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29 襲来の夜


 ある朝、目覚めたスティナにミントが言った。


「一日くらいゆっくり休んだらどうですか? 最近は忙しすぎます」


「休みません! アイドルは仕事があるうちが華なんです。わたしは全然大丈夫ですから」


 石を投げられてから数日、何事もなかったかのようにスティナは巡業ライブを続けていた。幸いにもあれから変わったことはなく、例の少女が現れることもなかった。


「何が全然ですか。夜眠れていないでしょう? 寝返りばかりしていたようですが」


「ね、寝相が悪いだけです。恥ずかしいからダスク様には内緒にしてくださいね」


 スティナは視線を泳がせた。嘘を吐く後ろめたさから、本気で演技をすることができない。

 ミントはじっとりした視線を寄越し、それ以上追及してこなかったが、ダスクに言わないとは約束してくれなかった。


 ――忙しいのは全然平気なんだけど……。


 辛いとき、苦しいとき、思い出すのは前世でこなした過密スケジュールだ。十四歳、中学二年生でデビューして、アイドルの仕事と学業を両立してきた。


 カグヤの求める基準に達するまで毎日歌とダンスのレッスンをして、学校の課題やテストで手を抜くことも許されず、右も左も分からない芸能界で目まぐるしく働いた。

 二つのことを同時にこなせない不器用さに何度泣いたことか。

 華々しい芸能界のイメージとは程遠い、嵐の中を彷徨うような日々だった。


 ――あの頃のステラに比べれば、全然マシだよね。スケジュールも、メンタルも。


 デビューしてすぐの頃、ステラは現実に打ちのめされた。

 忙しさに反して、アイドルらしい華々しい仕事がほとんどなかった。注目されることもなく、お給料も少なく、最初のうちは見返りもなく頑張っている自分に酔うこともできたが、だんだん「わたしは何をしているんだろう」と無性に恥ずかしくなった。

 たまにメディアに出ても話題になるのはカグヤの美貌と歌唱力だけ。ステラの努力に目を留める者などいない。


「後ろの子たち要る? あんまり可愛くないし、歌もヘッタクソ」

「カグヤ、ソロで活動すればいいのに」

「引き立て役にもなってない。なんか可哀想……」


 聞こえてくる大衆の声に、怒りは沸いてこなかった。その通りだと笑ってしまったくらいだ。


 ――どうしてあんなに頑張れたんだっけ……。


 多分、忙しさで自分の気持ちを誤魔化していた。一度立ち止まったらもう歩き出すことすらできない。そう感じて走り続けた。

 デビューから一年半もの間、ステラは自分の存在価値を疑いながら、恐る恐る前に進んでいた。


 でも今は違う。

 人々が自分の歌を求めてくれる。マナを活性化させるためではあるけれど、必要とされているのが嬉しかった。忙しさは全然苦ではない。

 精神も、前世の苦汁を知っている分、まだ持ちこたえられていた。


 ――きっとあの人は、この世界を救いたくない神候補だよね……。


 だとしたら、悪意を向けられたとしても怯むわけにはいかない。世界を救いたいスティナが彼女に膝を屈したら、世界の滅びを受け入れるということになる。


 石や罵声を投げつけられるくらいどうってことはない。刺殺される恐怖に比べたら鼻で笑い飛ばせるレベルだ。

 この世界でまたアイドルをすると決めたときに、再び危険な目に遭うことも覚悟したはずだ。

 全ての人に好かれることなど不可能、出る杭は必ず打たれる。例の少女以外にも自分を嫌う者は大勢いるだろう。

 それでもいい。自分がどんな嫌な目に遭っても、歌うことを、世界を救うことを諦めたくない。


 ――心配なのは……みんなを危険に巻き込むこと。


 敵意が自分に向いている間はいい。涼しい顔で受け流して歌い続けて見せる。しかし、例の少女が周りの人間を害し始めたら、さすがに巡業ライブは続けられない。

 スティナの懸念を察してか、ダスクもミントもザミーノも「心配は要らない。伸び伸び歌え」と言ってくれる。


 ――もしものとき、今度はわたし……。

 

