蕎麦とラグビー
映画の後、おなかがすいた二人は昼食をとることにした。
「なにか食べたいものある?」
「うーん、特にないですけど、あんまり重いものはつらいかもしれないです。」
つないだ手がくすぐったい。
将太が時々茜の手の甲を親指でさするのだ。
セクシャルではなく、愛おしそうに。
見上げると将太の優しい笑顔。
ムズムズくすぐったい。
「じゃあ、うまい蕎麦屋があるんだよね・・・。あ、デートで蕎麦はだめ?」
「え、大丈夫ですよ。良いですね。お蕎麦。」
「じゃあ、行こうか。」
「はい。」
少し行くと近場にこんなところにあったのかという小さな蕎麦屋があった。
一人ではいるのはちょっと気が引ける気がする。
店の中に入ると清潔ではあるが女性受けしない感じの内装だ。
「いらっしゃい。」
明らかに愛想の悪い店主が一人。
中には休日出勤だろうかスーツ姿の男達がちらほら。
女性は茜だけだ。
デートには向いていないな・・・・。
正直思った。
でも、将太はそういうのを気にしない人なんだろうと思っていると。
「うーん・・・。まずったな。うまいのは確かなんだけど、やっぱりここ、デートに向いてないな。
ごめん。」
先に誤られるとどんなところでもいいかと思えた。
「良いですよ、大丈夫です。」
コーナーのテーブル席に着くと茜は天ぷら蕎麦、将太は天ぷらそば定職を両方ざる蕎麦で頼んだ。
「ここ、本当にうまいんだよ。昔は良く来たんだ。日本に帰ってきてからおっさんの愛想がさらに悪くなっていて思わず苦笑いしちゃったよ。」
「確かに、私の読む雑誌には登場しそうにないです。でも、おいしいお蕎麦最近食べてなかったんで楽しみですよ。」
将太はまだ出会ったばかりだが将太とのデートは会話も尽きなくて楽しい。
人によっては「何がしたい?どうしたい?」と相手に合わせようとしすぎる人とか、「予約をしている」とすべて完璧なエスコートが好きな人もいるだろう。
でも、茜はこの自然体で自由人な将太のデートが気に入っていた。
「お待たせ。」
それだけ言うと二人の前にコトリと蕎麦が運ばれてきた。
「おいしそう。」
「おお、いただきます。」
「いただきます」
二人で食べ始めると茜は蕎麦のこし、天ぷらはさくさくでホクホク、あまりにおいしくてびっくりした。
「え、すっごいおいしいですよ!!!」
「だろ!ここは隠れた名店なんだよ。でも親父が宣伝とか嫌がってるから知るのみぞ知るって感じなんだ。」
「え~、すごいもったいない。すごくおいしい。いくらでもいけそうですよ。」
「おお、おかわりできるよ。」
「それは無理ですよ。」
「そうか、俺、2回おかわりしたことあるぜ。」
「すごい!」
「体重比すりゃあ、たいしたことないよ。」
「そうですかね・・。」
「そんなもんだよ。」
ラグビー時代だろうか、相当食べたんだろうな・・・。
食費も大変だったんだろう。
「将太さんはなんでラグビーやろうと思ったんですか?」
「ん?普通に高校でラグビー部があってがたいが良いからって誘われたんだ。やってみたら楽しくてはまったよ。そんなに強くなかったんだけどさ、楽しかったよ。大学に入っても続けたんだ。それでニュージーに行ったんだよ。ニュージーはラグビー先進国だからさ。3ヶ月ラグビー三昧。楽しかったよ。」
楽しそうに話す将太を見ていると本当に楽しかったんだろうと思う。
「なぜ、ラグビー辞めたんですか?」
「大学の4回生の時、頭思い切り打ってさ、首がやばくなって。脳震盪起こして入院して。コンタクトスポーツはだめになったんだ。もともとポジションがフッカーって言って、スクラムって分かる?逆ピラミッドみたいになって相手チームと組んだけど、その真ん中のポジションなんだよ。パワーハウスだし、一番衝撃があるポジションなんだよ。おれ、走るのはそこまで早くないし、他のポジションにもそこまで変われなくてさ。タックルは避けられないしスポーツだし。ドクターストップってやつ。」
看護師の仕事をしている中で交通事故、スポーツ事故で下半身不随になった人にも出会ってきていた。首がだめと簡単に言っているが、首の負傷はとても危険だ。場合によっては首の下の不随、もしくは死にも至る。首には大事な呼吸する時に使う神経を通しているのだ。
ぞっとした。
「怖いですね。」
「そうだな。あの事故のときは怖かったよ正直、首に固定するのつけられてさ、最初は首も痛くて。手足がしびれて弱くなって。何より怖かったのが、いや、これは食事中の話じゃないな。でも、感覚が戻ってくるまで真っ白な天井を見上げていてさ。首は動かせないし。いろいろ考えさせられたよ。だから、その時、献身的に面倒見てくれた看護師さん達には感謝しているよ。だから、茜ちゃんも尊敬するよ。俺は絶対無理。それに俺みたいな腹立たしい患者を相手にするあたりがすごい。」
将太が言いあぐねたことは分かる。おそらく排泄機能がフリーズしたのだ。脊髄ショックで見られる症状だ。人によっては回復に時間がかかる。若い大学生の時にその経験をしたのだ、怖かっただろう。
車椅子生活になるときにリハビリも辛い、苦しい。でも、何よりも自立を失うのが一番辛いのだ。
いままで当たり前にしていた自分を面倒見るという、基本的な事ができなくなるのだ。
時折、若い男性は攻撃的になるときがある。恐怖を怒りと威嚇という形に変えて自分を守ろうとするのだ。
