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17 ダスクの苦悩

 

 ダスクは芋のスープに口をつけ、ほっと息を吐いた。

 十五年前に父がムトンシェを拝領して以来、ずっと変わらないマリーの手料理の味だ。


 ――いや、昔はもっと美味かった。


 今は野菜の質の悪さを調味料で誤魔化している。それでもダスクにとっては昔ながらの我が家の味だ。安心する。

 帰って早々バタバタと忙しかったが、夕食時になってやっと落ち着くことができた。


「お口に合いますか?」


「とっても美味しいです! お芋が甘くて鶏肉の出汁が優しくて、体にじぃんと染み渡るような……ああ、語彙が足りないっ。もっと食レポ勉強しておけば良かった! とにかく最高です!」


 テーブルの端ではスティナが食事を楽しんでいた。何を食べても美味しいと言う少女だが、あの笑顔を見る限り世辞ではなさそうだ。ドムドウッドのライグラの屋敷で出てきた食事と比べ、がっかりしている様子はない。

 侍女のマリーも気を良くしてお代わりを与えている。


「ありがとうございます。明日からはわたしもお手伝いします!」


「おほほ、いいんですよ。旅の疲れもあるでしょうし、お弟子さんはお勉強を頑張らないと。スティナさんが魔法を覚えたら、いろいろと頼むことがあるかもしれませんけれど」


 スティナは恐縮していた。


 ――神候補のくせに安上がりな娘だ……助かるがな。


 ふと気になって視線を向けると、アサギも黙々と料理を口に運んでいた。こちらも不満はないようだ。庶民派の神候補が多くて何よりである。


「あれ、ミシェル様。もしかして、ニンジンがお嫌いなんですか?」


「うぅ……に、苦手なだけです。嫌いじゃないです」


 いつの間に仲良くなったのか、スティナとミシェルの距離が妙に近かった。

 この屋敷に歳の近い子どもはいないので、ミシェルは遊び相手ができたと喜んでいるのかもしれない。

 ……スティナが本当は十七歳の精神を持っていると知ったら、ショックを受けるだろうか。見ていて心が痛い。


 ミシェルは躊躇いがちに避けていたニンジンの欠片を口に入れ、嫌そうに飲み込んだ。


「まぁ、ミシェル! そんな顔をしてはダメですよ! そりゃ最近のムトンシェの野菜はむせそうになるくらい不味いけど! それでも村人の方々が一生懸命作って、マリーが真心こめて調理したのですからね! その心意気を味わうのです!」


 コレットの熱弁に、ミシェルもマリーもスティナも面食らっている。

 ダスクも頭を抱えた。一応コレットは名家のご令嬢なのだが、いつの間にか淑女の品格を忘れてしまったようだ。貧しい田舎暮らしで苦労をさせているせいだとしたら、義父母に面目が立たない。


「ああ、でも、可哀想なミシェル! 昔のニンジンはもっと甘くて美味しかったのよ! それこそ『霊菜』なんて――」


「奥様」


「あら、ごめんなさい! さぁ、ミシェル。もう一口お食べなさい。今度は美味しそうに! スティナちゃんを見習って!」


 涙目になりつつも、ミシェルはニンジンを完食した。

 顔には出さないが、ダスクは居たたまれない気持ちになった。いつかミシェルに美味しい野菜を食べさせてやりたいものだ。


 家格に合わない絢爛豪華な広間。しかし出てくる料理は懐具合に見合った質素なものだった。村人から徴収する税を最低限にした結果である。


 徴収した税の何割かは、東部の都・ヤドーヴィカの領主にそのまま納められる。ここで求められた金額よりも多く納めれば、出世も見込めよう。

 税という形でなくとも、近隣の有力者に賄賂を贈ってゴマをすれば、目をかけてもらえることもある。あくどい商売を斡旋され、富を得ることもあるだろう。

 実際ムトンシェの前の領主は、そうやって途中までは上手くやっていた。


 しかしダスクは、そういった出世欲や金銭欲とは無縁の男だった。

 元より他人の顔色を窺うことが苦手な性分で、こまめな気遣いはできない。それどころか魔法の才能に胡坐をかいて、血筋を誇るだけの貴族を見下していた時期もあった。若気の至りである。

