3 作戦と訓練
お互いに精神を立て直した後、ハルが話を切り出した。
ニャピと別れてからすぐに神官を捕まえて情報収集してきたらしい。その行動力は驚異的だった。
「最高神の像がある場所、聞いてきたぜ。この町から一番近いのは東の都ヤドーヴィカだ」
ハルは地面に枝で卵型の円を描いた。
「大ざっぱに説明するけど、これがカダールカ王国な。で、オレたちの暮らす町……ウルデンはこの辺り。東の都ヤドーヴィカの東南にある」
「何となく分かってたけど、端っこだね」
カダールカ王国は中心部に王都、そして東西南北に四つの都を持っている。
王都は王族が、東西南北の都は高位貴族が治めており、各都の周辺の町は中位以下の貴族に預けられている。
ウルデンは王国の東部に分類され、国境線に近い。東の国境は樹海と断崖絶壁が続く自然の要塞となっており、隣国との交易もない。町の周囲には農耕地が広がっているだけだ。
かつては樹海を探索する者が立ち寄る町としてそれなりに栄えていたが、魔物が凶暴化した近年は廃れていく一方だった。
ちなみにスティナの生まれた村は、樹海の珍しい木を伐り出すきこりの集落だった。それが魔物の襲撃で壊滅してしまい、木材の流通が減り、ウルデンが寂れる一因となった。
「ここからヤドーヴィカまでかなり距離がある。オレたちの体力と期限の三十日を考えると、徒歩で行くのはまず無理だ。騎獣か獣車に乗らねぇと」
「そんなお金ないよ?」
「てか、まず旅費がないよな。ああ、腹減った……」
二人揃って盛大なため息を吐く。
今日の食事にも苦労しているのに、旅支度ができるわけがなかった。旅をする体力も装備も資金もない。
「しかもここ最近、街道に魔物がうじゃうじゃ出るんだってさ。護衛を多く雇わないと行き来できなくなったせいで、乗り合いの獣車の料金が割高になったらしい。全く、マジでRPGみたいな世界だな」
「ゲームなら、イベントが起こってなんとかなるのにね」
「お、スティナ、前世でゲームやってたんだ?」
「少しだけ。あんまり詳しくないよ」
前世では、大体途中で飽きるか敵を倒せなくなって放置していた。
ただドッペルワンダーが主題歌を担当したゲームは、頑張ってクリアした。ラスボス戦のBGMで主題歌のアレンジが使われると知らなかったため、感涙した思い出がある。
それにしても、とスティナは唇を尖らせた。
せっかく前向きに“神選びの遊戯”への参加を決めたのに、参加表明するだけで前途多難だった。
「これも神様の試練かな。これくらい何とかできない人に、神様になる資格なんてないってこと?」
唸るスティナに向け、ハルはにこりと笑った。
「そうでもないぜ。この世界は現実だけどさ、神様の作ったゲームをプレイしてるようなもんかもな。ちゃんと、クリアするためのとっかかりを用意してあるみたいだ」
「どういうこと?」
「ちゃんとイベントが起こるんだよ。スティナも知ってるはずだ。今週、都のお貴族様がウルデンに来るだろ?」
「そう言えば、神官様がそんなこと言ってたかも。何をしに来るの?」
社会の底辺に位置するスティナからすれば、貴族は雲の上の人だ。関わることもないとあまり気にしていなかった。
ハルはスティナの無知さに少し呆れていたが、面倒がらずに教えてくれた。
「表向きは視察。でも、本当の目的は人狩りだって噂だ。特に、強い魔力を持つ子どもを重点的に連れて行きたいんじゃないかって、肉屋のゴードンさんが言ってた」
「魔力……そっか。この世界には魔法があるんだったね」
十年この世界で暮らしてきたものの、スティナはあまりピンとこなかった。ウルデンのような辺境では魔法は身近な存在ではないのだ。
ハルは言う。
魔力自体は誰でも微量に持っているが、魔法に変換して放出できるほど余剰分を持つ者は少ない。
魔力鑑定でレベル1から7にランク分けされ、魔法使いになるのならレベル4以上の魔力量を求められる。ただし、まだ体内の魔力量が安定していない子どもなら、訓練次第で魔力量を伸ばし、レベルを上げることも可能らしい。
「今度町に来る貴族様は、子どもを引き取って魔法使いに育てたいんじゃねぇかな」
