第三話
ほとんど頭に入ってこなかった授業が終わり、放課後になる。
もちろん放課後も美鈴と行動を共にすることになっている。
情報収集も必要なのでもともとそのつもりだったのだが、これ以上目立ちたくないので正直迷った。
だが、俺に拒否権はなかったようだ。
帰り支度をしていると美鈴は俺の席まで来て。
「さあ、帰りましょうか」
笑顔で詰め寄ってきたのだった。
帰りはののか達は居らず、二人だけらしい。
放課後になったばかりなので残っている生徒は多く、かなりの注目を集めてしまっていた。
俺は視線を合わさないように俯きつつ歩いていたが、美鈴は慣れているようで平然としている。
学園を出ながら俺は尋ねた。
「み、榊原さんの家はどこなんだ」
もちろん知ってはいるが一応話題に出す。辻褄を合わせるためだ。
「私の家ですか? ここから歩いて10分くらいですよ」
「そうか」
そう言って俺は彼女の家に向かって歩き出す。
「潤貴さんの家もこちらなんですか」
「え?」
彼女の家は俺のアパートとは逆方向だ。しまった、油断した。
「いや、その」
なんとか言い訳を考える。
「君を送っていこうと思ったんだが、言い出せなくて。とりあえず歩き出しただけだ」
何を言っているのか。こんなことで誤魔化せるわけがないだろう。
「まあ、嬉しいです。潤貴さんは照れ屋さんなんですね」
美鈴は機嫌を良くして歩き出した。
俺の性格に『照れ屋』という不本意なものが追加されてしまった。
にしてもこんなことで誤魔化せるとは、この女、馬鹿なのか。まあ馬鹿のほうが扱いやすいか。
美鈴の後をついていくように歩いていく。
美鈴の家はかなりの大きさがある。豪邸と言っても過言ではないだろう。情報によると閑静な住宅街にある。唯一の家族である祖父とは別居していて彼女の家に住んでいるのは彼女と住み込みの使用人が二人のはずだ。
使用人の情報も整理しておこう。
使用人は二人。ひとりは男性で年齢は16歳。名は森本 渚。使用人を養成する学校に通いながら使用人をしている。写真は入手できなかったため容姿は不明だ。
もう一人は大瀧 アリサ、年齢13歳。外国で飛び級をして高校を卒業している。日本に帰国後、美鈴に気に入られて使用人をしているようだ。こちらも写真は入手できていない。
美鈴の家はそれなりのセキュリティを有しているため情報はあまり集まっていない。そのために潜入して任務にあたっているのだが、思いのほか簡単に入ることはできそうだ。
「着きました。送ってくださってありがとうございます」
家の外装は写真で確認していたが、思った以上に豪華な造りだ。
大きい門があり、中には庭が見える。二階建てで洋館のような雰囲気だが日本の景色に馴染むように工夫されている。だが少し見ただけではカメラやセンサーといった類は見受けられず、セキュリティが厳重な印象はない。
「デカい家だな」
俺はできるだけ感心している雰囲気を出す。まずは興味を持っていることをアピールするのだ。
「そうですか? この家はとても小さいので恥ずかしいのですが」
「小さくなんかないさ。洒落ていて良い家だ。中も大層豪華なのだろうな」
「よろしければ中をご案内しますよ」
よし、第一段階クリアだ。中の様子を確認し、潜入した際に行動しやすくできる。
「本当か、ぜひ頼む」
「わかりました」
美鈴は少し恥ずかしそうな表情をしつつ、笑顔で答えた。
門に近づくとゆっくりと開いていく。
「自動なのか」
「いえ、中で使用人が操作しています」
内通者が用意できないこの状況では、門を開けての潜入はできないようだ。
中へ入ると再び門はゆっくりと閉まる。
と同時に玄関が開き、メイド服を着た二人の少女が出迎える。
「おかえりなさいませ、美鈴お嬢様」
二人はお辞儀をして俺たちを出迎えた。
ん? ちょっと待て。少女が二人?
