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プロローグ

 


 とても寒い日だった。

 取材と撮影を終え、少女は一人でスタジオを出た。警備員ににこやかに挨拶をし、マネージャーが裏口に回してくれた車へと急ぐ、そんなわずかな時間――。


「これ以上、カグヤ様の歌を穢すんじゃねぇ!」


 駆け寄ってくる黒いダウンジャケットの男。光る刃に「あ」と息を飲んだときには、腹部が衝撃を受け止めていた。

 男がナイフを引き抜くと、少女はその場に崩れ落ちた。

 心臓が脈打つ度、血がごぼごぼと零れていく。濡れた服と路面の冷たさが肌に染みて、少女は小さく喘いだ。


「お前はカグヤ様の後ろにいればいいんだよ! 調子に乗るな!」


 男は執拗に少女にナイフを突き刺した。血走った目は正気ではなく、低い怒鳴り声が鼓膜を震わせる。痛みと恐怖が少女を嬲っていった。

 そのときになって、ようやく周囲が異変に気づいたようだった。


「何をしている!? 取り押さえろ! 警察と救急車を早く!」

「ステラ! ステラっ! しっかりするんだ! 頼む!」

「え、ステラってドッペルワンダーのスッティー? マジ!?」 


 声がだんだんと遠くなっていく。

 急激に萎んでいく視界の光に、少女は自分が助からないことを悟った。


 ――ああ、来月のドーム公演が……。


 少女はステラという名前でアイドルをしていた。ドッペルワンダーという、少々変わったグループの二番手である。

 初期はコーラスとバッグダンサーに過ぎなかったが、最近はソロ曲や主演映画のオファーをもらえるくらい知名度が上がり、急激にファンを増やしていた。


 一番人気のカグヤに対して下剋上なるか、とマスコミたちが囃し立てるようになり、一部のカグヤファンがステラアンチになっていた。

 おそらく自分を刺した男もそうなのだろう。


 少女は白い息を吐いた。

 彼女自身にカグヤを脅かすつもりなど毛頭なかった。

 ただ少しでもドッペルワンダーの、カグヤの歌をみんなに聞いてもらいたかった。そのために過密なスケジュールをこなしていたに過ぎない。


 ――ごめんね、みんな……カグヤちゃん。


 自分が死んだらドッペルワンダーはまず間違いなく解散だ。

 パフォーマンスよりも事件の方が人々の印象に残る。傷のついたグループを完璧主義者のカグヤが続けていくとは思えない。


 ――わたしのせいで、終わっちゃう……。


 申し訳なさで少女の胸はいっぱいになった。

 ドッペルワンダーが生きる希望だと言ってくれたファンたちに申し訳が立たない。あんなに応援してくれたのに、もう応える術がない……。


 無念でならなかった。

 もっと歌いたかった。もっと踊りたかった。みんなの喜ぶ顔が見たかった。


 ドーム公演はグループ結成時の目標の一つだった。三万人の前でソロ曲を歌わずに済むのは正直ほっとするけれど、新曲を発表するのが何よりも楽しみだった。何か月も前から準備してみんなで練習してきたのに、全部無駄になってしまう。

 春には映画の公開や写真集の発売も控えている。この前収録したクイズ番組はお蔵入りだろうか。


 ――休みが欲しいなんて思ったりしたからかな……。


 今は休めないものの、落ち着いたらオフをもらって家族をハワイに連れて行くつもりだった。妹が「お姉ちゃんばかりズルい」とロケに行くたびに頬を膨らませていたから、ご機嫌を取りたかった。良い顔をしたかった。

 でも、その計画ももう泡と消える。

 親孝行は何もできなかった。この仕事のせいで迷惑をかけたこともあったのに、嫌な顔一つせず応援してくれた家族。はっきり感謝を伝えたことはあっただろうか。こんなことになるのなら、鬱陶しいくらいたくさん言っておけば良かった。


