どら焼き
「名前は。」「キシ。」「カッコええ名前やなあ。ほなキー坊て呼ぶわ。」「・・・・・」「で、キー坊よ。何で死のう思ってんのよ。」「イクジと同じようなもん。」「ふーん。腐ってるよねー。実に腐ってるよねー。」なんて会話をしながらも、二人はずんずん歩いていく。進めど進めど不気味な樹海の風景は変わらない。日が高くなってきたせいか霧は薄くなり、かなり先まで見通しが利くようになってきた。日光が射してもここの植物たちはやけに緑が黒ずんで、茶色がかっていて、決して和める緑色ではない。「ちょ、ちょい休憩しよや。」イクジが座り込んだ。確かに歩きっぱなしで疲れた。イクジは馬鹿でかい荷物のせいでもっと疲れてる筈だ。しかし、ここでこの男に従っていては主導権を握られてしまうような気がして嫌だったので、無視して歩き続けた。
「おいおい、相棒さん。待っておくんなせえ。はああ。」一度下ろした腰をもたげたイクジは、よろめきながらも早足で付いてくる。何が主導権だ。さっき何でもいいやって思ったところなのに。とは言っても何か腑に落ちないんだ。しかし・・・すぐ手前に行く手を阻むかのように、直径六十センチメートル程の幹が横たわっている。休憩するか。苔やら蔦やらがびっしりついたそれに腰掛けた。イクジは向かい合うようにして地面に腰を下ろした。
「ヒルメシ、ヒルメシ、ハラヘッタ、メシクワセー」リズミカルに歌いながらイクジはリュックを開けてごそごそとまさぐり、アルミホイルの包みを取り出した。嬉しそうにその包みをめくり、顔を出している薄く茶色がかったゆで卵をお下品にほおばった。ぐっちゃぐっちゃと汚らしく音を立て、うまそうに食っている。「これな、夕べ見ず知らずのおばはんがくれたんや。世の中すてたもんちゃうなあ。ふごふご。キシも食うか。しょうゆ漬けや。うまいぞ。」確かに空腹ではある。正直食いたい。しかし食ってしまえばピクニックだ。おれはピクニックしに来たんじゃあない。こんなところで栄養素を摂取してどうするんだキシ。でも今だけ、この一瞬だけピクニックだ。「ひ・・・ひとくちだけくれよ。」「・・・あん、もう食ったぞ。」迷ってる間にタマゴちゃんはお下品な胃袋に収められたらしい。微妙な腹立たしさと恥ずかしさを隠す為にちょっぴりはにかんでみた。「しゃないなあ。コレ食え。」差し出された魚肉ソーセージをぐっちゃぐっちゃと激しく咀嚼した。
イクジはまた大きな大きな不思議な不思議な袋をごそごそといじりだした。
「何が入ってるんだ。」この男は謎が多い。悔しいが興味津々なのだ。
「はっはあん。俺に興味津々ってか。キー坊くんよ。一部だけぇ、ちらっと見せたろ。」いちいち腹の立つやつだよまったく。と思いながらも、何が出てくるのかとリュックの口を注視してしまっている。「まずは・・・」と取り出されたのは、真っ赤な色した歯磨きセット。「これはですねえ、このキャップをケツの方に差し込むとぉ歯ブラシは長くなり、なんと!ケースはそのままコップとして使用できるというニュータイプ。画期的でしょう。うへへ。うへへへ。」なんじゃそら。こいつはピクニックに来たのではない。完全に旅行気分でいやがる。拍子抜けだ。全身の力が抜けるよ。ほんと。「お次は・・・」もういいよ。興味が失せた。やめてくれ。しかしイクジはにやにやしながら紹介を続ける。「ポータボーゥ・ミューズィック・プレイオアだあっはっはっはっはー。」「えー、このイアーホンを耳の穴に突っ込みましてえ、再生ぽちっとな。」樹海の中で目を瞑り、微笑みながら左右に体を揺らして音楽に浸る姿はとんでもなく場違いである。蹴り飛ばしてやりたい。樹海の外まで飛んでいくがいい。
「あーええ歌うたいよるわドラヤキーズ。ちょっと聴いてみよし。」耳くそがこびりついてそうなイヤホンを俺の耳にはめこみ、イクジが言う。「こいつら俺のツレなんやけどな、歌詞がええねんほんま。名前はものすごダサいけどな。ドラヤキーズてなんやねん。うへへ。」
聞こえてくるのはシャカシャカと乾いたリズムギターに単調なエイトビート。半テンポづつもたつくベース。目茶苦茶にはずれたメロディー。ユニゾンにもならない野次のようなコーラス。不快な音に顔をしかめた。とりあえず音は無視して言葉にだけ集中してみる。これが、びっくり。未曾有の衝撃だった。
社会に対する批判と、自尊心を満たすような言葉を並べるだけの歌詞。嫌なものから目を背けて逃避しているだけのようにも聞こえるが、その中にどうしようもない切なさと、揺るがない明日への希望が見え隠れするのだ。一曲も聴き終わらないうちに、もう完全にドラヤキーズの虜になってしまっていた。不快だった音も歌詞とうまく溶け合い、引き立たせるスパイスのようだ。すっかり聴き入ってしまい、遂には一周してしまっていた。そういや、イクジは・・・すー、すー、ふごっ。リュックを枕にして寝入ってしまっている。もう一周だけ聴こう。ドラヤキーズが感性という胃袋にずっしりと居座った。
