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2 迷い

 


 スティナはハルと視線を交差させた。お互いの戸惑いが伝わってくるようだった。

 時空の神リメロ・ディアラの手にかかれば、前世の記憶を甦らせることはもちろん、再び消すことだって容易い。


「ズルくねぇか、それ」


 “神選びの遊戯”に参加しないのなら、何も知らないただの孤児に戻る。

 神になれと言われたときには壮大過ぎて途方に暮れたが、記憶を消されると知った今、とてつもない恐怖に襲われた。


 前世を思い出したことで、スティナもハルも痛感していた。このままではまずい。

 親も仕事も家もない。その日を食いつないでいくのに精いっぱいで、いつ野垂れ死んでもおかしくない。

 衛生状態だって良くないのだ。ちょっとした風邪や怪我で簡単に命を落とすだろう。

 これからますます物騒な世の中になっていくというのに、今のスティナとハルに自衛する術はない。


 前世の記憶を思い出す前は、ここまで危機感を持っていなかった。周囲は貧しい子どもたちばかりで、他の町や国を知らない。今の暮らしに漠然とした不安はあったが、積極的に変えようなんて考えたこともない。

 記憶を失って無知な孤児に戻ったら、二人を待ち受けるのは悲惨な未来だけだ。


「そう悲観することはありませんにゃ。お二人の参加に関係なく、そう遠くない未来、新たな神が誕生するのは決まっていますにゃ。管理者がいれば、ひとまず世界の荒廃は止まるでしょうから、今よりはマシな暮らしができるかもしれませんにゃ。……まぁ、新たな最高神様が、救済してくれるとは限りませんけどにゃ」


「え、どういうこと?」


 亡くなった最高神の代わりに滅びゆく世界を救う。そのための“神選びの遊戯”だと思っていた。

 ハルが難しい顔をして口を開く。


「なぁ、猫。もしかして最高神になったら、この世界を好きにできるのか? 救うも滅ぼすも自由……とか?」


 ニャピは口元に前足を当て、ピエロのように笑う。


「もちろんですにゃん! 征服も選民も思うがまま! なんなら一度世界を更地に戻して、一から創造し直すことだってできますにゃ。できれば、ネコ科に優しい世界を創ってほしいですにゃあ」


 二人揃って息を飲んだ後、「まるでゲームだな」とハルが呟いた。

 最高神は自分の好きなように世界を創造できる。今の世界が気に入らなければリセットボタンを押すことも許される。

 一番偉い神様がすることだ。誰も逆らえない。


「王族、奴隷、賢者、囚人……神の卵は多種多様な境遇を辿り、遊戯に招かれておりますにゃ。思想も信仰も様々でしょう。どんなことも起こりうる、と考えていただいてよろしいかと」


 改めてズルいと思った。

 これでは参加せざるを得ない。


 最高神を目指すかはともかく、他の候補者の顔ぶれを見ないと安心できない。いろいろな人が神の卵として転生している。もしかしたらとんでもない人格の者が最高神になってしまうかもしれない。

