45 光の下へ
ステラ初のソロ曲――『星空の靴でアンダンテ』はとにかく一生懸命な曲だ。
嫌なことにもめげず、毎日を楽しみながら、弾む足取りで未来に歩いていく。そんな気持ちが込められた歌詞と、アイドルらしい可愛いメロディ。
まさにステラにふさわしい楽曲。
スティナの歌声に後押しされ、ハルは“禍身”の群れに飛び込んだ。
空間から光が溢れ出す。マナの粒子が喜びを露わにし、次々と精霊へと転じていく。
あの夜、ルードルフに抱えられて都の防御壁を飛び越えたときの浮遊感を思い出した。満天の星空に祝福されている。そんな気がして力がみなぎる。
かなりの高度からのダイブであったが、着地の心配はしていなかった。先ほどよりもずっとセーラの気配が近い。
――すげぇ! 全部分かる! 何もかも思い通りだ!
土から生えた大きな手が優しくハルを包み、そして“禍身”に捕まる前に再び宙へ放り投げる。自らの手足のように、自由自在にセーラの神技を扱えた。音楽と渾然一体となり、ハルは踊るように前へ進む。さして速度はないものの、捕まる気はまるでしない。
ハルとセーラの能力が飛躍的に向上している一方、“禍身”たちの動きが鈍り始めていた。
迷い、躊躇い、そして混乱。まるで人間のような仕草で宙を仰ぐ個体までいた。スティナの歌は、確かに“禍身”にも届いている。
「またですか……!」
余裕綽々だったピリオドの表情が一転し、忌々し気にスティナを睨む。
「しかし、この前と同じようにはいきませんよ」
ピリオドが合図を出すと、地響きとともに巨大な大蛇が地面を食い破るようにして現れた。ハルの行く手を阻もうとするばかりか、その長い尾でスティナを叩き落そうとする。空中を漂っていた精霊たちが怯えて散る。
“禍身”ではなかった。これは、地の眷属。冷たい爬虫類の瞳に睨まれ、ハルの進行が止まる。
「地の精霊王まで言いなりなのか!」
ダスクが風の魔法で尾の攻撃を何度か逸らし、スティナを懸命に守った。しかし、やがて防御が追い付かなくなり、尾がスティナの乗る星をかすめ、ついに歌声も乱れる。
次の一撃が当たる、そう思われた時だった。
「っ!」
鋭い一閃が大蛇の胴を切断した。尾が崩れ落ちて岩と化し、“禍身”たちに降り注ぐ。
黒い外套が翻り、神々しいまでに美しい少年がいた。神話の英雄のごとき佇まいだ。のたうち回る大蛇に刀を向けながら、アサギはハルに淡く微笑んだ。
「心配しなくていい。この歌を、途切れさせはしないから」
より伸びやかに歌を響かせながら、スティナがハルに向かって頷いた。
頑張れ、と青い瞳が訴えている。
ハルはさらに強い追い風を受け、大蛇を飛び越えて猛然と友の元へ駆けた。
「ルードルフ!」
周りの“禍身”を土の豪腕でねじ伏せ、ハルはオオカミ型の“禍身”の前に立つ。
ルードルフは低い唸り声を上げ、血の滴る赤い瞳でハルを見下ろした。ギリギリと牙が震え、全身の毛が逆立っている。ハルがもう一歩足を踏み出すと、前足を振り上げ、地面を抉るように薙いだ。
寸前のところで転がるように避け、ハルは愚直にルードルフを見上げた。
「お前は頑張ったよ。今も頑張ってるの、分かるぜ。必死に“死神“に抵抗してるだろ? まだそこにいるよな?」
何を言うべきか、考えなくとも勝手に口が動いた。
ルードルフの体に黒い靄が纏わりついていた。忌々しい“死神“ピリオドの力の破片。
「もう神になんかならなくてもいい。自分を責めるな。セーラも怒ってない」
今わの際、ハルの背で彼女が呟いた言葉。
『ルードルフに、もう一度、会いたかった……ちゃんと謝りたかった……私は――』
ハルはどうしてもルードルフに伝えたかった。行き違ったまま二人に別れてほしくない。
『私のヒーローと、もっと冒険したかったよ』
セーラの遺言を告げると、ルードルフは天に向かって吠えた。瞳から血が涙のようにこぼれていく。攻撃の手が止まった。
届いている。そう確信してハルは手を差し伸べた。
「オレがお前とセーラの望みを叶えてやる。戻って来い。いつまでも一緒にいられる。だから――」
「させませんよ。死神の鎌は、あらゆる絆を断つのです」
