16 ムトンシェとダスクの家族
森に囲まれたどんよりとした農村。
スティナが抱いたムトンシェへの第一印象である。
村の敷地のほとんどが畑になっており、あぜ道沿いにぽつんぽつんと小さな家が建っている。日が高いにもかかわらず人の姿はあまりなく、廃村に近い雰囲気が漂っていた。
しかし今の時代、貧しい地域はどこも同じようなものだ。
スティナが生まれたきこりの村や、ウルデンの周囲に点在していた農村とそう変わらない。
違う点は、奥の丘に荘厳な古城があることと、森に隣接しているにもかかわらず、村を囲う柵の造りが粗末であることくらいだろう。
「むっ」
ダスクが村の一画を見て眉をひそめた。
――今のところ、ムトンシェに魔物被害はないって言ってたのに……。
村の西側の畑が無惨に荒らされていた。
食い散らかされた野菜と、無数の獣の足跡。その畑に面する柵は派手に破られた跡があり、大ざっぱに補強されていた。ほんの数日前、魔物の襲来があったに違いない。
ザミーノたち傭兵団は「あちゃー」という顔をしている。
「だんな。あんな防御柵じゃ、魔物にとってあってないようなもんだぜ?」
「分かっている。あの杭を媒介に、土地の精霊と契約して結界が張ってあったのだ。しかし破られてしまったようだな。父上が張り直してくれたようだが……被害状況を確認せねば」
ダスクの号令で、一行は急いでシェザード家の屋敷に向かった。
古城の丘の麓にシェザード家の屋敷はあった。
赤茶色の煉瓦の壁に蔦が巻きつき、鈍色の鐘楼の塔が一体となっている。村の家々と比べると随分豪華で、これぞ貴族のお屋敷というデザインだった。庭の手入れは杜撰だし、全体的に古い建物だという印象はあるものの、スティナ好みの素敵なお屋敷である。
ミント曰く、シェザード家の前にムトンシェを治めていた領主が建てた屋敷らしい。その頃のムトンシェは豊かだったのです、と苦々しい表情で語ってくれた。
「あなた! おかえりなさい!」
数人の使用人を引き連れて、若い女性が玄関から飛び出してきた。そのまま人目を憚らずにダスクに抱きつく。
「もうー、心配したんですのよ! 真っ直ぐ帰ってきて下さらないから! でもご無事そうで何よりです!」
「こ、コレット。落ち着け」
「無理ですわ!」
ダスクは「見るな」と言わんばかりに背後に睨みを利かせ、必死に妻コレットを宥めた。いつものことなのか、ミントと使用人たちは素知らぬ顔をしていた。
――なんか、イメージと違った……。
ダスクを尻に敷いている様子だったので、もっとツンツンした礼儀に厳しい奥様を想像していた。あるいは強面なダスクに並んでも違和感のない、きりっとした女性だと思っていたのだ。
しかし実際は朗らかで可愛らしい女性だった。年齢はダスクと同じくらいのようだが、内面が若い。美男美女の夫婦という点ではお似合いだ。
スティナ自身、コレットが怖い人でなくて安心した。
コレットはひとしきり甘えた後、ダスクを突き飛ばしてミントを捕らえる。
「ミント! 大怪我をしたと聞いていたけれど、もう大丈夫なのですか?」
「はい、奥様。完治しております。ご心配をおかけして申し訳ありません」
良かった、安心した、とミントの手を取ってフレンドリーな笑顔を見せるコレット。二人の仲の良さが伝わってくる光景だった。
「あら! もしかしてあなたがスティナちゃん? 旦那様の新しい弟子になるという」
目が合った瞬間、スティナは反射的に背筋を伸ばした。
「あ、はい。初めまして――」
「わぁ、可愛い! 仲良くして下さいね!」
「え? あの、わわっ」
気づいたときには頬をふにふにと摘ままれ、社交ダンスのようにくるりと回転させられた。何がどうなったか分からない。
「あなたは? まぁ、あなたも弟子入りを? 頑張って下さいませ! 目指せ上級魔法使い!目元がそっくりなあなたがお兄様で、団長さんなのですね! 豪嵐傭兵団の名前は聞き及んでおりますわ! みなさん屈強で頼もしい! これからよろしくお願いいたします! ん? んん? なんて美しい方……眼っ福ですわ!!」
ジュージやザミーノ、傭兵団をひとしきり誉め、最終的にはアサギにきゃーきゃーと悲鳴を上げた。
誰一人としてまともに挨拶ができなかった。アサギにいたっては全ての動作を停止して、どこか遠くを見ている。
スティナはコレットのパワーに圧倒された。しかし嫌な感じはしない。コレットに釣られて自分も騒ぎ出したくなった。
ダスクがこめかみを抑え、低い声で告げた。
「……コレット。村の畑が荒らされていたことについて聞きたい。それに獣車には怪我人も乗っているのだ。手早く頼む」
「はっ! そうですわね。わたくしったら……どうぞ皆様、屋敷の中へ! ケヴィン、マリー、お願いします!」
コレットが手を叩くと、年老いた執事と侍女を筆頭に使用人たちがきびきびと動き出した。
スティナは屋敷の中の使用人たちが寝起きする一角に案内され、部屋を与えられた。これから好きに使っていいとのことだ。
必要最低限の家具しかない狭い部屋だったが、ウルデンの廃墟での生活を思い返すと、自然と涙ぐんだ。
――わたしの部屋……! ベッドもある!
