11 エンカウント
翌朝、一行はラグーザ峠に向かって出発した。
空は分厚い雲に覆われていたが、湿り気はない。
スティナたちはいつものように獣車に乗り、前後左右を馬やキツネに乗った傭兵団が固めている。前世、幼稚園にやってきた移動動物園を思い出してしまい、スティナは首を横に振った。そんな呑気なことを考えている場合ではない。
豪嵐傭兵団のメンバーは全員男性だった。年齢や顔の雰囲気はバラバラで、気の合う仲間同士で集まったという感じがする。
しかし彼らが身に着けている武器や防具は使い込まれており、騎獣に乗って駆ける姿は歴戦の戦士そのものであった。
ギルドの職員の話では、豪嵐傭兵団は名の知られた傭兵団らしい。“禍身の従魔”が出現したとしても、退けるだけの実力はあるだろうと太鼓判を押していた。
ザミーノがご機嫌な様子でダスクに話しかけた。
「それにしても、上級魔法使いだったのか、あんた! シェザード家っていえば、東部で有名な魔法使いの一族だろ?」
ミントがいつになく鋭い目つきで並走するザミーノを見る。
「言葉遣いを改めて下さい。ダスク様は依頼人であり、貴い身分の方なのですよ」
「ミント、別に構わぬ。貴族と言っても形だけだ」
道中でスティナが聞いたところによると、シェザード家はダスクの父の代から貴族位を授かった、いわゆる新興貴族らしい。父子揃って生粋の魔法学者のため、慣れない領地経営に四苦八苦する日々だとか。
ダスクの父親は息子が成人するや否や、領主の仕事を引き継ぎ、魔法の研究を優先しているようだ。マイペースに自分の研究のことしか考えておらず、弟子の一人も取っていない。
現在ムトンシェでは、魔法でしか解決できないことのほとんどをダスク一人でやらねばならないらしい。
災害や魔物の襲来があったら対応しきれない。父親が老いて働けなくなる前に、ダスクは移住してくれる魔法使い、もしくは弟子を求めて旅に出たらしい。
――ダスク様、苦労人なんだな……。
現在進行形で苦労をかけているスティナは小さくなるしかなかった。
「へへ、話せるな、だんな。そうだ、ドムドウッドに着いたらウチの弟に魔法を教えてやってくれよ。シェザードの魔法を学んだとなりゃ箔がつく」
「馬鹿言うな、兄貴。今どき精霊魔法なんか教わったって役に立たねぇぞ!」
反対側を馬で駆けていた青年が爆笑し、怖い顔をしているダスクに問う。
「知ってるぜ。上級魔法使いっつっても、あんた自身にゃそんなに魔力がないんだろ? 十年前は神童って呼ばれてたのに、今の時代じゃ峠一つ越えられねぇとはな。それでよく金バッジをつけてられるもんだ!」
怖いもの知らずにも程がある、とスティナは身震いした。ダスクもミントも殺気立っていて、下手な魔物の群れよりもよほど迫力があった。
「こら、ジュージ! ……悪いな、だんな。こいつ最近中級魔法を覚えて、調子乗ってやがるんだ」
ダスクは何も言わず、ザミーノは弟のジュージを叱るために一旦離れていった。
獣車の中から逃げ出せないスティナは、不機嫌なオーラをまともに浴びる羽目になった。息苦しい。
「なんだ。言いたいことがあるなら、言え」
超低音ボイスがお腹に響く。
周りを見渡しても助けてくれる者はいない。御者台にいるミントの背中からは、怒気の炎が燃え上がっているように見えた。
こうなったら、下手に取り繕うのは無理だ。スティナは素直になることにした。
「えっと……ダスク様は精霊魔法の使い手なんですね? それって、そんなにおかしなことなんですか?」
思い返せば、インプレット夫人が「精霊との親和性が高くても、国の役に立てない」と言っていたとき、ダスクはむっとしていた。
スティナと同じく、ダスクも精霊との親和性が高い人間のようだ。
「少し考えれば分かるだろう。昨今、精霊の数が激減しているのだ。精霊から力を借りる精霊魔法は、ほとんど使い物にならぬ」
「今まで魔物を撃退していたのに?」
「あれは私の体内魔力を使ったごく簡単な魔法だ。私自身はレベル4の魔力しかないから、中級以上の魔法は多用できぬ。十年前、まだ精霊の恩寵が豊かだった頃は、上級魔法を短縮詠唱で連続使用することもできたのだがな」
