ここ、探してます
昨年のyahoo!JAPAN文学賞(テーマは「思い出」)に応募して落ちた作品です。
俺はソファに座りパソコンの電源を入れると、1日分のため息をついてから発泡酒を開けた。一気に半分ほど飲み、隣のスペースから聞こえたライターの音に舌打ちしている間にパソコンの起動は完了していた。勝手に開くネカフェのホームページからyahoo!へとび、「路線」カテゴリで明日の仕事場の最寄駅まで乗り継ぎを確認する。23区からわずかに外れているせいで30分以上かかる。俺はもう一度舌打ちし、コンビニ袋から夕食を取り出した。片手におにぎり、片手にマウス。登録している派遣会社以外の派遣サイトを物色するがめぼしい仕事も無く、2をうろつくも「清々しい出来事」も見当たらない。プアだの難民の文字は目に入れず、俺は一度yahoo!のトップページに戻った。
俺は力尽きたようにソファにもたれ、ディスプレイから距離を置き、目頭をきつく指で押えた。休憩もロクに無い、ぶっとおしのライン作業。一度ミスっただけで業務チーフのおばはんに文句をつけられた事を思い出し、「シネ」と呟く。それだけで概ね気は晴れ、今日1日の事がもうどうでも良くなった。どうでもいい1日を締めるため、俺は体を起こしマウスに手をかけ、yahoo!の「知恵袋」をクリックした。
オンラインゲームや動画配信サイトに食傷気味だった俺が、知恵袋の存在を知ったのは数ヶ月前。日本全国から押し寄せる質問の中で、頭の悪そうな女の恋愛相談や、メディアのやらせを真に受けて憤る奴を笑い、ガキの宿題の手助けをして遊んでいたが、今は「彼女」の質問をチェックするだけになっている。
毎分毎秒投稿される膨大な質問の中から目当ての質問を探すため、知恵袋のトップページ、画面右側にあるカテゴリを選択する。彼女の質問のカテゴリはいつも同じだから、カテゴリ欄の右下の「一覧」をクリックし、細分まで表示されたカテゴリの中からそれを選べばいい。俺は「地域、旅行、お出かけ」の「国内 > ここ、探してます」をクリックした。
このカテゴリは人間関係や芸能界のカテゴリに比べたら質問件数が少ない。「回答受付中」の質問はせいぜい200件前後だから彼女の質問はすぐに見つかる。回答受付中の質問をすべて表示してからスクロールで流し見ていると、やはりすぐに見つかった。質問の見出しの一覧から彼女の質問をクリックし、全文を表示した。
思い出の場所を探しています。
小学校の、まだ低学年の頃です。おけいこの行き帰りに通る坂道がありました。
不思議に日中でも、その坂道は暗かったと記憶しています。
俺はうなる様なため息をついた。そんな場所、俺の記憶には無い。
全カテゴリの質問一覧で初めてこの質問を見たのはひと月程前。投稿からたいして時間が経っていないにもかかわらず、回答数と閲覧数がやたらに多いのが気になって質問を開いた。確かに投稿からすぐに回答が集まる質問もあるが、それは大多数の人間が関心を持つ下世話な話題がほとんどで、その質問のどこに大勢の人間の関心を惹く要素があるのか分からなかった。しかしその理由は質問者である彼女−ID:mako_bluesky−マコのMy知恵袋の質問一覧を見て理解した。
マコはほとんど毎日「思い出の場所を探しています。」から始まる、漠然とした風景を探す質問をしている。そして回答受付期間である7日を待たず、24時間後には投稿された回答の中からベストアンサーを決定している。
ここが私の思い出の場所になりました。
ベストアンサー決定後の彼女のコメントを最初に読んだ時、言葉のニュアンスがおかしいだろうと首をひねったが、その違和は回答者の多くが自分の回答の最後に記す一文で解消した。
「あなたの思い出の場所にしていただければ光栄です」
俺はすぐに気づいた。マコはどこにあるか忘れてしまった思い出の場所を探しているんじゃない。回答者から提示される場所を自分の思い出の場所にしているんだ。
俺は画面に映し出されている彼女の質問を更新した。質問の投稿から24時間が過ぎたらしく、表示が解決済になりベストアンサーが決定していた。今回のベストアンサーは「仕事柄色々な所へ出張している」が売りの常連回答者の一人だ。今頃自分のパソコンの前で小躍りして喜んでいるだろう。
回答者の多くが自分の回答が選ばれることに懸命になっている。ベストアンサーに選ばれた、つまりマコに思い出の場所を提供した回答者は、コインだけでなくマコのメッセージによって、彼女の思い出に居場所を与えられる。