 何はともあれ、貴族社会でのし上がることに興味はなかった。権力を得たところで、面倒事が増えるだけだ。煩わしい。


 自分の家族と身の回りの者、ムトンシェの民が健やかに生きていければ良い。たまに贅沢をさせてやれればさらに良い。魔法の研究に没頭できれば最高だ。


 ダスクは貴族としてよりも、魔法使いとして名を遺したかった。

 精霊の神秘を解き明かし、マナの枯渇を食い止めたい。貴族と付き合うよりも、精霊と戯れていた方がよほど有意義だ。

 成人して父からシェザード家の当主、ひいてはムトンシェの領主の座を継いでも、その思いは変わらなかった。


 村で何か問題が起きても、金や権力に頼らず、大抵のことは魔法で解決してきた。少ない魔力をやりくりして魔物を狩り、土や作物の質を保ち、災害に備える。

 たとえ思い通りに精霊魔法を使えなくとも、ムトンシェの規模ならば自分と父の力でなんとかなると思っていた。


 ……現実は甘くなかった。

 年々落ちていく収穫量。呼びかけても返事のない精霊。しかし都から求められる上納金はどんどん増えて、妻の実家に援助を申し入れることもしばしば。精霊魔法の使い手だというだけで馬鹿にされるようになり、苛立ちが募る。

 じわじわと首を絞められているような日々が続いた。


 何をするにも時間が足りない。魔法の研究をするにも金が必要だった。もう少し貴族としての活動を真面目にやっておけば良かったと、今更ながら後悔する始末。


 ダスクは現状を改善すべく魔法使い(人手)を求めて旅立ち、紆余曲折の末にスティナを連れ帰るに至った。


 魔物に荒らされた畑を見て、その判断は間違っていなかったと確信した。

 アサギから預かったマナの結晶のおかげで結界を直すことができ、怯えていた村人もダスクが傭兵団を雇ったと知り、安堵していた。


 森を見回ったというアサギの話では、魔物の異常発生や凶暴化の気配はないという。森の中でも実りが失われており、食べる物に困った魔物が村を襲ったのだ。今後も畑は狙われるだろうが、空腹で弱った魔物ならば撃退することは容易い。


 ただ、魔物を絶滅させるわけにはいかない。毒がなければ食べられるし、素材として売ることもできる。魔物はムトンシェにとって貴重なタンパク源であり、収入源なのだ。


 その魔物の生態系もスティナの歌があれば守られるだろう。


『ダスク様、わたし、ムトンシェの精霊のために歌いたいです』


 先ほど顔を合わせた瞬間、スティナが目を輝かせて提案してきた。こちらから試してもらおうと思っていたところだ。

 歌で森のマナを活性化させ、精霊と魔物両方に力を与える。そうすれば、今までのように共存していくこともできる。荒らされた畑だって、スティナの歌で元に戻せるかもしれない。


 スティナに出会ってから、何もかもが上手くいきすぎている。ムトンシェを救う材料が揃っているのだ。

 目に見えないものに導かれているかのようで、ダスクには恐ろしく感じられた。


 あるいはムトンシェの問題を解決することが、スティナに与えられた試練なのかもしれない。こちらとしては願ったり叶ったりだが、もどかしさを覚える。


 ――このままでいいのだろうか。いや、どうすればいい?