「はぁ……なんかすごそうですね……」
ダスクが現在使っている魔法は、少ない魔力を最大限に生かした節約魔法だ。他の上級魔法使いと比べると大変せせこましい。だから馬鹿にされるとのことだ。
「まぁ、魔力量さえ多ければ上級魔法使いになれるわけではない。技術や知識、魔力転換効率が足りていないようでは話にならぬ。たとえ魔力で劣っていようとも、そこらの魔物や野良魔法使いに後れを取るほど、私は落ちぶれていないぞ」
虚勢を張っている雰囲気はなかった。恐ろしいが、頼もしい言葉である。
スティナがうんうんと頷くと、ダスクがわずかに頬を緩めた。
「それに、お前が精霊を活発化させてくれれば、以前のように精霊魔法が使えるかもしれぬ」
「あ、そっか。そうですね! わたし、頑張って精霊を呼びます!」
「ああ。戦闘に使うのは難しいだろうが、私の魔法とお前の歌を合わせれば、農地を肥えさせることができるはずだ。参加表明を終え、ムトンシェに帰ったら実験するぞ」
「はい!」
ようやく怒りが納まったのか、ミントが振り返って笑った。
「ダスク様の精霊魔法は、それはそれは美しいのですよ。まるでこの世のものではないかのように幻想的で……精霊が光を帯びて舞うのです」
その光景を思い浮かべて、スティナはムトンシェに行くのがとても楽しみになった。精霊の声らしきものは何度か聞いたが、まだ姿を見たことはなかったのだ。
ラグーザ峠を登り始めると、無駄口は叩けなくなった。
傭兵団の面々は周囲を警戒し、ダスクとミントも緊迫した表情を保っている。
こんな雰囲気の中で筋トレなどできず、スティナは車の中で両手を組んで祈った。
――どうか、危険な魔物にも“禍身の従魔”にも会いませんように。
祈ったところで、聞き届けてくれる神はいない。気持ちの問題だ。
スティナの事情に付き合ったせいで、ダスクたちが傷つかなければいい。
『他人を巻き込むのは感心しない』
そう言えば、あのフードの少年は今どこにいるのだろう。先にいったのか、まだ後ろにいるのか。他の人間の気配はない。
彼はスティナを非難したようだったが、声音には全く感情が乗っていなかった。不思議な感じだ。
――あの人も神の卵なのかな……?
もしそうならば、己の力ではなく他人の力を借りて参加表明をしようとしているスティナは、さぞ卑怯に見えただろう。
ずん、と気が重くなった。
「まずいな……」
ふと、ダスクが呟いた。
顔を上げて周囲を見渡してみるが、スティナには異変を感じ取れなかった。なんの気配もない。
――どうしてこんなに静かなんだろう?
考えてみればおかしかった。山を切り開いた峠道なのに、何の生物の気配もない。
精霊のささやきはもちろん、鳥の声も木々のざわめきも、風の音さえ聞こえてこなかった。草花や木々は空洞で、全く生命力を感じない。土は分厚いコンクリートに塗りつぶされたように無機質だった。
まるで強大な存在に山そのものが包まれ、窒息させられたかのようだ。
「大地のマナが絶えている……」
すでに峠の頂上付近に差し掛かっていた。前方の開けた場所、その地面が不自然に黒ずんでいた。血が染み込んだ跡に見え、スティナは息を飲んだ。
「避けろ!」
ダスクの声に反応して、先頭を走っていた傭兵が馬の手綱を引いた。
黒い地面から無数の杭がつき出され、陣形を掠めた。
「あぶねぇ!」
馬の嘶きとともに、獣車も急停車した。
みるみるうちに地面から黒い煙が広がり、具現化していった。
――なに、これ……。
鉄錆が混じったような腐臭とともに、黒い巨人が大地から立ち上がった。
三メートル近い背丈を持ち、異様に発達した太い両腕。片方の手にはスティナの胴体よりも太い棍棒が握られており、黒ずんだ赤がこびりついていた。
皮膚は全体的に爛れ、動く度に黒い血と瘴気が噴き出していく。
熊とゴリラを足したような気味の悪い顔をしていた。両目の部分に穴が穿たれ、赤い光が灯っている。黒い牙が無数に並び、自らの口にも食い込んで黒い泡を吹いていた。
――これが、“禍身の従魔”……?
