14 落ち着かないお茶会
スティナは目の前の光景をじっと見つめた。
雅やかな美少年がちびちびと紅茶を飲んでいる。猫舌らしく、恐る恐るカップに唇をつけているのが印象的だ。
人形的な雰囲気を持つ彼が、人間らしい動作をしているのを見て、感動に似た震えがスティナの心を揺らした。
――何をしても絵になる人だなぁ……。
屋敷の侍女たちはスティナと同じ想いなのかもしれない。先ほどから遠巻きに視線を感じる。浮世離れした美少年と幼い少女が裏庭の花園でお茶をしているのを見て、微笑ましげにしているのだ。
元の年齢だったらこうはならなかっただろう。スティナは命拾いした心地になった。
「紅茶は苦手?」
「あっ、すみません! いただきます!」
慌てて砂糖を投下してスプーンでかき混ぜるスティナに、アサギは淡々と告げた。
「俺に敬語は必要ない。同じ神候補なんだから」
「はぁ……じゃあ、遠慮なく。えっと……アサギくんって呼んでもいい?」
アサギは小さく頷いて、再びティーカップを口に運んだ。適温になったのか、ほっとしたように息を吐いた。美味しいのか不味いのかは、その無表情から判断できない。
スティナもこの世界で初めての紅茶で一息つく。一か月前までウルデンの廃墟で飢えていたのに、貴族の庭園でお茶をしている。
ずいぶん遠くへ来たものだ。喜びよりも恐れ多い気持ちの方が大きい。
スティナは現在、ドムドウッドの領主邸で世話になっていた。ダスクが領主と顔見知りだったことと、ラグーザ峠の問題を解決したことで歓待されたのだ。もちろんミントやザミーノたち傭兵、アサギも一緒に。
アサギはスティナが回復するまで待っていてくれた。神の候補者であることは認めたらしいが、ダスクが詳しいことを尋ねても、「まず当事者であるスティナに話す」と言って取り合わなかったそうだ。
こっそり彼の身元を調べているとダスクは言っていたが、めぼしい情報はまだ出てこないらしい。謎の人物のままだ。
そうしてやっと二人で話せる機会が訪れ、人目はあるが話が聞こえない場所として、屋敷の裏庭が選ばれた。
いろいろと聞きたいことはあるが、まずスティナは頭を下げた。
「アサギくん、あの、改めてお礼を言わせてほしい。助けてくれて本当にありがとう」
スティナは申し訳なさと不甲斐なさでいっぱいだった。
ラザリスクのギルドで忠告されたにもかかわらず峠道を進み、結果みんなが傷つき、最後はアサギに助けてもらった。アサギからすれば「言わんこっちゃない」という心情だろう。
「俺はスティナたちが従魔と遭遇したときから、ずっと見ていた。助けようと思えばいつでも助けられたのに、静観していた。それでも礼を言うのか?」
本当は見捨てる気だった。自分が最初から加勢していれば誰も傷つくこともなかった。アサギはそう言った。
スティナは少しもやもやした気持ちになったが、頷いた。
「うん。だって、結局は助けてくれたから。ありがとう」
アサギはほんの少しだけ首を傾げて、小さく呟いた。どういたしまして、と。やっとお礼の言葉を受け取ってもらえた。
「でも、見捨てるつもりだったのに、どうして助けてくれたの?」
「ああ。最初はスティナへの試練だと思ったから、手を出すべきではないと思っていた。ダスクさんたちは気の毒だけど、神の遊戯に関わった以上、多少の犠牲は仕方ない。だが、スティナが歌い出して……とても懐かしい感覚がした。あれは、あの歌は――」
自らの胸に手を当て、アサギははっきりと言った。
「雑音だった。だから、行動がおかしくなったんだと思う」
「……雑音」
どういう反応をすればいいのか分からなかった。前世、ステラだった頃に「下手くそ」だの「声がぶりっ子」だの「実は性格悪そう」だのアンチにネット上でディスられていたようだが、さすがに面と向かって言われるのは堪える。
――しょ、ショック……。
アサギは冗談を言うタイプには見えない。真面目に冷静にスティナの歌を「雑音」と断じたのだ。
――でも、そのおかけで助けてもらえたなら、まぁ、いっか。
強引に納得するスティナだった。
一方アサギは自分に言い聞かせるように呟いた。
「他人の試練を手助けしてしまったことは、まずかったかもしれない。だが、よくよく考えれば、従魔を倒した時点で試練は合格していたはずだ。神の卵相手に“禍身”本体が出てきたのは完全に行き過ぎていたと思う。スティナの神技ではあれ以上戦うのは不可能だ。むしろよくあの力で従魔を倒せたと思う」
「従魔を倒したのは、ダスク様だよ?」
「同行者の力を引き出したのはスティナだ。きみが歌で精霊を生み出さなければ、あのレベルの精霊魔法は使えない」
スティナは「ん?」と首を傾げた。
「わたし、精霊を生み出していたの? マナを活性化させたんじゃなくて?」
