パイオニアの菊穴から
「ほんま腹立つわ。」隣から聞こえるボヤキにわざと反応しないようにして、ゆっくりと腰を下ろした。立ったままでいるより脚はずっと楽になったが、反対に腕は苦しくなった。根っこに近いほうが幹が太くなるから、立っているときにはあった幹と腕の間のゆとりがなくなり、その為に腕の筋が張り、ざらざらの樹の皮も皮膚に強く当たり、さらに後ろで手を縛っている紐が手首に食い込み、少し、というか結構痛かった。予想以上にきつかった。久しぶりにきつかった。でも一回座ってしまったから、もう立つのは面倒臭い。後ろで手を縛られたままで、立ったり座ったりするのはなかなか労力がいるものだ。一定量の気合も必要なのだ。それに痛いのだ。きついのだ。だからもういいのだ。脚は楽。脚は楽。ああ楽だ。ああ脚が楽だ。なんて独り強がり遊びをしていたら、イクジもその手があったか、みたいに「お。」と言って座ろうと試みたが「あかんあかんあかんあかん!」と叫んで、はあはあ言いながらもとの体勢に戻った。「手の方が楽だコース」を選んだようだ。
広場からがやがやと社員の話す音がする。こうしてほのぼのしているうちにも夜の宴の準備がされているのだろう。宴の料理として出されるのだろうから、その前に調理されるのだろうか。もしくは宴のプログラムの中に「捌く」だとか「焼く」だとかのイベントがあるのかも知れない。どっちにしろ今日いっぱいで俺とイクジは星になるってことだ。
「おうい。ハンチョーやあい。」イクジが変な声で呼んだ。「ハンチョー、ハンチョー、下っ端のハンチョー。人間の肉ってうまいんか。」相変わらずハンチョーは黙ってうつむいたままだ。「おいこらメガネ、何とか言えや。蹴るぞこら。」自分が殺されてしまうとわかってヤケクソになっているのだろう。壊れかけていやがる。さっきまでは樹海から生きて出たものだと喜でいっぱいだったろうに。壊れても仕方ないか。で、不幸にも今度は俺が標的になった。
「こらキー坊。お前はなあ、やたら暗いねん。俺がなんぼ盛り上げたかていっつもぶすうっとしやがって。面白みの欠片も無いやっちゃ。そんなんやから人生おもろないねん。そら自殺もしたなるわな。それにお前は周りの人間を不幸にする便所の妖怪じゃあ!」
よくわからない理屈で罵られちゃった。しかし意外だったのが「暗い」「面白みが無い」という言葉。俺はこれでも自分が面白い人間だと思っている。頭の中では最高のショウが繰り広げられているっていうのに、他人には理解できないのだろうか。そう思って今までの自分を振り返ってみた。俺はイクジの目にどんな風に映っていたのだろう。
・・・・うん。確かに一緒に居て楽しくない人間。納得。合点。俺は自分の思考の世界だけで楽しんで、それをあまり外界に反映させていなかった。周りから見れば、無口、暗い、ユーモアが無い、何に対しても興味が無さそう、体育の授業はいつも見学してそう、ティッシュひと箱を消費するのがものすごく早そう。自室のゴミ箱の中身の内訳は、ティッシュが8割以上を占めてそう。だ。間違いない。俺と接したやつは大抵そう感じていたに違いない。ああ、そうだったんだ。今になって自分の思う自分と、他人が見ている自分の大きなギャップに気付くことが出来た。ああ、今になって。ああ、俺は大馬鹿者だ。有難うイクジ、有難う(有)オオツカ食品。はい。はい。こんなことどーでもいーでーす。俺はもう死んじゃうもんねー。ぷー。腕がじんじんしてきたから、ちょっと微笑んでみた。
向こうから誰か来たみたいだ。あ、あいつだ。「えー」とか「まー」とかいっぱい言うジチョーだ。
