第十三話 避けられない運命
冬の厳しさが目立ってきたある日、楓は美景の家で朝食をとっていた。
「二人とも今日は暇かしら?」
朝食を食べ終えた後、美景は楓と紅音に問いかけた。
楓と紅音は顔を見合わせて、怪訝な表情をした。
「暇ですけど……なにか?」
「楓ちゃんと紅音で調べて欲しいところがあるの。楓ちゃんが元々住んでた家の裏手側に、深い森があるんだけど、お昼過ぎくらいでいいからそこに行ってくれないかしら」
美景は夜魔を復活させようとする者がいると勘付いた日から、八方手をつくして調べ上げていたようだ。
特に、楓の家かその近辺に夜魔を復活させようとする者の手がかりがあるのではと考え、楓にかつての生家の場所を聞いていた。
「あの森に何かあるんですか?」
楓は不審に思って聞いてみた。あの森に関しては、楓の記憶にもまだ新しい。
「ええ、少し気になることがあって……」
楓は言いにくそうにする美景を真っ直ぐ見つめて、先を促した。
「楓ちゃんの家が夜魔の眷属に襲われたってことは、その近辺で儀式魔術が行われていると思うの。それで色々調べたけど、あの近辺で人の目に触れずにことを起こすなら、あそこくらい深い森がうってつけじゃないかって思ったの」
「……そこで夜魔を復活させる儀式魔術が行われていると?」
「さあ、まだ分からないわ。だから少し見に行って欲しいの。要するに偵察ね」
何気なく言う美景に、紅音が大きな声をあげた。
「ちょ、ちょっと師匠、もし本当に儀式が行われていたら、夜魔を復活させようって危険人物と鉢合わせるかもしれないじゃないですか!
「……うーん、そういう可能性も、あるわよねぇ?」
「あ、危ないじゃないですか。師匠も来てくださいよぉ」
「もちろん私も行くわよ。でも、午後に他の正調の魔女がここに来る手筈になっているの。彼女たちを迎えてから一緒に向かうつもりよ」
「じゃ、じゃあ私たちもその時一緒に行けば……」
「紅音、これは時間との勝負よ。二年前から何者かが夜魔を復活させようとしていたら、下手をするとそろそろ夜魔が復活するかもしれないの。あなたたちに先に偵察してもらえると、手間が省けて時間短縮に繋がるのよ」
「う……」
思いのほか美景が厳しい口調だったため、紅音は狼狽えた。
「もちろん、あなたたちが危険な目に合うのは私の本意ではないわ。だから無理はしなくていい。森の入口近辺を調べて安全を確認してくれたらそれだけで十分よ」
「わ、分かりました……それでその、一つだけいいですか?」
「何?」
「もしそこで儀式が行われていたら、肉体を持った夜魔の眷属がいる可能性もあるんですよね? そ、その時はどうすれば……」
「そこに夜魔の眷属がいたら十中八九儀式が行われているわ。なら、あなたたちがそれ以上危険を冒して偵察する必要はないから、戦おうとせずここに戻ってきて私に報告してちょうだい」
美景はそう言って、一息吐いてから続けた。
「紅音はともかく、実戦なれしてる楓ちゃんなら夜魔の眷属程度ならどうとでもなるはずよ。だからそんなに心配してないけれど、くれぐれも無理はしないでね。偵察ができなかったらできなかったで、それでもいいのよ、あなたたちが無事であれば」
「……だ、だったらなおさら私たちに行かせないでくださいよ」
暗い面持で言う紅音を見て、美景は目を伏せた。
「ごめんなさいね。何分人手が足りないのよ。でも、そうね。いくらか危険はあるし、やっぱり止めてもらうわ」
「……いえ、行かせてください。私一人でも構いませんから」
楓が、殊更強い口調でそう言った。
「楓ちゃん……?」
美景が怪訝な顔で楓を見た。
紅音は危険を孕む偵察に行くことに乗り気ではなかったが、楓はむしろ望むところであった。
自分の身に起きた様々な事柄が、あの地に行くことで紐解かれるかもしれないのだ。楓の心は静かに燃えていた。
「だめよ! いくらなんでも一人は危険だわ。か、楓が行くなら私も行く!」
紅音は大きい声で言っていた。楓は驚いて、紅音を見た。
「いいの? 危険だよ」
「危険だからこそでしょ。楓一人でそんな所に行かせられないわ」
紅音は、時折まるで姉のように楓のことを思う時があった。楓にはそれが少しくすぐったく、だが悪い気分ではなかった。
「二人とも、ありがとう。でも、忘れないでね。危険だと思ったらすぐに戻ってくること」
美景に何度も念を押されて、楓たちはいったん解散した。
