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魔女の剣  作者: アーチ
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第十六話 邂逅3

 伏倉は音もなく刀を顕現させ、飄然と立っていた。その姿に戦意は感じられない。それが楓には恐ろしかった。

 刀を持ち対敵を斬らんとする者は、心のどこかに気負いがある。それは殺意であったり、相手を侮る心だったりと様々だが、今伏倉にはそれがない。


 無である。あるいは空と呼ぶべきか。伏倉は我に依らず刀を振るえる、恐るべき剣客であるのだ。

 黒衣の男と魔女殺し、この二人と相対して生きて帰るというのは虫が良すぎる。楓はそう感じていた。


 この状況、どうにも覆しようがない死地なのは疑いようがなく、楓は全てを諦めて膝をつきたい心地だった。

 しかし、まだ望みはあった。紅音は一足先に美景に助けを求めにいっている。時間さえ稼げれば、二人が助けにやってくるはずなのだ。


 とはいえ時間を稼ぐにも攻気を見せなければ一方的に攻め立てられてしまう。実力が上の相手複数人に斬りかかられれば時間を稼ぐどころの話ではない。すぐに斬られて果てることだろう。


 こうなれば乾坤一擲、身命を賭けて一刀を打ち込み形勢逆転に賭けるほかなかった。相手を倒せずとも体勢を崩したり隙を生み出せればそれで良し。その隙に逃げ出せれば大きく時間を稼ぐことができる。

 ならば問題は、どちらに向かって渾身の一刀を放つかである。

 徐々に距離を詰めてくる伏倉が、口を開いた。


「一つ忠告してあげるわ。命を賭けるなら彼ではなく私に斬りかかってくることね。あなたでは小鴉の陽炎は破れなくってよ。まだ私を相手にする方が生き残る確率は高いと思うわ」

「……伏倉、貴様そう簡単に人の技を喋るな」

「いいじゃない別に」


 黒衣の男……小鴉と呼ばれた彼の殺気を暖簾に受け流しながら伏倉が飄然と微笑む。

 この二人の独特の空気に、楓はついていけなかった。


 ――陽炎とは、以前私の剣を阻んだ魔技のことか。


 もしそうであるなら、伏倉の言う通りだった。小鴉の魔技の一つ陽炎。あれを斬り破る術を持たないのならば、小鴉相手に乾坤一擲を望んでも無為に帰す。

 しかしながら、それは伏倉を選んでも同じことではないだろうか。楓はそう思った。


 一見して、伏倉の実力は自分よりもはるかに上だと楓は感じ取っていた。飄然とした立ち振る舞いの中に隙を見出すことはできず、どのように斬りかかっても先に自分が斬られてしまうイメージが払拭できない。

 自然と、楓は後ろに下がっていた。乾坤一擲の一刀を仕掛けることもできず、二人の剣客を前に死に体となりつつあった。


 ――このまま死に体を晒していたら斬られる……こうなれば破れかぶれだ。先手を取って斬り込んでやる。


 覚悟を決めた楓の表情を読み、伏倉がやんわりと微笑んだ。その何気ない笑みに、楓はぞっとした。まるで心中の全てを見透かされているようだった。

 無謀な一刀を放とうとする楓の決心すらも、伏倉の眼差しが射殺していた。

 だが、ついに楓が攻め入る機がきた。


「……? あら、あなたまで来たの?」


 伏倉が突如背後に視線をやったのだ。背後からくる何者かに気を取られたらしい。


 ――今だ!