 自分の行いの影響で誰かが傷つくのはもう嫌だ。ラグーザ峠のときのような想いはしたくない。

 スティナは星の連なるブレスレットにそっと触れ、奥歯を噛みしめた。そのときのことを考えただけで、憂鬱で眠れなくなってしまうのだ。

 






 予定は順調に進み、一行は懐かしい町にやってきた。


「久しぶりね、スティナちゃん。元気にしていたかしら? あなたがすっごく有名になっちゃって、びっくりしたわ」


「お久しぶりです!」


 ドムドウッドのオネェ領主ライグラににこやかに出迎えられ、スティナはほっと一息吐いた。知っている町というだけで、随分と気が楽だった。


「先日の借りを返しに来たぞ。……と言いつつ、衣食住は世話になるが」


「ダスクちゃんったら、本当に律儀なんだから。今回はアタシが招待したんだから、なんの気兼ねもなくゆっくりしていって。それで……あら? アサギちゃんは? どこにいるの?」


「少し別行動をしてるんです。でも、この町で合流する予定なので、数日中には会えると思います」


 ライグラ及び侍女一同がわずかに肩を落とした。彼らにとってはアサギの来訪がメインだったようだ。


 このドムドウッドが今回の巡業の折り返し地点であり、あらかじめ決めておいたアサギたちとの合流地点でもある。ライグラの領地でマナを活性化させつつ、アサギたちを待つ。

 もし何か不都合が起きたら、ヴィクターが魔法で連絡をくれることになっている。未だ連絡がないのは無事な証拠だ、とスティナは信じることにした。


 

 到着の翌日からさっそくライグラ自らの案内の元、領内のマナ不足の土地を巡った。

 この辺りは農業よりも商業が盛んである。ドムドウッドは王都、東の都、南の都、そのちょうど中間地点にあり、様々なものが行き交っている。ゆえに街道が通行止めになると、商売が成り立たず死活問題になるらしい。

 これまでの領地とは違い、農地よりも山や森、街道から離れた場所のマナを満たし、魔物たちが人里に下りてこないようにしてほしいとライグラに頼まれていた。

 ちなみにラグーザ峠のマナはあれから安定していて、今回は行く必要はないとのことだった。峠に従魔が現れたときも、ドムドウッドはかなり困窮したらしい。


「すごい力ねぇ。それにとっても胸に響く歌だわ。アタシ感動しちゃった!」


 新しいもの好きのライグラは異世界の歌をすんなりと受け入れ、純粋に楽しむようになった。コレットと同じ属性のようだ。

 ライグラが喜んでくれるのは嬉しいが、スティナは本来のライブの魅力について語りたくてたまらなかった。


 ――本当は可愛い衣装を着たり、ダンスを踊ったり、花火を上げたり、もっと演出にこだわるんですよ。観客のみんなと声を合わせたり、コール&レスポンスしたり!


 今のように精霊や人々の暮らしのために歌うのも好きだが、やはり前世のような純粋なエンターテインメントとしてのライブに憧れがあった。

 心の底から人々に楽しんでもらえるような空間を作りたい。今はまだそんなことをしている状況ではないと分かっていても、ついライブの構想を考えてしまうのだった。



 夜。

 知っている町にいる安心感と適度な疲労で「今夜はよく眠れそう」とベッドに入ったスティナだが、すぐにけたたましい鐘の音で飛び起きた。

 この王国で生きる者なら誰でもこの合図のことは知っている。魔物の襲来を報せるものだ。


「四方から魔物たちが防御壁に殺到してきて……!」

「上空からは鳥の魔物が飛来している! 結界で持ちこたえているうちに戦えない者は避難を!」

「非番の者も叩き起こせ! 守備隊に合流するんだ!」


 スティナは信じられない想いでいた。


 ――おかしいよ。どうして町に魔物が……?