前世の世界が科学技術で発展していったように、この世界は魔法で生活が成り立っている。一人でも多く自分の領地に魔法使いを抱えたいのだろう。
ウルデンの領主は魔法使いを育てるノウハウを持たず、他領の貴族に強い魔力持ちの子どもを明け渡すことを選んだようだ。何か金銭的な取引があるのかもしれない。
あくまで町の大人の噂だけど、とハルは苦笑した。
「とにかく、ハルが言っていたイベントの意味は分かったよ。ようするに、魔法の才能を発揮してお貴族様の目に留まればチャンスがあるってことだよね?」
「まぁな。オレたちが安全に東の都まで行くには、誰かに連れてってもらうしかねぇ」
「うん。良い考えだと思う」
貴族を利用しようなど恐れ多い作戦だが、スティナもハルも他に妙案を思いつかなかった。
期限までに最高神の像まで行かなければならないのだ。この際手段は選んでいられない。なりふり構わず町を飛び出すよりはよほどいい。
「わたしたちに魔力ってあるのかな?」
「分かんねぇ。魔力鑑定は魔法使いにしかできないって話だ。でも……期待しちまうよな!」
「うん! 魔法……こんな状況だけど、ちょっとワクワクするよね。使えるようになったらすごい」
魔法はファンタジーの醍醐味だ。前世でも今世でも憧れはある。
「もしも魔力が足りなかったとしても、食い下がってやろうぜ。現代日本の発明品を売り込むのもいいな!」
「とにかく頑張る!」
不安だらけではあったが、暗黙の了解でお互い弱音は口に出さなかった。
その日から、努力の日々が始まった。
聖堂の書庫に旅の魔法使いが寄付したという初級の魔法教本があった。少しでも魔力量を増やそうと、二人で訓練してみることになった。
が、スティナは簡単な文章しか読めなかったので、ハルに読み聞かせてもらうことになった。
「ハルはすごいね。こんな難しい本が読めるんだ」
「仕事もらえなかった日は暇だったからな。読み書きや計算ができれば、仕事ももらいやすいと思って、ちょっとずつ勉強してたんだ。地面に文字書いてみたりして」
記憶を取り戻す前から勤勉であったハルは、すいすいと教本を読んで理解を深めているようだった。
他にも書庫の本を漁って、この世界に関する知識をどんどん吸収していく。
「暦とか、数字の数え方とか、前世とほとんど同じだな。食べ物も似たようなものが多い。異世界独自の文化ばかりかと思ったんだけど……」
ハル曰く、この世界の時間の経過の仕方は前世とほとんど変わらない。
一日は二十四時間で、一年は三十日×十二か月の三百六十日。年末年始に暦合わせの数日を足して調整しているらしい。
数字は十進法がメインで用いられている。物の単位は呼び方こそ違うが、元の世界の単位と換算しやすくなっている。
もちろんこの世界にしかない文化もあるが、前世との共通点が不自然なほど多い。
「ここ、本当に異世界なのか? 日本があった世界と無関係とは思えねぇ。ゲームやアニメの世界に迷い込んだって言われた方がしっくりくる」
「お答えしますにゃん!」
「うわ!」
ハルの疑問に答えるように、本棚の陰からニャピが顔を出した。
「あなたたちを推薦した神が、この世界と似た文化風習を持つ世界から神の卵を選んだからですにゃ。その方が世界に馴染みやすく、神様になった後に管理しやすいと考えて」
「な、なるほど」
疑問が解消するやいなや、ニャピはまた煙のように消えた。
これも魔法の一種だろうか、とスティナは首を傾げる。
「……とりあえず、前世の世界と似ている部分が多いなら、苦労は少ないかもな」
ハルは気が抜けたような声で頷いていた。他にも役に立ちそうな知識はないかと本を次々と読み漁っていく。
――本当にすごい。ハルって日本で生きてた頃からかなり頭良かったんだろうな……。
尊敬すると同時に自分が情けなくなるスティナだった。
会話だけなら十年分のヒアリングで培われたものの、読み書きを覚えるのは苦労しそうだ。中一の英語で躓いた前世を思うと、相当の勉強が必要だった。
――ううん。できることはなんでも頑張らなきゃ。根性だけは最初からプロ並みだったってカグヤちゃんも言ってくれたし!
