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魔女の剣  作者: アーチ
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第六話 追憶、武辺の魔女

 冬の寒さはなりを潜め、すっかり春の陽気が庭に差していた。

 暖かな日の光に照らされた青々とした若草が空を目指す、命に満ちる季節である。

 そんな中、一人の少女が日に照らされながら刀を振っていた。


 膝丈のズボンに半袖姿の少女が握る刀は二尺三寸ほど。一般的な打刀と称して問題ない得物であった。しかし、その小柄な体躯で扱うのは少々危うさを感じさせてしまう。

 少女は、刀を右肩に担ぐように構え、呼吸を整えて一歩踏み込み一息に振り下ろした。袈裟がけの軌道ではしった刀身は、斜めに伸びた後ぴたりと止められる。敵手の左肩から入って右脇を抜ける一刀だ。


 その動作を少女は再度繰り返す。静かな庭の中で鋭い風切り音が何度も響いた。

 少女の背後、和風家屋の縁側には一人の女性が立っていた。じっと、少女の剣の鍛錬を見つめている。

 数度右肩に担ぐような八双構えから袈裟がけに斬り降ろしていた少女に、女性は声をかけた。


「楓、やはりお前は才能がない」

「……師匠」


 少女、朝比奈楓は声をかけられたことに驚いて背後を見た。剣を振るのに夢中で、彼女が見ていたことに気づかなかったのだ。

 憮然とした表情の女性、天坂夕月の顔色を見て、楓は少し目を伏せた。彼女は、楓の師であった。


「お前には魔女の才能も、剣の才能もありはしない」

「……はい」

「私の見込み違いだったか……」


 厳しい言葉だったが、そのことは何よりも楓自身が知っていた。頷くほかない。


「申し訳ありません」


 天坂へ向けて楓は深々と頭を下げた。弟子として、師の期待を裏切っているという思いが、自然と楓をそうさせていた。

 天坂は楓のその姿を見て、すぐに口を開いた。


「頭を上げろ。何も謝る必要はない。剣の才も、魔女としての才も、普通ならば不要なもの。お前に剣や魔女としての技を教えたのは、ただの私の酔狂だ」

「酔狂、ですか?」

「酔狂以外の何物でもない」


 天坂は頷きながら、厳しく楓を見つめた。


「昔、お前を助けてやったのはただの気まぐれだった。だが今にして思うと、あのような惨劇で一人生き残ることこそが不幸だ。私は、お前を助けるべきではなかった」


 天坂の言葉を受けて、楓はゆっくりと首をふった。


「私は、あなたに……師匠に命を助けてもらって、感謝しています。師匠が言う通り、私には剣も魔女としての才能もありませんが、またあのようなことがあった時に後悔だけはしたくないんです」


 かつて己の身に襲った惨劇を思って、楓は目を細めた。あの時、恐怖で震えることしかできなかった自分を、楓は恥じていた。

 天坂は、楓の言葉を聞いてしばらく沈黙し、楓に告げた。


「……お前には、基本となることは全て教えた。後はお前の好きにしろ」


 それだけ言って、天坂は楓に背を向けて家屋の奥に歩いて行った。

 楓は逡巡した後、また剣を振り始めた。天坂は、もう楓に剣を教えるつもりが無いと暗に言っていたが、それでも楓は構わなかった。


 ――師は、どうも機嫌が悪いようだ。


 何度か剣を振った後、一時休憩を入れた楓は一人そう思った。

 実を言うと、天坂に才が無いと言われるのは楓にとっては常のことだった。二年前、天坂に剣を教えてほしいと乞い、剣の鍛錬を始めたその日から言われ続けていることだった。

 それでも、あれ程不機嫌そうに言うことは稀だった。きっと何かがあったに違いない。あるいは、改めて楓の才の無さを嘆いてしまったのか。


 ともかく、何度天坂に厳しい言葉をかけられようと、楓は剣の鍛錬を欠かしたことはなかった。才が無いという天坂を見返そうと意地になっている訳ではない。ただ楓は、後悔したくないだけだったのだ。

 二年前、楓は得も言えない化け物に家族を殺され、自らも死の淵にあった。そこを救ったのが天坂である。彼女は化け物と楓の間に立ちふさがり、その手に持っていた刀を閃かせて化け物を下していた。楓の恩人であった。


 家族を失った楓を、そのまま拾ったのも天坂だった。楓は自身を救った天坂の剣に憧れ、彼女に剣を習い始めたのだ。

 天坂のように力があれば、家族を失わずにすんだ。今よりも幼い楓は、そう思ったのだ。目の前で家族が食い殺される場を見た楓の網膜にはあの時の光景が焼き付いている。その光景を夢に見るのはいつものことで、ひどい時には白昼の最中にすら幻視していた。


