裏野ドリームランド【ミラーハウスの怪】
あなたは、あの男によく似ているからすぐに分かる。そのとぼけた顔を映すのは今日で最後よ。さぁ、早く、いらっしゃい。
****
私はそのミラーハウスを前に写る自分の写真を見ていた。
一五年前、まだ制服姿の私がいる。これはミラーハウスに入る前に心霊写真を撮ろう、というノリで撮ったもの。全員で五人。中学の遠足で訪れ、仲良し五人組で園内を散策していた。
麗しき青春時代。
右から、山崎ひろ子、中沢操、戸波明子、井川美菜、林容子。ちなみに私は戸波明子だ。
どうしてこんなことを思い出したかといえば、私は古い日記を読み返していたのだ。
9月7日(水)晴れ
今日は阪神戦があった。色々不満もあったけれど、延長十一回、中村のホームラン! あぁ、すっきりした。
9月8日(木)晴れ
明日は遠足。明日も晴れますように。
読み返しているとはらりと写真が落ちてきたのだ。そして、この日を境に仲良し五人組が、四人組に変わってしまった。この日のことは私もよく覚えている。
この日の日記には、友達関係に悩む私がみっちりと書かれている。
「みさお、どうしたんだろう」
そう心配し始めたのが井川美菜だった。明るかった操が急にふさぎ込んだのだ。まるで、電気のスイッチを誰かが消してしまったかのように、暗い性格になった。
「最近暗いよね」
山崎ひろ子も心配する。しかし、当の操は何を訊いても、どう声を掛けても曖昧に笑うだけ。いったい何があったのだろう。そう心配するも、操からは何も訊きだせないし、言おうともしない。操は一人ぽつんと自席に座り、休み時間の間、ずっと窓を眺めて過ごすのだ。
そして、中学生らしく山崎ひろ子も井川美菜も、大人しい林容子もドリームランドの怪を話題にし始めた。ミラーハウスに入った人が別人になって出て来るという怪異。やっぱり、あんなところ入るんじゃなかったんだ。
「じゃあ、今いるみさおは、みさおじゃないの?」
「だって、おかしいもん」
山崎ひろ子と井川美菜が声を潜めていると、もっと囁き声で「私もそう思う」と林容子が同調する。
「でも、あれって、単なる噂でしょう? だってそんなのあり得ないよ」
私の反論なんて耳も貸してくれない。
「じゃあ、あきちゃんはどう思うのよ」
山崎ひろ子に詰められて、返す言葉が思い浮かばなくなった。
「そりゃあ、いろいろと……きっと、あるんだよ」
確かにおかしいとは思う。だけど、何でも心霊現象にするのはよくないと思うのだ。
「私らにも教えられないようないろいろって何よ」
山崎ひろ子はこの頃からずっと強気である。ちなみに私こと、戸波明子は適当に適当な性格で、今で言う虎子さんで、インドアというよりもアウトドア派。そして、理屈っぽい性格。しかし、気は弱い。
四時間目の終業チャイムが鳴る。もちろん山崎ひろ子は率先して中沢操の席まで歩んでいく。
「みさお、一緒にお弁当食べよう」
少し遅れて林容子と井川美菜。もちろん私もついて行く。
今までならお弁当を食べる場所は山崎ひろ子の机回りだった。しかし、いくら待っても中沢操が来ないということで、四人で話し合ったのだ。
「ね、ね、この間の山pかっこよかったよね」
山崎ひろ子が言うのはドラマの方だろうか、それとも歌番組に出ていた方だろうか。とりあえず、相槌は忘れない。確か、操もファンだったようなので話題としては上々だ。それに、そんなにファンではないだろう井川美菜が相乗りする。
「うん、めっちゃかっこ良かったよねーっ」
林容子は頷くだけ。私はただ、「操は見てた?」と話を振る。山崎ひろ子からナイスパスという合図を受け取った。話を振られて一応視線は向けてくれた中沢操だったが、「うん」と囁いただけで、それ以上話をふくらませようとしなかった。
「ねぇ、一体どうしたのよ」
一体どうしたの。誰もが心配を目に浮かべて中沢操を見つめていた。それが苦しかったのか、中沢操がやっと言葉らしい言葉を、その喉の奥から吐き出した。
「ありがとう。でも、ごめん、あたし、」
そこまで言って、自分のお弁当を抱え教室から出て行ってしまったのだ。
取り残された四人は呆然としていた。呆然としながら、家長のいなくなった座席で、黙々とお弁当を突き始める。それから、何となく中沢操とは距離が出来てしまった。みんな、何となく傷付いて、何となく不可解で、どうすればいいのか分からなくなってしまったのだ。
きっと、私にとっても初めての親しい人からの拒絶だった。みんなにとっても。
それから、みんな別々の高校へ進んだ。毎日会うということは無くなったが、仲良しの絆は結構強い。時々、プチ同窓会と言って集まったり、彼氏が出来たと集まったり、別れたと報告して、また集まったりして、学生生活を終えた。
そのどの時期にも中沢操は現れなかった。私はいつのまにか中沢操は『仲良し』から外して、同級生と思うようになっていた。
学生生活を終えた後、私が就職先に選んだのが、銀行員だった。皆に驚かれたのは当たり前だった。母にまで適当なあなたには勤まらない、とまで言われたのだから。
今だから言おう。私は適当ではない。どちらかといえば、几帳面で整理整頓はお手の物。金銭管理だってちゃんとしているし、就職が決まってから一人暮らしをして、それに磨きがかかった、と言ってもいい。
