二日酔いと噂
「ううう・・・。」
ガンガン響く頭を抱えて経過報告を書きつつ修行時間をまだかまだかと時計を確認してた茜は昨日の自分を恨んだ。
もう若くない、次の日が早番の日に飲みすぎるなんて、量の問題ではない気がする。悩みをそらす為の酒はなかなか分解できなくなってきたのか・・・。
これでも学生時代は結構飲めたのに、今でも呑み会の場は好きだ。だから理沙との’レッスン’も茜にとっては楽しい時間なのだ。
「頭痛い・・・。」
また独り言を言うと、スタッフルームのポーチの中からアスピリンを取りに行くと若手のまだまだピチピチな新米看護師たちが集まって話をしていた。
若さのビームが眩しくてそのままスルーで薬だけ取ろうとしていた茜を若手NO1で可愛いと評判の藤堂ありす(名前までかわいい)が興奮した様に茜に詰め寄った。
「茜さーん!高田先生の噂知ってます?!」
うう、若さが二日酔いの頭にはきつすぎる。くりくり可愛いありすは自分の魅力を十分に理解していて、それを引き立てることがうまい。尋ねる時の微妙な首の角度まで嫌味ではなく、本当に完璧だ。思わず見とれてしまった。
「え?何?高田先生?んーん。知らないよ・・・。」
はっきりいって興味もない。昨日の今日でちょっとまだ高田先生のことは考えたくなかった。
「高田先生、結婚したいみたいですよ。なんか、最近そういうことポロポロもらしていたみたいだし。でも、昨日、OT(作業療法士)の子達が誰かと歩いてる高田先生見たんですって!どうしよ~!高田先生憧れてたのに~!私がお嫁さんになりたい!って、みんな言ってるんです。」
みんなではないだろう、ありすが言っているのだろう。みんなって誰さ・・・・。
夢見る乙女の様に組まれた手をあごの下に置き上を見つめるありすはまさに夢見る少女である。
そんなことより、昨日のことを誰かに見られていたことのほうが重要だ。高田先生の人気は思いのほか高かったようだし、昨日のことが噂になってどうこう言われたり、プロポーズのことがもれるのは嫌だった。ただでさえ混乱した頭にすっきりしない何かを見つけられないままでこれ以上のプレッシャーに耐えられそうもない。
「そ、そうなんだ。でも、昨日はただの知り合いじゃないの?高田先生、付き合っている人がいるとか言ったことなかったじゃない。」
うまくごまかそうと試みたが、夢見る乙女の情報網は侮れなかった。
「違います、高田先生、昨日、勝負時なんですって他の先生に言ったんですって。しかも、そのお相手はまだ付き合ってもいないんだって。しかも、この病院に勤めてる人っぽいんですって。誰なんでしょう~。うらやましい~!」
どきっ!ではなく、これはギクッ!!!
絶対にばれたくない。そもそも、なぜ高田先生は私なんかを選んだんだろう。そもそもおかしい。こんなにかわいい乙女たちの中からより取り見取りで選べるのに、なぜ私なんだろう、確かに結婚適齢期にはいるが、かわいい部類でもないし、スタイルの平々凡々だ。ここで自分が昨日の相手だとばれれば絶対にいい方向に話が行かないのは目に見えていた。
どこまでいっても看護の世界は女性社会だ、そこには美という武器を持った女たちが自分をより高めてくれる男たちを求め争う。もちろんそんなことばかりしているわけではないし、誰もが医者と結婚したいと思っているわけでもない。むしろ信じられないほどの量の仕事と重圧とストレス、一緒にすごせる時間も少ない医者と結婚することの難しさを現場で見ていると痛感してしまう。
その点高田先生はエリートコースに乗った医師なのでそこまでの長時間労働を課されている訳ではないと思う。でも、膨大な量の論文だ、医学会だ、新しい療法だの勉強を強いられているだろう。
ますます自信がなくなってきた。
黙り込んだ茜を不審に思ったありすが
「どうしたんですか?もしかして茜さんも高田先生狙いでした~?ウケル~!みんなそうなんですね~。」
初めてありすの悪意を感じだ茜はびっくりしたがこれも、この子が本気なんだろうと取った。