ハルは都へ行く方法を見つけ、読み聞かせまでしてくれた。どうにか自分も役に立ちたい。せめて足を引っ張らないようにしようとスティナは心に誓った。
さっそく魔力量が増えるという瞑想を試してみることにした。
「己の内側に円を描き、力を循環させ、やがて球を形成していくイメージ……」
一時間も経つと、だんだんと体の芯に温かいものを感じられるようになった。おそらくこれが魔力だろう、とスティナは当たりをつける。これを体内に循環させていくことでどんどん温まって魔力が増えていくのだと思う。
【ふふっ】
【きゃはは!】
「っ!」
耳をくすぐられるような感覚に、スティナは小さな悲鳴を上げた。
「どうした!?」
「この書庫、なんかいる」
小さな書庫だ。見渡してみても二人以外には誰も見つからない。
「怖いこと言うなよ。ニャピの悪戯じゃね?」
「そ、そうだといいんだけど……」
ファンタジーに溢れた世界だ。幽霊が存在したって不思議ではない。だからこそ余計に怖い。
スティナは極力考えないようにした。
あるとき、瞑想中にハルがドッペルワンダーの楽曲を口ずさみ、スティナの集中力が途切れた。つい一緒に歌いそうになるのをぐっとこらえる。
「あ、悪い。心の中で歌ってたつもりだったんだ。楽しいことを考えるといいって、教本に書いてあって」
「そうなんだ。今のって」
「スッティー初のソロ曲『星空の靴でアンダンテ』……」
恥ずかしそうにしつつも、ハルの手はサビの振り付けを完璧にこなしてみせた。
「ハルはその曲が一番好きなの?」
「んー、大好きだけど、一番かって言われると難しいな……グループ曲ももちろん好きだぜ。『ブレイヴ・ペイン』に『指先に天使』、ああ、『ムンスタ』もすげー聞いてた。カグヤの作った曲はどれも神曲だった。天才だ……」
ドッペルワンダーはかなり特殊なアイドルだった。
リリースされる楽曲のほとんどがカグヤのセルフプロデュース。作詞作曲、時にはダンスの振り付けや演出までを一人でやり、スケジュール管理や出演交渉もしていた。
どんな大きな仕事でもカグヤの気が乗らなければ受けない。
カグヤによるカグヤのためのグループ、それがドッペルワンダーである。
そんなワンマンが許されていたのは、カグヤが絶世の美貌とオーラ、十代半ばにして圧倒的な歌唱力と一度聴いたら忘れられない声、あらゆるセンスを持っていたためだ。
ドッペルワンダー以外に主力のない、小さな芸能プロダクションだったせいもあるけれど。
「カグヤは性格悪いとか、メンバーを見下してるとか、ネットではいろいろ書かれてたけど、あれは多分、自分にも他人にも厳しいだけだと思うんだ」
スティナは心の中で激しく同意した。
カグヤは傲慢で自己中心的なところがあり、現場で悪く言われることもあったけれど、夢に向かって全力を尽くしていた。彼女の妥協を許さないスタンスが自分は大好きだった。
――最初のうちは、スタッフさんとも喧嘩して大変だったな……メンバーもどんどん入れ替わるし。
ドッペルワンダーにおいてメンバーはカグヤを引き立てる添え物に過ぎず、デビュー当時はほとんど活躍の場を与えられなかった。カグヤと並び立つ実力がなかったのだ。
「なんたって、スッティーを発掘してきたお人からな。だからオレはカグヤにも敬意を表する!」
「そ、そっか」
ステラがメンバーに選ばれたのは、カグヤの歌声と親和性が高かったからである。カグヤとハモるのは楽しく、何物にも代えがたい快感だった。たとえ主旋律を歌えなくても構わないと思えるほどに。
ただ、他のメンバーはそうではなかった。
何もかもカグヤの言う通りにしなければならず、全くスポットライトが当たらない。不満を爆発させて辞めていき、何度かメンバー交代があって最終的には四人になった。初期メンバーはカグヤとステラのみである。
――わたしまで死んでいなくなっちゃって、カグヤちゃんはどう思ったかな……。
自分のファンがメンバーを殺したと知れば、ショックだろう。しかし、強くて気高いカグヤが涙を流す姿は想像できない。
泣いてほしいような、泣いてほしくないような、複雑な気持ちになった。
「オレばっかり語っちまったな。スティナは好きな芸能人とかアイドルはいねぇの?」
「え、わたし? わたしは……ヴァイスエンドのゼツさん。ちょっと憧れてた」
「マジか! マニアックだなっ」
スティナも少しだけ憧れのバンドについて語り、前向きな気分になったところで訓練を再開した。
訓練の合間には町の清掃に参加し、図鑑で調べた栄養価の高い草花を探して食べ、この世界のことを勉強したりもした。
今まであまり交流のなかったスティナとハルが二人でいることが増え、少し年上の子たちからは「お前らデキてるの?」と冷やかされるようになった。若干の居心地の悪さを感じつつも、精神年齢の高さが手伝って二人とも素知らぬ顔をしていた。
「石鹸や注射器は既にあるし……料理のレシピはあんまり知らねぇし、他のものも材料集めて作ろうとしたら時間がかかりすぎるか……」
現代日本の知識チートによる発明を狙っていたハルだが、あえなく断念したようだった。
浮浪者だらけの田舎町だと侮っていたが、文明はそれほど遅れていない。表通りには商店が並び、風呂屋や診療所もある。ウルデンにも魔法による発明品が多少は流通しているようだった。
スティナはと言えば、こっそり体力作りとボイストレーニングに精を出していた。姿勢や声の出し方、多彩な表情によって、印象をがらりと変えることができる。
――歌や踊りはこの世界じゃ役に立たないかもしれないけど、演技なら……。
スティナはハルのように頭が良くないが、頭が良さそうに見せることはできる。どのように振る舞えば相手に好感を与えられるか、少しは分かっているつもりだ。
できることは全てやった。
そして数日後、二組の貴族が町にやってきた。