 文字通り世界の命運がかかっているのだから、おいそれと権利を放棄できなかった。


 顔色の悪くなった二人を茶化すように、ニャピが笑う。


「そうそう、神になれば他の時空に遊びに行くこともできますにゃ。ご自身が死んだ後の時間軸を覗くこともできますにゃ」


 その言葉にハルが目の色を変えた。


「マジか!? じゃ、じゃあ! ドッペルワンダーのライブも観られるのか! この際ライブビューイングでも構わねぇ!」


「え、ハル、それは――」


 さっきまで重々しい話をしていたはずが、急に空気が変わった。ハルの瞳がキラキラ、いや、ギラギラと輝いている。


「お心は決まったようですにゃ。ではでは、お二人のご活躍を心からお祈り申し上げます。また何かあればお伝えに来ますにゃ」


 ばいばいですにゃ、と可愛い決めポーズをして、ニャピは煙のように消えた。

 まだ聞きたいことがあったのに、とスティナが宙に手を伸ばしたまま固まっていると、ハルが勢いよくその手を取った。


「スティナ! お前も参加するよな?」


「う、うん。他人任せにしちゃいけないと思うし、将来が不安だし……」


「よっしゃ! じゃあ、とりあえず最高神の像がある場所調べてくる! 一緒に頑張ろうな!」


 満面の笑顔のまま、ハルは走り去った。

 取り残されたスティナは呆然とする。どうしてもライブを諦められないらしい。


「あ」


 スティナは致命的なことに気づいた。

 あの様子ではハルはステラがアンチに殺されたことを知らない。ステラよりも前に亡くなったのだろう。

 つまり、万が一ハルが神様になってライブを覗こうとしても、待ち受けているのはステラ死亡のニュースだ。きっと深く傷つく。


 ――言うなら早い方がいいよね……でも……わたし……。






 結局炊き出しにありつけず、空腹を抱えてスティナは路地裏の廃墟に戻った。

 ベッドどころか家具もなく、窓にガラスも嵌っていない。前世の感覚を思い出した今となっては悪い冗談のようだが、スティナはここで他の孤児とともに寝泊まりしている。町の孤児院は飽和状態で機能していないのだ。

 今はみんな出払っているらしく、静かだった。


 家賃を払っていないが、誰にも文句は言われない。元々ここに住んでいた行商一家は、仕入れの途中で魔物に襲われて全滅した。他にも防御壁の低い町にはいられないと出ていった者は多く、無人の建物はたくさんあった。


 スティナは隠していた木箱を取り出し、曇った鏡の破片を手に取る。

 映っているのは、くすんだ金髪と青い瞳を持つ痩せた少女だった。重たい印象の前髪を持ち上げ、注意深く観察する。

 今はできそこないのショートボブになっている髪型を、脳内でステラがよくしていたふわふわのツインテールにしてみる。


 ――やっぱりそうだ。この顔、前世とほとんど変わっていない。


 髪や瞳の色は違うし、顔立ちもどことなく西洋風だが、パーツ自体はそんなに変化がなかった。

 思わず笑ってしまった。


「気づいてもらえないはずだよね……」


 痩せこけた頬、ぼさぼさでガタガタの髪、手入れをしていない眉、青白い唇……。

 ハルがステラだと気づかないのも無理がなかった。自分でも幼い頃の面影をかすかに感じ取れる程度だ。

 芸能人のオーラなど微塵もなく、不健康そうな少女が疲れた笑みを浮かべているだけ。


「あー……」


 声も、記憶にある前世のものと同じだ。年齢に応じて少しだけ幼く、ややかすれている。

 圧倒的に体力がなく、大声を出しただけで眩暈を起こしそうだった。一曲歌い切ることすら難しそうだ。ダンスなんてもってのほかだろう。

 スティナは鏡から目を逸らし、その場に座り込んだ。


「うぅっ」


 今になってようやく涙が溢れてきた。

 前世の死に際、たくさんの未練があった。

 仕事のこと、家族のこと、恋愛のこと。

 神はやり直す機会をくれたのかもしれない。だが、あんまりだ。


 テレビもCDもないこの世界に、アイドルなんて職業はない。

 カグヤとは、ドッペルワンダーのみんなとは、もう一緒に歌うことはできない。


 家族も故郷も既に失ってしまっている。

 スティナは赤ん坊の頃に捨てられた。親代わりだった村長一家も蛇の魔物の襲撃に遭い、食い殺され、そのとき村も半壊してしまった。スティナは家を失った村人たちとこの町に流れてきた。これからも肩身の狭い思いをしながら、町の人のお目こぼしで生きていくのが関の山だ。


 恋愛だって、こんな薄汚れた浮浪児では難しい。

 前世で思い描いていたキラキラした憧れを実現できるとは思えない。


 現状を打破するには、神になるしかない。

 なにそれ、と思う。ニャピから説明を受けた今でも、全く受け入れられない展開である。心が不安で塗り潰され、どうにかなってしまいそうだった。


 ――記憶だけあっても、苦しいだけだよ……。


 失ったものが多すぎる。

 いっそ忘れてしまった方が楽かもしれない。そうすれば、スティナとステラを比べて虚しくなることもない。


 ――やっぱり、神様を目指すの、やめる?


