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魔女の剣  作者: アーチ
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第四話 辻風2

 尾行が気づかれていたことに、楓は驚かなかった。老人は自ら人気がなく誰にも邪魔されないであろう場所を探しているように見え、もしかしたら気づかれているかもしれないと思ったのだ。

 これ以上隠れる意味はないと判断し、楓は木の陰から姿を現した。


 夕日を背に立つ老人の姿を楓は見た。髭を蓄え、顔には皺がはしり、そして屈強な体つきをした老人だった。逆光のせいでその姿は暗い影を落としているように見える。

 老人もまた、夕日に照らされる楓を見た。そして小さく溜息をついた。


「尾けられているとは思っておったが、こんな小娘だったとはな」


 ゆるりと笑いながら言う老人の声には、わずかに期待を裏切られたような色が混じっていた。


「不服そうだな」


 楓は硬い声音で聞いた。


「まあ、な。何やら殺気を持った者が追ってくるから期待したら、出てきたのは愛らしい小娘ときた。気が削がれるというものよ」

「……まあいい。あなたの心持ちなど私には関係ない。ご老人、私の用件は一つだ。……あなたが持つラピスを渡せ……いや、刀を渡せと言った方が分かりやすいか?」


 楓が言うや、老人はあからさまに破顔した。


「刀? 刀だと? 見ての通り、儂は空手よ。そんなものは持ち合わせておらん」

「……とぼけるのは感心しない」


 老人の言に、楓は不快感を露わにした。

 老人はまるで楓を馬鹿にするように哄笑し、射抜くような視線を楓に向けた。


「お前の言う刀とは、これのことか?」


 老人は手を宙にかかげた。その手の中には宝石が一つ。それは淡く光り輝き、瞬く間に刀へと変じていた。

 それこそがまさに、楓の求める刀であった。


「なぜこんな物を欲しがる。刀など、所詮は他者を殺める器具にすぎんだろうに」

「確かに、あなたの言う通りだ。だが、その手にある刀は尋常の物ではないと気づいているはず」


 楓に言われて、老人は数度頷きを返した。


「うむ、この刀、石ころからその姿を変えるというだけでも妖異だが、これを握っていると力に満ちる気がするのもまた妖しい。確かに尋常の物ではなかろうな」

「……わかっているのなら、おとなしく刀を渡せ」

「分かっているからこそ、渡せんなぁ」


 老人は口を邪に歪めた。それは楓の予想していた返答であった。

 すでにこの老人はラピスに魅入られているのだ。


「そもそも、なぜお前のような小娘に渡さなければいけない?」


 嘲るように問いかける老人に対して、楓はわずかに唇を歪めた。


「……それは私が管理しなければいけない物だからだ」

「ほう、なら、これが今儂の手にあるということは、お前の管理が行き届いてないからか」

「……っ」

「はっはっ、図星か」


 老人に挑発されながらも、楓は平静を保とうとしていた。


「……おとなしく渡す気は、ないの?」

「言わねば分からんのか?」

「そう、なら」

「なら?」

「力ずくで奪わせてもらう」


 楓は懐から宝石を取り出し、それに意気を込めた。変化は瞬き一つの間にすんだ。宝石はその姿を刀へと変えている。

 刀をしかと握る。剣形は……構える暇はほぼ無いに等しかった。

 老人は楓が宝石を刀へと変えるその瞬き一つの時を有効利用していた。


 老人はすでに一歩踏み込んでいる。刀を頭上に掲げる上段、真っ向斬り下ろしの形。このままでは楓の矮躯は頭頂から深々と断ち切られるだろう。そうなれば当然迎えるは惨死。ゆえに迎えうつ。

 老人の攻勢に対応するために残された時間は極々短い。薄紙がはらりと地へ舞い落ちる時間と競えるほどである。


 薄い時間。先を取られた形では、対応の幅も自然と狭まった。楓はいくつかの対応策を考え実行へ移す。

 楓が選んだ行動は、単純愚直なものであった。対敵の剣筋に、こちらの剣筋を交差させるように一刀を放つ。つまり一刀と一刀を打ちつけ合ったのだ。展開されるのは、力で勝るものが打ち勝つ粗雑な論理である。


