10 峠越えと傭兵団
路銀を稼ぎながら移動しているうちに十日が過ぎ、ようやくドムドウッドの手前の町、ラザリスクへと辿り着いた。
今まで訪れた町の中で一番大きい。町を守る防御壁は高く、門前には兵士が何人も配備されていた。検問を受けたのは初めてだ。
町の中はどこか物々しい雰囲気だ。武装した者が多く、商人たちは浮かない顔をしている。言い争う声もちらほらと聞こえてきた。
「最近、ラグーザ峠が通行不能になったと聞いたが、噂通りのようだな」
ダスクの呟きに、スティナの視線は町の向こう側にある小高い山に向かった。
これまで通ってきた道の多くは森や草原などの平坦な大地だった。日本よりもずっと山が少ない王国だということに今頃気づく。
――ドムドウッドの町はあの峠の向こう……だよね?
さほど標高は高くなさそうだが、覆い茂る緑の色は濃く、ぼんやりと霞がかっていた
「通行不能って、落石とかで道が塞がっちゃったんでしょうか?」
「その程度ならば、中級魔法使いを呼べば解決する。おそらく魔物の類だろうな。私たちが到着する前に解決しないかと期待していたのだが、賭けには負けたようだ。まずはギルドで情報収集をする。スティナも来い」
一行はラザリスクのレンジャーギルドにやってきた。
冒険者、探索者、傭兵、狩人……そういった職業の者が集まる組合だ。一攫千金と名誉を欲して旅をする命知らずのロマンチストが集まっている場所、らしい。
ウルデンのギルドはほとんど機能していなかったので、スティナはよく知らない。
酒場や宿屋が付随しているのが一般的らしく、ラザリスクのギルドも大きな食堂の中にあった。屈強な男たちが豪快に食事をしながら仕事の相談をしていた。中には女性もいる。
文字が読めないので詳しくは分からないが、掲示板には多種多様な依頼が貼られていた。
ギルドが報酬を払うギルド依頼と、個人が依頼して報酬を用意する個人依頼で紙の色が違った。ギルドと個人で依頼内容がダブっているものは重ねて貼ってある。
――ますますゲームの世界っぽい……。
きょろきょろしていると、ミントに手を引かれた。既にダスクが食堂の隅にあるカウンターに向かっていた。
「いらっしゃいませ。ご依頼でよろしいでしょうか」
「ああ。その前に聞きたいのだが、今、ラグーザ峠は通行可能か?」
職員の女性が顔を曇らせた。
「難しいと思われます」
職員曰く、元々あの峠道には強い魔物が生息していたらしい。
それでも定期的に狩人が間引き、傭兵に護衛を依頼すれば通行が可能だった。ここ数年は魔物の被害もなく、峠道がラザリスクとドムドウッドの主な交通路だった。
ところがひと月ほど前から、峠道を使う商人や旅人が立て続けに消息不明になっていた。捜索隊も一部戻らなかったという。
見つかったのは誰のものかも分からない肉片と荷物だけ。金目のものが残っていたため、盗賊の類ではない。
「おそらく新種の魔物でしょうが……“禍身の従魔”が出現した可能性もあります」
ダスクは苦々しい表情を浮かべた。
「討伐隊は出るのか?」
「いえ、まだ編成されていません。七日後に、王国の調査団が到着する予定ですが」
「……それでは遅すぎる。もし明日からでも護衛依頼を受けられる者がいたら連絡をくれ」
「かしこまりました」
ダスクが身分証を提示し、宿の名前を告げてチップを渡すと、職員の女性がにこりと笑って頷いた。
ひとまず食事をすることになり、三人で食堂へ移動する。
「あの、“禍身”ってなんですか?」
スティナが尋ねると、ダスクは目を伏せた。
「よく分からぬ」
「え?」
「古代より世界中に現れる正体不明の怪物だ。世界に災厄を撒き散らし、人間も魔物も関係なく浸食して害していく。姿形は定まっておらぬが、どす黒い瘴気を纏っているという共通点がある。あと、倒せばマナの結晶を遺して煙のように消える」
どうやら魔物のような生き物とは根本から違うようだ。どこから来て、どこに消えるのかも分からない。そんな摩訶不思議な物体、否、現象――それが“禍身”だという。
地震や嵐と同じ災害のようなものだが、“禍身”の厄介なところは倒さない限り消えないというところだ。
そして出現して日数を重ねるほど、生物を殺すほどに強くなる。討伐部隊が下手を討ったために“禍身”が肥大化し、国を滅ぼした例もある。あまりにも強くなりすぎて倒せなかった“禍身”は封印されることもあるという。
――まるで、魔王……。
民衆の間では「闇の化身」と呼ばれていると聞き、スティナは納得した。その言葉ならウルデンの神官様のお話に何度か出てきたのだ。
「“禍身”の本体はめったに出現せぬ。先に“禍身の従魔”と呼ばれる下位個体が出現し、周囲の精霊を追い払ってマナの循環を破壊する。従魔もかなり甚大な被害を出す。そうして死の大地と化した場所に“禍身”が現れ、さらなる災厄をもたらすのだ」
「じゃあ、あの峠道に従魔がいるかもしれなくて、そのうち“禍身”本体が出現しちゃうかもしれないんですか?」
スティナのにわかゲーム脳が危機を訴える。こんなに近くで魔王降臨イベントが発生したら、下手したら詰んでしまう。
「まだ決まったわけではない。従魔とてそう頻繁に現れるものではない……はずなのだが」
「最近、よく聞きますね。従魔の出現情報を」
ミントが焼き飯をとりわけ、スティナの前に置いてくれた。そして小さな声で囁く。
「これも世界の滅びが近いからなのでしょうか?」
