、親和性が高い。それで無意識のうちに精霊に魔力を与えているのだ。搾取されているといった方が正しいが」
そう言えば、鑑定のときにそのようなことを言われた。
「でもそれって、あまり価値がない才能なんですよね?」
ダスクは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「精霊が激減した今の世ではな。しかし本来、精霊との親和性の高さは優れた魔法使いの条件なのだ。普通の人間が魔力を与えても精霊は喜ばず、力を貸すこともない。お前をどうにかして鍛えれば、土地によっては使い物になるかもしれんと考えていた」
ようするに、魔力持ちの子どもをインプレット夫人に全て引き取られてしまったので、代わりにスティナをなんとか魔法使いにできないか思案していたらしい。スティナに目をつけていたことを気づかれぬよう、夫人が出立するまで機会を窺っていたようだ。
――だからって町の外まで後をつけなくても……下手をすれば事案だよ……。
そこでふと思い至る。
「あの、わたし、昨日急な体調不良で倒れてしまったんですが、それってもしかして――」
「ああ。精霊に魔力を食われた反動だろう。どんな人間でも魔力が枯渇すると、体調に異変を来す。倒れるまでよく笑っていられたものだ」
あれは精霊の仕業だったのか、と内心膨れつつも、スティナは改めてダスクを見た。
「もしかして……わたしがまた倒れないように、気にしていて下さったのですか?」
町に戻るのを待たずに、わざわざ外までついてきてくれたのはそういうことなのだろうか。
ダスクはぎょっとして、ふいっと視線を逸らした。護衛の女性が柔らかく微笑んでいるのを見ると、どうやら当たりらしい。
――悪い人じゃなさそう……?
油断はできないが、そこまで警戒しなくてもいいかもしれない。
何より、この話の流れはスティナにとって都合が良い。こんなチャンスはもう二度と来ないかもしれない。一瞬で腹をくくった。
「あの、ありがとうございます。ダスク様、わたし、魔法使いになりたいです。きっとお役に立って見せます。どうかわたしを連れて行ってください。お願いします!」
そして次の満月の日までに東の都に行きたいです、と心の中で付け加えて願う。
ダスクは咳払いをしてから、偉ぶるような仕草で頷いた。
「良かろう。我がシェザード一門に迎えてやる。お前の能力には興味がある。まさか精霊に魔力以外のもの……歌で力を与えるとは」
「歌……」
腑に落ちない。あの歌はハルのために歌ったものであって、精霊のことは全く意識していなかった。ハルに捧げた気持ちごと、精霊に横取りされてしまったような気分である。
「お前の歌声があれば、どのような土地でも、精霊の恩恵を受けることができるかもしれぬ。あの風変わりな歌はなんなのだ? 歌詞も奇天烈だったが」
失礼な、と思いつつも、焦る。結局最初の問いに戻ってきてしまった。
とりあえずにこりと笑って誤魔化してみる。
「……道すがら、実験と尋問だな。とりあえず、今後その歌を私の許可なく歌うことは許さぬ」
誤魔化されてはくれなさそうだった。
領主への報告と手続きはすぐに済み、スティナはダスクに引き取られることになった。
翌日、まだ日が昇り切っていない早朝に、スティナはダスクの獣車に乗せられていた。見送りどころか、人目に付かないようにというやましささえ感じられる出発だった。
ずっと暮らしていた地域を離れることには心細さがあったが、涙は出なかった。
ハルに遅れることわずか一日。
この分だと途中でインプレット夫人に追いつくこともありうる。ハルとの再会は呆気なく叶うかもしれない。嬉しいような、困るような、何とも言えない気分になった。
「仲間に挨拶はできたのか?」
体調を案じ、ダスクは昨夜、宿屋に泊めてやろうと言ってくれたが、スティナは最後の夜を廃墟で過ごすことを選んだ。
一緒に暮らしていた子どもたちに「ダスクについていく」と告げたときのことを思い出し、スティナは苦笑いを浮かべた。
「なんだ?」
「えっと……」
「はっきり言え」
彼女たちは同情のこもった視線をスティナに向け、言った。
「『可哀想に、どうしても耐えられなくなったら、舌を噛み切れば死ねるよ』って教えてもらいました」
「なっ! どういう意味だ!? 人をなんだと思っている!」
多分、鬼畜かロリコンだと思われた。ダスクがわざわざスティナを引き取る理由は、人体実験のためか変態趣味くらいしか思いつかない。ダスクの強面は子ども受けしないのだ。
「ダスク様は、絶対にわたしに変なことしないってみんなに言ってきましたから」
牽制の意味を込めて伝えると、ダスクは「当たり前だ」と呻くように言った。
「……ふん。だが、早めに出てきたのは正解だったな。さすが辺境の田舎町。未だにユンルアーラを心から信仰しているというのは本当だったのだな」
「?」