 その時楓は弾かれたように動いた。伏倉の態度から彼女の背後からやってきたのは新たな仲間なのだろうと察せられたが、そんなことに頓着せず楓は渾身の一刀を放っていた。

 この瞬刹の時に余分な思慮はいらない。伏倉を斬るのだ。魔女殺し伏倉響目がけて放たれた一刀は、見事な袈裟の軌道を描いていた。

 しかし、背後を見て隙だらけのように見えた伏倉の刀が、楓の剣撃に合わせるように閃き、楓の刀を弾いていた。


「くっ……!」

「良い太刀筋だわ。でもちょっと焦りすぎじゃないかしら?」


 弾かれた衝撃をいなさず楓は跳び下がった。あのまま続く二太刀目を放とうとすれば先に伏倉の刀が楓を斬っていたことだろう。

 そして楓の一刀が引き金となって、小鴉も動き始めた。跳び下がった楓目がけて小鴉の野太刀がうなりをあげる。


 右側面から迫りくる野太刀による袈裟がけの一刀に対して、楓は右肩を引いて応じた。野太刀の切っ先が胸を浅くかすめ、楓は冷えたものを心臓に抱いた。

 楓は視界の端で、伏倉まで動き始めているのをとらえた。右肩を引いたため、前方に小鴉を置き伏倉を左手側としているこの形状。二人の動きを同時にとらえるのは困難であった。


 小鴉は躱された野太刀を取り回し、左袈裟斬りを見舞おうとしている。伏倉は無構えで間合いを詰めにきていた。


 ――どうする? どうすればいい!?


 楓は狂乱する一歩手前だった。目の前に死が迫ってくる。どう動こうが生を得られる気がしない。今まさにここが死地であった。


 ――師匠、あなたならこの時、どうしますか。


 追い詰められた楓が最後に縋ったのは、楓の心の中に残る師、天坂の幻影だった。縋りつく楓の心に応えたのか、天坂の姿がまざまざと楓の視界に浮かびだした。


 ――え……?


 楓は呆気にとられた。目の前に……師の姿が浮かんでいるのだ。いや、浮かんでいるのではない。これは幻影ではなく、確かに師がそこにいた。

 小鴉の左背後、森の奥に天坂夕月が立っていた。その手に刀を持ち、楓を見ている。

 楓は息をするのを忘れていた。今まさに二人の剣客に迫られているという時に、目が師の姿に釘付けになっていた。

 ゆらりと、天坂の刀が動いた。彼女は八双に構えている。


「魔技……」


 ふと、楓の耳にそんな声が聞こえた。小鴉ではない。魔女殺しでもない。しかし聞き覚えのある声が、確かに魔技、と言った。その下に続く言葉を聞くよりも早く、楓は強い衝撃を感じた。

 何かに押し出されたかのように、楓は数度たたらを踏んだ。その直後、手足の力が急激に抜け落ち刀を取り落として地にへたりこんだ。そこでようやく、楓は自分の体の異常を知った。


 左肩口が、斬られていた。即死していないことから、心臓まで達していないと分かるが、これは十分致命傷に成り得る傷だった。そこからおびただしく血が溢れ、同時に体温が失われていく。

 痛みは遅れてやってきた。同時に楓の体から力が抜けていった。


「あ……」


 何が起きたのか。楓の目は、しかとそれをとらえていた。

 遠間にいる天坂の刀が閃いたと思ったら、楓の左肩口が切り裂かれたのだ。楓はこの一刀に覚えがあった。


 ――これは、師の、魔技……空澄の太刀!


 魔技空澄の太刀。楓は一度、それを目にしたことがあった。

 師が語った空澄の太刀の要諦は、マナを使った斬撃を遠距離に発生させるというものであった。剣は通常刃尺の届かない距離は攻撃できない。しかし空澄の太刀は刃尺を超えた遠距離攻撃を可能とする恐るべき魔技だった。


 しかし天坂は、己の魔技を児戯と評価していた。この魔技は、魔術の劣化に過ぎないと天坂自ら楓にそう言っていたのだ。

 今、空澄の太刀をその身に浴びた楓は、決して児戯ではないと思っていた。一刀の間合いを超えた斬撃は、渾身の斬り下ろしよりも遥かに威力が高く、高い防刃性を誇る魔女服を切り裂いて楓の左肩口を深々と斬っていたのだ。


