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5 旅立つ君へ捧げる歌

 

「…………ん」


「スティナ!?」


 目を開けると、ハルの青ざめた顔が飛び込んできた。

 スティナは柔らかいベッドに横になり、点滴を打たれていた。町の医院の病室のようだった。


「ハル、わたし……」


「急に倒れたからびっくりしたぜ。疲れが溜まっていたせいだって」


 炊き出しの日から一夜明けていた。ここの治療費はインプレット夫人が負担してくれたという。


「それは……とんでもない迷惑をかけちゃったな。お礼を言わなきゃ。ハルも、ありがとう。もしかして一晩中、付いててくれたの?」


 随分心配させてしまったようで、スティナは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。しかしハルの方がずっと落ち込んでいた。


「ごめん。具合悪いの、気づかなかった。オレ、スティナに無理させちまってたな」


「ううん。自分でも気づいてなかったもん。ハルのせいじゃないよ。わたしの方こそごめん」


 重たい沈黙が病室を支配していた。

 ハルの方からは言いづらいのだろう、とスティナは小さく笑って水を向けた。


「出発はいつ?」

「……今日の昼」

「え? じゃあ早く準備した方が良いよ」

「準備するもんなんかねぇよ」


 ハルは絞り出すように言った。


「スティナは連れて行けないって言われた」


 スティナは目を伏せた。

 ただでさえスティナは非力な十歳の女児だ。それに加えて体調が悪いとインプレット夫人に知られてしまった。スティナは神殿の工事の労働力にはなれない。


「だから、オレ――」


「ダメ。ハルだけでも行って。わたしは大丈夫だから」


 ハルは自分だけ貴族に引き取られ、都に向かうことを躊躇っている。元々心根が優しい少年だ。スティナを見捨てることができないのだろう。このままでは町から逃げようと言い出しかねない。


「まだ諦めないよ。他の方法を探して、遊戯に参加できるように頑張るから。だから、ハルは先に行っていて」


 これくらい一人で解決できないと神様になんてなれないよ、とスティナが何の屈託もなく笑うと、ハルはしばらく黙り込んだ後、渋々引き下がった。


「分かった」


 ――良かったかも。ステラがわたしだって伝えなくて……。


 スティナの前世がステラだと知れば、ハルはこうも簡単には引かなかったかもしれない。


「何か作戦あるのか?」


「うーん……行商の人にお願いして、とりあえず別の町に連れて行ってもらう……とか?」


「すげー行き当たりばったりだな。変な奴に捕って変な場所に売られるなよ? この世界には奴隷制度があるんだからな」


「そ、それは本当に気をつける」


 ハルは落ち着かない様子だった。


「その……もしこの町からも出られないようだったら、肉屋のゴードンさんに仕事もらえないか聞いてみてくれ。スティナに融通してやってって頼んでみる」


「うん。ありがとう」


「いつになるか分からねぇけど、オレ、神様になれたら、絶対にスティナのこと助けにいく。だから、そのときまで生きて待っててくれ」


 スティナはハルの真剣な瞳に釘付けになった。


 ――こんなこと本気で言われたの、初めて……。


 胸が高鳴って、涙が出そうになった。


「本当にありがとう、ハル……」


 勘違いしてしまいそうだった。


 ――違うよね。ハルが好きなのはステラで……て、あれ? それ、わたしのことじゃ……。ううん、ハルはわたしがステラだって知らないし、そもそもファンって言ってもアイドルに恋愛感情を持っているかは人それぞれで……えっと、つまりどういうこと?


 ぐるぐるとおかしな思考の渦に巻き込まれ、どんどん顔が熱くなっていった。もしかして自分は今、ものすごくイタイことを考えているのではないか。その疑問にますます体温が上がる。


「あ、でも、オレはまた、スティナに会えるって信じてるからな! もちろん記憶を失くしてない状態で!」


 ハルはハルで自分の発言に照れたのか、慌てて視線を逸らした。


「オレ、中高と男子校だったから、あんまり女子と話したことなくて、ノリがおかしかったかもしれねぇけど……その、すげー楽しかった。スティナのおかげだ」


 またドッペルワンダーやヴァイスエンドの話をしよう、とハルは寂しそうに言った。


「うん……わたしも、楽しかったよ。ハルに会えて良かった」


 前世の記憶を取り戻したとき、一人じゃなくて良かったと心から思う。ハルと同じスタートだったことは神々の思惑によるものかもしれないけれど、今なら素直に感謝できる。

 別れを前にしんみりとした空気が流れた。

 次に会ったとき、もう前世の話はできないかもしれない。スティナはもちろん、ハルだって無事に最高神の像の前に辿り着けるとは限らないのだ。


 ――もしかしたら、ハルと会うことはもう二度とないかもしれない。


 ならば、と胸にしまい込んだ秘密に触れるように、スティナは心臓に手を置いた。






 昼過ぎ、町の入口に多くの人々が集まっていた。

 インプレット夫人と彼女に連れて行かれる若者を見送るためだ。大半は別れを惜しむ者たちだが、もし出世したら故郷に還元してくれと茶化す者もいる。

 ただの野次馬も大勢いた。五台の獣車が並んでいるだけで迫力がある。この世界の人々にとっては、遊園地のパレードを観る気分なのだろう。


 生まれて初めて柔らかいベッドでぐっすりと眠り、すっかり体調が回復したスティナもハルを見送りにきた。


 インプレット夫人にお礼を言いたかったが、すでに獣車に乗り込んでいたので、護衛の男性の一人に丁重に言付けを頼んだ。いつか治療費をお返ししたい、と言ったら苦笑された。