 それを見る度、楓の心の奥は燻るのだ。あの時の自分に力があれば、あるいは家族を失わずにすんだ。愛する家族を失った楓は、自身の力の無さを憎んだのだ。

 だから楓は、剣を執る。天坂に剣を教えてもらうのは、生半なことではなかった。天坂は魔女でありながら剣を扱う、武辺の魔女だったのだ。


 現在、魔女には二通りの種類がある。一つは古来のままに、箒に跨り空を駆け天変地異もかくやと思わせる魔術を扱う正調の魔女、そして正調の魔女たり得ず、武芸を学びながら魔術に届かんとする武辺の魔女。

 正調と武辺。この二つの魔女体系が生まれたのは魔女の始祖とその三人の娘の話にまで遡る経緯があった。


 とある国とある村で暮らす一人の女性。彼女は数日森に迷い込み、森から戻ってきてみれば、人知を超越した術を身につけ魔女と恐れられた。始祖の魔女、メリルである。

 メリルはその後誰とも知らぬ子を孕み三つ子を生んだという。長女ミリアム、次女ルエラ、三女フェリス。彼女らは母の血と誰とも知らぬ者の血を受け継ぎ、母に劣らぬ術を使え、村人から三魔女と忌み嫌われた。


 三魔女が成人してしばらく後、彼女らの住む村は突如壊滅する。原因は三魔女の母、始祖の魔女メリルであった。彼女は狂気の産物とも言える凄惨な化け物、夜魔を生み出し、村を人を滅ぼしたのだ。そして夜魔はそのまま、狂気の迸りを国中世界中に振りまこうとした。

 それを食い止めたのがメリルの子三魔女である。彼女らは狂気に走ったメリルを殺し、死闘のすえ夜魔を封印する。三魔女の力を尽くしても、夜魔を殺すことは叶わなかったのだ。


 夜魔はいずれ復活する。三魔女は遠い未来の出来事を予見し、彼女らの後続を育てる決意をした。これが連綿と続く魔女の系譜の始まりである。

 しかし、三魔女は正に人知を超えた特別な存在だった。彼女らは生まれつき大気に漂うマナの存在を知覚し、息を吸うようにそれを制御できる。マナの知覚と操作なくして彼女らのような魔術を扱えることはできなかったのだ。そしてそれができる人間は、三魔女の他にいなかったのである。


 そのことを解決するために三魔女が知恵を絞った結果生まれたのがラピスであった。これは元はその辺りにある石などの鉱物であり、それに三魔女の血を纏わせることでラピスとなった。

 三魔女の血を十分に含んだラピスは持つ者のマナの知覚、制御の手助けをする装置である。これを用いれば夜魔に対する後続の魔女達を育成することが出来るのだ。


 だが問題は尽きることがない。今度は人の生まれつき持った才能の壁が、魔女を志す者を阻んだ。ラピスを用いても、すぐにマナを知覚制御できるものと、できないものがいたのだ。

 長女ミリアム、次女ルエラは、才能あるものだけが魔女になれば良いと考えたが、三女フェリスは違った。

 始祖と同じ術を用いる魔女では夜魔には敵わないと、フェリスは感じていたのだ。


 フェリスが目を付けたのは、武芸であった。世界に広がる様々な剣術、槍術、弓術……他者を殺傷する為に生まれた数多くの武芸は、夜魔に通じる技を見つけてくれるかもしれない。そう考えたフェリスは、ラピスを用いてもマナの知覚にすら至らなかった者達に、武芸を学びながら体の操法とマナの操法を一致させるよう進めた。


 彼女自身もまた、武芸を学びだした。そのうちに彼女は武芸を用いる魔女の体系を編み出していく。

 武技を学び、体と自然を調和させ、マナを徐々に知覚していく。マナが知覚できれば、今度は己の体の操法に合わせてマナを徐々に制御できるよう、鍛錬を積む。武芸を学びながら魔女たり得るマナの知覚制御を学ぶのは、思いのほか相性が良かった。才無き者達はフェリスの元に集い徐々に魔女の才覚を目覚めさせていった。


 こうして、武辺の魔女という存在が生まれたのだ。現代では武術じたいが廃れはじめているため、武辺の魔女は主に文化として根づいている剣術刀術を用いている。

 対して、始祖や三魔女のように高度な魔術を思いのままに操る魔女を、正調の魔女と呼ぶ。


 正調の魔女が学ぶ魔術のほとんどは、術者本人にすら理解できないマナの微細な制御が必要となる。そのため、才能無き者は正調の魔女には決してなることはできない。

 武辺の魔女は武技を通じて魔術を操ることを目標とし、最終的には正調の魔女となることを目的としている。だが、今だかつて武辺の魔女が正調の魔女になれた例は無かった。


 正調の魔女と認められるには、ラピスを箒へと顕現させそれを用いて空を飛ぶ魔術を習得するのが必須とされている。しかしこれはかなり高度な魔術で、努力ではたどりつけない才能の壁があったのだ。