日記を置いて、歯を磨いているとLINEの音が聞こえてきた。何度も鳴るので、きっとグループトークなのだろう。歯磨きが終わると既に未読数が一〇件を越えていた。内容を見て「うそ」と思う気持ちと、「そりゃ、みんな返すよね」という気持ちが入り混じった。
『結婚することになりました』
林容子からのものだった。仲良しグループでの結婚が初めてではないのだが、林容子がこんな内容をLINEしてくるなんて、思いもよらない。私もすぐさま『おめでとう』を打ち込む。
商社マンらしい。出会いは、なんと合コン。しかも、林容子からの告白。みんな文字を打っているスピードが熱戦的だ。最後に『招待状を送りたいんだけど、来てもらえますか』という文章が林容子から送られてきて、皆が『もちろん』と送り返した。林容子から感謝のスタンプ。その数分後。
『誰か、操ちゃんの連絡先知りませんか?』
と言う文字が画面に浮かんだ。それに素早く反応したのが、山崎ひろ子だった。いち早く結婚しそうだった、山崎ひろ子は今も独身である。
『ちょっと調べてみるわ』
そのひろ子に呼び出されたのだ。先に待ち合わせ場所のカフェに到着した美菜と私は定番の「久し振り、元気?」から始まり、「何だろうね」と話し出す。しかも、美菜は子どもはおいて来てほしいとまで指定されている。いつもなら、可愛いから連れて来て、というひろ子が、だ。
「ごめん」
山崎ひろ子が片手で謝りながら、小走りで走ってきた。そして、やはり定番の挨拶をした後、「入ろう?」と促す。
「暑かったでしょう、ごめんね、待たせて」
「ううん。ひろ子こそ、仕事だったんじゃない?」
ブランド物の大きなバックを抱えているひろ子を見て、私は言った。
「ちょっとね、だけど、大丈夫、もう終わったから」
ひろ子は保険の外交員をもう五年勤めている。私にはできないが、ひろ子に言わせれば、行員も同じようなものらしい。
「容子ちゃん良かったよね」
「うん、本当に良い人と巡り合えたみたいでよかったわ」
頼りない容子を思うと、誰か頼れる人が出来たということは嬉しい限りだ。ひろ子は昼がまだだから、とオムライスとアイスティ、私はケーキセット、美菜はケーキと水、という注文になった。もちろん、水は注文ではないのだが……。
「で、操のことなんだけどね」
注文を終えると、ひろ子が唐突に話題を振った。
「わたし、連絡先は分かるの」
操が暗くなった理由をひろ子はずっと気にしていたらしい。確かにひろ子と操は一番家も近かったし、あの中では一番気の合う友達だった。だから、二人が密かに繋がっていたとしても、驚きはない。
「噂なんだけど、母がね」
ひろ子の話はこうだった。
遠足のあった日の昼、操の家からは大きな声が聞こえてきたらしい。男の人が二人怒鳴り合うような声。そして、ガラスの割れる音。罵声を浴びせられ逃げるようにして飛び出してきたのは、操の母親と見知らぬ男。
ここまで聞いて、大人な私たちは事の大体を掴んだ。
「そりゃ、思春期にはきついよね」
ほら、心霊とかじゃないでしょう? 何となく私はどこかでそう思っていた。
「うん。話せないよね」
美菜が言う。そして、ひろ子が本題に戻した。
「教えてあげてもいいと思うんだ。容子ちゃんにね、住所くらい。でも、どうしたらいいのか。こんな話、今の容子ちゃんに言えないでしょう?」
しばしの沈黙。たしかに、祝いの席で、もしそんな過去が出てきたらと思うと、種をまいてしまった私達の責任になる。いや、だから、ひろ子は一人で抱えたくなくて、相談という形で転嫁してきたのかもしれない。まぁ、いいか。私たちは仲良しだったんだから。
「言わなくても、いいと思う。みんな知らない顔してさ、お祝いしたい気持ちだけ表わしたら。容子ちゃんだって、あの時どうしたの?なんて訊かないでしょう。きっと」
一五年前の確執を今さら穿ろうとして、住所を訊き出したい訳ではなかろう。ただ、仲良しに戻りたいだけで。
「そうよね」
ひろ子と美菜の表情が明るくなった。
今思えば、私の起こした些細な変化を隠すようにして、操の母の不倫が私を助けてくれたのだから、皮肉なものだ。戸波明子は私の母の不倫相手の子だった。戸波健二が父の名であることは、知っていた。愛人に対しては薄情な男だった。母も同じく薄情な母だった。遊びでできた要らない子はこの世になかったことにされたのだ。
あなたには恨みはないのだけれど、腹立たしさを覚えずにはいられなかった。
父母の愛情に包まれて育ったあなた。
誰にも愛されることなく堕胎された私。
あの日、戸波明子はミラーハウスでみんなからはぐれて、迷子になってしまったのだ。ミラーハウスではよくあることだった。ただ、本格的な迷路ではないから、手を鏡に合わせて歩きさえすれば、すぐに活路は開ける。だが、戸波明子は私に出会った。
「誰?」
「こんにちは、私がいる場所に生まれたあなた」
えっ。何言ってるの?
間抜けな表情が私を見つめていた。
私の視線の先にはあの写真がある。ミラーハウスに入る前、仲良し五人組で撮った最後の写真。
だから、私は日記を読み返している。
明日は林容子の結婚式だ。さて、どんな話に花が咲くのだろう。