 ダスクは迷っていた。

 スティナの存在を王国の上層部に報告すべきかどうか。


 王国の一貴族としては当然報告すべきだろう。なにせ彼女は王国が抱える問題を解決しうる力を持っている。王国を挙げて彼女に協力すれば、神の卵を孵すエネルギーだってすぐに溜まるだろう。


 しかし、一方で躊躇ってしまう。

 本当にスティナを神にしてもいいのか、と。


 ダスクは熱心な宗教家ではないが、それでもトーンツァルトを始めとした神々の逸話は当然のように知っている。

 神々は慈悲深く寛容な面もあるが、傲慢で残酷な面もある。恵みと引き換えに純潔の乙女を生贄に望んだり、たった一人の英雄を救うために何百人も殺したり、小国を憐れんで戦争に竜を貸し出したり、かなり無茶なことをするのだ。


 そして人々は大いなる力を持つ神々を心の底から敬愛し、信頼し、祈りを捧げている。

 スティナがそのような存在になるとは、全く想像できない。素質がないとは思わないが、今はまだどこか頼りないのだ。


 守ってやらなければ、と思う。

 前世の記憶があろうと、スティナは世間知らずの子どもだ。


 ――それに、下手をすれば王国の傀儡になる……。


 今の国王陛下はかなりの高齢だが、後継者がまだ正式に決まっていない。王都では泥沼の権力争いをしているという噂だ。

 そこにスティナの存在を知らせば、どうなる。低位貴族のダスクには推測しかできないが、場を荒らすことになるかもしれない。王国がどの程度“神選びの遊戯”について把握しているのか、探るツテもダスクにはない。


 権謀術数の渦の中で、自分とスティナが上手く立ち回れるとは思えない。

 つくづく貴族として無能な自分が嫌になる。


 ふと、壁際に控えているミントと目が合った。


「ダスク様? 何か?」


「いや……なんでもない」


 唯一事情を知っている彼女には、王国にスティナの存在を知らせるべきかどうか相談した。

 しかし返ってきたのは「スティナに決めさせればいいと思います」という至極まっとうな答えだった。


 ――その通りだが、しかし……。


 スティナに決定権を委ねるのは危ない。これはもはやスティナ一人の問題ではないのだ。


 分からない。

 考えは堂々巡りだった。

 何を一番に考えればいい?

 貴族としての義務、ムトンシェの平穏、スティナの身の安全、世界の救済。


 話の規模が大き過ぎて、ダスクはなかなか答えが出せなかった。


    ☆


 ムトンシェに着いた翌日、スティナはダスクとアサギとともに森の中を歩いていた。


 弱った精霊たちに歌を捧げ、力を回復してもらう。ついでに魔物たちが人里を襲わなくて済むように、森をマナで満たして実りを豊かにする。

 人間も精霊も魔物も、誰も不幸にならない完璧な作戦である。


 ――でも、歌うのは久しぶりなんだよね。ちゃんとできるかな……。


 ラグーザ峠で従魔を引きつけたのが最後。その間、人目があったためスティナは一切の歌唱行為をダスクから禁じられていた。可能な限り筋トレや体力作りはしてきたが、喉は鍛えていない。


 不安とともに、期待もある。神の卵にヒビが入ってから初めて歌う。もしかしたらパワーアップしているかもしれない。

 早く試したくてうずうずしていた。


「…………っ」


 浮かれ気味に出発したスティナだが、徐々に萎れた草のようになっていった。

 目的地は遠い。誰にも歌を聞かれない森の奥、精霊を祀る祭壇の場所までいくことになっていた。

 鬱蒼とした森はとても歩きにくかった。周囲のマナが枯渇しかけているせいか、腐った池のような臭いがする。気分も最悪だ。


「かつてムトンシェは精霊がたくさん住まうマナの豊かな土地だったのだ。数年に一度、畑に『霊菜』というマナと旨味が凝縮された野菜が実ることもあった。それを感謝し、森の奥に精霊のための祭壇を作ったのだ」


「へぇ、そうなんですか……『霊菜』美味しそう……」


「滋養に富んだ『霊菜』は病の治療に役立ったという。とある病弱な姫君が新鮮な『霊菜』を食すために、あの城を建てて療養したくらいだ。しかし、知っての通りマナが減っていき、精霊から『霊菜』を賜ることもなくなってしまった。前の領主はそれを隠し、普通の野菜を『霊菜』だと偽って高値で出荷していた。それが王族に献上されてバレ、処刑されたのだ。まぁ、他にもたくさん悪行を重ねていたようだが」


