第十二話 正調、武辺4
紅音の料理は中々の物で、楓はいくつか好き嫌いを見抜かれそれをたしなめられながら、料理をたいらげた。
明るく団らんをしながらの食事は、家族の死以来経験していないことだった。懐かしさと、どこか虚しさが楓の心を包んでいた。
食後の団らんで聞いてみれば、正調の魔女が武辺の魔女を弟子にすることは珍しいことではないらしく、正調の魔女も武辺の魔女の鍛錬法はある程度学ぶようにしているらしい。
「変な話だけど、正調の魔女が武辺の魔女を認めだしたのは、さっき話した伏倉のおかげでもあるの」
武辺の魔女である伏倉響が次々と正調の魔女を屠った結果、武辺の魔女の武芸と魔技は正調の魔女にも渡り合えるものと認識されたらしい。伏倉に対するために、正調の魔女の中でも武芸を学ぶものが結構いるのと、美景はどこか憎々しげに言った。
「正調の魔女が認識を改めたのは結果的に良いことだけど、伏倉のやっていることは許されることではないわ。あれは狂人よ」
どうも、美景は伏倉と何らかの因縁があるようだった。彼女も正調の魔女なのだから思う所があるのか、それとも直接的な関わりが過去にあったのか。それは楓の知る由ではなく、聞き出すのも気が引けた。
「そういえば、紅音はどうして美景さんの弟子に?」
美景に気をつかい、楓は話題を変えた。紅音と美景の関係性については、楓も少しばかり興味があった。
「うーん、どうしてだっけ? 紅音が勝手に私の家に住み着いたからだった?」
「ちょ、ちょっと師匠、それでは誤解されます!」
「ええー? でもそんな感じだったでしょう? いきなりやってくるなり、美景お姉ちゃんの所に弟子入りするー! なんて言ってそのまま住み着いて……あなたのご両親に説明するの、大変だったのよ?」
「ああっ、もう師匠っ! だから誤解されるようなことを……」
「誤解も何も、事実じゃない」
楓は顔を赤くする紅音をしげしげと見つめた。
「……美景お姉ちゃん?」
「うっ、ち、違うのよ、それは……」
紅音は真っ赤になった顔を隠すように俯き、たどたどしく喋りはじめた。
「あ、あのね、実は私と師匠はいとこなの。だから、昔は美景お姉ちゃんなんて呼んでて……」
「昔じゃなくて、つい最近まででしょう? 去年くらいまで美景お姉ちゃんって呼んでくれてたじゃない」
美景の横やりを受けて、紅音は叫んだ。
「師匠は黙っててくださいっ!」
「やだ、怖いわね」
美景にからかわれる紅音の顔は羞恥でいっぱいで、紅音は気を落ち着けるためにか数度深呼吸を行った。
「私と師匠は元々は魔女の家系でね、数代前から魔女を目指す者が出なかったんだけど、師匠は生まれつき才能が凄くて、魔女の知識が豊富だった師匠のお婆さんに、魔女として仕込まれたみたいなの」
「……お婆ちゃん、厳しかったわねぇ……」
しみじみと言う美景を無視して、紅音はつづけた。
「それで、正調の魔女になった師匠に憧れて、私は数年前に弟子入りしたの。それだけよ」
「楓ちゃんの前で格好つけたいのは分かるけど、本当のこと言ったら? 本当は親と喧嘩したはずみで家出して行く場所に困って、私の家に転がりこむための口実にしただけの癖に」
美景が意地悪く言った。
「……そうなの?」
楓が聞くと、紅音は赤く染まった顔を手で覆い隠して無言を返した。
楓は苦笑して、その姿を見つめた。彼女たちとの時間は安らかで楽しい時であり、楓は時間を忘れて二人と喋りあった。
団らんからしばらくして、楓は風呂を貸してもらいゆっくりと湯に浸かった。着替えは紅音の服を借りたが、楓の矮躯では少々サイズが合わなく、大きめのシャツを一枚羽織った。
風呂から出てみると、家の外から気合のこもった声が聞こえた。見に行くと、紅音が家の外で木剣を振っていた。きっと毎日欠かさず稽古をしているのだろう。
楓も共に剣を振ろうかと思ったが、ゆっくり風呂に浸かったせいかどうにも疲労感が強く、玄関口で紅音の稽古を見学することにした。
素振りから組太刀めいた動きまでを行った紅音が稽古を切り上げて、楓の元へやってきた。
「どうかしら、変な所なかった?」
「ううん、特には」
「そう、何かアドバイスあったら遠慮しないで言ってね。師匠、マナの制御についてはいつも言ってくれるけど、剣術にはまだ詳しくないって言って、何も教えてくれないのよ」
「……私も、人に教えられる程剣に秀でてないよ」
「ええ~、そうかしら。私より楓の方が一枚上手だと思うけど……」
紅音は、夕刻の真剣勝負を思い返しているようだった。
「私の師匠は、いつも私に剣の才能が無いって言ってた。買いかぶりすぎだよ」
「……そんなことないと思うけど。あなたの師匠って厳しいのね」
楓は頷いた。
「とても厳しい」
実感のこもった楓の言葉に、紅音は破顔した。
「さて、私もお風呂入ってこようっと。あ、楓は私と同じ部屋で寝てもらうから、眠かったら先に寝てていいわよ」
紅音の言葉に、楓は首をふった。
「紅音が寝るまで、待ってる」
「そう、分かった」
家の中に入っていく紅音を見送って一人になった楓は、無言で空を見上げた。不思議な気分だった。まるで、失った家族が戻ってきたかのような、安息がそこにあった。
