事の始まりは赤
数日前、戦地で高田が死んだ。幼い頃からの好敵手だった。
高田緑郎は今年で二十七になる予定だった。裕福な家庭に生まれ、優しい家族に囲まれて育った正義感の厚い男だった。困っている人がいると、手を差し出さなければ気の済まないお人好しだった。
最後のときも子供を助けようとしたその隙にやられたらしい。馬鹿な奴だ。自分の死がたくさんの人間を泣かせることになることが分からなかったのだろうか。
悲しむ人間がいるのに、他人のために命を投げ出すなんて本当に馬鹿だ。あの馬鹿野郎。次にあったらぶん殴ってやる。
俺は今、高田の亡くなった戦地から五キロ程度離れた基地にいる。
会議室を借りて、次回の作戦を立てているのだが、奴がいたときのような活気はない。
俺の部隊、といってもたったの七人だけだった小隊はこれで六人になってしまったというわけだ。ただ一人いなくなっただけなのにここまで静かになるのは、元々の人数の少なさよりも違う原因があるのだろうけれど。
「……はぁ。もういい、今日は解散だ」
鬱屈とした空気に嫌気が差し、各自部屋に戻る様に指示を出した。どうせこのまま会議を続けようと、ろくな考えは浮かばないだろう。
この部隊の中心は、高田だった。隊長である俺なんかよりよっぽど人望が厚かった。あいつが隊長になれば良いのになんて、何度も思った。
高田にそう愚痴を零す事もあった。その度にあいつは『お前の下が一番動きやすい』なんて、甘い事を言っていた。今思うと、幸せな日々だった。
勝手に死にやがって。
…俺も隊員達のことを注意出来る身分じゃなさそうだ。頭を冷やす時間が必要そうだった。
「どうも!柳橋翡翠です。階級は軍曹です。よろしくお願いします!」
長い髪をポニーテールにした可憐な少女は勢い良くお辞儀をした。
高田の分空いた隊に、補充要員の柳橋が来た。来るなりに発した声は元気溌剌で、楽しそうだ。少なくとも喪に服している隊に接する態度でも、戦場に赴く態度でもない。
正直、俺はこの少女はこの場にふさわしく無いと思った。このまま回れ右して、平穏な内地に戻るべきだ、と。そんなことが不可能である事など、嫌というほど知っているはずなのに。
事情は知っていても、柳橋は隊員の複雑な事情など知らない。お気楽に明るい笑みを振る舞っている。
しかし今この隊に必要なのは、こんな場をわきまえない必要以上の明るさなのかもしれない。
「隊長の赤谷護。少尉だ。分からない事があれば言ってくれ。」
必要最低限の説明をした後、自分の自己紹介をして、目線で周りにも促す。一番に応じたのは林堂だった。
「…林堂蒼准尉だ。この間、副隊長になった」
林堂は冷静沈着でいつもは表情をあまり外には出さない。階級は曹長から准尉になった。指揮官としてこれほど適任な人間も珍しいような、判断力のある男だ。
高田を深く信頼していた。
高田の葬式のときは、無理からぬ事ではあるが、流石の林堂もお得意のポーカーフェイスが崩れていた。
俺にとっては予想外に、高田の死後は目に見えて落ち込んでいた林堂だったが、流石に新人の前では弱気な姿は見せられないらしい。陰があるもののそこには以前のような堂々とした姿があった。
「黒瀬諒哉。階級は伍長です。よろしく」
林堂の後に続いたのは、黒瀬だった。
黒瀬は穏やかな少年だ。隊の最年少で、年上ばかりの職場だというのに器用に立ち回っている。
高田とも良好な関係を築いていた。
いつも笑顔を絶やさない彼であったが、高田が死んでからは、ふとした瞬間に思い詰めた表情を見かけることがあった。
少し疲れているようだったが、心の底から新人を歓迎しているようだ。
「如月桃華です。軍曹です」
如月は彼女らしくも無い無表情で、柳橋を歓迎した。
新人が入る事で、少しは彼女の悲しみが薄れるのではないかと期待していたが、どうやら出来なかったらしい。彼女はもう昔の様に、高田がいた頃の様に、笑えないのだろうか。
如月は高田の恋人だった。六歳差で、周りからよくからかわれていた。高田がいなくなった後も、忘れられないのだろう。ついこの間貰った婚約指輪を外さないでいる。