「あの峠のマナは完全に絶えて死んでいた。新たにマナを生み出して、精霊として顕現させたのはスティナの神技だ」
「そうなんだ。よく分からないけど、思ったよりすごそうな力だね。役に立つかな?」
たとえ雑音でもこの世界の役に立つのなら別にいいや、とスティナは半ば開き直っていた。
アサギはのんびりした様子で頷く。
「これからどういう能力に育つのかはスティナの行動次第だけど、精霊魔法を覚えれば無敵の存在になれると思う。でもとりあえず、今は早く孵化しないといけない」
孵化ってなに、と問いかける前に、庭園の茂みからオレンジの影が飛び出した。
「うにゃーん! 説明いたしますにゃん!」
「わ、久々!」
ニャピが現れ、スティナは慌てて周りを見渡す。幸い、侍女たちは仕事に戻ったのかいなくなっていた。目撃されなくて良かった。
「猫の使い魔か」
アサギは大して動じた様子もなく、ニャピをひょいっと抱き上げて膝に乗せ、あごの下をまさぐり始めた。羽織っていたジャケットの下にも指を差し込んでいる。
「にゃ!? ちょ、そこは……いけませんにゃ。ボク、お仕事中ですにゃー……」
ニャピは抵抗しつつも満更ではない顔を晒していた。スティナは止めなきゃと思いつつも、羨ましくてつい一緒に腹を撫でまわしていた。ずっとニャピを触りたいとうずうずしていたのだ。
「猫もいいな。俺のときは変な顔のキツネだった」
「え!? それってもしかしてチベットスナギツネ? えー、見たーい!」
「いい加減にするにゃん!」
キツネの話題に怒ったかのように、ニャピがするりと拘束から抜け出した。尻尾でダンダンと地面を叩いている。
スティナとアサギが揃って謝罪すること数分、ニャピはようやく機嫌を直し、話し始めた。
「スティにゃん、“神選びの遊戯”への参加表明ありがとうございます。何より、おめでとうございますにゃ。今のスティにゃんは卵にヒビが入った状態。神に一歩近づきましたにゃん!」
ニャピが猫の手で拍手をする。肉球がぴちぴちと虚しい音を立てた。アサギは静かに紅茶をすすっている。
「あ、ありがとう? それで、これからはどうすればいいの?」
「スティにゃんには、孵化することを目指して活動していただきますにゃん!」
ニャピ曰く、参加表明をすることで、スティナの中にある神の卵にヒビが入る。これからスティナが神になろうと心がけて行動することで卵の内部にエネルギーが溜まり、いっぱいになると孵化することができる。そして半人前の神――神の雛になるのだという。
「はぁ……神の卵って、比喩じゃなかったんだね。孵化したら神様になれるんだ」
「はいですにゃ。参加表明が終わって、これから予選に参加すると思ってもらえば分かりやすいですかにゃ? 神の雛の中から最高神を選ぶのが本選ですにゃ」
相変わらずふわっとした説明だな、と思いつつ、スティナはアサギを見た。ずっと気になっていた。
「アサギくんはもしかして、もう……?」
「ああ。俺はもう神の雛だ。今は予選が終わるのを待っている状態。まだ雛の人数が足りないらしい」
おかしいと思っていたのだ。見た目の年齢差を差し引いても、スティナとアサギでは能力に差がありすぎる。この世界で指折りの上級魔法使いのダスクよりも、おそらくアサギの方が強い。彼はもう卵ではなく、神になりかけた人間なのだ。
一か月前に一斉に遊戯が始まったのではない。スティナはハルと同時にスタートしたため、その可能性に思い至らなかった。
「アサギくんが遊戯に参加したのっていつ?」
「五年前だ」
「ご、五年……?」
スティナは脱力した。
――スタートする時期がバラバラなんて、不公平だよ……。
スティナは何がなんでも最高神になりたいわけではないものの、最高神を目指すのなら、先にスタートした方が絶対に有利だと思う。
先発組は情報を集めることも、能力を鍛えることも、人脈を作ることもできる。あまり考えたくないが、後発組の試練を妨害することだってできるのではないだろうか。
「スタートする時期は、スティにゃんを推薦した神が決めますにゃ。まぁ、神々にとって人間の一年や十年は、瞬きするくらいの時間に等しいと言いますからにゃ。誤差だと思っている方もいそうですにゃ。それに、一概に後発組が不利とは言えませんにゃ」
ニャピはスティナを手招きして屈ませ、アサギに聞こえないようにそっと囁いた。
「スティにゃん、期限の日にリメロ様に起こしてもらったでしょう? 先発組だったら、そんな贔屓はしてもらえませんにゃ」
「え」
「にゃー、思ったよりも神の雛が生まれなくって、神々も退屈してるんですにゃ。峠の試練でスティにゃんが有望だと分かったので、脱落しないようにしたんですにゃ。早く本選を始めたいですからにゃ」
「そ、そうだったんだ……」
夢の中でのリメロとの会話を思い出し、スティナは納得した。