しかし、その感覚がどこか恐ろしい。いったい何に恐れているのか楓本人にも分からなかったが、薄く小さい恐怖が楓の中から湧き上がってくる。
これの正体は何なのだろうか。楓は恐怖を振り払うために刀を顕現した。
手にした刀は楓にとって一番扱いやすい二尺三寸ほどの打刀。それを手にさげ、八双へ構えをうつし、心息を整える。
こうして刀を構えていると、心が冷えるようだった。
そのうちに、楓の目の前に黒い影が現れた。それは一刀を振るうために楓の心が用意した、楓にしか見えない対敵である。
それは楓と同じく八双に構え、こちらの息を伺っている。楓が隙を見せれば、斬りかかるつもりだ。
しばし楓は無言でそれと睨みあった。ほんの一瞬、目の前の影が息を乱した。そんな気配を楓は抱いた。
その瞬間に、楓の一刀ははしっていた。八双から袈裟に斬り下ろされた刀は静かで鋭い風切り音を響かせた。
「すごいわね」
残心を終えた楓の背後から、美景が喋りかけてきた。どうやら楓が一刀を構えた頃合いから見ていたようだ。
「私は剣術には疎いけど、それでも分かるわ。紅音のとは大違い。鋭くて、速くて……相手を殺す一刀ね」
「……はい」
楓の剣は、師である天坂の元にいた時のものとは大分毛色が変わっていた。
あの時よりも斬り下ろす一刀に気迫がこもり、骨肉を断ち命を奪う気配に満ちていた。
それが、奪われたラピスを取り戻すため何度となく戦った結果に得た楓の剣であった。
……美景は少しだけ悲しげに顔を伏せていた。この年にして見事な殺人剣を振るう楓の姿に痛ましさを覚えたようだ。
楓は無言で刀をラピスに戻した。これ以上刀を振るうつもりはなかった。美景が自分を見て心を痛める様を見るのは、楓にとっても苦痛だった。
――この人は、どうしてこうも優しいのだろう。
楓はそう思った。美景は優しすぎるのだ。今日会ったばかりの小娘に対して、そんなに心を痛める必要などありえない。
だが、それが一葉美景という女性なのだろう。なぜだろうか、彼女がそうなった背景には、何か悲惨な体験があるように思えた。
――伏倉、響か? 魔女殺しと呼ばれる魔女……美景さんと何か関わりがあるのだろうか。
そう思った楓だが、詮索するのは止めておいた。横から首を突っ込んでいい問題ではないと思ったからだ。
「……そろそろ寝ましょうか」
「そうね、そうしましょう」
楓の言葉を切欠に、二人は家の中に戻った。丁度紅音も風呂から上がったようで、髪を乾かしていた。
紅音に案内されて彼女の部屋に入った楓は、渡された布団を敷いた。
「おやすみ、楓」
「……うん、おやすみ」
就寝の挨拶をかわして布団に潜りこんだ時、楓の体と胸の内は温かなもので溢れた。
楓にとって眠るということは、両親を失ったあの日に、あの時に戻るのと同義だった。彼女は眠る度に父母を失った時の夢を見る。睡眠は決して欠かせないものだが、楓にとって眠るという行為は苦痛を伴っていた。
眠気を感じながら横になるのはどこか憂鬱さを感じ、眠りにつくその時まで楓は心のどこかに怯えを隠していた。しかし、今日この時ばかりは、安らかに眠りにつけた。
それでもやはり、楓はあの日の夢を見た。しかし悪夢に目覚めてみれば、寝息をたてる紅音がすぐ傍にいて、それが楓の心を穏やかにさせた。
この日から、美景と紅音との親交が始まった。二人は天坂夕月の家屋に一人住む楓を想って頻繁に食事に誘い、楓もまた快くそれに応じていた。
奪われたラピスの気配を探し当て、ラピスの持ち主と斬り合うだけだった楓の凄惨な生活に美景や紅音との親交が芽生えたのは、彼女にとって幸運だった。表に出なくとも、楓の心は明るい色を取り戻し始めていたのだ。
紅音や美景と交流を持ち始めてから、一月程の時があっという間に過ぎた。冬の本格的な寒さが肌を刺すもの悲しい季節である。
その頃になると、楓は奪われたラピスのほとんどを取り戻していた。しかしやはり師は楓の前に姿を現さず、楓はより一層師が死んでいるとの思いを強めるだけだった。
あの黒衣の男も、楓の前には現れなかった。楓は奪われたラピスを取り戻すうちに、あの宿敵とまたまみえると思っていた。
ある程度マナの制御技術を修練すれば、ラピスの気配を他の魔女らから隠し通すことは簡単だった。事実楓や美景、紅音はラピスの気配を常時隠している。今まで楓が戦ってきた者は剣術に秀でているものが多々いたものの、ラピスの気配を隠すことすら出来ない素人であった。
しかし黒衣の男は違う。奴はマナの操作技術にも長け、剣術にも秀で、魔技を扱うことが出きる恐るべき相手である。ラピスの気配を絶つことくらい、当然のようにできるのだろう。楓が彼と出会わないのは当然と言えるかもしれない。
だが、黒衣の男の目的が何であれラピスをばら撒いたのが彼であるなら、彼の行為を無にする楓は目障りなはずである。ゆえに楓は、ラピスを取り戻している内に奴とまた斬り合うことになると思っていた。
楓の思いを裏切るかのように、黒衣の男はいっこうに現れない。まるで、ラピスを取り戻されるのは予想の内だというように。
また一つ、季節が過ぎていく。