 本来、それで負けるのは楓の方であった。体躯で劣る楓は、当然目の前の老人に力で劣るだろう。齢の影響を受けてはあろうが、それでも鍛え抜かれた肉体は見て取れる。小柄な楓がそれに打ち勝てる論理などないのだ。

 ……しかし、それを跳ね返す暴論があることを、対敵の老人は知らない。楓の風体は伊達ではなく、魔女には魔女の論理が存在するのだ。


 そもそも、今二人が扱う武器は尋常のものではなかった。それの扱い方を正しく心得ているのは、老人ではなく魔女である楓の方である。

 体格の劣勢を覆す方途があることを老人が知らないのであれば、この趨勢、制するは楓である。


 そうと信じて疑わなかった一刀。だが結果は……。

 噛みあった初太刀は中空を火花で彩り、共に弾かれ合う仕儀となったのだ。


「くっ……!」


 両手にはしった強固な感触に、楓は小さくうめいた。

 手ごたえは互角である。その事実に、楓は驚愕を禁じ得なかった。


「ほう……」


 驚愕は老人も同じだったらしい。彼は一刀が弾かれた勢いをそのままに、地をすべる様に数歩後ずさった。


「老人、あなたは……まさか」


 楓は驚愕をそのまま言葉にした。全く持って信じられないことだったがこの老人、その手にある刀……ラピスをある程度扱えるらしい。


「言ったであろう、この刀を握っていると力に満ちる気がすると。気のせいではなく、事実のようだがな」


 ラピスは、魔女の叡智の結晶と言い変えても過言ではなく、ただの武器とは一線を画す物であった。

 ラピスの本質は、常人では感じることのできない力を知覚させ、それを制御することにあった。

 その力の名をマナ。見えざる神秘の力である。


 以前楓が武田善之という名の快楽殺人者と対峙した際、力で劣るはずの彼女がその条理を捻じ曲げたのもこのマナによる恩寵の賜物であった。

 驚愕を隠せない楓を前にして、老人は朗らかに笑った。


「驚いたのは儂も同じよ。いや、確実に斬れると思ったのだがな……儂も老いたということか。小娘、名は何と言う?」

「……朝比奈楓」


 楓は憮然とした表情で答えた。


「楓、か。いい名だ。儂は吹石。吹石徹よ」


 やにわに楓の名を聞き、また自ら名乗りだす老人吹石の意図を理解できず、楓は軽く小首を傾げた。


「名乗ってどうするつもりだ?」

「いや、なに、果し合いと言えば尋常な名乗りから始まるものと相場が決まっているだろう」

「先に一刀を打ち込んでおいて、今更作法を気にするのか?」


 楓に言われて、だが吹石は不敵に笑った。


「さっきのは試しにすぎん。儂はな、飽いておったのだ。この刀を手に入れて、何人斬っただろうか……どいつもこいつも、儂に歯向かうこともできず一刀の元に倒れおったわ。だが儂が求めていたのは無抵抗な者を切り捨てることではない。身につけた術技を存分に振るう相手をこそ、求めていたのだ」


 先ほどの楓との応酬を思い返してか、吹石は喜色を浮かべた。


「小娘と侮った非礼を詫びよう。先ほどのお前の一刀はまさしく人を斬り殺すための一刀だ。ああも見事な殺人剣を振るえる相手とまみえるとは、心が騒ぐわ」

「……私としては、侮ったままでいて欲しかったが」

「ふふ、人生とはままいかぬものよな。では、あえてこう言わせてもらおう。吹石徹、参る……!」


 吹石の体が躍った。吹石が一歩踏み込み、離れていた楓との距離が一気に縮まる。一足一刀の間合いで更に吹石は地を硬く踏みしめ、殺刃を振るった。

 楓はその右袈裟の一刀にわずかな奇妙を抱いて、左後方へ身を逃がして距離をとった。避けた隙に反撃を、などと調子の良い空想は空想のままに打ち捨てた。もしそんなことを実行していたら、今首筋を掠めた返しの一太刀で楓は血だまりに沈んでいたはずだ。