午前中は思い思いに過ごし、昼食を取った後、まだ日が中天に指している頃合いに二人は美景の家を出た。目指す森までは徒歩でいくつもりだ。
「そういえば、楓の元々の家ってこの近くなのよね?」
「うん」
「一度寄ってみる?」
「……いいの?」
「楓が良ければね。どうせ通り道だし、もしかしたら夜魔の眷属が楓の家を襲った理由の手がかりくらいはあるかもしれないわ」
紅音に甘えて、楓はかつて住んでいた生家に立ち寄ることにした。
実に二年ぶりに見る楓の生家は、すっかり荒れ果てていた。惨劇の日から時が止まってしまったかのような印象を抱かせる。
こうして生家を見てみると、過去の記憶がまざまざと蘇ってくる。父が早く帰ってこないかと毎日夕暮れ時に玄関前で待ち構える楓を見て、母は呆れたように笑っていた。
そして帰ってきた父はそんな楓の頭を撫でて、ただいまと優しく言っていた。そんな幸福に満ちた光景が、今はない。
父と母は、死んでしまったのだ。二年以上の歳月が過ぎ去った今、楓はそのことを理解はしていた。しかしそれでも、もしかしたら、父も母もどこかで生きているのではと思ってしまう。
それは、朝比奈楓がまだ子供だという証だった。現実を受け入れようとしても、どこかで心が拒否している。
胸を押さえる楓を見て、紅音は心配そうな顔をしていた。
「行こう、紅音……私は、大丈夫だから」
楓は平静を保って紅音に告げた。
紅音は何も言わなかった。かける言葉が何も見つからなかったのだ。しかし無言を返すことが、今の楓にとっては救いだった。楓は今、胸の内に広がる波紋を必死に押しとどめようとしていたのだから。
そのまま二人とも無言で歩き出した。
二人は楓の生家の裏手側から森の中へ入っていくことにした。ここを拠点にして、まずは森の入口から周辺を探索するつもりだ。
森の中に入ってみると、湿った空気が肌を撫でた。
「嫌な雰囲気ねぇ……楓は昔この森に入ったことあるの?」
「ううん、両親からは危ないから入ってはダメって厳しく言われてたから……」
「確かに、こんな深い森にうっかり入っちゃったら、小さい子は迷子になっちゃうでしょうね」
うっそうと茂る森林は、まるで入る者の方向感覚を狂わせようとしているのか、木の葉で日の光を遮りしきりに風に吹かれざわめいていた。
踏みしめる土は湿り気を帯びており、木々と湿気の匂いが鼻腔を満たしてくる。肌を撫でる風も冷たく、森に入る前は確かに晴天だったのに、まるでこの場所だけ小雨が降っているのではと錯覚させられた。
森の入口付近の安全を確かめた後、二人はもう少し調べてみようと森の奥目指して踏み込むことにした。
大分深いところまで入った楓と紅音は、小しばかり休憩をとることにした。
「それにしても深い森よね。師匠がいう通り、隠れて夜魔を復活させようとするなら、こういう所を選ぶかも」
「夜魔っていうのは、本当にいるの?」
楓は美景の話を聞いてから抱いていた疑問を聞いた。
「うーん、どうかしら。夜魔と三魔女の話って大分昔の話だもの、結構誇張が入っててもおかしくないんじゃない?」
紅音は笑いながら続けた。
「でも師匠も含めて、一流の正調の魔女は皆夜魔はいるって信じてるのよね。不思議だわ」
紅音は夜魔という存在のことをあまり信じていない様子だった。
楓も半信半疑であったが、かつて楓の家族を襲った化け物、夜魔の眷属のおぞましさを考えると、ありえないとは言い切れなかった。
正調の魔女が恐れる夜魔とはいったいいかなる存在なのだろうか。楓は脳内でその絵図を浮かべようとしたが、その輪郭すら想像できなかった。
「待って、楓……何か、音が聞こえない」
気を抜いていた楓に向かって、紅音が不安そうに言った。
言われて耳を澄ませてみれば、地に落ちる葉っぱを踏みしめるかすかな音が、楓の耳に聞こえた。
紅音に頷きを返して、二人は慎重に音のするほうを伺いながら、木の影に身を隠した。
「これ……足音、よね」
「うん。でも人間のじゃない……」
まばらな足音が楓たちの所に徐々に近づいてきていた。どうやら足音の主は複数いるらしい。
紅音と楓は、木の影からそっと足音のする方へ視線を投げてみた。
そこにいた存在を瞳にとらえて、楓の心中がざわめいた。
それは楓が決して忘れられない姿。楓の両親を殺して食っていた、あの化け物が複数そこにいたのである。
夜魔の眷属だ。そう楓と紅音は直感した。すぐさま魔女服を纏い、刀を手にした二人は、慎重に身を屈めた。