だれかわたしにきょうみをもて
止まない雨のごとく、言葉は流れ落ちていく。紙コップに溜まった言葉はもういっぱいになるくらいだ。毎夜毎夜、私は言葉を吐き出す。私は今夜も色んなことを考えているよ。例えば宇宙について。あるいは世界について。もしくは海の上の暮らしについて。今日会った人について。今日会わなかった人について。私が吐き出した言葉を誰かに伝えたい訳じゃない。けど、私が毎夜、紙コップに言葉を溢れさせていることに気付いて欲しい。私の哲学を気にして欲しい。そしてベッドに潜り、眼を閉じてから、私はいつも声を出さずに呟く。
「だれかわたしにきょうみをもて。」
次の日の朝、海の底は今日も平和だった。水面から三千メートル、光の届かない暗闇の世界。でも見える。生まれてからもう十七年も暮らしている。ふらふらと歩く足取りはそのままに。今日の仕事は、サンゴの森に看板を建てること。最近、サンゴの森で迷子になる人が増えているらしい。鮮やかなサンゴは観光客の誘致に貢献しているけれど、いかんせん迷いやすいのが難点だ。この広い森の要所要所に、自作の看板を建てるのが先週からの仕事。最初はよく森の中で迷っていたけれど、大分、森の道にも詳しくなってきた。迷ったとき用に自作の地図も持っているし、観光客の人に付いていけば大抵どこかの出口に出られる。自分が前に建てた看板に助けられることも一回あって、図らずも自分の看板が役に立っていることを実感できた。うん、この世界に生きている以上、やっぱり社会に貢献しなきゃね。
そんなこんなで今日もまた迷った。思ったよりも深いところに来てしまったようで、周囲の風景にまったく見覚えがない。背負っている看板がいつも以上に重い。観光客も周囲にいない。鬱蒼と茂るサンゴの色が玉虫色に変化しているのを初めてみた。玉虫ってなんなんだろう。玉虫色に光るこのサンゴは、玉虫の親戚なのだろうか。玉虫がサンゴの中に紛れ込んでいるのかな。玉虫入り。玉虫色。似てる。海の底じゃ玉虫なんて見ないから良く分からない。ただ、玉虫入りの玉虫色のサンゴ。なんだか良い。脳内にイメージが広がっていく。素敵な言葉達が溢れ出てくる予感がする。今日の夜も眠れそうにない。にやにやしていると、半透明のふわふわした生き物が、いつのまにか目の前にいた。そして私に話しかけてきた。
「何をにやにやしているの。気持ち悪いよ。」
「なんでもないです。あと、にやにやなんてしていません。」
「いや、にやにやしていたよ。妄想に浸っている女の子特有の気持ち悪さがあったよ。」
「妄想なんて、生まれてから一回もしたことありません。勝手にあなたのモノサシで私を計らないでください。不愉快です。あなたはいったい何なのですか。」
「僕は十一月クラゲ。この海底に十一月を運んでくる者だよ。」
「そうなのですか。そういえば今年は十月がやけに長いのですけれど、早く十一月にしてくれませんか。仕事をさぼってはいけませんよ。」
「ごめん、今年は少しぼんやりとしてて、関係各位にはご迷惑をおかけしているよ。それはそれとして、なんでにやにやしていたの。」
「しつこいですね。にやにやなんてしていません。」
この半透明のふわふわは、ちょっと失礼なふわふわだった。この世の中、どうでもよい人もいれば目の離せない人もいるが、このふわふわは目の離せないタイプのふわふわだ。悔しい。興味を惹かれた私は、なんだか負けた気分がした。どうやら今から十一月を運びこむようなので、その作業を見守る。十一月を運びこむって、いったいどうやるんだろう。
「今から十一月を運びこむ儀式をするから、暇なら見ていきなよ。」
「そうなのですか。それでは見学させていただきます。」
「何をにやにやしているの。」
「にやにやなんてしていないです。しつこいですね。」
「いや、にやにやしてたから。やり難いなと思ってさ。」
十一月クラゲはふわふわしていたかと思うと、急に高速回転を始めた。周囲の風景が揺れる。玉虫色の光を吸い込んでいるような、吐きだしているようなそんな風景が辺りに広がっていく。綺麗だな。私は思わずにやにやしてしまう。そして少しずつ回転が遅くなっていき、ゆっくりした回転から静止した。静止状態から、再びふわふわし始める十一月クラゲ。凄いな、こうやって十一月が運び込まれてくるのか。勉強になるな。
「終わったけど、回転が少し足りなかったかな。」
「そうなのですか。」
「うん、十一月が運び込まれてくるのは来週くらいだね。」
「そうなのですか。」
「いや、今年はこの場所になかなか来れなくてね。サンゴの生え方が去年と微妙に変わっていてさ、何日も迷ってしまっていたんだ。」
「そうなのですか。もっと仕事に責任感を持って、八月くらいからこの場所にスタンバイしていれば良かったのに。」
「おっしゃる通りだね。でも最近、森の要所要所に看板が建てられ始めて、今日ようやくここに辿り着けたよ。ありがとう。」
「どういたしまして。役に立てて光栄です。」
「どの看板にも個性的な絵が描いてあったけど、あれは君が描いたのかい。」
「はい、私が即興で描きました。上手いでしょう。」
十一月クラゲは少しふわふわした後、サンゴの森の出口まで案内してくれるという。背負っていた看板は、仕方ないのでこの場所に建てておくことにした。十一月の運び込まれる場所、と書いた後、私は即興で玉虫を描くことにした。もっとも、玉虫なんて見たことがないから、私の想像上の玉虫を描いた。なかなか上手く描けた。十一月クラゲは何も言わず、ふわふわしていた。
サンゴの森の出口で、十一月クラゲと別れる。世の中、どうでもよい人もいれば目の離せない人もいる。今日は目の離せないふわふわに会えて良かった。多少の劣等感はあるけれど、これくらいなら問題ないかな。帰り道にそんなことを思っていると、別れ際に十一月クラゲが言った。
「君の絵は個性的だね。興味深いよ。」
「あなたみたいな半透明ふわふわ生物に興味を持たれても嬉しくありません。」
「そう。」
「そうです。」
「何をにやにやしているの。気持ち悪いよ。」
「にやにやなんてしていません。」
来週から十一月か。今年は長かったな。
そして今日の夜。
止まない雨のごとく、言葉は流れ落ちていく。紙コップに溜まった言葉はもういっぱいになる。毎夜毎夜、私は言葉を吐き出す。私は今夜も色んなことを考えているよ。例えば宇宙について。あるいは世界について。もしくは海の上の暮らしについて。今日会った人について。今日会わなかった人について。私が吐き出した言葉を誰かに伝えたい訳じゃない。けど、私が毎夜、紙コップに言葉を溢れさせていることに気付いて欲しい。私の哲学を気にして欲しい。そしてベッドに潜り、眼を閉じてから、私はいつも声を出さずに呟く。
「だれかわたしにきょうみをもて。」