 魔物の襲来自体は珍しいことではない。主要な町に高い防御壁があるのは、魔物に備えているからだ。

 人の味を知っている凶暴な種族や、自然界で縄張り争いに負けた個体が時折町を襲う。特に最近では、食料不足やマナの偏りで魔物が集団で暴れ、各地で被害が相次いでいた。


 おかしいのはタイミングだ。

 スティナが今日歌ってきたのは、魔物を人の世界から遠ざけるためだ。なのになぜ、と言葉にならない焦りが胸を衝いた。

 

 慌ただしい屋敷の中を駆け抜けてエントランスに向かうと、ちょうどダスクとザミーノが外へ出ていくところだった。


「ダスク様、魔物が……!」


「ああ。人々が町の中心に避難してきて、ひどいパニックになっているようだ。私たちは討伐に手を貸してくる。スティナとミントは屋敷で大人しく――」 


「待っていられません。わたしも行きます!」


 ダスクは顔をしかめたが、ミントの「私も参ります。ダスク様もスティナも、必ず守りますので」という一言で渋々頷いた。

 一行は屋敷を出て、人々の流れに逆らいながら一番近い門へ向かった。

 住宅街から繁華街に近づくにつれて明かりが増えて、混乱も大きくなっていった。ちょうど大人が飲み歩く時間帯だったようで、酒場が並ぶ通りはひどい有様だった。


「――ッ!」

 

 甲高い鳥の鳴き声が上空から降り注ぐと、人々が絶叫しながら逃げ惑う。我先にと押し合いになり、見るに堪えない光景が広がっていた。


 ザミーノが空に大弓を構える。しかし矢が発射されることはなかった。

 運の悪いことに今夜は曇り空。月も星もない空は暗く、地上に大量の明かりが灯っているために鳥の魔物の姿は非常に見えづらかった。

 手をこまねいているうちに、びりりと何かが破れるような音が夜空に響いた。


「結界が破れた! 伏せろ!」


 真っ暗な空から火の玉が降り注いできた。一瞬明るくなった空に、火を吐く鳥の姿が浮かぶ。

 建物に燃え広がって、通りはあっという間に火の海になった。酒に引火したのかもしれない。爆発して崩れる建物もあった。

 

【出でよ、水の聖女!】


 ダスクの魔法により周囲一帯に大量の水が降り注いだ。火の勢いはだいぶ弱まったが、炎が爆ぜて煙が大量に発生する。人々は逃げ出すことができない。そこにまた上空から火が降り注ぐ。

 頬をじりじりと焼く熱に、スティナは身を竦ませた。


「埒があかぬな。町中で水属性は魔力消費が多すぎる……結界の修復はまだか!」


 ダスクに習った魔法の基本を思い出す。風や地とは違い、水の属性魔法は使える場所が限られるのだ。水気のない場所に発生させようと思ったら、急激に魔力を消耗してしまう。

 気づけば、一帯は完全に逃げ場を失っていた。百人近いの人々とともに火と瓦礫の中に閉じ込められ、身動きが取れなくなっていた。


「ああ、神よ。どうかお助け下さい!」


 誰かが叫び出すと、次々と追従する者が現れる。


「畜生! どうしてこんな目に!」

「今までこんなこと一度だってなかったのに」

「イヤ! 私を置いていかないで! 助けて!」


 怒号と泣き声、暗い空と炎に巻かれた地上、何かが焼け焦げる臭い。地獄のような光景だった。

 この状況で自分にできることはあるかと自分に問う。


 ――できる。やるしかない……!


 歌で水の精霊を生み出し、マナの光を纏った神器で夜空を照らす。そうすればダスクとザミーノが何とかしてくれるはずだ。

 スティナが星のブレスレットに触れ、煙の少ない場所で深呼吸をした、そのとき。

 

「その子どものせいよ! そいつの歌が魔物を呼んだんだ!」


 一人の少女の声が空に突き刺さった。  




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