「清水銀次、曹長」
清水は蚊の鳴くような声で名前と階級だけを言った。それからは柳橋の方を見ようともしない。
おそらく高田の後を埋めるように配属された彼女が気に食わないのだろう。
高田が死ぬ前は、暑苦しいくらいな熱血漢で、高田を師匠と仰ぎ、付き纏っていた。高田はそんな清水を一見迷惑そうにしていたが、実際のところは大分目をかけていた。
「黄山菫。軍曹よ。…よろしく」
素っ気なくはあるものの、黄山は柳橋に手を差し出した。柳橋も遠慮がちに手を握り、二人は握手をした。
柳橋の配属で一番救われたのは黄山だろう。
黄山はまだこの隊に来て日が浅く、高田ともあまり交流が深く無かった。仲良くなる前に高田が死んで、気まずい雰囲気の中、今日まで過ごしてきた。故人を知っている分、不謹慎な事も出来ず、気を利かせなければいけない毎日で、黄山は少しずつ衰弱しているようだった。
もしかすると、柳橋はこの隊を元通りにしてくれるかもしれない。馬鹿馬鹿しい話ではあるが、俺はそんな期待を抱かずにはいられなかった。そんなことは不可能である事は分かっているのに。
柳橋は周りの様子を察しているのか、いないのか、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
それから平穏な日々が流れた。林堂は高田が亡くなる前の様にきりきりと働く様になったし、黄山は心なしか生き生きしている。残念ながら如月と清水は相変わらずだったが、黒瀬は年が近いからか、柳橋と意気投合したようだった。
「たこ焼きって、中に烏賊入れちゃ駄目なのかな?」
「うーん…味が違うからなあ。それってもう別物になっちゃうんじゃない?」
「いや、まあ、そうだけど。今ここの冷蔵庫、烏賊はあるけど、蛸はないんだよね。偏ってない?」
「そうかな?…あっ、いっそのことお好み焼きにすれば良いんじゃない?」
「ノーン!私はたこ焼きっぽいものが食べたいんじゃい!断じてお好み焼きではあーりやせん!」
「お、おう…」
「…ちょっといい?」
「あ、黄山さん。何ですか?雑用ならこの下っ端、喜んでやりますよ」
「いや、そうじゃなくて。たこ焼き機ここないよ?」
「えっ?」
「ホットプレートはあるけれど」
「シット!最初から一択だったー!」
ほのぼのとした阿呆らしい会話が聞こえる。一応ここ戦場の近くなんだけどなあ。
こんなふうにこの頃は柳橋、黒瀬、黄山の三人と他といった具合にこの隊は分裂していた。前は隊全体が和気あいあいとしていて、全員と交流があったのだけれども、それはもう無い物ねだりというものだろう。
交流しようにも、如月は用がないときは部屋にこもっているし、林堂は必要以上の事はしない。清水は柳橋が近くにいると一言も喋ろうともしない。注意せずとも、そんなことをしたところで無駄だということは、本人達も自覚している事だろう。
隊長としては、ちゃんと収めるべきなのだろう。しかし自分自身、彼らの事を諌められるほど、高田の事から立ち直った訳ではないのだ。
もう少しで良い、落ち着くだけの時間が欲しい。
ため息をつくと同時に、呼び出しがかかった。
「赤谷隊、至急基地長室へ集まりなさい。繰り返す、赤谷隊、支給基地長室に集まりなさい」
部屋に付くとそこにはもう全員がそろっていた。
「良く集まってくれた」
重々しい口調で基地長は俺を出迎えた。いったいどうしたというのだろう。いつも浮かんでいる柔和な笑顔は見る影も無い。
「今から私が言う事は、厳重な審議の末に出た結論だという事をまず心に留めておいて欲しい。信じられない事ではあると思う。我々も信じたくはなかった。しかしこれには覆し様もない証拠がある」
基地長はなだめる様にそう俺たちに言った。基地長は苦渋に満ちた表情で、その一言を俺たちに言った。
これから巻き起こる騒動の元凶、そして今まで起こった騒動の原因でもある事を。
「君たちの中に裏切り者がいる」
はあ?