スティナが首を傾げても、ダスクは視線を逸らして鼻を鳴らすだけだった。へそを曲げてしまったらしい。
改めて、スティナは生まれて初めて乗る獣車を見渡した。
狭い。ダスクとスティナが乗り込み、旅の荷物が詰まれているだけでもうほとんど身動きが取れない。天井には幌が張られているだけで、左右は守られていなかった。
インプレット夫人の獣車と比べると、随分ぼろく粗末な造りだ。リムジンと軽トラくらいの差がある。
車を引いて入るのは二頭の大型の弓角鹿だった。それを護衛の女性――ミントが御者台から操っている。
ミントは色素の薄い髪を一つに編み込み、背中に流していた。腰には細い剣が携えられている。精悍な女騎士のようだった。
「最初に言っておく。私……いや、シェザード家はあまり裕福ではない。過度な期待はするなよ」
「だ、大丈夫です。贅沢したいとか、そういうことは考えていません」
「ほう。では、何を考えている? 私に隠していることがあるのではないか? お前はどこか怪しい」
鹿の蹄が地面を蹴る音が響く。
いつの間にか獣車は森を進んでいた。スティナが足を踏み入れたことのない、危険な場所だ。
「怪しい、でしょうか?」
「ああ。あの歌の能力はもちろんだが、田舎町の浮浪児にしては肝が据わりすぎている。私を恐れず目を見て話せるところなど、特に」
確かに、十歳で社会の底辺にいる子どもからすれば、貴族のダスクに睨みつけられるのは大層恐ろしい。
スティナも、ステラとして芸能界で働いていた記憶がなければ泣き出していただろう。大御所の芸能人と共演し、そのオーラを肌で感じていたからこそ、多少の威圧にも耐えられる。
――怪しまれるのも無理ないよね……。
十歳の体に、十七歳の、それも異世界の記憶を持つ精神が宿っているのだ。どう取り繕っても異質さが出る。気づく人は気づくだろう。
スティナは迷った末に、恐る恐る口を開いた。
「おっしゃる通り、わたしには隠していることがあります。ですが、まだ言えません。とても大切なことなんです。出会ってすぐに打ち明けられる内容ではありません。多分、信じてもらえないと思いますし……」
前世のこと、“神選びの遊戯”ことも、ダスクたちにとっては衝撃的な内容だ。
最高神トーンツァルトが死に、この世界は滅びへと向かっている。滅びを回避できるかどうかは、異世界の記憶を持つ神の卵の心次第。
――本当は、全面的に協力してほしいけど……。
ハルがいなくなった途端、今度は出会ったばかりのダスクを全力で頼ろうとしている。仮にも神を目指しているのに情けなさすぎるとスティナはため息を吐く。
――変なことに巻き込んじゃったら申し訳ないし……でも、獣車に乗せてもらっている時点で頼ってるんだから、今更かな?
ダスクが呆れ果てたような顔をしていた。
「ため息を吐きたいのは私の方だ。私はお前の師になるのだぞ、スティナ。あまり舐めた態度を取るのなら――」
「ダスク様、右斜め前方、来ます!」
ミントの声とほぼ同時に、木々の隙間から大きな影が躍り出た。虎の魔物だった。口からはみ出した禍々しい牙で弓角鹿に食いつこうと飛びかかってきたのだ。
スティナは咄嗟に頭を抱えて蹲った。
【出でよ、烈風の剣士】
ダスクの詠唱と同時に、幌に血飛沫が降りかかった。虎の魔物は前脚に傷を負い、茂みにどさりと落ちた。
スティナが恐る恐る後方を覗くと、恨めしそうな虎と目が合った。背筋に冷たいものが走る。
――良かった。自力で町を出なくて……。
スティナとハルがなんの装備もなくこの森を突っ切ろうとしたら、あっという間に魔物の餌になっていた。
ダスクはつまらなさそうにしており、ミントは何事もなかったかのように手綱を御している。
これが日常茶飯事なのだろうか。なんて頼もしい。
「ダスク様、今のはなんの魔法ですか? すごかったです!」
「ただの風の初級魔法だ。それよりも身を縮めて大人しくしていろ。血の匂いで他の魔物が引き寄せられてきた」
「え?」
左右の木々が不自然に揺れ、獣車と並行して移動していた。上空にはドリルのようなくちばしを持つ鳥の群れが飛び、不吉な鳴き声を上げている。
「最近は魔物避けの魔法があまり効かぬ。面倒な……ミント、何が起こっても止まるなよ。全力で駆け抜けろ」
「かしこまりました」
そこからは地獄だった。
左右からトリッキーに襲ってくる狼たち、滑空してくる鳥の群れ、そのほとんどをダスクが魔法を使って撃退した。たまに不意打ちで弓角鹿を狙ってくる魔物は、ミントが目にも止まらぬ速さで斬り捨てた。いつ剣を抜いたのかも分からない。
森に血の雨が降り、魔物の悲鳴が響く。
ダスクは重点的に鳥を狙って落とし、狼に食わせた。グロテスクな食事風景と濃厚な鉄の匂い、獣車の激しい振動に、スティナはすっかり参ってしまった。
獣ならマシかもしれない。ハルに聞いた話では、この世界には小鬼や虫系の魔物も存在する。それらと遭遇したときのことを思うと、気が遠くなった。
――この世界、ハードすぎる……!