纏わりつく黒い靄が、強く強くルードルフを締め上げた。
獣の絶叫。毛皮から血が吹き出し、赤い蒸気が立ち上る。
神技の力が強まった。
その代償か、ピリオドの、いや、インプット夫人の体がボロボロと崩れ落ちていく。それでも冷たく微笑む姿に、本能的に忌避感を覚える。
ヒトの姿をした理知的な化け物だ。
「さぁ、来るのはあなたの方ですよ。お友達が待っています」
目の前でもがき苦しみ、暴れ出すルードルフを見て、ハルの中でぷつりと何かが切れた。
ルードルフに子どもを殺させ、尊厳を奪い、“禍身”に堕としておきながら、まだ苦しめるのか。
――早く救ってやらなきゃ……どんな手を使ってでも。
セーラが同意するようにハルに全ての力を与えた。
ルードルフが前足を再び振り上げた一瞬、ハルはそれを越える速度で四本の土の腕を造り上げ、ルードルフを拘束する。もう抵抗できないくらい強く。
ほんの少しの我慢だ。もう終わらせる。
「オレのダチだ。……返せ!」
土の腕を駆け上がり、ハルはオオカミの頭に手を伸ばす。心の望むまま、自らの内側にある力を行使した。説明されずとも自分が何をすれば良いのか分かった。
【固有神技”導く悪魔”――神器”生贄の角刃”】
脳裏に浮かぶ不穏な言葉に構わず、ハルはいつの間にか手にしていた黒い刃のナイフで、狼の赤い片目を突き刺した。どろりとした血を浴びて、ハルは安堵する。
――痛いよな。ごめん。でも、これで……。
導きが奥深くに届いた。
ルードルフを拘束していた黒い靄が霧散する。ハルは宙に散っていく火花を手の平に集めた。ろうそくの炎のように儚いそれを、そっと自らの内に取り込む。
オオカミの“禍身”の肉体がみるみるうちに痩せ、砂のようにこぼれていき、やがて骨すらも砕けて崩れ落ちた。
――ルードルフも、オレと一緒に戦ってくれるだろ?
そっと問いかける。
気が遠くなるような一瞬の後、ぶっきらぼうな声が聞こえた。
『……仕方ねぇな』
胸に温かい炎が灯る。セーラも喜んでいるようだ。
「ああ、良かった。救えた」
達成感と充実感があった。空っぽだった器に力が満ちる。
「ハル! 危ない!」
スティナが歌うのを止めて叫んだ。
振り返れば地の大蛇がハルを飲み込まんと、大口を開けて飛び込んできていた。
この蛇の体も土と岩でできている。アサギに負わされた傷は回復しているようだ。
ハルは逃げることなく、強く地を蹴った。
ルードルフの神技“全速前進”。
そのままナイフを握りこんだ拳を突き上げ、大蛇に強烈なアッパーを食らわせる。
固い。指から肘までの骨がぐちゃぐちゃになったが、それでも己の質量に最大の速度を加えた一撃で、大蛇の顔も砕けて沈む。
――痛てぇ……でも、まだ大丈夫。
常人だったらのたうち回るようなダメージも気にならない。頭がぼんやりとしている。
それより気になったのは、スティナが続きを歌ってくれないことだ。心配そうにハルを見ている。
周りの“禍身”たちも襲いかかってこない。やけに静かだった。
セーラもルードルフも救うことができた。後は、“死神”ピリオドを倒すだけだ。しかし相手は目の前にいるようでいてとても遠い場所にいる。
「なぁ、お前の本体はどこにいるんだ?」
ハルは、もはやほとんどヒトの姿を保っていない貴婦人に尋ねた。ピリオドもまた、不気味な笑みを引っ込めて静かにハルを見下ろしていた。
「答えるわけないか。まぁいいや。探し出して、必ず報いを受けさせる」
この世界の果てだろうが、地獄の底だろうが、関係ない。
決して許さない。
破滅に追い込んでやる。
「過激、いえ、熱烈ですねぇ。光栄ですよ。放っておけば自滅してくれそうですが……しかし、空座が埋まるのなら」
ピリオドは思案気に呟いた後、歪んだ顔で笑った。
「いいでしょう。今回は引きます。せっかく集めたしもべを悉く吸収されてはたまりませんし、そろそろ潮時です」
“禍身”の群れが黒い靄に包まれて姿を消していく。インプレット夫人の体も灰と化していった。
アサギが一歩前に出る。
「待て。ユンルアーラを解放しろ」
「過大な要求です。まぁ、この王国からは退いてあげますよ。……いずれ機会を差し上げましょう。旧神と思う存分殺し合えるお祭りです。腕が鳴るでしょう?」
