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――不思議なヒト……。
歳は十六、七くらいだろうか。前世の自分と同じくらいの見た目なのに、年齢を超越した、どこか別次元の存在のように感じた。
浮世離れした空気と儚さを持つ美貌だ。さらさらの銀髪はほのかに光を帯びているように見え、薄い水色の瞳は澄みきっている。陶器のように滑らかな白い肌に、果たして体温はあるのだろうか。
本当に人間なのか疑わしかった。エルフや妖精だと言われた方がピンとくる。芸能界にはなかなかいないタイプの美男子である。
――でも、顔立ちがちょっと和風? 雅やかというか……。
よくよく見れば、彼の持つ武器は日本刀のようだった。この世界で初めて見る和の文化である。
少年は流れるような動作で刀を鞘に納めた。その音で我に返る。
なんだかんだ失礼なことを考えつつ、すっかり少年に見惚れていたスティナは慌てて頭を下げた。
「あの……ありがとうございました! 助けてくれて」
「礼は要らない」
そっけない言葉だったが、少年は座り込んだ状態のスティナに手を差し出し、助け起こしてくれた。
「えっ」
ついでと言わんばかりに、少年はスティナの服についた泥を手で払って綺麗にしてくれた。当然、脚やお尻にも彼の手が当たる。あまりにもナチュラルな接触に、スティナは硬直する。
「見たところ怪我はないみたいだけど、どこか痛めてない?」
「あ、はい……すみません!」
「?」
少年の顔はいたって真面目だし、手つきにいやらしさなどは全く感じなかったが、いきなりのことにかなり驚いた。
――わたしの見た目が十歳だから仕方ない……のかな!?
兄が妹の世話を焼く感覚なのかもしれない。だとしたら、十七歳の精神年齢のせいで過敏に反応してしまった。急に恥ずかしくなり、スティナは少年から一歩距離を取った。
「スティナ、無事か!?」
「ダスク様……はい、大丈夫です」
一連の出来事に呆然としていたダスクが正気に返り、スティナと少年の間に割り込んだ。思わずその頼もしい背中にすがりついた。
さっきまで死の淵に立っていたことを思い出し、再び体が震え出した。
ダスクはスティナを庇いながら、戸惑いながら問いかけた。
「お前は何者だ……? “禍身”の本体をいとも容易く倒すなど……」
「大したことじゃない。さっきの“禍身”は受肉して間もなかったし、ほとんど力を持ってなかった」
「しかし、それでも」
「俺は、アサギ。何者かと問われても、この場で名前以外を答えるのは難しい。とりあえず今は敵じゃない」
アサギと名乗った少年はちらりとダスクの後ろに視線をやった。ミントや傭兵団のみんなが傷つき、倒れたままだ。
「応急処置と移動に手を貸そう。部外者のいない落ち着いた場所でなら、話せることがあると思う」
「……分かった。スティナを救ってくれたこと、感謝する」
「いや、本当に礼は要らない」
頑なにお礼を拒絶するアサギ。本当に不思議な、独特な空気を持つ少年だった。
ダスクに睨みつけられても平然と受け答えをし、場の主導権を握ってしまっている。
――やっぱりこの人、神の卵……?