 ――仕事一筋で頑張ってきたのにな……。


 仕事以外にもやりたいことはたくさんあった。

 例えば、恋がしたかった。

 事務所の方針とカグヤの命令で恋愛は禁止されていた。周りには興味ないという顔を見せていたが、本当は少女漫画のような恋愛に憧れていた。

 恋の歌を歌うのも、恋する少女を演じるのも楽しかった。いつかアイドルを卒業したら自分も、と密かに胸を弾ませていた。


 もう何もかも叶わない。全ての夢を手離さないといけない。


 ――本当に残念だな……中途半端で未練だらけの人生……でも、楽しかった。


 そう思わないとやっていられない。

 こうして少女は十七年の生涯に幕を閉じた。






「……え?」


 周囲の子どもたちから鋭い視線が突き刺さった。神官も眉をひそめている。少女は慌てて口を手で押さえた。大事なお祈りの時間に声を上げるなんてどうかしていた。


 ――違う、そんなこと、今はどうでもいい。


 少女は自分の両手を見つめた。ネイルもハンドケアもしていない、十歳にしては傷だらけの手。心臓が嫌な音を立て、冷や汗が背筋を伝う。


【初めまして。我が名はリメロ・ディアラ。時空の神の一柱である】


 視線を彷徨わせるが、埃っぽい聖堂で神官が祝詞を唱えているだけだった。声の主は見当たらない。自分以外の誰もその声に気づいていないようだ。

 やがて声が頭の中に直接響いていることに気づく。聖堂の中央に祀られている像は豊穣の眷属ユンルアーラであって、時空の神なんて聞いたこともない。


【遠き彼方の記憶を思い出してくれたかな、スティナ】


 その声に呆然と頷きを返す。


 ――うん、わたしの名前はスティナ……でも、ステラでもあった。


 何もかもを思い出した。前世、日本という国でアイドルをしていたことも、アンチの凶刃に倒れて死んだことも。

 どうして今まで忘れていたんだろう、というくらい鮮明に前世の記憶が蘇っていた。

 ステラとスティナの人格は寸分違わず同じもので、ごく自然に意識は融和した。違和感も嫌悪感もない。


 それでも少女――スティナは混乱していた。いきなり衝撃的な死に方をしたことを思い出したのだから無理もなかった。


【ここは神の死んだ世界、これから滅びいく世界だ。前最高神トーンツァルトの遺言により、新たな管理者を異世界の魂から選ぶことになった。スティナ、きみはとある神に推薦され、こちらの世界に転生を果たした。新たな神の卵だ】


 しかし時空の神を名乗る声の主、リメロは容赦なく壮大な説明を始めた。スティナは戸惑うことしかできない。


【なに、強制はしない。神の卵はきみだけではない。自身を不適格だと思うのなら、ただの人間として生涯を終えるがいい。しかし、もしも神へと至る気があるのなら、三十日以内に亡き最高神の像の前で祈りたまえ。それが“神選びの遊戯”への参加表明となる。では、検討と健闘を祈る】


 声が途切れてからしばらく、スティナは動けなかった。

 いろいろと信じられないことが起こりすぎて、全てが夢ではないかと思えてくる。悪いものを食べて頭がおかしくなったのではないか。何度か拾い食いをしてしまったから全く心当たりがないわけではない。


「……今週は都から貴族様がいらっしゃいます。各自、身なりを清潔になさい。町の清掃も徹底的に行いましょう。では皆に、天上の神のご加護がありますように」


 神官の言葉とともに、お祈りの時間が終わった。

 他の子どもたちは声を上げて炊き出しに向かう。半月に一度だけ温かいものをお腹いっぱい食べられる日だ。いつもならスティナも喜んでその流れに混じるのだが、今は食欲も動く気力もなかった。


 ――ど、どうしよう……。


 前世でアイドルだったことはともかく、今は小さな町の孤児の一人。まともな仕事に就けておらず、自分の家どころか明日の食糧さえ心もとない。十歳にして社会の底辺にいた。

 そんな自分が神の卵。

 “神選びの遊戯”とやらに参加すれば、もしかしたら最高神になれたりするのだろうか。あまりにも現実味がなく、馬鹿げている。


 ――ドッキリだったらいいのに。


 スティナは天を仰いだ。

 祈りたいが、この世界の神様は亡くなってしまったという。こういうときは誰にすがればいいのだろう。あまりの心細さに泣き出してしまいそうだった。


 そのとき、視界でふいに何かが動いた。見れば同じ年頃の少年が頭を抱えて蹲り、地面を思い切り拳で殴った。聖堂に悲痛な叫びがこだまする。


「嘘だろ!? アリーナ最前列がっ! 神なんていねぇぇぇ!」


 少年は号泣していた。


「何が神の卵だ! スッティーのいない世界なんて知るかよっ! やってられるか!!」



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