俺は一瞬、尊敬して止まない基地長が何を言っているのか理解出来なかった。
基地長は続ける。
「先日亡くなった高田君の死には、不審な点が多すぎた。彼の死亡推定時刻内には、敵部隊はまだあの区域に到着していなかった。彼の死には不審な点がある。そう思い、私は独自に調査を頼んだ。その結果」
基地長は机の引き出しを開け、ある書類を取り出した。どうやら検視結果の書類らしい。
「彼の体に残っていた銃弾は、我が軍の支給品である可能性が高い事が判明した」
俺は躊躇しながら、基地長に疑問を打つけた。
「それが…どうして犯人が私の部隊の人間ということになるのでしょうか?」
俺はどうしても納得する事が出来なかった。軍の支給品であったからといって、それが俺の部隊のものであったとは限らない。基地の人間全員が疑われてしかるべきだ。それに自軍の支給品だったとしても、敵軍からの攻撃でなかった確信的証拠ではない。
俺の考えも見透かしての事だろう。基地長は隊員たちの不満げな表情を見て、仕方がないといったふうにため息をついた。
「…これは機密事項だ。口外しないように」
基地長はそう前置きをすると、重々しく口を開いた。
「我が国はかの隣国とは停戦協定を締結している」
俺は驚きで声が出なかった。周りの様子を窺うと目を見開いていたり、口を開けていたり、それぞれ違いがあるものの一様に驚愕しているようだった。
「我が基地が攻撃を受ける事は隣国の世情を考慮するとあり得ない。私怨からくるものだと考えても、調査結果からそれは否定された。停戦協定を結んでいたから、戦場に出していた人数も少なかった。…とどのつまり君たちの担当区域には君たちの部隊以外居なかったんだよ。敵も、味方もね」
基地長は淡々と語っていた。
俺にはもう基地長に言い返す気力も言葉もなかった。隣国との停戦協定、それは俺にとってそれだけの意味を持ったものだった。俺が生まれるずっと前から、俺の国は隣国と戦争していた。絶え間なく、戦線は一進一退を繰り返していたはずだった。自分の立っていた場所が足下から瓦解するような気分。
呆然と立ち尽くしていると、異音が耳についた。ぎりぎりと何かが擦れる音。視線を漂わせると、それは清水から発せられているものだった。清水は凄まじい形相で口を噛み締めていた。
「許さない」
ぽつりと桃華が呟いた。その声は、決して大きい声ではなかった。それなのになぜか部屋に響く様に、染み渡った。
桃華の顔には全くと言っていいほど感情の色がない。
それでもここにいる誰よりも情念がこもっているように見えた。
基地長はその後、俺たちに部屋で待機する様に言い渡した。気遣ってくれているのだ。
実際、俺は隊の皆に一言も声をかける事が出来なかった。どう接すれば良いのか分からなかった。
もしかすると、隊長失格なのかもしれない。
戦隊ものをイメージして書きました。登場人物のほとんどに色の名前が入っているのはそのためです。戦隊の中から裏切り者が出るってたまにあるじゃないですか。なんとなーく、それを思い浮かべながら、当時嵌まっていたラノベの影響を受けてこんな形になりました。『軍曹』とか『大佐』とか、ちょっとロマンを感じる響きですよね。