なんだかズルをしたような気分になり、それ以上文句を言えなかった。気を取り直してニャピに尋ねる。
「質問! 神になろうと心がけて行動するって、例えばどういうこと?」
「この世界をどうしたいかによりますにゃ。救いたいか、滅ぼしたいか、それとも他にしたいことがあるのか」
「じゃあ、救いたい場合はどうすればいいの?」
スティナは小声で尋ねた。
アサギがどのような目的で“神選びの遊戯”に参加しているのか、先に聞いておくべきだった。万が一彼が「世界を滅ぼしたい」と思っていたら、少々まずいことになる。
アサギは顔色一つ変えずにいた。本当に何を考えているか分からない。
「救いたいのなら、現在この世界を悩ませている厄介事を解決することをお勧めしますにゃ。農作物の不作を改善したり、貧富の差を失くしたり、戦争を回避したり」
「ようするに、良いことをすればいいんだね?」
「はいですにゃ。ちなみに大きなことをすればするほど、エネルギーは早く溜まりますにゃ。大胆にガンガンやってくださいにゃ」
スティナは恐る恐るアサギに尋ねた。
「聞いていいのか分かんないけど……アサギくんはどうやって卵を孵したの?」
「俺は、各地に異常出現していた魔物や従魔をコツコツ退治した。今も惰性で討伐している。……心配しなくてもいい。俺は今のところ、世界を滅ぼしたいとは思ってないから」
スティナは胸を撫で下ろした。すぐにアサギと敵対することはなさそうだ。
「スティナ、そう簡単に人を信用しない方が良い。これからは他の神候補と接触することもあるだろう。騙されて利用されるだけならまだしも、邪魔だと判断されたら殺される可能性もある」
「え!? こ、殺される?」
「そういうこともあった。だから、早く孵化して強くなった方がいい」
スティナはニャピに詰め寄る。
「邪魔だから神様候補を殺しちゃうって……そういうの禁止するルールはないの?」
「ありませんにゃー。この世は弱肉強食ですにゃ」
「…………」
命の危険は覚悟していたし、危ない思想の参加者もいるだろうとは思っていた。しかし、遊戯が始まる時期にばらつきがあり、スティナの想像以上に参加者の力量に差ができている。これでは本当に後発組が不利すぎる。
青ざめるスティナに、ニャピがにこりと笑った。
「新人さんは、先輩と組むのを推奨しますにゃ。その方が効率よくエネルギーが貯まるでしょうし。これも何かの縁ですにゃん! しばらくお二人で活動するなんてどうですかにゃ?」
「アサギくんと?」
スティナはアサギを見上げた。彼は無反応だった。
「おっと、そろそろ時間ですにゃ。また追々説明に参りますにゃ。ではでは頑張って下さいにゃん! ドロン!」
ニャピが可愛いポーズを取って消えた。
取り残された二人の間に冷たい沈黙が横たわる。
――アサギくんは悪い人じゃないと思う……けど。
命を助けてくれたし、こうして話す機会を作ってくれたし、少し変わっているけれど印象としては真面目で誠実そうな少年だ。何より強い。手を組んでもらえるのなら、頼もしいことこの上ない。
しかしもう既にかなりの迷惑をかけているし、スティナと手を組んでもアサギにはメリットがあまりなさそうだ。一方的にお世話になってしまう。
――というか、明らかにクールな一匹狼タイプだよね。孤高のソロプレイヤーって感じだもん。
ダメで元々だ、とスティナは拳を握りしめた。
「アサギくん、嫌だったら断ってくれていいんだけど、もし良かったらわたしに力を貸してくれない?」
「それは、命じているのか? 俺を従えたいと?」
神妙な表情で首を傾げるアサギに、スティナは面食らった。
「違うよ。とんでもない! そういう上下関係みたいな感じじゃなくて、もっと対等な……友達? えっと、この場合、仲間? になってほしいなって……。今はわたし役立たずだと思うけど、いずれは助け合っていけるような関係に……って図々しいよね、やっぱり!」
苦笑いを浮かべるスティナだったが、アサギの反応を見て息を飲んだ。
アサギが目に見えて挙動不審になったのだ。
「友達……仲間……助け合い……」
「あの、アサギくん?」
「……そんなことを言われたのは、初めてだ」
白磁のようだった頬に、少しだけ赤みが差していた。口元ははにかんでいるようにも見える。
美少年が照れて恥らう表情は、とんでもない破壊力だった。スティナの顔はみるみる熱くなっていく。
「……いいよ。俺で良ければ」
「本当!?」
アサギは頷いて、ふわりと微笑んだ。笑った顔を見たのは初めてだ。
スティナは「うわー、うわー」と顔を両手で覆う。
簡単に信用するなと言っていたわりに、アサギはあっさりと了承してくれた。これは騙されているのだろうか。いや、そんな感じではない。
――あ、アサギくん、案外チョロかった……?
また失礼なことを考えながら、スティナはアサギと握手を交わしたのだった。