 武辺の魔女が扱える魔術は、ラピスを別の物に変化させる魔術と、マナを使って魔女服を作り出しそれを纏う基本的な魔術のみである。


 そのため、昔正調の魔女は武辺の魔女を同じ魔女と認めていなかったが、近年では正調と武辺の対立は無く、互いに良好な関係を築いた。

 楓の師、天坂夕月は、そんな経緯を持つ武辺の魔女であった。

 その天坂から剣を習うと言うことは、楓もまた武辺の魔女にならなければいけないということである。家族を失う前まではただ毎日を楽しく過ごすだけの少女だった楓には、未知の世界であった。


 魔女など、おとぎ話の世界の話である。それが実際存在するなど、楓の見てきた世界とはかけ離れていた。

 しかし現に、天坂は魔女服を纏って剣を振るう。その様は楓自身が目撃したことだ。

 天坂を師と呼びはじめ、彼女に従事してからもう二年……気が付けば楓は、一端の魔女としては認められるくらいにはなっていた。


 一時休憩する為、刀をもとのラピスに戻していた楓は、ラピスを握り意気を込めた。

 すると、膝丈のズボンと半袖のシャツを着ていた楓の姿は、瞬く間に魔女の格好になっていた。三角帽子に、黒を基調とした衣服。それを彩る群青色のケープ。その手には、刀がさげられている。

 魔女の叡智の結晶であるラピスを用いて、魔女は魔術という奇跡を引き起こす。楓が瞬く間に衣服を変えたのは、マナによって魔女服を作りそれを纏う魔術を使ったからだ。


 それは魔女にとって極基本の術であったが、楓はこの魔術を扱えるようになるまでに一年以上の時を費やした。高名な正調の魔女ならラピスを手にした瞬間に、平均的な武辺の魔女でも、数週間から数か月でこの魔術を会得するという。それを考えれば、楓はまさしく才能至らぬ者であった。

 魔女服を纏った楓は、また剣を振るい始めた。


 楓の打ち込みは、先ほどの単純な袈裟斬りの修練とは違い複雑な動きを見せた。八双から袈裟斬りを放ち、斬り下げた手の内を返しての切り上げ、そこから刀を手元に引き込んで霞中段に構えるや、迅速な刺突を放つ。放たれた刺突に遅れて、鋭い音が楓の耳をうった。


 刺突を放った後は、切っ先を下げて下段へと構え、手首を返し刃筋を上に向け敵手の裏小手を狙う切り上げを放った。そこからすぐさま左袈裟に斬り下ろし、右脇に構えての切り上げ。そしてまた八双に取り直し、剣筋を変化させ斜めから入り自身の正中線を通る軌道で斬り下ろした。


 この連続斬りは様々な構えから淀みなく斬れるようにと、天坂が楓に勧めたものであった。

 武辺の魔女の剣筋として、両手を頭上にあげて斬り下ろす真っ向斬り下ろしの形は存在しない。三角帽子の着用が古来からの魔女の様式であるため、帽子が邪魔で素肌剣術のような真っ向斬り下ろしはできないのだ。その代わりに、八双から正中線を通る剣筋があった。


 武辺の魔女にとって剣の鍛錬は、知覚、維持、精密というマナの基本技術を体得、熟練する為のものであり、純粋な斬り合いを想定したものではない。そのため、実践を想定した組太刀のような激しい切り結びよりも、機敏に構えを変化し剣筋の幅を広げていく鍛錬形が主流になっていた。


 楓が見るに天坂の剣は実際の斬り合いを想定した実践剣のようであったが、天坂は楓に己の剣を教えるのは余り気が進まないようであった。それは楓の非才さだけが理由ではなく、まだまだ小娘である楓は他者を殺める殺法よりも魔女として鍛錬する方が向いてるとの判断だったのであろう。


 様々な構えから繰り出される剣筋はそれだけで千変万化の幅を持つが、己と敵手の心理を含むと無限の広がりを見せる。一刀を振るえば振るう程その奥深さが垣間見え、楓は果ての無い道を歩いている気分になった。

 楓はひとしきり刀を振るった後、鍛錬を切り上げた。


 剣の鍛錬を終えた後は夕食を作るのがいつものことだった。天坂の家に住まわせてもらっているのだからせめてこのくらいのことはやろうと、彼女は自主的に家事を行っていたのだ。

 初めの頃と比べると、料理はそれなりの物になっていた。剣術よりも料理の方がまだ才能があると天坂に皮肉を言われたのが、ついこの間のことである。


 夕食の用意をし終えた頃にはすっかり夜になっていたが、家のどこを探しても天坂の姿はない。どうやら彼女はいつの間にか出かけていたようだ。

 しばらく天坂の帰宅を待っていた楓だったが、天坂が帰ってくる気配は一向にない。夜も更けてきた頃、しかたなく楓は一人食事を済ませて就寝した。


 結局その日、天坂は帰ってこなかったようである。その日だけでなく、その次の日も、また次の日も、天坂は帰ってこない。

 師が長期間家を留守にするのは、別に珍しいことではない。楓はそう思って、特に気にすることはなかった。楓は普段通り、朝から晩まで剣の鍛錬を行う日々を繰り返す。

 天坂が帰ってこない生活が何か月も続き、気が付けば季節は移り変わっていた。

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