「看護師をしているといろいろと見ます。人の人生の中の病という一番脆くなる時ですものね、いろいろありますよ。でも、そういう時に力になれる仕事だから好きなんです。でも、私も患者さん怒ったことありますよ。優しいだけじゃないんです。」
いたずらに笑ってみた。
私が一つだけ本当に自信をもって言えることだ、人は脆いときに一番強くなれる。
自分が誰かの力になれる。それが誇らしい。
将太が眩しそうに茜を見つめている。
ドキドキしてきた・・・・。
「だからかな、茜ちゃんの時折見せる強さのある目が好きなんだ。看護の話しているときの茜ちゃん、生き生きしているよ。看護師って職業、茜ちゃんに合ってるんだろうね。」
穏やかな目で見られると心臓がどんどん加速している気がする。
心房細動にでもなったようだ。呼吸が苦しくなってくる。
「ありがとう・・・ございます。」
看護師の自分を認めてもらっている。それが嬉しい。
将太の好きなことは何だろう。
自分も将太の誇りを知りたい。
将太にも、自分がもらった様な贈り物が送りたい。
ありのままの自分を認めてもらうこと。
それがこんなに大切なことだったなんて。
どうしよう。涙が出そうだ。
「えへへ。」
ちょっと涙ぐんで笑って見せる茜に将太が手を伸ばしてテーブルの上の茜の手の上にそっと重ねた。
茜が落ち着いてくると食事も終わった二人は昼下がりの蒸し暑くなってきた外に手をつないで歩き出した。
「将太さん、全部おごりはやめてくださいね。私、おごられっ放しじゃ嫌ですよ・・・。」
お昼も奢ってもらって正直つらい。
「いいんだよ、次のデートは茜ちゃんのおごりだから。」
次のデートがあるんだ!
「次ですか?」
「そう、次は茜ちゃんの手料理弁当でピクニックにでも行こうよ。」
「手料理?!!だって、将太さん、おじちゃんの所のおいしいご飯で育ってんですよ。無理です。」
「大丈夫だよ、茜ちゃんの手料理楽しみだな~。」
くすくす笑っている将太を軽くにらむと最近ご無沙汰している料理本はどこにあったか考え始めなければならない茜だった。
その後は買い物をしたり、町をブラブラ歩いたり、普通の恋人同士みたいにデートをした。
将太は買い物中は完全に飽きていた。
男の人でも買い物が好きな人はいるし彼女の買い物に上手に付き合う人もいるだろうが、将太は買い物には向いていないような気がした。
おとなしく着いてくるが買い物自体に興味がないようだ。
一箇所だけ興味を見せたのが大型電化製品店と靴屋でのビーチサンダルだ。
一生懸命パソコンの最新機能だとか、どのメーカーが良いとかいろいろ教えてくれたがまったくもって理解できなかった。
「将太さんはパソコン好きなんですか?」
「パソコンが好きっていうより機械がすきなんだよね、分解したり。一回テレビを完全に分解して戻せなくなって親父に殴られそうになったよ。」
「うそ!いくつのときですか?」
「中学のころかな。」
「面白い子だったんですね。」
「そうかな~、男だったらいろいろ興味があるものは追求したくなるもんだよ。」
「将太さんは機械系に進もうと思わなかったんですか?」
「俺は物理が嫌いだったんだ。だから無理だったな。でも今でも機会は好きだよ。」
「じゃあ、将太さんの夢は何ですか?」
「夢?そうだな~。なんだろうな。でも、家が欲しいかも。自分の城が。それくらいかな。仕事は楽しいし、やりがいがあるから。あとは城だな。」
「家ですか!良いですね。私も前、マンションのとか見ていたんですけど、もう少し郊外に出れば結構大きな中古の家が結構安く買えるんですよね。」
「そうそう。俺も見始めたばっかりなんだけどね。」
「いいのが見つかるといいですね。」
将太の夢は自分の城を持つこと、彼らしいと思った。
自分の基点を大事にしているのだ。
気がつくとまた駅のほうに戻って来ていた。
時間は夕方4時。
もう少し一緒にいたいが暑い中で歩いて疲れてきた。
でも、もう帰りたいとは言いたくない。
そっと無言で将太を見上げると
「まだ離したくないけど今日はこれくらいにしようか、疲れたでしょ。あんまりしつこくて嫌われたくなしな。」
「いえ、そんな。でも、少し疲れましたね。そうですね。今日はここで・・・。」
「送ろうか?」
「え、良いですよ。まだ明るいので大丈夫です。」
「そう?じゃあ、また連絡するよ。ピクニックも行きたいし。」
「あ、はい。私のシフトが週末休みになったら連絡します。先3週間は週末仕事なんです。」
「そうなんだ、大変だね。分かった、連絡待ってるよ。」
「あ、はい。今日はありがとうございました。」
「こちらこそ、楽しかったよ。」
「私も。」
「うん。」
「はい。」
「・・・・。」
「・・・・。」
将太が手を離してくれない。
え?帰れませんよ。
「将太さん?」
「・・・・。」
「せっかくなじんだのにね。」
「?」
「ほら、つないだ手がやっとなじんできて同じ体温になったのに、また離れちゃうんだな。」
ちょっと残念そうに二人のつないだ手を見る将太が愛おしかった。
まだ出会ったばかりなのに。
「また、つなぎましょう。」
微笑んで答えると、将太も穏やかな笑顔を見せた。
「じゃあ、また今度。」
「はい。」
「気をつけて帰ってね。」
「はい。」
何度も振り返って手を振ると将太は見えなくなるまで見送ってくれた。
茜は手を振りながらこの始まったばかりの恋が自分を満たしていくのを感じた。




