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あの時の…

作者: Lauro

"今日は夕方まで本社で打ち合わせあるからそれまで塾番頼んだ!"

そう塾長からメールがあったのはその日の朝のことだった。

俺はその報せを寝起きの渇いた眼をこすりながら返信して、再び夢の世界に落ちていった。

そして、再び現実へと引き戻された俺はダラダラと軽い朝食を摂り、スーツに着替えて俺の働く塾へと向かった。

空は雲がちらほらゆっくり流れ、暖かい日差しが黒いスーツに集まってくるのを感じながら教室の鍵を開ける。

当然誰もいないし教室は真っ暗だ。

「さて、先ずは電気、電気…」

俺は鼻歌交じりに電気をつけるとさっきまで暗かった教室に明るさが広がっていく。

プリントをコピーし個別指導の授業ブースの椅子に体を沈める。

「そろそろか…」

あと30秒…時計を眺めながら秒読みしていると入口の方で扉が開く音と騒がしい足音が入ってきた。

「お、時間ピッタリだな」

俺は授業ブースから入口の向かいにある受付へと向かう。

「セーフ!!…でしょ?」

入口の扉の前には黄色のスクールバッグの片方の取手を細い右肩に引っ掛けた少女が息を小刻みに切らしながら俺の反応を伺っていた。

「今日は誰もいないからお咎め無しにしといてやるよ。っていうか、ひより来月から高校生だぞ、分かってるか?」

ひよりと呼んだ少女の艶やかなセミロングの黒髪をポンと叩くとシャンプーの甘い香りがふわっと広がる。

「えっ?今日誰もいないの?!塾長は?」

ひよりは俺のセリフに敏感に反応し俺をパッチリとした長いまつ毛の二重の瞳で俺を見上げる。

「都合のいいとこだけピックアップしてリピートアフターミーすんな〜。まぁ春休みは色々と忙しいんだよ、先生達はね」

俺は適当な理由を話しながらひよりを授業ブースの自分の隣に座らせる。

「ふーん、でもなんか2人っきりって新鮮だね!ねぇドキドキする?」

ひよりは俺の手を掴んでブラブラ揺らしながら悪戯な笑みを浮かべる。

「ん?いや別に…」

俺が何も考えずに返事を返すとひよりは桃色の潤んだ唇をつぐんでこちらを見ていた。

「む…先生そういう時はウソでもドキドキするって言っとくのぉ!そんなこと言ってるから先生彼女出来ないんだよ!」

ひよりがぐさっと俺の胸に突き刺さる台詞を言ってくれた。

「はいはい、分かったからそろそろ始めるぞー。えっと、長文読解か…」

俺はそうひよりの台詞をなんとか受け流しながらノートを開かせて授業を始めた。


「そんじゃあ、そこの文も一度読んでみて」

「んと…"I might be in love with you." Rashel said. "...Really?" Lark didn't know what to say. 」

ひよりは拙い発音で音読を引っかかりながらもしていたが、その一文を読ませた時、あることに気づいた。

「ひより?rとlの発音一緒になっちゃってない?」

そう指摘してみたが、ひよりはあからさまに面倒そうな顔を向けた。

「えぇー?!そんなの一緒じゃないのぉ?」

予想通りの答えが返ってきた。

しかし、俺はこういう時のために女子に対する必殺の殺し文句を用意してきた。

「日本語にはrの発音しかないんだ。でも、アルファベットを使う言語はrとlの発音を使いわけなきゃならんのよ。それに、英語話せる人ってキスが上手いらしいよ?」

さぁ、どう出る?4月から女子高生の中学生女子…!?

「じゃあ、先生キス上手いの?」

何…だと?

