15 賑やかな旅立ち
ダスク・シェザードは悩んでいた。
――やはり私には手に負えぬ。しかし……。
ここ数週間、彼の心を占めるのは一人の少女のことばかりだった。
彼女の名はスティナ。
ウルデンという辺境の田舎町で拾った風変わりな少女である。
十歳にしては大人びた言動、精霊に好まれそうな可憐な容姿、マナを活性化させる摩訶不思議な歌、人々を惹きつける神性……。
彼女は異世界で生きた記憶を持っており、最高神トーンツァルトが死に、滅びに向かう世界に遣わされた新たな神候補だという。
最初に聞いたときはとても信じられなかったが、あれほどの奇跡を見せつけられては否定する方が難しくなってしまった。
スティナはマナが断絶した場所で、精霊を生み出した。こんなこと、世界最高の魔法使いにだってできやしない。まさに神懸かった御業であった。
その上、もう一人神の候補者を名乗る少年も現れた。“禍身”を一撃で葬る強さ。彼もまた、人間離れした存在であり、神の雛という話も真実味を帯びている。
命からがらドムドウッドに辿り着き、スティナは神へと一歩近づいた。
――私に、スティナを正しく守り育てることができるのだろうか……。
スティナの今後の扱いについて、ダスクは現在頭を痛めているのだった。
☆
スティナは二頭の弓角鹿を撫でてから、買い替えたという獣車を仰ぎ見た。
前の獣車はラグーザ峠での戦いの後、負傷した傭兵たちを乗せて運んだら、車軸が歪んでしまったらしい。このまま帰るのは危険ということで新調し、前よりも広く綺麗になった。しかしかかった費用を考えると素直に喜べない。
――せめて従魔からマナの結晶を回収できれば良かったんだけど……。
高品質のマナの結晶は、売れば下手な宝飾品よりも高価だというが、呼び出した地の精霊王に結晶ごと従魔を食われてしまった。ダスクは大損だったが、大地にマナが戻ったおかげでラグーザ峠は正常に戻り、地元の人間は歓喜しているようだ。
ちなみにアサギが倒した“禍身”本体は受肉して間がなかったせいで、結晶を残さなかった。もちろん残っていたとしても、結晶を拾う権利はアサギにあるのだが。
「世話になったな、ライグラ」
「あらー、いいのよ。他ならぬダスクちゃんのお世話だもの」
「ちゃん付けで呼ぶな。……この借りは必ず返す」
ドムドウッドの領主ライグラは、ダスクの学生時代の同級生だった。と言ってもダスクは飛び級したため、年齢はだいぶ離れている。歳の差のせいかダスクは学生時代からライグラに一方的に世話を焼かれてきたようで、今回立て替えてもらった豪嵐傭兵団への支払いや滞在中の費用など、負債が増えるのが心苦しいようだった。
「うふふ、本当に気にしないでよ。むしろあなたが雇った傭兵団に峠の問題を解決してもらったのだし、こちらがお礼をしなきゃいけないくらいだわ」
ライグラはいかつい見た目とは裏腹に女性的な言動を取る男――いわゆるオネェだった。着ているものも男装ではあるが、派手で華美だ。ダスクのライグラへの苦手意識はこういう部分から来ているのかもしれない、とスティナは思った。
「スティナちゃんも、また遊びに来てね。絶対よ」
「はい、ありがとうございます」
スティナはライグラが熱心に話す流行の美容やファッションに食いつき、いろいろと教えを乞うた。それが功を奏したのか、滞在中はとても可愛がってもらえた。
前世でよくオネェ系タレントと共演していたせいか、ライグラに対して偏見がなかったのが良かったのかもしれない。むしろ中位貴族に対してフランクに接しすぎたと今となっては反省している。
「もちろんアサギちゃんもね! 待っているわ!」
「……はい。いずれ、また」