「少年たち、えー、おとなしくしてるかね。」イクジはぺぺっと唾を吐いた。
「えー、さっきシャチョーと話し合ってたんだが、うるさい方言の君、今夜は君がメインディッシュになるからね。まあ残ったら燻製ね。そして、えー、おとなしい君は暫らくは家畜ね。まあ燻製がなくなってから食うからね。」
「ええ加減にせえよ。お前らそうやって何人も殺して食ってきたんか。」
「うん。ここに誰か来るたびに殺して食ってるよ。しかしおかしいよねー。皆死にに来たくせに皆が皆怒ったり泣いたり命乞いしたり。まあ矛盾してるよねー。おかしいよねー。」
「おかしいのはどっちやねん。」
イクジの言葉に肩をすくめ、ふうと一息入れてからジチョーが、
「えー、私がシャチョーと出会ったのは七年程前、自殺する為にこの樹海に入ってうろうろしてたら、人間の肉を食べてるシャチョーたちに遭遇した。」訊いてもいないことを話し始めた。「えー、まあその時私は家畜になったんだけどね。まあ気が付いたらいつの間にかオオツカ食品の社員になってて、人間と会うたび皆で食ってたよ。最初は不味かったんだけどね、そのうちクセになっちゃってね。えー、なかなか自殺志願者に会わない時はまあ辛かったね。まあ美味そうな社員殺して食っちゃったんだけどね。えー、ジョームとかセンムとか。それで、今では社員が六人になったってわけね。えー、まあしかしこの馬鹿ハンチョーが不味いイモを開発したせいでね、まあ、えー、まあ余計なおしゃべりはこの辺りにしておこうか。」
訊いてもいないことを、えー、まあ、ずらずらとじゃべりやがるが、えー、まあ、二人は聴き入ってしまっていた。手が辛いのもあんまり感じないくらい、興味津々だった。
「ハンチョー、薪拾ってこい。」ジチョーが横柄に言うと、ハンチョーはすくっと立ち上がってどこかへ歩いていった。「あいつ、あれでまあ元フクシャチョーなんだ。あんまりショボいから、まあ降格したんだ。」にやっとして、ジチョーはまた広場へ戻った。広場からは楽しそうな歌声が微かに聞こえてきた。
午後2時ぐらいだろうか。上を見上げたらほぼ真上に太陽が見える。やたらと暑い。こういう場所って涼しいもんなんだと思ってたけど、ここで縛られてるのが熱い。腕の方は感覚が変で、ひんやり。
「なあキー坊。」ぼそっとイクジが語りかけてきた。なんか可哀そうだったから「どうした?」って優しく返事をした。十秒とちょっと、沈黙があって、イクジは話し始めた。
「俺な、小さい時から何不自由ない生活しとった。普通に家族がおって、普通に友達がおって、普通よりちょっと多めに恋人がおって、普通に学校行っとって、普通に仕事しとって、好きなもんも普通に食えたし、好きなことも自由にしてたし。
せやけどいつも何かおかしいって思っとった。何か足りひん。ちゅうか、なんかおかしいねん。それに、何やってもうまいこといかへん。いつも、俺の人生こんなもんやないって思とった。でも、どうしたらええかわからん。自分自身がどうしたいんかもわからん。考えれば考えるほどおかしなっていって、なーんにもおもろなくなって、なんや。なんや、生きてたってしゃあないなあって思うようになった。そしたらもっともっと毎日がくだらん、退屈な、苦痛なもんになっていく。そうなる度に、人生上向きに変えれるんは自分しかいいひんねやって思って、色々努力した。わざと無理して面白いこと言いまくってみたりさ。ほかにも色々考えたよ。どんだけ努力したかていつも空回りするばっかりやった。俺のせいやなくて、こんな現代が悪いんや。こんな現代とはおさらばや。いっそのこと死んだろって、社会のせいにして、社会を呪いながら死んだろって何回も何回も思った。