どれぐらいの時間が過ぎたのだろう。停止ボタンを押し、イヤホンを外して首にぶらさげた。ふうう。と大きな吐息を足元の土に吹きつける。どれほど彼らの音楽に意識を奪われていたのだろう。全十三曲。最低でも六周は聴いているはずだ。今では多くのフレーズを口ずさめるようになってしまっている。
くだらねえ くだらねえ
くだらねえ 国だ
出て行くぜ 出て行くぜ
俺達だけの 国をつくるんじゃ
特に印象に残っている一節を歌ってみる。聴くだけもいいが、自分の喉を揮わせてみるのも気持ちの良いものだ。ああ、もっと早くにドラヤキーズに出会っていれば何かが違ったかもしれない。こんな所に腰を降ろしていることなどなかったかもしれない。しかし、ここでしかこの音楽と出会うことはなかった。死のうとしなければ、出会うことはなかったのだ。畜生。なんだこれ。もやもやしてきた。もんもんしてきた。
「くだらねえくだらねえくだらねえ人生だ!」どうしようもなくて叫んだ。か弱い怒声はすぐにくすんだ緑に吸い込まれていった。気が付けばもう紫の夕暮れが樹海を包みはじめていた。
先程の叫び声でイクジは漸く目覚めたようだ。「あああ。なんやお前でっかい声出して。くだらねえ人生てゆうたか。歌詞間違えてんぞ。ドラは絶対そんなこと言わへんぞ。んんう。」だるそうな鼻声で、背筋を伸ばしながらイクジが言う。今は何故かこの男の存在が鬱陶しくて仕方ない。視界に入れないように目を瞑ってうつむき、声が聞こえないように耳を手の平できつく塞いだ。でも嫌な声は聞こえてくる。
「全部聴いたんか。何でそんな暗い顔してんねん。気に入らんかったんか。」
返事はしたくなかったが、そこだけは言っておきたかった。
「最高だったよ。」
「やろ。やろ。最高やろ。いやあお前にもわかるかあ。嬉しいなあ。いやいや、最高やったらもっとサイコーみたいな顔しろよ。おかしなやっちゃなあ。え、こら。」
「ちょっと黙ってくれ。」
「おいおい、どうゆうことやねんなキー坊。」
「変な呼び方するな。」
「ごめんキー坊。」
それからしばらく二人は黙った。俺は耳に手を当てたまま、むこうの樹に赤いカラースプレーで書かれた「さよなら」という文字を眺めている。イクジはリュックにもたれかかるようにして。何かを考え込んではいるが、何も考えていないような、勝手に頭の中を考えが走り回っているような感覚。
あたりの風景から色が奪われていくようだ。夕暮れから夜になろうとしている。痺れを切らしたようにイクジが急に立ち上がった。立ち上がってキシの目の前に立ったはいいが、何を言っていいのかわからず鼻の下に右手を当てている。この男に言わなければ。やはりこのままではいけないのだ。
「なあ、やっぱりイクジはイクジでやってくれよ。俺はどうやったって生きてはいけない。死ぬんだ。ここで死ぬんだ。俺と居れば幸運は逃げるばっかだぞ。」
ミュージックプレーヤーにイヤホンのコードを巻きつけ、目の前にある手に握らせた。
「ちょ、これから夜やで。怖いやんけ。」
「俺は怖くない、死ぬんだから。生きたいくせにこんなとこに来るからだ。知らないよ。」
「そんな冷たいことゆうなやキー坊。俺は別に生きたい訳とちゃうぞ。死んだかてええって真剣に思ってる。せやからここに来た。ただ、出られたら生きていけるかもって・・・ってそんなん今はどうでもええんや。なあ頼むわ。じゃあ一緒に死のう。な、これやったらええやろ。」
「嫌だ。イクジと居たら調子が狂う。じゃあな。」
座っていた幹から立ち上がろうとしたその時、足がいうことをきかなくてバランスを崩した。当たり前だ。ケツにできものが出来るぐらい長いこと座ってたのだ。さっき座っていた部分に尻餅をつき、そのまま後ろに倒れこみ、幹の向こう側に後頭部から落ちていった。
とんっ。地面に打ち付けたはずの後頭部に異様な感触。土や、植物ではなく、さりとて鉱物でもない。明らかに動物、肉の質感。もあっと腐敗臭が鼻をかすめた。コマ送りのようにゆっくりと首をひねり、その肉が何であるのか理解したとき、今までに経験したことのない恐怖が滲み出て、爆発した。その肉は人の形をし、衣服を纏っていた。俺の後頭部は、その仏さんの臀部に打ち付けられていたのだ。温度という概念を超えた寒さが全身と、精神を支配する。ホルモンが急激に異常分泌を始めた。次の瞬間にはもう、全力疾走をしていた。断末魔のサイレンを鳴らしながら。