「あーあ、私の得物だったのに、横取りはひどいわ」


 地に倒れ込んだ楓の惨状を見て、伏倉は言った。


「今は遊んでいる場合ではない。正調の魔女が何人かここに飛んできているぞ。もう間もなく来る」


 天坂の淡々とした声が、楓の耳に届いた。今さっき弟子である楓を斬った彼女は、そんなことに全く頓着していなかった。


「そこの小娘以外にも魔女がいたか」


 小鴉が舌打ち混じりにいった。伏倉は楓を見つめて笑った。


「ついに気づかれちゃったのね。ふふ、お手柄じゃないこの子」

「笑っている場合か」


 天坂が伏倉をたしなめる。その様子を霞む目でとらえて、楓は天坂こそが彼らの主導者であることを知った。


「それにしても、斬っちゃってよかったの? この子って確か、あなたのお弟子さんじゃなかったかしら?」

「ふん、何を言っている。貴様もこの小娘を殺すつもりだったろうが。それに、私の弟子であるならば私自ら手を下すのが筋だろうよ」


 不愉快そうに天坂は答えた。

 天坂が、斬られて目が虚ろになっている楓に向かって歩き出した。


「し、しょう……なぜ……」


 侮蔑するような表情を浮かべた天坂が、楓の前に立っていた。


「めでたい小娘だ。斬られてなお、私を師と呼ぶのか?」

「私……私、は……」


 奪われたラピスを取り戻すために戦いの日々を繰り返した楓は、血の気の失せた顔に絶望の色を漂わせていた。

 小鴉がいつから天坂と組んでいたのかは知らない。だがもしかしたらあの日、小鴉がラピスを奪いに来たことも天坂の策略だったのかもしれないのだ。

 そう思うと、楓の心の中に空疎な風が吹いた。


「あわれな娘め。放っておけば普通の暮らしに戻ると思ったが……魔女として生きることを選んだか」


 天坂の言葉には確かな侮蔑が浮かんでいた。しかし、馬鹿な生き方をした楓のことを憐れんでいるようにも思えた。少なくとも、楓には天坂の顔にそんな色が見えた。


「せめてもの情けだ。私が止めを刺してやる」


 空澄の太刀を受けた衝撃で落とした楓の刀を掴んだ天坂が、その鋭利な切っ先を楓の喉に向けた。


「楓、最後に一つだけ、教えてやろう」

「……」

「お前の両親を殺した夜魔の眷属……あれに肉体を与えたのは、私だ」


 陽光を照返して妖しく輝く刀身が、突如閃いた。楓の喉を狙って、最短距離を突きにくる。

 だが、切っ先は楓の喉を貫かなかった。

 喉を突きにかかった刀身を、楓の右手が掴んで押しとどめていたのだ。


「……お前、が……!」


 怨嗟の声が、楓から漏れ出ていた。天坂の言葉を聞いた時、力を失っていた体が弾かれたように動き、死を告げる一刀を掴み止めたのだ。

 憎悪が楓の体を支配する。燃えるような怒りではない。静かに、水に濡れた刀身のような冷ややかな殺意が、今楓の心中に溢れていた。


「……ッ」


 ほんの一瞬、天坂が息を詰めた。

 楓の目が、天坂を真っ直ぐ見つめていた。その目の奥にあったのは、怒りでもなく、悲しみでもない。ただ底冷えする冷気だけがそこにあった。

 楓のその目は、天坂だけではなく伏倉も、小鴉も見ていた。

 小鴉は括目して楓のその目を見て、伏倉は喜色の気配を浮かべていた。


「……良い目だ」


 天坂の腕に力がこもった。刀身を掴む楓の手の平を切り裂きながら、ゆっくりと切っ先が楓の喉に向かってくる。

 ついに楓の喉に切っ先が達しようとしたその時、天坂は突然刀から手を離して跳び下がった。

 その次の瞬間には、天坂が先ほど立っていた場所にいくつもの氷柱が突き刺さっていた。正調の魔女が扱う魔術によるものである。


「あら、お客さんね」


 伏倉は何の気なしな、緊張が解けた声をあげた。

 その声を追いかけるように、上空からいくつかの影が落ちてくる。

 音もなく着地した者たちが、天坂ら三人をねめつけた。