でも、やっぱり死ねんかった。死ぬんが怖かったんか、いや、希望の欠片みたいなんがあったんかな。もしかしたら、何か凄いことが起こって、俺のくだらん毎日をぱっと変える何かが起こるんちゃうかって。待っとった。果報を寝て待っとった。待っとったんやけど。待てど暮らせど俺は悪い方向に向かって行くばっかりや。このまま生きてたってしゃあない。そない思た。
せやから、最後のチャンスやって思ってここに来たんや。けどこれ見てみい、やっぱりこうなるんや。俺はとことんあかん奴なんやで。あかんねん。そうゆう定めや。」
悲しくなってきた。イクジが不憫で不憫で仕様が無い。どうしてこいつがこんな苦しい思いをしなければならないのだ。こんな世界に憤りを覚えるどころか、ただ悲しい。イクジが弱い訳じゃない。イクジが悪い訳じゃない。この理不尽な社会が、人を苦しめているんだ。そうだ。イクジは被害者だ。そして同じような苦しみを感じながら生きてきた俺もまた、被害者だ。内臓という内臓を、すべてえぐり出されたような、どうしようもない同情の念が襲いかかってきた。
「同情、するよ。」もう、何て言えばいいか判らなかった。同情って言葉が、イクジにとってどんな意味を持っているかは判らないが、こんな言葉しか見当たらなかった。
「おおきに。」イクジはびっくりするほど穏やかな口調で言った。
こんな気持ちになるのは今まであっただろうか。人間に、俺に、こんな感情が存在することが悲しい。こんな苦しみを感じる能力なんて要らない。こんな世界は、要らない。
でも、もうじき終わるんだな。さあ、早くこいつを消してやっておくれ。早くこの苦しみから解放してやってくれ。命が絶えれば、凡てが無に還るのだから。そしたら、世界が消えるのだから。何もかも、終わるのだから。早く、早く、早く。もういいだろう?
「イクジ。もうすぐだ。もうちょっとで全部とさよならできる。な。天国で会おう。」
出来る限りの優しさを込めて、信じてもいないことを伝えた。
「天国なんかあるかい。」イクジはまた穏やかに呟いた。
と、思ったら急に般若のお面みたいな顔をして叫び始めた。
「いや、まだ俺は生きてるぞー。殺されてたまるかい!とことんもがいたる!死ぬときは死ぬときや!それまで必死こいてもがいたらああ!元気がイチバーン!だあああ!」
全く救いようが無いね。馬鹿。大馬鹿。超馬鹿。馬鹿の殿堂。死んだほうが楽だっての。こうなったら死ぬまでとことん苦しみ徹しやがれ。死んでからも苦しみやがれ。阿呆。ド阿呆。阿呆のパイオニア。呆れ過ぎて、さっきえぐられた内臓がもう返ってきて、今はルンバなんかを踊っていやがる。呆れ過ぎて、笑うしかない。うへうへうへ。
「おしっこ漏れるー!にょおもれえー!ほどけえー!だらあああ!」
御馴染み「おしっこ漏れる作戦」で逃げようってか。こいつ本気でこの状況を打開するつもりだ。見事としか言いようが無い。可笑しくて可笑しくて、もう手の感覚がやばくて、身体をもぞもぞさせながら立ったり座ったり立ったりした。もう腕をぶっちぎって走り出したいぐらいの気持ちだ。思う存分笑わせてくれ。もう頭の中がぴろぴろだ。全身の感覚がぺろぺろだ。うへうへうへ。
「キシ、お前もしょんべしたいやろ。あいつら呼べ。」こっちの方を向いてイクジがそう言うやいなや、俺の股間の周辺の湿り具合に気付いたらしく、一瞬にして般若の形相が、歓喜の表情へと変わった。
「お前漏れとるやないかい!うわーしょんべたれよったーうへへへへうへへうへうへ。」