アサギは無表情のまま頷き、丁寧に礼を返した。それだけでライグラ含め見送りに来たメイドたちが黄色い悲鳴を上げたり、頬に手を当ててうっとりしたり、眩暈を起こしてふらついたり、周囲の温度が爆発的に上がった。
男性陣は白けたような顔で遠くを見ている。凄まじい温度差である。ラザリスクのギルドで会ったとき、アサギが深々とフードを被っていた理由を察せられる光景だった。
こうして別れを惜しまれつつ、スティナたちはダスクの領地、ムトンシェへ向けて旅立った。
「ミントさん、大丈夫ですか? 横になりますか?」
「いえ、気遣いは無用です。怪我自体はもう治っています」
普段はミントが御者台にいるのだが、病み上がりということで、今は別の人物が鹿を操っていた。
「無理はいけませんぜ、姉御! 具合が悪くなったらすぐ言ってください!」
「……姉御と呼ぶのはやめて下さい」
御者台にはジュージがいた。彼だけではなく、豪嵐傭兵団の面々も獣車の前後にいる。一緒にムトンシェに向かうのだ。
実は、ダスクと傭兵団とで新しく契約を結んでいた。今度のそれはギルドを仲介するのではなく、特殊な契約魔法によって交わされている。
豪嵐傭兵団はラグーザ峠で起こった本当のこと――スティナが歌によって精霊を生み出したこと、ダスクが精霊魔法を使って従魔を倒したこと、その後現われた“禍身”本体をアサギが倒したこと――を一切口外しない。そういう内容で魔法契約をした。ようするに口止めだ。
対外的には従魔を倒したのは傭兵団ということになっている。
従魔が現れ、マナが断絶した場所でダスクが精霊魔法で討伐するというのは無理があった。ダスクが倒したとするのなら、スティナの能力について説明しなければならないが、まだ不用意に広めるべきではないと秘匿することになった。
ザミーノたち傭兵もスティナの能力について興味津々であったが、隠すべきだというダスクの意見には賛同していた。王国中がマナの枯渇による不作で喘ぐ中、精霊を生み出すスティナの存在が知られればどうなるか……良からぬ者たちに攫われて利用されるだけだ。
『余計なことは言わないと誓う。命の恩人をみすみす危険に晒せねぇよ』
ザミーノは真実の黙秘を快諾してくれた。その代わり、ダスクの領地にて傭兵団を直接雇用するよう求めた。
治癒魔法でも治りきらなかった重傷者四名をムトンシェで療養させる目的もあるし、ジュージがダスクに弟子入りを志願したせいもある。
最初は精霊魔法使いだと馬鹿にしていたのに、ジュージはすっかりダスクに傾倒していた。あなたのように魔法を使いこなせるようになりたい、素養があるなら精霊魔法も覚えたい、そう言われて縋りつかれれば、ダスクも無下にはできなかったようだ。
鼻歌混じりに鹿を操るジュージを見て、ダスクは深いため息を吐いた。
「人手が増えるのはありがたいが、養えるだろうか……ただでさえ出費がかさんでいるというのに」
「わ、わたし、頑張りますから! たくさん歌いますよ!」
ダスクは貧しい農村を治めている。税を多く取るためには農村の収穫量をアップさせればいい。自分が頑張ればきっと何とかなる、とスティナは息巻いていた。
「あまり非常識な力を発揮されても困るがな。なんのために傭兵たちと契約したと思っている」
派手に農作物を成長させれば、スティナの能力が知られるのも時間の問題となる。しばらくはこっそりと能力の研究をするのだ、とダスクは目を三角にした。
「うぅ……すみません。迷惑ばかりかけて」
「それはもういい」
ダスクはそっぽを向いてしまった。
ここ数日、ダスクがいつになくピリピリしているような気がして、スティナは内心怯えていた。
――やっぱりわたしが神様になるの、反対なのかな……?