その言葉を最後にピリオドの気配が消えた。巨大なユンルアーラの女神像にひびが入ると、空間全体が震え出した。落盤の気配がある。
「ハル! その腕……っ!」
スティナが一目散に飛んできてくれた。見れば、熟れた果実のように醜く腫れ上がっていた。
自分を案じてあわあわしているスティナを見て、荒んでいた心が一瞬で癒された。
「大丈夫だ。不思議と全然、痛くねぇから」
しかし、気が抜けたのか大きく体がふらついた。スティナに倒れ掛かるわけにはいかない。そんなお約束な展開を享受できるほど、図々しくなかった。
「神技を使いすぎた反動だ。俺が背負おう」
気配もなく近づいていたアサギがハルを支えた。十歳の体とはいえ、軽々と持ち上げられる。複雑な気分になった。
アサギに対してはいろいろと気になることだらけなのだが、疑問を口にする体力もない。礼も後でいいだろうか。
「急げ! 生き埋めになる!」
ダスクが魔法で逃げ道を確保したらしく、脱出は容易かった。
洞窟を進み、ほどなく光の下に出る。
――眩しい。
久しぶりの青空、燦燦と輝く太陽の光に耐えられず、ハルは目を閉じた。新鮮な風を肺に満たすと、無性に泣けてきた。
自分一人が助かってしまった。
ルードルフとセーラ、各地から集められた子どもたち、おびき寄せられた神の卵たち。
その者たちの無念を必ず晴らす。
――そういえば、あの子は何者だったんだ……?
瞼の裏側で思い出されたのは、暗闇でハルを度々助けてくれた橙色の髪の少女。
その疑問は意識とともに散っていった。
☆
食卓に突っ伏していた体を起こし、眉間の皺を指先で解す。
ピリオドは大きくため息を吐いた。久しぶりに自分の体に戻ったせいか、体の節々が痛む。生きた体はいろいろと不便だ。
「数年がかりの計画が無に帰してしまったな……しかし収穫もあった」
ピリオドの正面の席に、男が座っていた。
この館に照明の類はなく、夜目の利くピリオドでも男の顔は黒く塗り潰されて見えない。暗闇に紛れてなお、あらゆる生物を凌駕する存在感がある。
「っこれはこれは、主様。ご覧になっていたのですか。お恥ずかしい。ご期待に沿えず申し訳ございません」
「責任を問いはしない。引き際の判断は良かった」
ピリオドは寛大な主の言葉に頭を下げた。
あのまま彼らと戦っても、益はなかった。あのハルという神の卵は殺せたかもしれないが、“星”と“吊るされた男”は倒せない。“禍身”にするだけの材料もなかった。
また、もっと厄介な気配が近づいていた。“魔術師”にヘイトを与えるのも、“正義”にこちらの思惑や神技を見せるのも面白くない。
早々に見切りをつけた判断は間違っていなかったようだ。
男は楽しげであった。
「傑作だった。ユンルアーラの器を造ろうとして、まさか“悪魔”の卵が生まれるとは。あれの存在は聞いたことがあるぞ。おそらく、数々の文明を滅ぼしてきた魂だ。それにしては、穢れが少なったようだが」
「なるほど。そのような存在を神候補に推薦するとは、時空の神々は大胆ですねぇ」
「どこまでいっても余興なのだろう。まぁ、結果的に良かったではないか。空座が埋まるのは我にとても願ったりだ。それに、やはりユンルアーラの器は女が良い」
ピリオドも同意して頷く。
セーラという少女が生き残ってくれることを期待していた。しかし、あの程度の試練に屈するようでは、どのみち不適格であった。
「器に関しては、実を言うとお誂え向けのものを見つけた」
「左様でございますか。どのような悲劇が生まれるのか、楽しみで仕方がありません」
「やはりお前は性格が悪いな。嫌われるのも無理がない」
「構いませんよ。そもそも死は、忌々しく思われるべきではないですか」
二人は闇の中で笑みを深めた。
「さて、あの“星”の雛についてはどういたしますか? ふざけているようで、なかなか侮れない力です。また邪魔される恐れがあります」
「……あの程度の輝きならば、直に闇にのまれるだろう」
男は小さく息を吐いた。
「ただし、あの歌自体には……いや、やはり取るに足らない」
この世界を救う力はない、と男は断言した。