目を逸らしたいのに、強烈に惹きつけられてしまう。それほどに醜悪だった。
今まで見てきた魔物とは全く違う。
「だんな。こりゃ、金貨五枚上乗せしてもらうことになりそうだな!」
「そのようだ。やれそうか?」
ザミーノたちはすぐに騎獣から降り、臨戦態勢を取った。
「任せなって! 野郎ども! 従魔を倒したとなりゃ、向こう五年はこの地の英雄だ!」
「おお! 討ち取ってやる!」
「酒と女を浴びるように楽しめるぞ!」
傭兵団の士気が高まっていく中、ミントも無言で御者台から降りて細剣を抜いた。
従魔がこの世のものとは思えない雄叫びをあげ、棍棒を振り上げた。戦闘が始まる。
棍棒が地面に叩きつけられると、地面に亀裂が走った。まともに受けたら全身が砕けるほどの威力だ。
スティナの心臓は不安で押し潰されそうだった。恐れていた事態に陥ってしまった。
地面が小刻みに揺れる中、ダスクがスティナを雑に抱え、獣車から降りた。
「私は後方から魔法で支援する。お前は私の後ろから一歩も動くな」
「どうしても戦わなきゃいけないんですか!?」
ダスクは従魔から目を離さずに言う。
「今まではっきりした目撃証言がなかった。ということは、アレを目にした者は全て葬られたのだ。逃げ切れるとは思わぬことだ」
「そんな……」
「それに、もう既にこの辺りのマナが枯渇している。今アレを倒さねば、“禍身”本体を呼び寄せるだろう」
スティナは生唾を飲み込んだ。
従魔ですら、今まで見たどの魔物より格段に強い。本体が出現したら、戦いにすらならないかもしれない。
従魔が棍棒を横に振り回し、囲み込もうとした傭兵たちを吹き飛ばした。
「くそ! 魔法が通らねぇ!」
ザミーノの弟のジュージは先ほどから魔法を唱えて攻撃していた。あまり当たらないどころか、当たっても効果がなかった。
従魔が地面を蹴り、ジュージに礫を放った。
「ぐぁ!」
彼の額が割れて血が噴き出す。従魔の棍棒が尻餅をついた彼に向かってそのまま振り下ろされ、思わずスティナは目を瞑った。
【出でよ、赤雷の射手!】
赤い閃光の直後、空気を切り裂く音が轟いた。
「だんな、助かったぜ!」
ダスクの魔法が直撃した隙に、ザミーノがジュージを拾い上げて間合いを取った。
しかし従魔は一瞬動きを硬直させただけで、平然としていた。再び棍棒を振り回し、傭兵たちを襲う。
「あ、ああ……なんて化け物だ……あいつ……っ」
ジュージは完全に戦意を喪失していた。震えて歯ががちがちと音を立てる。ザミーノが「頼む」とダスクの後ろに弟を放り投げた。
「中級魔法が目くらましにしかならぬとはな……ミント! 奴を近寄らせるな!」
「かしこまりました」
ミントがダスクの前に陣取り、細剣を構える。傭兵たちは四方から攻撃を繰り返すが、当たるのは稀で、防戦一方になっていた。
「硬い!」
「こりゃ、よっぽど成長してるな! やべーぞ!」
唯一、ザミーノだけは両手斧で棍棒の一撃をいなしつつ、足を狙うという動きができていた。しかし従魔の動きは止まらない。
【我が血潮に宿りし地水火風よ――我が魂に刻まれし明の光と暗の闇よ――】
ダスクが深く集中し、詠唱を始めた。今まで使っていた短縮詠唱ではなく、正式な詠唱であった。
彼の顔色がみるみるうちに悪くなっていく。
――ダスクさん、魔力がもう……。
スティナは自らの腕をさすった。ダスクの魔力が一点に凝縮され、どんどん高まっていく。
説明されなくとも分かった。これが上級魔法なのだろう。道中で見た魔法とは何から何まで違う。
ぱちぱちと空中で火花が散ると、従魔がこちらに気づき、傭兵たちを振り切って足を踏み出した。
「主の邪魔はさせません!」
ミントが地を蹴って果敢に斬り込んで従魔を足止めした。棍棒が風を切る度に、スティナは心臓が止まりそうになった。ミントは攻撃を紙一重で避け、従魔を翻弄した。
【六つの根源たる力より生まれし聖剣――この世の理を食らう黒き気脈を断ち切り、我が前に――】
ザミーノが右足を斧で打ちつけ、ミントが左足を刺突で斬りつけ、素早く離脱。従魔はバランスを崩して傾く。傭兵たちも一斉に従魔から距離を取った。
【出でよ、閃光の騎士!】
ダスクの振り絞るような声が響いた瞬間、巨大な光の剣が従魔の頭上に現われ、音もなく落ちた。
視界が真っ白に染まり、空気が爆発した。
光が萎むのを感じ、スティナは恐る恐る目を開けた。
まず目に入ったのが地面に膝を付き、項垂れているダスクだった。魔力が枯渇したのだろう。苦しげに呼吸を繰り返している。
「だ、ダスク様、大丈夫ですか……?」
答えはなく、代わりに汗の雫が地面に落ちた。
「すっげぇ……これが、上級魔法……」
隣からジュージの呟きが聞こえた。畏怖と憧憬の入り混じった声だった。
従魔の体が黒い煙を上げ、地に伏していた。胴体が大きく抉れ、黒い血が大地に染み込んでいく。傭兵たちがそれを遠巻きに眺め、固まっている。
「なんてこった! 結局依頼主に助けられちまったぜ! こりゃ上乗せ分はもらえねぇな!」
ザミーノが豪快に笑った。つられて傭兵たちもぎこちなく声を上げる。
恐ろしい敵を倒せたのだ。スティナはほっと胸を撫で下ろした。
「……だ」
かすれた声に、ミントが一番に反応した。剣を構え、ダスクを庇うように立ち塞がった。
「ダメだ! 逃げろ!」
ダスクが叫ぶのよりも早く、視界に黒い線が走った。