スティナはアサギに聞きたいことが山ほどあったが、今はミントたちの手当てが先だ。二人に付いて手伝おうとしたそのとき、ぐらりと地面が歪んだ。
「あ……」
ウルデンで倒れたときと同じ頭痛を感じ、スティナは意識を失った。
☆
「スティにゃんについてご報告しますにゃ。――ラグーザ峠にて従魔と遭遇――神域四パーセント拡大――固有神技『星の産声』の発現を確認――直後に“禍身”が出現。これを12番が討伐しましたにゃ――参加表明の期限まであと三日――17番の空座を埋める可能性大幅に上昇――引き続き計測しますにゃ」
☆
スティナは海に漂うクラゲの気分を味わっていた。
頭は半覚醒しているものの、体が思うように動かない。空間の僅かな揺らぎに流されていく。
――すごく、眠い……もう少しだけ。
スティナの寝起きは悪い方ではなかったが、この心地よい微睡から抜け出そうにも、心も体も疲れ切っていた。抗えない。
【無理もない。まだ殻にヒビも入っていない状態で、あれだけの神技を行使したのだから。……見事だった】
どこか聞き覚えのある声が頭に響いた。
スティナは眉を寄せる。無視したいところだけど、無視すると大変なことになるような予感がして、渋々目を開けた。
「え、ここどこ……?」
スティナは暗闇の中に浮かんでいた。頭上だけが微かに明るく、自然と視線を上に向ける。すると、先ほどの声が降ってきた。
【ここはきみの夢の中。周囲の景色は時空間の幻影だ】
時空という言葉で声の主が誰か思い出した。時空の神リメロ・ディアラだ。スティナは反射的に背筋を伸ばして身構えた。
「わ、わたし、何かしました……? もしかして、また死んじゃったとか?」
【いいや。度重なる心労と神技の反動で泥のように眠っているだけだ。そう恐れることはない】
苦しゅうない、楽にせよ、と言われた気分になり、スティナは胸を撫で下ろす。
「じゃあ、なんの御用でしょうか?」
【少しばかり助言をしようと思ってな。本来なら“神選びの遊戯”の主審である私は、数多の神の卵を平等に扱うべきなのだが、楽しませてもらった礼だ。それに、せっかく空座を埋めてくれそうな者が現れたというのに、みすみす脱落させるのは惜しい。この程度の手助けならば問題ない】
「えっと、おっしゃってることがよく分かりません。空座? 脱落……?」
リメロは端的に告げた。
【今すぐ目覚めないと、参加表明の期限を過ぎる。今宵は満月だ】
「え!?」
一瞬でパニックに陥るスティナ。いくらなんでも眠りすぎだ。
起きろと言われてもどうやればいいのか分からない。試しに頬をつねったり、その場でジタバタしてみたり、出口を探して回転してみた。思うように体が動かず、大変もどかしい。
リメロがくすりと笑うと同時に揺らぎを感じ、背中をポンと押された。
【どうか、世界に希望を――小さな星の子よ】
「っ」
目を開けると同時にスティナは体をがばっと起こした。全身を襲う倦怠感に再び枕に返りそうになるが、何とかこらえる。
「スティナ……とんでもない目覚め方をするな。心臓に悪い」
ベッドサイドでダスクが目を丸くしていた。
「ダスク様! ここはどこですか? わたし、行かなくちゃ! 最高神様の像に!」
「落ち着け」
馬をなだめるような仕草で深呼吸を促され、スティナは空気を補給して、与えられるまま水を飲んだ。だいぶ落ち着きを取り戻したが、それと同時に気を失う前のことも思い出した。
「あ! そうだ、怪我は? ミントさんたちは無事なんですか!?」
「はぁ……奇跡的に全員無事だ。魔法で治療して、今は安静にしている。お前が一番厄介だった。何をしても目覚める気配がなく、手の施しようもなくてな……」
どうしてやろうかと思った、とダスクは恨めしげにスティナを見下ろした。
「ああああ、すみません……」
「まぁいい。期限内に目を覚ましたのだ。まだ話す時間もある」
ダスクは言う。ここは既にドムドウッドの町の中で、最高神の像がある神殿は目と鼻の先にあるらしい。
窓の外は薄暗かった。満月は雲に隠れて見えない。
「参加表明に行くか?」
「はい、もちろんです」
スティナはベッドから降りようしたが、ダスクがそれを手で制した。