「かからぬか」

「……っ」


 楓は思わず舌打ちをついた。それは吹石のペースにのせられている証拠でもあった。

 吹石の先ほどの袈裟斬りは鋭さと疾さを兼ね備えていた。だがそこに込められていた剣理は、一太刀で敵を断つ剛の理ではなく、次手に備えた柔の理であった。

 つまりは、袈裟斬りを避けられるのは計算の内。一太刀目は囮であり、本命は二の太刀にあったのだ。


 吹石は、右袈裟斬りを放った次の瞬間には左脇に構えて、車輪を回すような運剣で楓の喉を狙う左袈裟斬りを放っていたのだ。もし楓が袈裟斬りを避けられた吹石の居つきを狙って一刀を放っていたら、その先を制される形で喉を斬り裂かれたことだろう。

 楓が吹石の剣理に気づけたのは、自身の非才さを素直に受け入れていたからであった。


 老人の技量が高いことは、対峙した時に実感していた。才に恵まれぬ楓とは物が違うのだと。

 しかし先ほどの一刀は妙に避けやすかった。だけでなく、反撃する有余まである始末。本来敵方の一刀を体捌きで避け、生じた間隙に一刀を加えることなどそうそうできることではない。実力で劣るのならばなおさらである。

 楓が抱いた奇妙とは、まさにそれであった。目の前の餌よりも違和感に身体を任せ、距離をとった。己の非才を知るからこその判断であった。


 ――この老人、強い……単純な剣碗ではおそらく、私が知る人の中でも高い位置に居る。


 楓は心中で感慨を新たにした。

 おそらくはこの吹石、その剣技においては楓の師に近い実力を持っている。ならば、単純な剣技の競い合いでは付け入る隙はほぼ無いだろう。楓はそう考えた。

 加えて、楓が見るに吹石はマナによる身体強化に至っている様子である。


 ラピスによるマナの制御には、主に三段階あった。

 一つは知覚、二つめに維持、そして三つめが精密。知覚にて大気を漂うマナを感じ取り、維持にてマナを体に纏わせて身体強化に至り、精密にてマナを効率よく扱う。魔女の基本技術である。


 これらの制御が魔女の基本ではあるが、それを行えるようになるまで人によっては長い鍛錬を必要としていた。楓は二つ目の維持を滞りなく行えるようになるまで、一年以上の時を費やしていた。

 対敵の吹石は驚くことに、維持を見事に行えている。ラピスを手に入れてほんの数か月程度でそこまで至れるのは、まさに才能によるものだった。


 楓と吹石の才能差は絶望的な開きがあるものの、今楓にとって重要な情報は彼が維持に至っているということだけである。それはつまり、楓と吹石の身体能力に大きな差はないということだ。

 武田善之と戦った折は、この身体強化による恩恵にてやすやすと勝利を納めることができた。しかし、今回はそうもいかない。


「シッ!」


 吹石が呼気を吐きだし、また楓に斬りかかる。意気が乗る、一刀一殺の剣。


 ――だが、吹石……あなたは知らない。


 吹石の動きを見て取り、楓は遅れて動き出した。自身の剣筋を、相手の剣筋に交差させる軌道で一刀を送る。それはつまり初太刀の応酬、その写しである。

 その結果はすでに知れていた。ならば勝負は、一刀が弾かれた後どちらが先に体勢を整えるか、あるいは弾かれた勢いをどう利に変えるのかである。


 吹石はすでにその意図を悟り、来るべき衝撃に体と心を備えていた。彼は一刀が弾かれる勢いを使って刀を取り回し、返す一刀で楓を斬るつもりだ。次手の備えが両者にあるのならば、事態は技量優れるものが制することだろう。技量に勝るのは当然のことながら、吹石であった。


 やがて訪れる結果は魔女楓の敗北であり、老人吹石の勝利である。論理がそう説いているのだ、誰がそれを否定できようか。


 ――マナの制御においては、あなたより私が勝っている……!


