第四話
美鈴の家からの帰り道、俺は様々なことに思案していた。
まずはあの家のセキュリティだ。家を出るときに気が付いたが、玄関のドアや窓にはセンサーが取り付けられていた。
そこまで高性能なものではないので対処は可能だろう。
もっとも脅威なのはあの女装少年である渚だ。
メイド服という動きにくいはずの服で身軽な動き、ナイフとフォークという食器を武器として扱える腕、あれは暗殺のプロ並みと言えるかもしれない。
可能な限り渚との戦闘は避けるべきだ。
アリサの実力は不明だが、おそらくは渚より手練れということはないだろう。
メイド服の上からでは体つきは判別しにくいが、雰囲気的に戦闘向きではなかった。
あとはどうやって美鈴を殺すか、だ。
あの家で実行するにはリスクが高すぎる。かといって学内では目立ちすぎてしまったために他人の目のないところというのは限られてしまう。
となると、理想的なのは外出して人気のないところで殺してそのまま逃げるか、悲劇の恋人を装って疑われないように仕向けるか。
どちらにしても実行するには時間が必要だ。
「あ、おかえりなさい」
突然声をかけられて身構える。
いつの間にかアパートについており、大家である文香が俺に挨拶をしたようだ。
「あ、ああ」
文香の手には箒があり、アパートの前を掃除していたようだ。
「随分遅いお帰りですね。新しくお友達はできましたか」
時刻は夕方。部活動に所属していない生徒なら帰ってくるには遅い時間だ。
「ああ。恋人ができたからそいつの家に行っていた」
「えっ!? か、彼女さんができたんですか。初日からすごいですね。さ、最近の若い子って」
文香は頬を赤くして驚いている。というか年齢的にはそんなに変わらないはずだが。
「それにお家に行ったってことは、もう親御さん公認ってことに」
「いや、そいつは親が死んでいるから居ない」
そう言った途端に、文香は箒を落とした。顔は真っ青だ。
「ごめんなさい、そうとは知らずに」
涙ぐんで頭を下げてきた。
「でも親御さんがいないなんて、辛いでしょうね」
「そうか、俺は親などいなくとも辛くはないが」
もともと親の記憶などはないし、辛いと思ったことはなかったが。
その言葉に文香はさらにショックを受けたようで、息をのんだ。
「ご、ごめんなさい! 私、失礼なことばかり言って」
頭を下げたまま、文香は泣き出してしまった。
俺はともかく美鈴も両親を亡くしたのは十年も前のことだ。気に病むことではないと思うのだが。
その後文香が泣き止むまでに30分も要したため俺は疲れ切っていた。
「本当にすみませんでした」
何度目か分からない文香の謝罪。
「じゃあ俺は部屋に戻る」
そう言って歩き出すと突然腕をつかまれた。
投げ飛ばしそうになるのを堪える。こいつは一般人だ。
「あの、お詫びと言ってはなんですが、よろしければで夕食をご馳走します」
「いや、結構だ」
「でも」
腕を振り払い、部屋に戻ろうとする。が、後ろからまた啜り泣きのような声が聞こえてくる。
なんて面倒な女だ。
「わかった。もらうからもう泣くな」
「本当ですか、ありがとうございます」
礼を言われる筋合いでもないのだが、面倒なので言わないでおく。
文香の部屋に入ると、甘ったるいような匂いがする。
女特有の匂いだ。
「すぐに準備をしますので、座って待っていてください」
そう言うと文香は台所で夕食の準備を始める。
俺は部屋の中心に置いてあるテーブルのそばに座り、部屋を回し見る。
部屋は清潔感があり、テレビはなく本棚が多くある。本棚には数多くの本が並べられており彼女が読書家であることがうかがえる。
本の種類は主に小説だが、本棚の奥行を考えると奥にも本が並べられているようだ。
気にはなったが、文香に気づかれないように確認するのは難しく、断念した。
程なくして文香が料理を運んでくる。
米、味噌汁、肉じゃが、サラダに焼き魚だ。
「どうぞ、簡単なもので申し訳ないですが」
「いただきます」
味自体は平凡なものだ。特別美味いというわけではないが不味いということはない。
「どうでしょうか」
文香は心配そうに見つめていた。
変な波風を立てたくないので無難に答えることにする。
「ああ、悪くない」
「そうですか、今日はうまくできて良かったです」
ん、今日は?
「料理が得意ではないのか」
「ええ、あまり上手にはできないんです。今日はよくできたと思います」
笑顔で自らも箸を進める文香。
得意でもない料理をふるまうことを償いと考えるとはなんともめでたいやつだ。
食べ終わると、すぐに文香の部屋を後にした。
今日はいろいろありすぎたので体と頭を休めなくてはならなかったからだ。
計画自体もかなり狂ってしまったために考えることも多い。
部屋に戻り敷きっぱなしになっていた布団に横になると、疲れが押し寄せてきて眠ってしまった。
美鈴を殺すという困難な任務の初日はこうして幕を閉じた。