「かもしれぬな」
スティナは漠然とした焦りを覚えた。
――どうしよう……。
ダスクの話では、峠を迂回する道では間に合わない。スティナが期限内に最高神の像に辿り着くには、峠道を避けては通れないのだ。
――わたしだけが危ない思いをするならまだしも……二人が怪我をしたり、死んじゃうくらいなら、遊戯に参加できなくていい。
自分でもびっくりするくらい、あっさりしたものだった。膨らんでいた熱意に冷や水を浴びせられたかのようだ。
誰かの命を脅かしてまで、望みを叶えたいとは思わない。
――でも、簡単に諦めるなんて言えない……。ここまで連れてきてもらったのに、勝手すぎる。
峠道で人を襲っているのが“禍身の従魔”か、魔物は定かではないが、危険なことには変わりない。
どういうのが最善かを考え、スティナは思考の迷路に迷い込んだ。
料理に手を伸ばさないスティナを見て、ダスクが頬をつねってきた。
「ふむ。だいぶ肉がついてきたな」
「はひ! な、なにをっ!」
ダスクはスティナの心中を見透かして鼻で笑った。
「見くびってくれるな。魔物だろうが、“禍身の従魔”だろうが、そう簡単に負けはせぬ。良い傭兵を雇えば確実に倒せる」
「でも……」
本当ならば、ダスクたちは危険を冒さなくて済むはずだった。スティナに出会わなければ、もっと早くに秘密を打ち明けていれば、ラグーザ峠を越えることはなかったのだから。
自分の不手際が招いた事態に、ダスクとミントを巻き込むのは気が引ける。
「というか、傭兵を雇うお金はあるんですか?」
この数日で路銀を稼いだとはいえ、食事代などで相殺されて儲けはないはずだ。
ダスクは痛いところを突かれたかのように視線を逸らした。
「心配するな。ドムドウッドには知り合いがいる。奴に借りを作るのは不本意だが、不本意なのだが……致し方ない。金はなんとかなる」
そのとき、大きな影がテーブルに落ちた。
「なぁ、あんたらか? 峠越えを計画しているって無謀な旅人は」
スキンヘッドの男が立っていた。皮の鎧の上からも分かるくらい逞しい体つきだ。
「オレは豪嵐傭兵団のザミーノだ。どうだ? オレたちを護衛に雇わねぇか? 腕は保証するし、今峠越えを請け負える傭兵団は少ねぇぞ」
粗雑な言葉遣いにダスクは顔をしかめたが、追い返しはしなかった。値踏みするようにザミーノを見る。
「……ランクと人数は?」
「銀が三人、銅が六人。銀の一人は中級魔法が使える。子どものお守りだってできるぜ!」
ザミーノはスティナの頭を撫で、豪快に笑った。迫力があって恐ろしいが、気の良さそうな男だった。
ダスクとミントが視線で相談し、頷き合った。
「よかろう。頼みたいのはドムドウッドまでの護衛だ。少々急ぎでな。明日には出発したいのだ。報酬は……金貨十八枚でどうだ」
九人雇うことを考えれば妥当な金額なのだろうが、スティナはその金額に血の気が引いた。
「はぁ? ギルドの姉ちゃんから話を聞いたんだろう。今のラグーザ峠の危険度を考えると、三人分の護衛の相場は金貨三十枚だ」
「二人分の護衛で結構です。私は戦力として数えて下さい。銀の実力はあります」
ミントがきっぱりと告げると、ザミーノは髪のない頭を掻いた。
「そうかよ。じゃあ金貨二十枚だ。それ以下ならこの話はなかったってことで」
「……分かった。それでいい。その代わり前金は金貨九枚で、万が一“禍身の従魔”が出た際には金貨五枚上乗せしてやる」
「おお! そりゃ助かる! まいど!」
いいの、いいの、とスティナが視線で忙しなく尋ねると、ダスクは小声で「いざというときに逃げられたら困るだろうが」と苛立った様子で告げた。
――ダスクさん、石橋を超叩くタイプ!
ギルドに契約の仲介を頼むため、ダスクが席を立つ。手数料はかかるが、ギルドを通しておけばトラブルを防げる。報酬の持ち逃げなどもされにくいそうだ。
「おっと、そうだった。おい、そこのフード野郎。お前も峠の情報を集めてるんだって? 報酬払うなら、一緒に連れていってやるぜ!」
ザミーノが通りがかった人物に声をかけた。
目深くにフードを被っていて顔は見えないが、身長を見る限り男性のようだ。丈の長い外套を纏っており、腰には細身の刀を下げている。
「待て。私は同行者を認めてないぞ」
「固いこと言うなよ。こっちだって思ったより報酬が少なくてつれぇんだから」
フードの人物が足を止めて振り返った。
「あなたたちも峠に行くのか。……今はやめておいた方がいい」
思いのほか若い声だった。忠告めいた言葉に感情はなく、どこか冷たさの滲んだ物言いだった。
「危険は承知の上だ。しかしどうしても早急にドムドウッドに行かねばならぬ用事があるのだ」
ダスクの言葉に、なぜか少年の視線がスティナに向いた。
「あの……?」
「他人を巻き込むのは感心しない」
どきっとした。まるでスティナの抱える事情を全て知っているかのような物言いである。
少年はザミーノに視線を移し、淡々と述べた。
「俺は一人で峠を越える。途中で見かけても無視してくれ。もし何かに襲われていても、助太刀は要らない。……俺も、あなたたちを助けられないと思う」
去っていった少年を睨み、ザミーノが軽く舌打ちをした。
「ったく、生意気なガキだ。ああいう奴に限って真っ先にやられるんだ」
もやもやとした感情が胸に残ったが、商談はまとまってしまった。
結局スティナはダスクとミント、そしてザミーノたち傭兵団を信じるしかなかった。