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魔女の剣  作者: アーチ
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第十八話 剣鬼1

 楓は以前と同じく、かつての生家の裏手側から森の中に入っていった。


 森の中には夜魔の眷属が放たれているかもしれないと覚悟していたが、そのようなことはなく静寂だけが楓を包み込んだ。

 そしてついに楓は、天坂に斬られたあの場所へとやってきた。そこで待っていたのは意外なことに小鴉であった。

 楓は怪訝な表情をして小鴉と対面した。


「やはり、貴様が来たか……ああ、来ると思っていたぞ、朝比奈楓」


 小鴉の射抜く視線が、楓を貫く。しかし楓はそこに込められた殺気を受け流して口を開いた。


「小鴉、だったか。てっきりあなたもその結界……あなたの魔技の中に引きこもっているものと思っていたが」


 小鴉は、小さく鼻息を鳴らした。


「あれは俺を守るための魔技ではない。この身を守るのは魔技陽炎で事足りる。……この俺は逃げも隠れもせん」


 殺気を孕んだ言葉が、楓に届いた。俺を舐めるなと、小鴉が言外に匂わせていた。


 ――なるほど、小鴉がここに居るのも時間稼ぎの一環か。


 魔技朧の中に全員が隠れれば、外からの干渉を邪魔することはできない。正調の魔女が朧の結界を破りにくれば、黙って見ているしかないのだ。

 この結界を打破するには正調の魔女数人がかりで数時間、あるいは数日ほどかかるのかもしれない。しかし、邪魔するものがいなければその作業は比較的容易であろう。


 ……だが、小鴉が朧の外で待ち構えていたらどうか。結界を破りにかかる魔女を彼自身が攻撃して邪魔すれば、更なる時間稼ぎができる。

 もちろんその策にはリスクもあるだろう。朧が小鴉の魔技である以上、彼が死ねば共に雲散霧消する可能性が高い。逆に魔女たちは小鴉を全力で倒しにかかる可能性もあった。


 しかし、小鴉自身の防御も陽炎という魔技によって完璧を期している。多くの魔女が束になっても、あの防御を突破できるだろうか。

 現状の悪辣さに、楓は溜息をつきたくなった。


「……ここであなたを斬れば、あの結界は解けると見て間違いないか?」

「察する通りだ。くだらん魔技だろう?」


 小鴉は笑った。自嘲の笑い声すらも、どこか薄気味悪かった。この男の雰囲気にのまれないよう、楓は強く心を保った。


「さっき、私が来ると思っていたと言ったな。どういう意味だ」


 楓の問いに、小鴉はしばし沈黙した。


「しいて明確な理由があった訳ではない。ただの勘だ。貴様は来ると、俺の勘が告げていた。あのような目をするものが来ないはずがないと、そう思っただけのことだ」

「……目?」


 小鴉の言っている意味が分からず、楓は少し首を傾げた。


「あの時、天坂に見せた貴様の目だ……自分でも気づいてないのか? あの時の貴様の瞳、この俺ですら背筋が凍った。朝比奈楓……貴様は剣鬼だ」

「……剣鬼? 私が?」


 思いがけない小鴉の言葉に、楓は失笑した。


「師の……天坂夕月の同朋なら、私が彼女から才能が無いと評価されたことを知っているだろうに。私が剣鬼とは……それはさすがに身に余る評価だ」

「剣の腕が問題なのではない。剣に優れているものは皆剣鬼か? 違うな、剣鬼とは、剣を執って、剣以外を意に介さぬ者のことを言う。貴様、今まで何人斬り殺してきた? 殺してきた奴らの死に心を痛めたことはあるか? ないだろうな。故に貴様は剣鬼。剣を執れば自身の生も死も他者の生も死も意に介さぬ、剣の鬼だ」

「……」


 楓は小鴉の言葉に沈黙を返した。言われてみれば、他者を殺めるということに強く心を乱したことがあっただろうか。

 武田善之、吹石、その他多くの者達。ラピスを用いて狂気に染まった彼らを殺すのに、どうして心を苛まれようか。

 楓はそう思っていた。だが、それは他者からすれば、奇異にうつるのだ。


 善行を積んだ者でも悪行を積んだ者でもその死は等しく、死が他者に与える影響もまた等しいのだ。他者の死には、大なれ小なれどこかしら感じ入るものがある。自身の手を汚したとあらば、それから逃れることはできない。