ここが私の思い出の場所になりました。
いつでも日当たりの悪い、雑木林に囲まれたあの暗い坂道が嫌いでした。
怯える私の手を握り、夕陽が遠い地平に落ちる直前、
光が雑木林を突き抜け、木々が光を乱反射し、
あの坂道がオレンジ色に満ちる一瞬を教えてくれたのは、あなたですね。
はじめはマコのポエティックなコメントに失笑したが、質問と回答を読み続けていくうちに感じた回答者達の熱心さに、俺はむしろ興味をそそられた。今や千を越える閲覧者を含め、回答者達のマコへ思い入れは尋常じゃない。一種、崇拝めいている。傍から見れば滑稽でもあり、必死さ、極右性は不気味でもある。
思い出の場所を探しています。
高校生の時、旅行で訪れた場所です。どこまでもまっすぐな道があり、
道はなにかに囲まれていた気がします。けれど静かな場所でした。
遠くに塔のようなものがありました。そこだけが華やいでいたように記憶しています。
解決済の質問から彼女のMy知恵袋へ行くと、新しい質問が投稿されていた。
俺はうなだれ、「クソ」とつぶやいた。そんな場所、俺は知らない。
ディスプレイを改めて見ると、すでにいくつか回答が投稿されていた。トップは「若い頃バイクで日本中を旅していた」常連投稿者だ。北海道のある場所を記している。こいつはいつも自分の旅行記まで書き込んでくるが、そんなものマコは読まない。マコが問うているのはマコ自身の思い出の場所だ。誰かと思い出を共有したいわけじゃない。こいつの回答は大抵マコに無視される。哀れなヤツだ。
2番目の投稿者はIDに記憶は無い。こいつは「ここじゃね?」と気安い言葉で画像のリンクを入れている。リンクを開くと確かにそれらしい風景があらわれた。沖縄のサトウキビ畑のようだが説明が無い。俺は鼻で笑って画像のウィンドを閉じた。
最近回答に画像のリンクが増え、詳細な場所の説明が減った。多くの回答者はどことも分からないステキな風景画像だけを回答に入れる。おそらく回答者の住む風景であり、そこにマコを呼び込みたいんだろうがマコはそんな回答、相手にしない。マコは思い出アルバムを作ろうとしているわけじゃないんだ。
俺は念のため自分のケイタイのカメラフォルダを開き、撮り貯めている風景画像を確認した。やはり該当する風景は無い。俺は撮った画像に場所を記録しているから、来るべき回答の際には詳細な場所の説明ができる。ここまでできて当たり前のはずだ。マコを理解しているなら。俺はほくそえみ、パソコンに戻った。
質問画面をスクロールし、いくつもの回答を流し見る。俺はあるIDを目にし、マウスを掴む手を止めた。常連回答者のひとり、ID makomaniaは自らのサイト内でマコの研究を行い公開している(My知恵袋のサイト欄ではあきたらず、自分の回答の最後にいつもサイトのリンクを貼っている!)。サイトでは日本地図上に過去の「思い出の場所」を記録し、年代表を作成することでマコの変遷をまとめている。そのデータを元に日々投稿されるマコの質問に対し「論理的推測」で回答を導き出しているらしいが、以前選ばれた思い出の場所から移動可能な範囲を予想する程度で、その「論理的推測」が盛り込まれた長文回答は読むに値しない。
俺はmakomaniaの解答欄の下にある「この回答が不快なら」をクリックし、違反項目に「その他」を選び違反回答を連絡した。回答そのものに価値は無いが、こいつの行為はマコにとって害悪でしかない。
こいつのマコに対する熱意は認める。だがマコの質問をプロファイルし公表するのは間違いだ。マコの思い出の場所に時間的な整合を求めそれを押し付ければ、マコの思い出は日に日に自由を失うだけだ。こいつの行為を賞賛している人間も同罪だ。なぜこいつのエゴに気づかない。自分の愚かさに気づかない。俺は問いたい。マコを、マコの思い出を制約の檻に閉じ込める事がお前らの望みなのかと。
マコは自由でなければいけない。時間からも空間からも拘束されないからこそ、マコの思い出は、思い出の場所は無限に広がり万人の目に光り輝く場所として映るんだ!
ここが私の思い出の場所になりました。
初めてのクラシックコンサートはちょっと退屈でした。
ホールを出てあなたと歩いた敷地内の公園は、途切れなく降る落ち葉が美しく、
可愛らしいオブジェがたくさんあって楽しかった。
私が一番気に入ったオブジェ、覚えていますか?