 貧民が貴族に伝える言葉としては生意気だったのかもしれない。


「ハル。元気でね」


「そりゃこっちのセリフだ。もう無理すんなって言いたいところだけど……絶対また会おう」


「うん。約束」


 元日本人らしく、指切りをした。

 そして、ハルを含め三十人の子どもたちがウルデンから旅立っていった。


「彼らの旅立ちに、恵風の眷属ヴェークノール様のご加護がありますように」


 神官の言葉にスティナや残った子どもたちが揃って祈りを捧げた。






 ハルと別れた後、スティナは一人で町を出て街道を見下ろせる丘にやってきた。

 丘の地面はひび割れ、草の一本も生えていなかった。獣の足跡は見当たらないし、この辺りに魔物が現れたという話は聞かない。そう危険な場所ではないだろう。


「ここなら、いいかな」


 ハルに前世のことを伝えられなかったことが心残りだった。

 どちらが最良か分からなかった。スティナがステラだということを言っても言わなくても、ハルの重荷になる。


 散々悩んで、スティナは言わないこと選んだ。

 ファンに失望されたくないという身勝手な理由と、ハルの足手まといになりたくないという卑屈な理由で、勝手に判断した。


 地平線の近く、ハルを乗せている獣車が街道を進んでいくのが見えた。スティナは複雑な思いでそれを見送る。


 参加表明の期限は三週間後――次の満月の日だ。なんの手立てもツテもなく、このままでは記憶を失ってしまう可能性が高い。

 もしこれから他の神の卵と出会ったとしても、ドッペルワンダー及びステラの熱烈なファンではないだろう。


 ――ならせめて、たくさん助けてくれたハルのために……。


 前世でも、現世でも、ハルの存在が心を支えてくれた。

 ハルがもう少し野心家で、面倒見が悪ければ、スティナのことなど即座に見捨てただろう。しかし彼は最後まで心を砕き、スティナの世話を焼いてくれた。彼の優しさがどれだけ頼もしかったか、励みになったか。


 恩を、少しでも返したい。


「ドッペルワンダーのステラ、改め、ウルデン在住スティナ十歳……歌います!」


 この距離でハルに届くことはないだろう。自己満足にすぎないと分かっている。ただ、自分にできるただ一つのことをしたかった。

 スティナは目を閉じ、お腹に手を当て、深く息を吸い込み、そして――。


「――――――」


 歌を紡いだ。

 たった数日のトレーニングではさほど効果はなかった。声量はなく、高音は無様にかすれ、息が長く続かなくて苦しい。また倒れてしまうかも、と自嘲する。

 それでもスティナは歌い続けた。ハルが口ずさんでいたステラのソロ曲、『星空の靴でアンダンテ』を。


 歌い出してから、不思議なことに気づいた。

 スティナはこの世界の言語で歌っていた。日本語とは全く違う言葉のはずなのに、歌詞とメロディが綺麗に一致する。

 細かいことなんて今はどうでもいいや、とスティナはそのままメロディを紡いだ。


 ――カグヤちゃん、勝手に歌ってごめんね。


 プロなら歌を安売りするな、とカグヤはよく言っていた。でも許してくれそうな気もする。

 なにせ、カグヤの夢は『自分の音楽を宇宙にも未来にも響かせること』だ。

 異世界でカグヤの作った曲を響かせたとなれば、「誉めてあげます。喜んでいいですよ」と言ってくれるかもしれない。

 その姿を想像して、スティナは少し楽しくなった。


 気持ちとは裏腹に瞳からは涙がこぼれていく。記憶を失えば、ドッペルワンダーの歌を歌うこともできなくなるのだ。


 ――ハル、ありがとう。ずっと応援してくれていたのを知って、本当に嬉しかったんだよ。


 ――頑張ってね。ハルならきっと良い神様になれるから。あなたのような優しい人、めったにいない。


 ――この世界で最初の……最後になるかもしれない歌を、あなたに捧げます。


「っ!」


 ――ううん! きっとまた歌うよ! 今度ハルに会えたときは、もっと完璧に!


 スティナは声を振り絞るようにして歌った。

 素直に楽しいと思った。心が充実していくのが分かる。


 最後のフレーズを歌い切り、スティナは尻餅をついた。酸素が足りなくて目がチカチカし、頭はくらくらする。

 ライブで踊りながら、何曲も続けて歌っていた前世の自分が信じられない。どれだけこの体は弱っているのだろう。


 ――いつかドーム公演のセットリスト、全部歌って踊りたいな。ハルに観てほしい……。


 獣車が完全に見えなくなった頃、スティナは涙を拭いた。今度再会するまでに、ステラの輝きを少しでも取り戻す。ハルを驚かせるのが楽しみだった。

 スティナは新たな決意を胸に青空を仰いだ。


「今のは……なんだ?」


「えっ?」


 予期せぬ声に振り返ると、ダスクが目を丸くして立っていた。




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