ドムドウッドの屋敷では客間だったが、この部屋は正真正銘自分の部屋だ。ダイブしたくなる衝動を堪えるのが大変だった。
アサギは屋敷で一番豪華な客間を宛がわれ、傭兵団の面々は村の空き家に案内されたらしい。
弟子のスティナ、客人のアサギ、雇い入れた傭兵、と対応を変えているようだった。
ダスクからは事前に言い含められていた。
『ムトンシェでは神候補として扱わず、弟子として扱うからな。スティナの力は隠し通さねばならぬ』
スティナは素直に頷いた。
まだ神になれるか分からないし、なったところでダスクに対して「敬い崇め奉れ」なんて言いたくない。偉ぶるつもりもなかった。スティナにとってダスクは恩人であり、師として仰ぎたい人物だ。
ただ、後になって思った。力を隠し続ける必要があるのか、と。
――悪い人や偉い人に利用されないように、っていうのは分かるんだけど……。
ダスクに匿われ、隠れて歌う自分を想像すると、胸に鉛が詰まったような気分になる。何か違うのではないか、と疑念が生じるのだ。
「しばらく待っていろ。屋敷の中なら好きに歩いても構わん。案内はその辺りにいる者に頼め」
ダスクとミントは、一息つくこともなく働き始めた。
お互いに報告することが山ほどあるのだろう。コレットや使用人たちと深刻な様子でどこかに行ってしまった。
荷解きするほどの荷物もなく、興奮で旅の疲れを忘れたスティナは、屋敷の中を見て回ることにした。
案内人はいない。屋敷の大きさの割に使用人の数は少なく、誰も彼も忙しそうで声をかけられなかった。
「あ、アサギくん。どこか行くの?」
「ああ。少し森の様子を見てこようと思う」
先ほどコレットに聞いた話によると、三日前にイノシシの魔物が数の暴力で結界の薄くなっていた部分を攻撃し、村に侵入。収穫間近の畑を食い荒らしていったらしい。
ダスクの父グスタフが魔法で追い出し、幸い死者や怪我人は出なかったが、西の畑は全滅。村全体にとって大きな損失となった。
精霊結界はグスタフ自身の魔力を精霊に分け与えることで維持されていたが、限界だったらしい。すぐにダスクがアサギの許可を取り、マナの結晶を精霊に与えて張り直した。
ちなみに、マナの結晶をこういう使い方をするのは非常にもったいないことらしい。ダスクがひどく嘆いていた。
惜しみなく結晶を使ったところで、限りがある。根本的な解決にはならない。味を占めたイノシシの魔物は近いうちにまた襲撃してくるだろう。何らかの対策が必要だった。
「魔物がまだ近くにいるようなら、少し斬ってくる。落ち着かないから」
腰の刀に触れ、アサギはこともなさげに言う。
――連れてってとは言えないな……足手まといだし。
スティナはアサギを見送ることにした。
「気をつけてね。魔物はたくさんいるみたいだし、無理しちゃだめだよ」
「…………」
アサギがきょとんとした顔で固まった。発言してから失礼だったかもしれないと焦った。
ドムドウッドからムトンシェまでの道中、改めてアサギの強さを思い知った。ザミーノたちが「ツイてない」と嘆くような強い魔物と遭遇しても、目にも止まらぬ速さで切り捨ててしまうのだ。おかげで安全で快適な旅路だった。
そこらの魔物の群れごとき、アサギにとっては危険のうちに入らない。
「……ありがとう。気をつける」
どこか浮かれたように頷いて、アサギは去っていった。
――も、もしかして、アサギくん、今まで誰かに心配されたことがない……とか?