大人びたトレンチコートに似合わない、子供っぽいマフラーを巻いた長い髪のマコ。一緒に歩いていた俺から突然離れ、不慣れなハイヒールで小走りに、子供を模したようなオブジェの前に立った。オブジェを見上げたままマコは、手に持っていたコインをその場に落とすと俺に振り返り笑った。舗装タイルに落ちたコインの金属音が、秋の高い空に吸い込まれた。
ここが私の思い出の場所になりました。
まさかあんな山の中まで連れて行かれるとは思わず、
着物で出掛けたことを後悔しました。
けれど月明りの下で見る野生の桜の群生の前に、
そんな事を気にする自分を恥ずかしく思いました。
いつかまたあの桜を見に行きましょう。
山を切り拓いて造られた広い舗道の真ん中に、マコは立っている。和装で、白髪まじりの髪を結い上げたマコを、中天にいる白い月が静かに照らしている。マコは沈んだ表情で暗い舗道にコインを放った。コインは月の光を反射しながらアスファルトの上、センターライン上に落ち、金属音とともに跳ね返った。その途端アスファルトが音を立て大きくひび割れ、地面を押し退け桜の樹が出現した。地中に封じ込められていた樹は、一度その身を大きく震わせると溢れ出すように花を咲かせ、見る間に桜は満開になった。現れた1本が満開になると、それが合図のように次々と桜の樹がアスファルトを突き破り、満開の桜を咲かせた。俺はその光景に目を見張り、驚きのあまり声も出せない。マコの姿を探せば、月光を受け白く輝く桜の下で、いたずらっぽく微笑んでいる。顔に刻まれた皺も美しい、老齢のマコ。
ここが私の思い出の場所になりました。
海の城、あの場所をあなたはそう呼んでいましたね。
波しぶきが上がる磯辺の先端へ向かうあなたを追った私だけが波をかぶり
濡れねずみになった事、それを見てあなたが大笑いした事、
今でも少し、恨んでいます。
刺すような陽光。波打ち際に隆起した地層が複雑に入り組んだそこは、磯辺というより遺跡の廃墟を思わせる。人は大勢いるのに妙に静かで、耳に入るのは廃墟の隙間を呼吸のように行き来する波の音だけだ。
大きな岩に登り振り返ると、マコがおぼつかない足取りで俺を追って来ていた。Tシャツにジーンズの半ズボン、少年のように短い髪の幼いマコ。日に焼けた顔も腕も足も浅黒い。なにか俺に向かって叫んだが、波の音でかき消された。早く来い、そう叫ぼうとした瞬間、あらぬ方向から波しぶきが上がり、俺より低い場所にいたマコは波をかぶった。俺は一瞬焦ったが、マコはずぶ濡れになっただけで無事だった。それが分かって安心した途端におかしさがこみ上げて、俺はずぶ濡れのまま呆然としているマコを指差し大声で笑った。俺の笑い声で我に帰ったマコはヒステリックに怒鳴り散らし、地団駄を踏んで両腕を振り上げた。その両手から海水の粒と共にたくさんのコインが飛び散った。ぶんぶんとマコが腕を振れば振るだけコインが飛び出し、周囲に音を立て落ち、光と金属音が夏の磯辺に飛び散る。その様子が可愛くて、可笑しくて、俺はいつまでも笑った。
ここが私の思い出の場所になりました。
ケイタイのアラームより早く鳴り出した電話の着信バイブによって、俺とマコの幸せな夢は打ち切られた。実家からの着信に腹立たしい思いで通話ボタンを押すと、俺の、どうでもいい日常も強制終了となった。
その日の仕事をキャンセルしてなけなしの金で新幹線に乗り倒れた父の搬送された病院へ向かい集中治療室で昏睡状態の父を泣く母と見舞い医者の絶望的な説明を受けてから実家に戻り母は今まで父と2人で細々と支えてきた家業を俺に継ぐように命令し翌日からはその引き継ぎの法的手続きだの母と客先への挨拶まわりだの実務の引継ぎだのしているうちに父はむしろ残念なことに死んでくれずいずれ半分動かない体で家に送り返されるためその準備だの介護保険だの後見人の変更を裁判所へ申し立てだの山奥のしみったれた町でしょぼい現実に振り回され続け気がついたら、
ネカフェを飛び出したあの日から、半年が過ぎていた。
俺は居間のソファに座りテレビの電源を入れると、1日分のため息をついてからビールを開けた。一気に半分ほど飲み、廊下から聞こえてくる母親の電話の声に舌打ちする間にテレビ画面は明るくなったが、見たい番組はエンディングを迎えていた。チャンネルを変えるもめぼしい番組は無く、ニュースで介護問題の特集をやっていたが疲れている今、とりあえず考えたくない。俺はテレビの電源を切り、短くため息をついた。
マコはどうしているだろうか。
この家にも古いがパソコンがあり、仕事や調べ物の為に動作の遅さに耐えながら使用しているが、知恵袋でマコの質問を探す事は無い。偶然目にする事も今のところ無い。
もしかすると、もうマコは回答者達と作った「思い出の場所」に満足し、常連回答者に惜しまれながら思い出の場所探しを終わらせているかもしれない。あるいは何らかの理由でIDと共にたくさんの「思い出の場所」を削除し、知恵袋からいなくなっているのかもしれない。なんにせよもう、俺にマコの質問を探す気は無かった。この町から逃れられなくなった俺には、もうマコに思い出の場所を与えるチャンスが無いからだ。
俺は立ち上がり、階段をのぼりベランダへ出て、今は暗い家の外を眺めた。対向車が辛うじてすれ違うことの出来る程度の、この町の「大通り」。その両側には明かりがほとんど消えた古い商店街が並び、その先に5階建ての鉄コンアパート兼コンビニが明かりを煌々と灯し、それがこの町唯一の「文明」だ。この町にマコの思い出にできるような場所は無い。
電話を終えた母親が階下から俺を呼んだ。俺は遅い夕食をとるためベランダを後にした。その背後から遠く、小さな金属音が聞こえたが、俺は振り返る事無く階段を下りた。
おわり
一言でも感想、批評いただけましたら幸いです。