「ただいま帰りました、アリサ、渚」
「はっ!?」
俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「な、なんですか」
俺の声に美鈴は驚いて振り返る。背の小さいほうの少女? は目を丸くしており、もう一人の少女? は表情を崩さなかった。
つい変な声を上げてしまったが、少女と思った人物のどちらかは男らしい。
「どうしたのですか、潤貴さん。なにかございましたか」
まずい、なにか言い訳をしなくては。
と思ったが思いもよらない人物から助け舟が出された。
「お嬢様、もしかしてこの方は一般の方なのではないですか。でしたらメイドを見て驚いたのでしょう」
無表情だった少女? の言葉に納得したように美鈴は頷いた。
「なるほど、それは失礼いたしました。この二人は私の家でメイドをしているアリサと渚です」
「えっと、どっちがアリサでどっちが渚なんだ」
「え? こちらがアリサです」
そういって先ほど助け舟を出してくれた、無表情だった少女を紹介する。
となると、背の小さいほうの少女、いや少年が渚か。
「こちらが渚です。渚、潤貴さんを応接室に案内してください」
「かしこまりました」
渚は小さくお辞儀すると横によけて美鈴を見送る。美鈴とアリサは中へ入っていった。
「では潤貴さま、応接室へご案内します」
俺はメイド服を着た少年に中へと案内されることになる。
中は広めの廊下が奥へと続いており、すぐ横に二階への階段がある。美鈴たちはここを上って行ったようだ。二階は私室などがあるらしく確認をするのは難しそうだ。
応接室は廊下の中間にあった。
渚はドアを開けて小さくお辞儀をした。
「こちらが応接室です。どうぞ、おくつろぎ下さい」
中はシンプルだった。小さめのテーブルにソファがコの字に置いてある。棚が一つ置いてあるくらいで家具らしい家具はほかにはない。
俺は出口に近い場所のソファに座り、怪しまれない程度に室内を観察する。
「あの」
渚が声をかけてきた。
「潤貴さまはお嬢様のご友人ですよね。今までこの家に来た方はののかさまと芽衣さまだけだったので、もしかしたら交友関係はあまりないのかと心配していたのですが」
「いや、友人ではなくて」
「え、ご友人ではないのですか。まさか」
「そう、恋人です」
部屋の入口には美鈴が立っていて、そう宣言した。
「ええっ!?」
渚はものすごく驚いた声を上げて後ずさった。
「でも、お嬢様。今までそんな話聞いたことありませんよ」
「それはそうです。今日出会ったばかりですもの」
「そ、そんな」
渚は俯いて黙ってしまった。
もしかして、この渚という少年は美鈴に恋心を抱いていたのだろうか。だとしたら可哀そうなことをした。いや、俺がこの少年を気遣う意味はないのだが。
「わかりました」
渚は小さく呟くと顔を上げた。真剣な眼差しで。
「ではお嬢様より強いと、そういうことですよね」
あれ、またこの展開?
「そうです。渚より強いですよ、試してみますか?」
美鈴は挑発するように渚に声をかける。
「もちろんですお嬢様。お嬢様を守れないような人に恋人の資格なんてありません」
「ちょっと待て、俺は別に戦うつもりはない」
面倒事はこれ以上起こしたくない。
「問答、無用です!」
渚の声と同時に目の前に何かが飛んでくる。
ギリギリで避けると、俺の座っていた場所にはフォークが刺さっていた。
一瞬目を離してしまったため、振り向いた時には渚は目前に迫っていた。
渚の左手が突き出される。何かが光った。食事に使う用のナイフだ。
なんとか渚の左手を払い、ナイフを叩き落とす。
「もらいました!」
渚の右蹴りが左わき腹を直撃する。
が、小柄な渚の蹴りは威力に欠けており、ほとんどダメージはない。
逆にその右足をつかんで掌底を渚に繰り出す。
「あうっ」
掌底を受けた渚はソファに倒れこんだ。
が、一筋縄ではいかないようだ。
あまりの手ごたえのなさに、俺は驚いていた。
渚は足をつかまれていたのに、掌底を食らう直前に体を捻って衝撃を逃がしていたのだ。
戦いはまだ続く、そう思っていたが。
「この、バカ渚」
戦いを止めたのはアリサだった。
「またナイフとフォークを持ち出して。ダメって言ったはず」
「で、でもアリサ。僕は非力だから道具使わないと戦えない」
「ダメって言った」
アリサの剣幕に渚は黙った。
「この勝負は潤貴さんの勝ちですね」
美鈴がそう告げたことで、俺の勝ちになった。
中断はしたが、渚の実力は脅威だ。
美鈴を殺すのは簡単ではないと思い知ったのだった。