 この修羅場の地に降り立ってきたのは、美景と紅音、それと数人の魔女だった。

 美景と紅音の目が楓の姿をとらえて、彼女たちの唇がつり上がった。


「その子から離れなさい!」


 美景の怒声が響いた。しかし、天坂らはその怒りを受け流す。

 伏倉に至っては、苦笑していた。


「驚いたわ。それだけの戦力で私を相手取ろうというのかしら? 舐められたものね」

「……! お前は、伏倉っ!」


 伏倉の姿を見た美景は、普段の彼女からは考えられないような荒げた声を出していた。

 そんな美景のことを伏倉が興味深げに見ていた。何か、記憶の内を探っている様でもあった。


「……あら、あなたもしかして、一葉美景かしら。そうよね見覚えがあるわ……ふふ」

「覚えていてくれて光栄ね」

「ええ、そう簡単に忘れたりしないわ。ふふ……私が斬ろうと思って取り逃がした得物はそう多く無いもの。いいお友達に恵まれたわね」

「……っ!」


 伏倉に言われた何かが、美景の琴線に触れたようだ。彼女は明らかな怒りをその顔に浮かべていた。


「ふふ、いやね、そんな怖い顔をしちゃって……私を殺したいって顔をしてるわ」

「……ええ、出きればあなたの顔を消し飛ばしてやりたいわ」

「あらそう、じゃあここで私と戦う? 私は一向に構わないけど……」

「伏倉、お前には悪いが遊んでいる暇はない。魔女共に気づかれた以上、計画通りにしてもらう」


 一触即発の空気になりかけた伏倉と美景の会話に、天坂が割り込んできた。

 伏倉は溜息をついて、残念ねと小さくつぶやいた。


「小鴉、こうなった時の手筈は覚えているな? 任せるぞ」


 天坂に言われて、それまで沈黙を保っていた小鴉が一歩進み出た。

 美景や紅音を含む魔女たちに緊張が走る。

 一触触発の最中、小鴉が顔の前面に野太刀を横一文字に構えてみせた。


 それを見て、美景が手の平を小鴉に向けた。正調の魔女が魔術を使う際、個人個人で適した構えを用いるのが普通である。美景は手の平を魔術をかける対象に向けるのを基本の構えとしていた。

 小鴉が何か妙なことをしたら、美景はすぐさま攻撃をくわえるつもりである。


「魔技、朧」


 小鴉が纏うマナが、ゆらりと揺れた。驚くほどの速度で、彼の体から黒い炎が揺らめき広がっていった。

 美景は、すぐさま攻撃を開始していた。彼女が得意とする攻撃は、大気中の水分を集め凝固し、氷柱と化して標的目がけて飛ばす魔術である。

 一呼吸で十数本も放たれた人間大の氷柱であったが、その悉くが小鴉の体から広がる黒い炎めいたマナに防がれていく。


「結界……!?」


 美景はその正体を看過した。小鴉の魔技は非常に強固な結界である。その強靭さは、魔女が操る結界術をはるかに超えていた。

 その結界が、今大きく広がっていく。


「まずい……! 紅音、楓ちゃんをお願い! いったん引くわよ!」


 この結界に取り込まれたら脱出は不可能だと察した美景が、大きく叫んだ。

 美景に言われるやいなや、紅音は楓の元にかけよっていた。

 楓はまだかろうじて意識を失っておらず、かけよる紅音に向けて右手を差し出していた。

 紅音はその手を握って、楓の体を抱えた。


「あか、ね……師は……天坂が……私、の…………」

「楓、喋っちゃダメ……」


 楓の惨状に、紅音は涙を浮かべていた。

 見るにひどい有様である。早く正調の魔女が扱える治癒術を施さなければ間違いなく死ぬと、紅音は感じていた。


 紅音は楓の小柄な矮躯をおぶって美景の元にかけていく。

 紅音におぶられた楓は、走る振動に揺られながらついに意識を失った。暗い奈落の底に意識が沈みゆくのは、おぞましさと共に安楽さも伴っていた。

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