ダスクには「向いていない」とはっきりと言われてしまった。にもかかわらず神になって世界を守りたいなどとおこがましいことを言ったので、呆れられているのかもしれない。
ミントは焦るスティナを見て「大丈夫です」と小さく笑った。
スティナの事情に巻き込まれて命の危機に晒されたというのに、ミントは変わらずスティナに優しく接してくれた。とても救われている。
「そんなに金に困っているのなら、これを」
獣車の隅で黙っていたアサギが懐から布袋を取り出した。複雑な紋様が刺繍された袋は、魔力を漏らさない効果があるものだった。
袋の中から出てきた輝きを放つ石の数々に、ダスクが面食らった。ジュージに聞こえない小声でアサギを問い質す。
「こ、これは、全てマナの結晶か!? しかも高品質のものばかりではないか!」
「各地の従魔を倒して手に入れたものだ。俺には使い道がないから」
あげる、とアサギは眉一つ動かさずに言った。
「簡単に受け取れるわけなかろう。これだけあれば、いくらになるか――」
「換金する術がない。あまり目立ちたくないんだ」
従魔が落とすマナの結晶は、一般に採掘されるそれとは比べ物にならない高純度のマナを秘めており、一目で分かってしまう。換金所に持っていけば必ず話題になり、従魔を倒した旅人だと好奇の目に晒されるのだという。アサギはそういう形で名を上げることは望んでいなかった。
「だが、ダスクさんほどの魔法使いならば、人知れず換金するツテがあるだろう?」
「ま、まぁ、幾つか心当たりはあるが……しかし」
「そのまま受け取るのが心苦しいのであれば、換金の手数料を何割か引いて預かっていてほしい。魔法の研究に使うのなら寄付という形でもいい。どちらにせよ、俺がそのまま持っていても宝の持ち腐れだ」
ダスクはこめかみを押さえて目を閉じた。いきなりの大金に目が眩んでいるのかもしれない、とスティナはハラハラした。
「遠慮する必要はない。あなたにはスティナを守ってほしいし、俺の存在も内密にしてほしい。その対価ならば安いくらいだ」
ダスクはピクリと眉を動かし、しばらくして呻きながら頷いた。
「……分かった。預かろう。換金できた暁には、必ず報告する」
「ああ、よろしく頼む」
アサギはあっさりと言い、青空をぼんやりと見上げた。物欲の欠片もない姿に、思わず拝みたくなった。
「神候補は変わった奴ばかりだ。価値観が違いすぎて心配になるのだが……」
ダスクの呟きにスティナは苦笑いを浮かべた。
――アサギくんは、わたしから見ても変わっているんだけど……。
どうも掴みどころのない少年である。スティナは未だに距離感が分からず、聞きたいことを聞けないままだった。もう少し打ち解けたら、今までの旅のことや前世のことも教えてくれるだろうか。
ハルのように、とまではいかなくとも、手を組むと決めた以上はそれなりに仲良くなりたい。そしていつか「雑音」の汚名を返上したいとスティナは密かに胸に誓っている。
スティナはアサギの隣に寄って、小声で問いかけた。
「アサギくん、あの……ありがとう。すごく貴重なものなのに」
「そうでもない。スティナもこの先、いくつか従魔の結晶を拾うことがあると思う」
「え!?」
また従魔と戦ったり、本体と出くわすことを想像して、スティナは身震いした。できれば御免こうむりたい。
しかし“神選びの遊戯”に参加するのなら“禍身”との遭遇は避けられないのかもしれない。
「大丈夫。俺ができる限り、スティナを強くする。ちゃんと神の雛になれるように協力するから」
不安でいっぱいのスティナにアサギが淡い微笑みを向けた。ここ数日で少しだけ慣れたものの、相変わらず心臓に悪い美しさであった。
「うん。ありがとう」
スティナは不安を押し殺して笑みを返し、しばらくアサギと並んで空を眺めた。
背後からダスクのため息が聞こえたような気がした。