繰り返し繰り返し、重ね重ね、言いますが、俺、死ぬんですよ。最後まで人間らしくとかどうでもいいんです。死ぬんなら一緒でしょ。しつこいけど、そういった理由で僕は垂れ流しな訳で、ちなみに大便はまだ垂れ流してはいませんの。
「おーしー、こー。オゥ、シィ、コゥ。誰か来いやー!キー坊ちびっとんぞー。」イクジは嬉しそうに、俺のデリケートな部位あたりをちらちら見ながら社員を呼んでいたが、そのうち自分の膀胱の都合が思わしくなくなってきたのか、切羽詰まった様子で叫びはじめた。
「あれ、ハンチョーどこ行った。」騒ぎに気が付いて、やっと小太りブチョーが来た。イクジは排泄のニーズを満たしてほしいと願い、ブチョーは困った顔で相槌を打っている。ううん。なんて考え込んでるみたいだが、失禁しそうな少年をいたぶって楽しんでいるようにも見える。歯を食いしばりながら体をむねむねくねらせているイクジの顔色が、スルメイカっぽくなってきた。やっとブチョーが結論に達してくれたようだ。
「うん。食材が汚くなるのは良くないな。漏らすなよ。絶対もらすなよ。」
散々悩んだ挙句、出た答えが「漏らすなよ。」ってこのブーちゃん、相当考えることが苦手らしい。
「ちょ、漏れるから、さ、さしてぇ、、う、、、く、、、おねがっ、、、」
「えー、どうしたらいいんだ。相談してくる。漏らすなよ。うん。」
「無理・・・あかん。て。ほどいて。」
「そんなことして逃げるつもりだろ。騙されねえぞ。馬鹿野郎。」ブチョーは向こうへ行こうと歩き出した。もうイクジも脱出とかそんなことは、この際どうでもよくなってしまったらしく「ほどかんくてええから、、、たのむ」と今にも事切れそうだ。自我と生理現象とのバランスって大切だよね。なんて意味もわからずなんとなく心の声で呟いてみた。
社会の窓から引っ張り出してもらった左曲がりのイチモツの先端から勢い良く放水して、いい顔。
「極限まで耐えて、耐え抜いて手に入れた歓び。最高です。」昇天しそうな、いい顔。ブチョーはちょっぴり聖水を浴びてしまったようで、些か不機嫌。ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ。放たれた聖水が小川を形成し、とめどなく流れ、俺の前を横切る。これ、いつまで出るんだろう。ああ、和む。和むわ。
彼の放尿がもたらした昼下がりの穏やかなひと時は、彼自身のひと言がびりびりに破ってしまった。
「うほほほほおおおおお。む、漏れるう。う。」今出してるじゃねえか、と誰も言ってしまわぬうちに「固体の方。固体のヤツが出る。」と真っ青のイクジが唸る。ほどいてくれ、と言われてしまわぬうちに、放水が終了したことを確認したブチョーが、イクジのズボンと純白のブリーフを順にずり降ろした。ちっ。と舌を鳴らして、イクジはやや腰を落とし、幹にもたれたまま排便の体勢をとった。二人の男に見守られながら。
ばしゅっ・・・ぼっ・・・びちゅちゅちゅしゅしゅしゅうぅ・・・・じゅ。びびび。
「固体じゃなくて液体だったわ。えへへっ。」びちっ・・・ぷっすーぅ・・・・じゅ。びびび。先ほどの小川の後を追うように、泥流が俺の方へゆっくり伸びて来た。
「拭いて。」可愛く言って見せたイクジに、ブチョーはケツキックをお見舞いし、不機嫌そうに広場の方へ歩いて行った。
その時、いっぱいの薪を背負ったハンチョーが戻ってきた。
「見張りしとけって言っただろうが!クソッタレ!」ブチョーはハンチョーのいろんなところを計六、七発蹴ってから広場へ戻っていった。ハンチョーは何も言わず、表情ひとつ変えず、死んだような眼で遠くを見ていた。このおっさんの眼は、いつ見ても死んでいる。