この子は本気で高田先生を狙っている。
「いや、いや、違うよ。高田先生は違うよ。でも、先生、お嫁さん探してるんだね~。でも、みんな好きだね。医者の嫁は大変だろうに。」
話をそらそうと嫁業に焦点をずらすと乙女たちはまた口々に嫁の喜びを語った。
「だって~、高田先生なら、出世も問題ないし、素敵なお父さんになってくれますよ~!」
確かに、高田先生はできた人なのだ。子供に対する態度も優しい。
「それを家庭に入ってかわいい子供と素敵な旦那様、安定した生活。最高じゃないですか~!」
子供はかわいいだろう、自分もほしいかもと実感したばかりだし、そこは納得できる。でも、家庭に入るという言葉に引っかかった。
「え、ありすちゃん看護士やめるの?はじめたばっかりジャン。」
「何いってるんですか~、もしもの話ですよ。でも、私は家庭に入ります。共働きとか嫌なんで。だからできるだけ収入の安定した人がいいです。それに、看護師は一生の仕事って始めたわけではないので。だって、年取ったらこの仕事つらすぎますよ。私は看護好きですけど続けていくのは無理だな~。」
確かに看護師としての仕事は肉体労働だ。ヘルパーの人たちがたくさんのケアを手伝ってくれるようになってからだいぶ楽になったが女の建設現場並みの体力仕事である。
自分が定年まで続けるとは思わなかったが、でも家庭に入って看護はこれでおしまいっと割り切った考えを持っていなかったことに気づかされた。
自分は今までがむしゃらにがんばってきた。今でも勉強の毎日だ。学生時代の勉強とは違うが、毎日新しい何かを吸収している、そこが楽しい。それをごっそり持っていかれて私は果たして満足できるのだろうか。
家庭に入るのは素晴らしい事だと思う。お金に余裕があって、子供も母親がいつもそばにいる環境は一番良い事なんだろう。茜の母も専業主婦だった。家に帰るといつも母がいた。当たり前の毎日だった。
でも、自分は完璧に看護の道をあきらめられるのだろうか。
ここまでの大人としての自分のアイデンティティーの中心には看護師としての自分がいた。
看護師になる勉強をする自分、看護師の自分。それが茜だ。
この病院はスタッフサポートが長けているのでも有名で、たくさんの看護師はパートタイムで子育て、家庭をやりくりして仕事をしている。サポートがしっかりしている分、やめていく人も少ないので熟練の知識と技術が生かされていていい病院だと茜は誇りに思っていたのだ。
ああ、なんだかわかった気がする。この二日酔いの頭にも、何が違和感だったのか。
高田先生は素敵だ。
結婚相手として申し分ない。
普通だったら、飛びついてお付き合いからはじめてみるだろう。
だって、もったいなさ過ぎる物件だ。
こんな私にはもったいないくらいの一流品だ。
何もかも洗練されていて、素敵で。
でも、
違うんだ。
私は、まだ看護師としての自分を諦められない。
高田先生はポロポーズで言っていた。
「家庭に入ってほしい」
これは願いではない、議論点でもない、
条件だ。
私は条件には満たない。
ここにいる夢見る乙女のほうがよっぽど条件にあっている。
いつの間にか流されいたような毎日にも自分は自分を形成していたんだとほほえましくなった。
看護師としての自分が誇らしい。
嬉しかった。
理沙の言っていたなりたい自分の扉が見えてきた。
急に微笑んだ茜をみてありすは思いっきり引いていたが自分は自分で夢に乙っていたのでお相子である。
「高田先生、その人とは結婚しないと思うよ、ありすちゃん、好きなら押せ押せでしょう。結婚願望がある男なんて、いちころだよ。家庭的なところをガンガン出せば、大丈夫。きっと落ちるよ。」
キョトンとしていたがそれもかわいい・・・。
次には満面の笑みになり、
「そう思いますか?私、がんばろうかな!!!キャー!!」
女子高か、ここは・・・。
さめた大人はアスピリン飲んで退散します。
アスピリンのおかげか、ありすのおかげか、頭がすっきりして頭痛もすぐにやんだのだった。