「わぁ……悪い貴族が、いたんですねぇ……」


 ダスクが語るムトンシェの昔話にも、満足に相槌を打てなくなっていった。


「シェザード家がこの地を拝領したのは、精霊魔法に詳しいからだ。かつての実りを取り戻し、再び『霊菜』を収穫できるようにせよ、と王命が下った。あれから十五年が経ち、国王陛下もムトンシェのことなど忘れているかもしれぬ」


 今となっては普通の野菜すら満足に育たぬからな、とダスクは自嘲気味に笑い、ついにスティナは何も言えなくなってしまった。


 木の根が張り巡らされた地面は平坦ではなく、時折倒木や岩場を登らなければならなかった。ダスクやアサギにとっては大した障害ではないが、十歳児の体躯にはきつい道のりだった。

 一度茂みから魔物が飛び出てきてから、ずっと緊張状態だったのも疲労に拍車をかけた。

 ほんの一時間足らずで息が上がり切り、スティナはその場に座り込んでしまった。


「バテたか。仕方ない。背負ってやる」


「ダスク様……!」


 珍しく優しい言葉をいただき、スティナは顔を上げる。


「ダメだ」


 ずっと黙っていたアサギの声に、スティナとダスクは動きを止めた。


「休憩しながらでいいから、自分の足で歩くんだ」


「し、しかし、スティナには歌ってもらわねばならぬ。ここで体力を使い尽くすのは」


「時間をかければ体力は回復する。目的地まで歩くことすらできないのなら、まだスティナには早かったんだ。このまま帰った方がいい。俺は戦えないスティナを守りはしても、甘やかしはしない」


 意外なスパルタぶりに面食らいつつも、スティナは深呼吸を三回してから立ち上がった。

 アサギの言い分はもっともだ。人に甘えてばかりではいけない。自分がやると言ったのだ。


「大丈夫。まだ歩けます。ごめんなさい、ダスク様。時間がかかってしまうかもしれませんけど」


「そ、それは……別に構わぬ。もう少しペースを落とすか」


 ダスクはバツが悪そうに顔を背けた。「甘やかしてなどいない、いや、しかし――」という独り言が聞こえた。

 そっとしておこう、とスティナは自分の歩みに集中する。


 それから何度か休憩を挟んでもらい、なんとか祭壇まで辿り着いた。

 全然体力がついていなかった。早く大人になりたいというミシェルの気持ちに、今更ながら共感する。


「…………」


 道中、姿は見なかったものの、何度か精霊の疲れ果てた声を聴いた。

 襲い掛かってきた魔物も肋骨が浮かぶくらい痩せていて、胸が痛くなった。昔住んでいた村を魔物に襲われて失ったスティナだったが、飢えて苦しむ辛さは理解でき、少し魔物に同情してしまった。


 スティナはダスクに促され、石の円盤の上に立つ。ところどころに苔が生え、割れている部分もあるが、手入れの行き届いた祭壇があった。

 祭壇に向かって一礼した後、振り返って観客を見渡した。

 難しい顔をしているダスクと、儚げに佇むアサギ。精霊の姿は見えず、遠巻きにざわめきが聞こえてくるような気がした。


 ――味方ばかりのはずなのに、アウェイな気分……。


 ミントがいないのが悔やまれた。彼女は万が一に備えて村でお留守番だ。


「えっと、アサギくん。私の歌を聞いても大丈夫? 前に、その……雑音ノイズだって言ってたけど……」


「俺のことは気にしなくていい」


 スティナはアサギの気分が悪くならないことを祈り、思考を切り替えた。

 久しぶりの舞台ステージだ。今できる最高のパフォーマンスを、と前世のプロ根性がスティナの背を押した。


「ダスク様、始めます!」


「ああ」


 スティナは胸いっぱいに息を吸い込んだ。


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