 しかしながら所詮それは人の論理。魔女には魔女の論理があるのだ。

 一刀と一刀が交差し……楓の刀が吹石の刀を一方的に弾く仕儀となった。


「ぬぅっ!?」


 想定していたよりも大きく刀を弾かれ、吹石は衝撃をいなせず体勢を崩した。対して楓の体に乱れはない。これは彼女が予想した通りの結果なのだから。

 剣術で後れを取ろうと、マナの制御については楓に一日の長があった。彼女はすでに三つめ、精密の域に至っているのだ。


 精密にてマナを効率よく扱えるようになれば、刀が交差するほんの一瞬にマナを刀身に集中させ、剣撃の威力を高めることができるのだ。

 初太刀の際は楓にマナを精密制御する余裕がなく互角の結果となったが、今は違う。初太刀の結果をそのまま受け入れた吹石は楓の一刀の威力がここまで高まるとは予想になかった。実力に劣っていても、その心の差により楓は有利となる。


 しかして、今は好機。楓は刀を右肩に担ぐように構え、一息に斬り下ろす。

 狙いは左肩。容赦ない剣撃は確かに吹石の戦闘能力をはく奪するに値するものであった。

 恐るべきはこの吹石である。体を崩し、絶体絶命の窮地にありながら、判断に遅れは無かった。


 吹石は崩れた体を無理に戻そうとせず、むしろ崩れる勢いに乗り、大きく後方へと跳び下がって退避した。無論体勢を制御できないままの回避行動では、楓の一刀を完璧に回避とはいかなかった。楓の一刀は肩口を掠め、皮肉を抉り取る結果に終わった。


「ぐっ……む」


 ――浅いっ!


 刃先は吹石をとらえはしたものの、ただ掠めただけでは意味がない。幸いなことに、無理な回避により吹石の足元は今おぼつかない。まだ、楓に勝機はあった。

 楓は一直線に吹石との距離を詰め、一足一刀の間合いに至って剣形を右脇へと変え、攻勢にうつった。

 右脇からの切り上げ……と見せかけて、楓は身を深く沈ませて虚をついた。狙いは足元である。


「ぬっ、うぅっ!」

 足取りがおぼつかない状態で更に虚をつかれながらも、吹石の反応は鋭敏を極めた。剣気を察知しその場から大きく跳ねて後ろへ下がった。


 しかし楓の一刀は執拗である。楓は瞬時半歩踏み込んで薙ぎ払いの一刀を返した。

「ぐおぉっ!」

 楓の一刀が吹石の左足に食い込み、彼は苦悶の表情を浮かべた。

 跳びのかれたせいで吹石の足を斬り断つことはできなかったが、刃先が骨を斬った感触が楓の手に伝わった。


 骨肉を断たれた吹石は満足に着地できず、そのまま膝から崩れ落ちた。

 進退ついに窮まった。足を奪われてはこの勝負、吹石の逆転はもはやない。

 楓は迷わず吹石に詰め寄り、決着つける一刀を放つ。

 狙いは、今度こそ肩。吹石はもう避けることができない。


 しかし彼は、ここにきて勝負を諦めていなかった。楓の一刀に交差する軌道で刀を送りだしたのだ。ここにきて三度目の初太刀の応酬であった。

 しかし、上半身だけを使っての剣撃など、語るまでもない威力である。そもそも、マナの精密運用ができない吹石は、剣撃の威力で楓に勝てる道理がないのだ。


 吹石の一刀は弾かれ、楓の一刀が勝負を制するのが道理である。楓の勝利はもはや必然であるが、彼女は吹石の最後まで勝負を諦めない意志に敬意を抱かずにはいられなかった。

 今や足を崩した吹石は決死の表情で刀を繰り、対して楓は冷徹さを瞳に宿して一刀を繰る。

 一刀と一刀が交差するその瞬き一つの時間。


「魔技、辻風」


 聞こえた呪いの言葉に、楓は我が耳を疑った。

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