まさか。いくらなんでもそれは……。
アサギと出会ってから数週間、ボッチの寂しがり屋疑惑が日に日に濃厚になっている。
――うん、考えるのやめよう。心が痛いし、本当に失礼。
一気に疲れた。やっぱり部屋に戻ろう、と踵を返したところ、扉の隙間からこちらを覗いている者がいた。
「あっ」
グレーの瞳がぎょっと見開かれ、ぱたりと扉が閉まる。スティナよりも背丈の低い、六歳くらいの男の子だった。
――もしかして、ダスク様の……。
挨拶した方が良いかな、と逡巡しているうちにゆっくりと扉が開かれた。コレットによく似た顔立ちの男の子が出てきた。
「あの…………お父様の新しいお弟子さん、ですか?」
頬は桃色に染まり、声は震えていた。緊張しているようだ。それでも礼儀を失してはならないと勇気を振り絞って声をかけてくれたのだ。
可愛いな、と頬を緩めつつもスティナもどぎまぎしていた。幼い子どもだからといって、気安くしてはいけない。相手は貴族の、魔法の師匠のご子息なのだ。
怖がられないように愛想よく。でも丁寧で控えめに。
スティナは表情と声に気をつけて名乗った。
「はい。スティナと言います。これからよろしくお願いします」
「! あ、名乗らずにごめんなさい……僕は、ミシェルです。シェザード家の長男です」
にこりと微笑むと、ミシェルもぎこちなく笑い返してくれた。気恥ずかしい雰囲気が漂う。
その後、スティナが屋敷の中を探検していることを告げると、ミシェルは快く案内を買って出てくれた。
お手洗いやお風呂、食堂などは、ダスクたちと使用人では使う場所が違った。他にも魔法の研究室やダスクの書斎は立ち入り禁止らしい。聞いておいてよかった。
一通り見終わると、ミシェルが最初にいた部屋に戻ってきた。書庫兼ミシェルの勉強部屋らしい。
小学校の図書室を思い出し、スティナは懐かしい気分になった。体が小学生の年齢なのでなおさらだ。
「ありがとうございました。おかげで助かりました。……あ」
机の上には難しそうな本が乗っていた。あまり文字の読めないスティナにはさっぱりだが、装丁からしても子ども向けの本ではない。
話しているときから思っていたが、ミシェルは六歳児にしてはかなりしっかりしている。礼儀正しくて賢い。この世界の貴族の子どもはみんなそうなのだろうか。
「お勉強していたんですね。ごめんなさい。中断させちゃって」
「いえ。あまり集中できてなかったから……」
ミシェルは心なしか寂しそうだった。
――そっかぁ。久しぶりにお父さんが帰ってきたのに、まだ会えてないんだ……。
一人にしておくのは忍びない。スティナはとことん付き合うことにした。
乞われるまま、ウルデンからの旅の話を支障がない範囲で話す。道中、ダスクとミントがばっさばっさと魔物を倒していたというと、ミシェルは瞳をキラキラと輝かせた。
「スティナさんは、精霊が見えるんですか?」
「えっと……少しだけ」
実は、神の卵にヒビが入って以来、目を凝らすと精霊らしきものが見えるようになった。空中をすいすいと移動する光の粒のような存在だ。
耳を澄ませば声も以前よりはっきり聞こえるようになった。笑い声やため息ばかりで、何を話しているのか内容は聞き取れない。
もっとも精霊がいる土地自体が少ないので、ふいに目撃する程度だ。その度に心臓がびっくりして辛い。前世から幽霊の類は得意ではなかった。
「いいなぁ……僕はおじい様とお父様と同じ血を引いているのに、精霊を感じられないんです。親和性もあまり高くなくて……お父様にお願いしても、精霊魔法を見せて下さらなくて……」
しょんぼりと俯くミシェル。スティナは思わず頭を撫でて慰めたくなった。我慢我慢、と自分に言い聞かせる。
――確かに、村には精霊はいなかったな。森の中にはいそうな気がするけど……。
村を守っていた精霊結界が破られ、魔物の侵入を許した。精霊の力が弱っているのは確実だ。下手なことは言えない。
そのまま愚痴を聞いているうちに分かった。
ミシェルはダスクにとても憧れていて、将来は精霊魔法の使い手になりたいらしい。しかし年々精霊が減っているし、もう少し大きくなるまで違う土地には行けないし、ダスクからは精霊魔法を覚える必要はないと言われるし、焦りを覚えているという。
「マナが減って、精霊たちは苦しんでないですか? 僕、精霊を助けられるような魔法使いになりたいんです。ムトンシェを、昔みたいに精霊がたくさん集まる土地にしたくて、そうすれば村の皆さんも喜んでくれるだろうし……早く大人になりたい……」
スティナは心に衝撃を受けた。
――健気……っ!
まだ会ったこともない精霊のことを心配するミシェル。なんて優しい子だろう。こういう子こそ神様になるべきだ。
自分が六歳のときはこんなこと考えていなかった。前世では魔法少女のアニメに夢中だったし、スティナになってからもその日のご飯のことで腹の虫を鳴らすだけだった。
「……大丈夫です、ミシェル様!」
「え?」
確約はできないけれど、そういうことなら任せてほしい。むしろ、そのためにダスクに引き取られてここにいると言っても過言ではない。
――歌ってみよう。ムトンシェを守る精霊のために。
ミシェルの気持ちを知り、俄然やる気を出すスティナだった。