「その前に、あの少年、アサギの忠告を伝える。『多分もう普通の人間には戻れないけど、それでもいいのか』……だそうだ」
「…………」
スティナは自らの胸に手を置いた。心臓が嫌な音を立てている。
今まで無我夢中で最高神の像を目指して進み、考えないようにしてきた。“神選びの遊戯”に参加するとどうなるのか。
時空神リメロもニャピも意地が悪いと思う。
遊戯に参加しない場合のリスクだけ伝えて、参加する場合のリスクは教えてくれなかった。
これから自分がどうなるのか分からない。
「少しでも躊躇いがあるのなら、私のことはもういい、ここでやめておけ。ずっと思っていたが、お前は神に向いていない。素養はあるのかもしれんが、性格がな……何かある度にあたふたされては民が困るだろう」
ダスクは少し茶化すように言って、スティナの肩を叩いた。
「神にならなくとも、ムトンシェで面倒を見てやる。ウルデンに返しに行くのも面倒だからな。それに、一応命を救われているし、奴隷商に売るのも勘弁してやる。……だから、なんの憂いも遠慮もなく、心のままに選べばいい」
たとえ記憶を失っても、歌の力がなくなっても、ダスクはスティナを見捨てずにいてくれる。それが心の底から嬉しかった。涙が出そうなほどに。
正直に言えば、神を目指すのが怖かった。
神になれば前世の記憶を覚えていられるし、今苦しんでいる人々を救えるかもしれない。しかし、全てが上手くいくわけがない。
スティナは峠道で思い知った。自分の選択一つ、失敗一つで、周りの人が傷つき、死んでしまうかもしれない。それがどれほど恐ろしかったか。
ダスクの言うとおりだ。とことん自分は神に向いていないと思う。自分の選択に責任を持てないし、持ちたくない。こんな人間に世界を任せるのは良くない。
スティナは一息で鼓動を整え、告げた。
「心はもう決まっています。……それでもわたしは、神様を目指します」
ドムドウッドの町の中央部にある白い建物――神殿に足を踏み入れた。小さいながらも手入れが行き届いており、夜の空気の中でも温かみが感じられた。
ダスクには外で待っていてもらい、スティナは一人で奥へ進んだ。
神殿の最奥にその像はあった。
最高神トーンツァルト。
この世界の創造神にして管理者。全ての眷属神の父である。
多少教義の違いはあるが、この世界の宗教は統一されており、ほぼ全ての国が彼を祀っているという。
最も古く、最も高い存在。
像は、威厳のある男性の姿だった。彼の手の平の上に輪が浮かんでいる。
輪廻、マナの循環、星の動きを表しているらしい。
「…………」
スティナは大理石の台座に両膝をつき、胸の前で両手を組んだ。目を閉じて、静かに、心の中で祈った。
もういない神様に向かって。
――前世のわたしは、たくさんの未練を残して死にました。あの世界が大好きだったから。
夢のような仕事、尊敬できる仲間、温かいファン、優しい家族、未来への憧れ、自分の可能性。
全てが愛しかった。
前世の記憶を思い出してすぐはステラと比べて、あまりにも惨めな今に泣いてしまった。日本に帰りたいと何度思ったか分からない。取り戻せないものが多すぎて辛かった。前世の記憶や歌まで忘れたくないと、必死になって旅をしてきた。
自分のことばかり考えて、この世界のことなんてどうでもよかった。
――でも今は、この世界のことも大好きです。あなたの創ったこの世界が。
スティナが出会った人々はみんな優しかった。たくさん助けてもらった。そんな世界をどうして嫌えるだろうか。どうでもいいなんて、もう思えない。
――また失うなんて、滅んでしまうなんて、嫌です。大切なものを他人任せにはしたくない。向いてなくたって頑張ります。守るための力が欲しいから、わたしは神様を目指します。
こんなこと言われても困るだろうな、とスティナはトーンツァルトの像を仰いだ。そもそもこの声は聞こえているだろうか。
「わっ」
その瞬間、体の中心に衝撃が走った。
心を守っていた固い殻にヒビが入ったような、そんな心地だった。
【汝の“神選びの遊戯”への参加を受け付ける】
リメロの声が頭の中に鳴り響き、スティナは大きく息を吐いた。