 だが朝比奈楓は、他者の死を黙殺することができた。それは自分が手を下した相手でも変わらない。


 剣鬼となぶられるのも仕方がない。楓はそう思った。他者の死に強く心を騒がされない訳を、彼女は知っていた。

 朝比奈楓は、常に夢を見る。それは目を覆いたくなる惨劇だった。愛情に溢れた一家が一夜にして血と絶叫の地獄に叩き落された時の夢だ。


 目の前で、両親が食われていた。地の底から這い出てきたとしか思えぬ化け物が……夜魔の眷属が両親を殺し、その死体を楓の目の前で食っていたのだ。

 目をつぶっても、その光景は決して消えない。なぜならばそれは夢だからだ。夢の中で目をつぶろうが、夢は終わらない。


 家族を失って二年。その間楓は、眠りにつく度にその地獄を目の当たりにしていたのだ。この世で何よりも大切だった人達を、夢の中で何度も失った。彼女の心はもう、死に慣れ親しんでいた。


 ――私が、剣鬼だと? そうだとすれば、そうしたのはお前達だ。


 家族の死には、天坂が関わっていた。ならば当然、伏倉とこの小鴉も関わるところだろう。

 楓は強く奥歯を噛みしめた。自身の運命に纏わりつく影の正体が、おぼろげながら見えた気がした。


「言いたいことは、それだけか?」

「……」

「あなたは……私が斬る」


 ラピスに意気を込め、楓は刀を顕現した。その小さな手には一刀がさげられ、楓は八双へと構えた。刀を構えれば、心から多くのものが取り払われていく。楓の心に残ったのは、目の前の相手を斬る、その一念だけだった。

 小鴉は、構える楓を見て薄く笑った。やはり貴様は剣鬼だ。小鴉の目が、楓にそう言っているようだった。


「一つ教えておいてやる。俺の名は小鴉隼人。その名を持って冥土に行くがいい」


 小鴉は野太刀を顕現させ、その手に握った。そして大きく足を開いた脇構えをしてみせた。それは、あの時の勝負と全く同じ様相だった。

 八双で隙を伺う楓と、脇構えで楓を監視する小鴉。楓は緩く右転し、小鴉もそれに合わせた。


 小鴉は、楓の右転にわずかに遅れる動きを見せていた。あれは罠だ。楓はそう看破していた。

 楓はこの男の戦術をその身で味わい、その剣理を理解していた。わざと相手の動きに後れ、相手を誘い込む、蜘蛛のような理合を小鴉は使うのだ。


 つまりはこうである。まずは間合いで勝る野太刀を見せ、間合いに劣る敵方を攻めあぐねさせる。すると敵方は隙を見出すために足を運び、側面を取ろうとするだろう。そこでわざと、側面に回り込む敵方の動きに遅れる形で構えを崩す。それこそが罠。

 小鴉の魔技、陽炎。彼の身を包む高密度のマナは剣撃を防ぐ鎧の役目を持っている。敵の一振りなど恐れるところではない。ゆえに、あえて敵の一刀を誘うのだ。


 わざと隙を見せた小鴉に向かって敵が渾身の斬撃を放ち、陽炎で刀を阻まれ体と心が居ついた隙を野太刀の一閃で斬り払う。魔技という条理を脱した技を活かした、見事な戦術であった。

 しかしそこに、付け入る隙はある。この戦術は、敵の一刀を陽炎で阻むことが肝要である。しかしそれこそが明らかな欠陥だった。


 なぜならば、陽炎を打ち破る強烈な斬撃を相手が持ち合わせていれば、反撃する間もなく斬られて果ててしまうからだ。この欠陥はもちろん小鴉も知っているはずだ。それでもなおこの戦術を用いるのは、己の魔技を余程信頼しているからだろう。

 事実、小鴉の陽炎は楓の渾身の斬り込みをものともしない強固なものだった。楓が勝利するには、この陽炎をどうにかして攻略しなければならない。


 楓は右転しながら、慎重に間合いをとっていた。今楓の一刀が届く間合いは問題ではない。問題は、敵の間合い。敵の野太刀が楓の体を十分に切り裂ける間合いを、楓ははかっていた。

 小鴉の戦術を考えた時、楓に引っかかるものがあった。それは、この男が魔技陽炎で刀を阻むまで動かないということだった。甲冑をも超える絶対の防護で身を包んでいるのなら、相打ちをものともせず打ち込んでくるのが有利なはず。しかし小鴉はそれをしない。


 ――陽炎の防護は、動いている最中は薄まるのだ。


 そのことから、楓はそう判断した。小鴉の攻撃動作中こそが必勝の機である。

 問題は、いかにしてその必勝の機を得るかということであった。小鴉は脇構えで楓の打ち込みを待ち受ける風である。楓の一刀を待ち受けているのならば、彼から先に仕掛けることはまずないだろう。


