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魔女の剣  作者: アーチ
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第一話 切落し1

 それは悲劇であった。


 日の光もさえぎる森林の中に、男が一人たたずんでいる。その手には、血に濡れた刀が一振り。

 たたずむ男の足元には、かつて人間であった残骸が無造作に転がっていた。人が人である姿形の十分な条件を満たしていないそれは、残骸と呼ぶほかなかった。


 男……武田善之は、その名の通り善良な一市民であった。この町で生まれ育ち、職を持ち、汗水流して働き……自身の人生に、何一つ過不足は無かった。

 平凡な暮らし。平凡な人生。だから武田は、今まで自分の深奥にあった本質に気づかずにいられた。これがもし、その日を生きるのにも困る時代であったら、武田はすぐに己の本質に気づき、適応していたことだろう。


 ……だからこれは、武田にとっては悲劇ではなかった。武田は自身という存在の歪さを認め、適応しただけのこと。平凡な人生がゆえに気づけなかった、己を己たらしめる欲求。

 武田は、殺人に悦楽を感じる人間であった。善良な人間という側面は、平凡な暮らしによって後天的に生まれたものにすぎない。彼を彼たらしめる本質とは、すなわち殺傷。生きた肉を斬り裂く感触は、武田の乾いた心を充足させてくれるに十分なものであった。

 武田は善良な人間であった。少なくとも、これまでは。


「……くくっ」


 武田は足元にあるかつて人間であったものに目を落とした。なんとも哀れな姿であるが、彼はそれを見て唇を歪めた。笑いを抑えようとしても、抑えられなかった。亡骸を見て、彼は先ほど犯した殺人の味を思い返したのだ。

 武田の笑いを止めたのは、背後からの足音であった。日も陰ってきたこの折に、このような森林に立ち入る者など誰がいるものか。


 武田は振り向く。そこにいたのはけったいないで立ちの少女であった。

 つばが広がった三角帽子を目深にかぶったその少女は、おとぎ話で語られる魔女のような服装を着こなしていた。黒を基調とした衣服に、群青色のレースケープが肩から胸にかけて彩っている。そのあどけない容姿は一見、血生臭さとは無縁に見えた。


 しかし、少女は惨劇の場に相対しながら、眉を動かしもしなかった。男の足元に転がる無残な亡骸を当然のように黙殺している。目に映らぬ道理はないはずだ。

 つまりはこの少女、偶然この場に踏み込んだ訳ではないのだ。武田が快楽殺人者であることを承知で相対しているのだろう。


「……そこに転がっているものは、あなたのせいと見て間違いないな?」


 少女の声色は、容姿通りのものであった。艶やかさとは無縁な音調の高い声は、乱雑な口調には不釣り合いである。


「ああ、そうだ。それで、俺に何かようか?」


 武田は横柄な口調で少女を威圧する。しかし少女は武田の威勢に目立った変化を見せなかった。


「おとなしく、その手にある刀を渡して欲しい」


 少女の狙いは、どうやら武田の持つ刀らしい。


 そう、この刀だ。武田の心胆を変えた……いや、深奥に隠されていた本質を暴くに至った切欠こそが、この刀なのだ。

 武田がこの奇怪な刀を手に入れたのは、もう一月以上前のことだ。誰かが置いたのか、それとも武田自身が無意識に拾ってきたのか、彼の部屋に備え付けてあった机にぽつりとそれが置かれていたのだ。


 武田の机には様々な本や家電類などの保証書が乱雑に積まれていた。彼はそういったものに目を通した後、いったん机の上に置く癖があったのだ。整理の行き届いていない机を掃除しようと改めたところ、色も鮮やかな宝石を武田は発見したのだ。

 いつからそこにあったのかは、定かではない。ただ血の色を想起させるような赤色が鮮やかな宝石を、長期間見過ごすとは考えられなかった。


 不思議な宝石であった。それは武田を引きつける奇妙な魅力を持っていて、眺めているだけで何か、心の奥をくすぐられるような感覚を彼は抱いた。

 武田がその宝石に触れてみると、宝石は突然淡く光り輝き瞬く間に白刃の凶器へと変貌していたのだ。


 それは美しい刀であった。水に濡れたかのような清澄な刀身を見つめるにつれ、武田は徐々に、自身の深奥に隠されていた狂気を認識しだしていた。

 狂気の正体は、殺傷への欲求である。この刀で何かを……いや、誰かを斬ってみたい。武田がその外道な欲求に抗えた時間は短かった。


 彼はまず男を斬った。生きた肉を初めて斬り裂く感触はひどくおぞましかった。男の断末魔、鮮血の鮮やかさ、人を殺したという罪悪感。それらを認識したころには、ひどい吐き気に襲われていた。心中を締め付ける何かが確かにあった。

 しかし、武田はそれら全てを享受し、笑った。己の本質を理解した。


 武田善之という人間は、人を殺して悦楽を得る外道であるのだ。そう受け入れてしまえば、彼の心は快いもので満たされた。

 武田が次に殺したのは女性だった。その次に殺したのは、年端もいかぬ子……誰でもよかった。老若男女分け隔てなく、武田は殺し続けた。

 この奇怪な刀がなんなのか、武田は知らない。だが、どうして手放すことができようか。これこそが正に、武田善之という人間の本質を形にしたものであるのだ。


「刀を渡せ、か……いいだろう」


 武田は口を歪めて、無造作に少女に近寄った。おとなしく刀を渡そうという、ふりであった。


「これがそんなに欲しいのなら、くれてやる!」


 片手に持っていた刀を一転、両手に持ち直し上段から振り下ろす。少女の体を存分に斬り裂き、土まで抉る威力は十分にあった。

 しかし少女は武田が斬りかかるのを見越していたのか、足で地を叩いて大きく後退し、やすやすと刃圏から逃れていた。

 殺意の刃は空を切り、武田は舌打ちをして少女を見据えた。少女は、憮然とした表情をしている。


「……おとなしく渡すつもりは、ないの?」

「はっ、渡せと言われて素直に渡す者がどこにいるものかっ」


 吐き捨てる武田を、少女はうんざりするような目で見た。


「そう、わかった。なら、力づくで奪わせてもらう。……もとより、あなたを生かしておくつもりはない」


 言うやいなや、少女は手を目の前にかかげた。その手の中には煌めくものが一つ。あれは何かと武田は目をこらした。


「あれは……宝石? まさか貴様も……っ」


 刹那少女の手の中にある宝石が淡く輝き、瞬き一つの間にその姿を変じていた。

 今少女の手には刀が握られていた。どうやらこの少女、武田の持つ刀と同種の物を持ち、扱うらしい。


 そのことを理解した武田は、それがどうしたとばかりに鼻を鳴らした。

 殺人の味を覚えた彼の心は非道に傾いている。少女が武田の持つ刀と同種の物を持っているのならば、むしろ都合がいいと、武田は考えた。


 この少女を屠れば、この手にあの魔性の刀を二振りも手にすることができるのだ。その時のことを考えて、武田の胸は躍った。

 少女と武田は、誰からともなく構えを取った。もはや互いに言葉は不要。生き残るのはどちらか一方だけである。

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