 全てを諦めて、世界が救われるように祈りながら、三十日を無為に過ごす。それもありかもしれないと思い始めていた。どうせ今の自分にできることなどない。

 ずきずきと心の奥が痛む。急速に気持ちが沈んでいった。


「スティナ! 良かった、ここにいたか……て、泣いてるっ?」


 窓の外でハルが目を丸くしていた。おろおろしつつも窓枠をよじ登って近づいてくる。

 ハルの顔を見ると余計に悲しくなってしまった。涙は止まらない。ハルに気づいてもらえなかったことが思いのほかショックだったのだ。


 ――言えるわけない。わたしがステラだって……。


 このみすぼらしい姿を見て、前世のファンはどう思うだろう。

 ハルにがっかりされたくない。だから言わなくてはいけないのに、本当のことを言えない。

 知られたくなかった。

 カグヤのファンに殺された、なんて、そんな残酷な最期をどうやって伝えればいい。


 時空の神々は、どうしてハルと近い場所に転生させたのだろう。

 偶然ではなく何か思惑あってのことなら、なんてことをしてくれたんだと怒りすら湧いてくる。


「そうだよな。不安だよな。だ、大丈夫だ! このままじゃ終わらねぇよ。ほら、オレたちには前世の知識があるし、異世界転生物の小説やアニメなんかじゃ調子に乗らなきゃ大体上手くいくし!」


 狼狽した様子のハルをじとっと睨み、スティナは鼻をすすり、小さな声で呟いた。


「……ばか」


「ん? なんて?」


 きょとんとするハルを見て、スティナは思い切り心の中で叫んだ。


 ――もう! 目の前にいるのにどうして気づいてくれないの? 本城晴一! ステラへの愛はその程度!? すごく間抜けな状況になってるよ! なんでわたしだけ悩まないといけないの!


 完全に八つ当たりだった。

 ハルは十四歳からのステラしか知らない。十歳の本人が目の前にいたところで、ボロボロの姿と相まって気づけるわけがない。

 自分でももう、気づいてほしいのかほしくないのか、よく分からなくなっていた。


「ど、どうしたんだ、スティナ。顔真っ赤だぞ。言いたいことあるなら言えよ? オレで良ければ愚痴聞くから……」


 恐る恐るといった様子で、ハルの手が背を叩いてくれた。

 分かっている。ハルは何も悪くない。とても優しい人だ。記憶を取り戻す前から、ハルには何度も助けてもらった。

 こういう人が神様になればいい。スティナはそう思う。


 ――ごめんね。今はまだ言えない。言いたくない。


 誰かの夢を壊すようなこと、絶対にしたくない。ハルの中に存在するステラには、輝いたままでいてほしい。


 ――でも……いつか絶対に伝えるから。そのときに失望されないように、頑張るから。


 スティナは涙を拭って微笑んだ。歌やダンスよりも演技の方が自信はある。辛くて苦しいときでも笑えなければいけないと、散々カグヤに指導されたから。


「もう大丈夫。びっくりさせてごめんね……でも、これでおあいこだね」


「あ、ああ……」


 ハルは口を開けて惚けていた。アリーナ席を惜しんで号泣した姿を思い出されて恥ずかしいのか、若干頬が赤かった。


 ぐちゃぐちゃになった感情を全部飲み込むつもりで、スティナは深呼吸をした。


 ――わたしはスティナ。でも、ステラでもある。


 スティナは知った。転生して前世の輝きを全て失った今でも、どうやらプライドは捨てられないらしい。というか、自分にアイドルとしての矜持があったことに驚いた。


 ――頑張るしかないよね。簡単に諦められないから……。


 みんなに夢を与えるアイドルが、真っ先に夢を捨てるなんてできない。




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