 ……しかし楓は、野太刀の間合いに踏み込めば小鴉は斬ってくると確信していた。

 理由の一つは、小鴉の戦略をすでに楓が知っているからだ。陽炎の防護を完璧と信仰していようが、すでに一度試みた術策を同じ相手に用いるとは考えにくい。この男が、楓が陽炎を打ち破る術を持っていないと安易に考えるとは、どうにも思えなかった。


 また、小鴉の見た目の剛毅さとは裏腹に用いる戦術がかような搦め手ということも、楓の考えの理由になっていた。楓と初めて戦った時と同じような状況を再現する動きには、裏があるとみるべきだろう。


 ――奴は来る。私が踏み込めば、斬りに来る。


 野太刀の間合いに踏み込み、小鴉の斬撃を避け、陽炎の防護が薄まる瞬間を斬る。楓の勝機はそこにしかない。敵方の剣を避けつつ斬る、達人の妙技を実践しなければ、勝つ事は不可能だ。

 そして、間合いに踏み込んだ時に放たれる小鴉の斬撃に、半端なものはないだろう。小鴉は以前、楓に魔技不知火という技を見せている。あの尋常な一剣では為し得ぬ威力の斬撃。おそらくは、あれが来る。ことここに至って、小鴉が手加減をする必要はどこにもない。


 楓の心中がざわざわとさざめいた。あの魔技が来るのなら、仕損じれば即死は免れない。その強烈な緊迫感から、楓は吐き気を催した。それを必死に飲み込み、楓は心を決めた。


 ――マナだ。周囲のマナに、集中しろ。


 敵が不知火を使うとすれば、小鴉が纏うマナに変化があるはずだった。マナの微かな揺れ動きにだけ意識を集中し、魔技が発動する瞬間を察知することが勝利への道程である。


 しかしそれだけではまだ足りない。小鴉の一刀を避けるには、彼が放つ剣筋を見極めなければいけなかった。右脇構えから繰り出せるのは何も脇腹を狙った単純な切り上げだけではない。剣筋を変化させ股間を狙ったり、小手裏を斬ったり、はたまた車輪を回すような運剣で袈裟に斬ることもできる。魔技の発動の瞬間を見切っても、この剣筋を見極めなければ勝つ事は不可能である。


 小鴉の間合い。それは死地であった。そこに踏み込むには、生への執着心を捨てなければいけない。死を受け入れた心でなければ、決して入り込めない。


 ――斬る。それだけでいい。それだけを、考えろ。


 決死の思いで、楓は野太刀の間合いに踏み込んだ。


「魔技、不知火」


 小鴉の野太刀が、はしった。


 ――見切った!


 その瞬間、楓は更に体を推し進めていた。小鴉の魔技不知火が発動する瞬間を、楓はしかと捉えていた。

 小鴉の体を取り巻くマナ。それにだけ集中していた楓は、剣撃を交わす刹那に不思議な感覚を抱いていた。小鴉が動くよりも先に、マナが揺れ動いたのをはっきりと知覚したのだ。それは魔技不知火を発動するマナの動きよりも早かった。まるで、マナが小鴉の意志に反応したかのようだった。


 知覚、維持、精密。マナの基本操作技術であるこれらに熟練すれば、マナの細かい動きを察知できるという。生と死の狭間で、朝比奈楓はついにその境地にたどりついたのだ。


 ――右脇からの、切り上げ!


 小鴉の体を取り巻くマナが、楓に彼の動きを教えてくれる。楓は、小鴉の剣筋を見切ったのだ。

 楓は一歩を踏み込むと同時に剣形を右脇に変え、深く沈み込んだ。三角帽子の先端付近に小鴉の野太刀がかすったのを感じた時には、楓の剣がはしっていた。小鴉の切り上げを抜きつつ放たれた楓の切り上げが、彼の体に食い込む……その瞬間。


 楓は驚愕に目を見開いた。揺らめく黒炎めいたマナが、楓の剣を阻んでいたのだ。


 ――そんな!?


「ぐあっ!」


 驚愕した瞬間に楓は強烈な衝撃を感じ、思わず後ろへ飛び下がった。

 不知火の切り上げを避けられた小鴉が、剣の勢いを利用した回し蹴りを楓に叩きつけていたのだ。


「侮ったな」


 含み笑いをしながら、小鴉は楓に言葉を投げた。


「俺が動いた時……あるいは、不知火を放った時、陽炎を維持することはできないと踏んだのだろう? 生憎、俺の魔技にそのような死角はない」

「くっ……」

「はなから貴様に勝ち目はなかったのだ、朝比奈楓。だが俺の剣を見切って打ち込んできたのは見事だったぞ。次で、仕留める。その剣に満足して死ね」


 言うなり小鴉は野太刀を引き、右肩担ぎに構えた。そのまま開いた間合いを詰めにくる。

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