ひよりはまさかの反応を示してきた。

ここは"へぇ〜そうなんだ〜!"ってきて、俺が"だから、これから英語読む時にちょっと意識してみ!"と、スマートに決めるつもりのはずだったのだ。

「いや、する方だとわかんないでしょ…」

「あ、そっか…じゃあ〜ぁ!」

ひよりは納得した素振りを見せて、彼女の歳からは想像出来ない艶っぽい表情で俺を見た。

「キス、してみる…?」

ひよりは艶っぽい表情を保ったまま首を傾けてその瑞々しく潤んだ桃色の唇に人差し指を当てる。

その姿に俺は不覚にも心臓を大きく脈打たせてしまった。

だが、数秒後には塾講師としてのモラルがそれをなんとか鎮めさせてくれた。

「俺の唇は高いぞ〜?安売りはしないからな!」

「いいよ?それでも…」

ひよりの言葉に一度鎮まった胸の鼓動がさらに跳ね上がる。

「ばっ…前に俺言わなかったっけ?年上好きだって…それより、そろそろ時間だ。終わりにするぞ!」

俺はおもむろに席を立ち上がり、授業を終わらせる素振りを見せた。


それから俺とひよりは一緒に昼食を摂り、塾長の代わりに受付に座り、問い合わせの電話を待ちながらひよりととりとめのない会話をしていた。

「ねぇ先生?今日の服どう?春らしいでしょっ!」

ひよりは突然立ち上がり、俺の目の前でくるっと回って全身を見せる。

「白のカーディガンはいいけど、ショートパンツってまだ寒くないか?」

「平気だよー。それに、ニーハイソックス先生好きでしょ?」

ひよりはそう言って自分のショートパンツからニーハイソックスまで伸びた細い柔肌を撫でる。

「なぜ俺限定だ?男はみんな好きだろ、そういう格好…」

俺はごまかしながらひよりから眼を逸らした。改めてそう言われると眼のやり場所に困ってしまう。

「そしたら、先生だけじゃなくて色んな男の人に襲われちゃうね!」

「バカ…ったく、最後の最後までくだらないことを…」

俺はため息で呆れていることを表現しながらひよりに眼をやったが、当の本人はそんな俺を見て楽しんでいるようだ。

「そうだ、ひより。言い忘れてたけど、今日で俺の授業は最後だ」

それを唇から発した瞬間俺は後悔した。

「え…?先生辞めちゃうの…?」

俺が頷くとひよりの顔から笑顔が消えた。突然何かを理由もなく理不尽に奪われた、そんな表情だった。

「で、でも…!その内また他の先生みたいに戻ってくるでしょ?!」

ひよりは何かしら理由をつけて自分の中で納得しようとしている。だが、俺が次に発する言葉はひよりをさらに悲しみへと追い込んでしまうことになる。

「いや…実は俺、これから外国に行くんだ。今んところ帰ってくる予定はないんだ…」

「やだ」

ひよりからたった一言だけすぐに返事が返ってきた。

「ひより…」

「行かないで」

遮るようにひよりは続けた。

「ごめん…ひよりには悪いと…」

「ウソッ!!私の気持ちも知らないくせにっ!?」

声を荒げるひよりの瞳は潤み、彼女の小さな肩は震えていた。

「分かってるよ!俺だってひよりが高校生になっても一緒に勉強…」

「分かってない…!!私はずっと、ずっと…っ!!」

ひよりの唇は震え、涙が零れるのと同時に彼女の感情が溢れ出した。

「ひより…」

俺は受付から立ち上がってひよりに歩み寄り、彼女の頭を優しく撫で始めた。触れた瞬間はひよりの肩はビクッと震えたが、次第にひよりは俺の肩に体を預けてきた。

「…ック……ゥ…ッ……もっと…ッ…撫でて…」

ひよりは嗚咽を混じらせた声で言った。

「よし、たくさん泣いてもいいからちょっと先生に体預けてくれな…?」

「ひゃっ…?!」

俺はひよりをお姫様抱っこで抱え上げると、先程2人で授業をしていたブースへ向かい、ひよりを膝に乗せたまま俺は椅子に座った。

「せ、先生…」

ひよりは涙で泣き濡れ、紅くなった顔を俺から背ける。

「今日は誰も来ないから特別。みんなには内緒だぞ?」

ひよりは顔を俯かせながら無言で頷いた。

「先生……私のこと、好き…?」

数秒の沈黙の後、ひよりは俺の眼をお互いの顔が触れそうなくらい近い距離で見つめた。

「もちろん好きだよ。大変な時でも一生懸命がんばるひよりが」

俺はひよりの頭をまたゆっくりと撫でながら答えたがひよりの表情は晴れなかった。

「でも…それって、先生の生徒としてでしょ?女としてじゃなくて…」

俺は何も言えなかった。例え俺がひよりと気持ちを同じにしていたとしても、教師と生徒…俺も社会もモラルが許さないだろう。

「でも、先生……好き……」

ひよりの潤んだ唇が微かに動き、想いが俺の耳に届いた。

「うん」

俺はただそう答えた。きっと俺が知っているどんな甘い言葉や美しい言い訳を囁いてもひよりの心を傷つけてしまうだろう。

そして、数分お互い沈黙の中に見つめあっているとひよりは俺の胸に顔をうずめてきた。

「先生、お願いがあるの……」

胸を伝わってひよりの声が届く。

「最後にギュッてして…」

「いいよ、ひより…」

俺はひよりの体を包み込むように両手で抱きしめるとひよりも俺の背中に腕を回し、俺を離してしまわないようにギュッと抱きしめる。

「この時間がずっと続けばいいのに………」

ひよりの胸の鼓動と体の熱と共に切な願いが囁きとなって俺の耳に届いた。


「それじゃあな、ひより」

入口の硝子張りの扉から夕陽が優しく差し込む頃、俺はひよりを見送ろうとしていた。

「うん!またね先生!」

すっかりといつも通りに戻ったひよりはいつものように俺に笑顔を見せた。

だが、ひよりは彼にその言葉を二度と言うことはないと受け入れていた。

差し込む夕陽が彼女の艶のある黒髪を照らし、ひよりは振り返って扉の取手に手をかける。

「なるべく早くこの気持ちにお別れ出来るように頑張るね先生…」

俺はその台詞を聞きながらひよりの背後に歩み寄った。そして、ひよりの肩に手を置いて振り返らせる。

「そんなことしなくていい。いつか、ひよりを迎えに行くから、ひよりも追いかけてこい…」

「え…?」

ひよりは泣いて周りが腫れた眼で俺を見上げ。

俺はひよりの唇にそっと唇を重ね合わせた。柔らかく温かい、触れるだけのキスだった。ひよりの瞳から再び涙が流れ、夕陽を受けて輝いた。

「先生……またね!」

ひよりは再びその言葉を繰り返すと、今度は彼女から唇を重ねて来た。

そして、夕陽の照らす方へと走っていった。



ー数年後ー

俺は異国の街を歩いている。周りを見渡せば俺と同じ外見や考え、言葉を話す者は1人としていない。

「¡Hola! ¿Cómo estás?(やっほー!元気?)」

後ろから俺を呼ぶ元気な声がした。

「Bien. ¿Por qué no hablas japonés?(おぉ、日本語で喋んないのか?)」

俺は振り返って、自分と近い外見を持ち言葉を話す女性を見た。

「せっかく覚えたんだから使わないと!Entonces, dámelo...(それより先生…ちょうだい……)」

彼女は眼を閉じて少し背伸びをし、俺はあの時と同じキスをした…



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