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第9話 ソルドとAI

翌朝。シレンたちが手分けして作業を進めていると、遠くから重厚な馬車の音が響いてきた。

この屋敷を訪れる者は限られている。シレンは手を休め、少女たちに作業を託すと玄関へと向かった。

扉を開けると、そこには仕立ての良い服をさらりと着こなしたソルドが、不敵な笑みを浮かべて立っていた。

「坊主、一昨日以来だな」

「ソルドさん、待っていましたよ」

シレンの言葉に、ソルドは満足げに頷く。

「今日からみっちりお願いしますね」

「言われなくてもわかってるぜ。俺の商売術は高くつくからな。……だが、その前に」

ソルドは視線を鋭くし、屋敷の奥を指した。

「彼女たちのことを見せてくれ。俺の弟子がどんなマネジメントをしているのか、確認させてもらう」

「もちろんです」

シレンはソルドを調理室へと案内した。

「ここです」

調理室の扉を開けた瞬間、ソルドは言葉を失った。

そこにいたのは、昨日までの薄汚れた奴隷の少女たちではない。朝日に照らされ、まるで内側から発光しているかのように肌が輝いている少女たちだった。

「な、なんだ……? なんでそんなにお前ら、肌が綺麗なんだ!?」

ソルドが驚愕の声を上げる。ステラを含め、全員の肌がまるで最高級の絹か陶器のように滑らかに整っていた。

「ふふん」

ステラがここぞとばかりに胸を張る。そのドヤ顔すら、瑞々しい肌のせいでどこか神々しい。

「実はですね」

シレンは、一晩かけて作り上げた「石鹸」の入った小瓶をスッと取り出した。

「なんだ、その液体は?」

「これはですね……石鹸です」

「石鹸だと? だが、その肌を見るに、ただの石鹸じゃないな」

「ご名報。どちらかと言うと、美容液ですね」

ソルドは目を剥き、瓶を奪い取るようにして覗き込んだ。

「……これを、この短時間で、自分で開発したというのか?」

「もちろんです。マヨネーズの材料を少し応用したんですよ」

ソルドは呆れたように頭をかき、ふっと笑いをもらした。

「とんだバケモンだな……。マヨネーズだけでも一財産だってのに、女が泣いて喜ぶような美容液まで作り出しちまうとは。俺の見込んだ通り……いや、それ以上だ」

シレンは臆することなく、師匠の目を見据えて言った。

「これほどのものなら、相当高く売れるでしょう?」

「ああ。ブランドさえ確立しちまえば、言い値で売れる。噂はすぐに広まるだろうよ。……お前、本当に恐ろしい弟子だぜ」

ソルドは満足げに咳払いをすると、一つ頷いた。

「状況はわかった。上出来だ。じゃあ坊主、早速『弟子』としてみっちり指導してやる。どこか落ち着ける部屋へ案内しろ。ここからは商人としての生き方を教えてやる」

「了解です」

二人は少女たちの視線を背に、屋敷の奥にある書斎へと移動した。

部屋に入ると、そこには椅子と机しかなかった。書斎といえど本などは何もない。

「じゃあ、早速だが坊主、これを計算してくれねぇか」

そう言ってソルドがカバンから取り出したのは、独特の獣の匂いがする羊皮紙の束だった。

(……うわ、羊皮紙か。実物を見るのは初めてだが、やっぱり重厚感が違うな。一枚で金貨が飛ぶような代物だぞ、これ)

シレンは、その高価で使い勝手の悪そうな素材を眺めた。現代の白くて薄い「紙」を知っている身からすれば、情報の記録にこんなコストをかけるのは非効率の極みに見えた。

(いつか、安くて軽い『紙』を量産してやる。これに書き込むくらいなら、誰でも読み書きができるようになるはずだ……)

シレンは密かに、マヨネーズと石鹸に続く「第三の矢」としての製紙事業を心にメモした。だが、今は目の前の課題が先だ。

「とりあえず、この羊皮紙は各地の拠点の在庫目録だ。単位も通貨もバラバラでな、計算が非常に煩雑で誰もやりたがらねぇ。これを一刻(約2時間)で計算して、最終的な損益を割り出してくれ」

ソルドが広げた記録には、ある街は「銀貨」、ある街は「大麦の樽数」、また別の街は「布の長さ」で資産が記されていた。大商会のトップとして、まずは弟子の事務能力がどれほど通用するか、純粋に確かめたいという目だ。

「えぇ、めんどくさい……」

思わず本音が漏れる。

「お前、嫌そうな顔したな。できないのか?」

「いや、出来ますけど」

「じゃあやってみろ」

「はい」

シレンはソルドから使い古された石盤と、角を削った石筆を渡された。

(チョッピー、計算を任せた。各地の換算レートを瞬時に統合して、完璧な数値を導き出してくれ)


────


了解です、ご主人様!

複雑な単位の変換を含め、全データの集計を並列で行います。石盤への書き写し、サポートしますね。


────


シレンの手元で石筆が激しく動き、石盤の上にガリガリと小気味よい音が響く。

ソルドは椅子に深く腰掛け、面白そうにその様子を眺めていた。内心では「いくらなんでも、この雑多な目録を整理するには、若造には荷が重すぎるだろう」と高を括っていたのだ。

だが、その余裕はすぐに消え失せた。

「……はい、終わりました」

シレンが石盤をカタンと机に置いた。

砂時計の砂は、まだ四分の一も落ちていない。

「……おい、ふざけるな。まだ一分かそこらだぞ? 適当な数字を書いただけなら、今すぐその首を洗って――」

「確かめてみてくださいよ」

ソルドは半信半疑のまま、シレンが差し出した石盤をひったくるように手に取った。

そこには、バラバラだった「樽数」や「布の長さ」がすべて王都の標準通貨に換算され、さらに輸送コストや損耗率まで加味された、極めて正確な最終利益の数字が並んでいた。

ソルドは自身の記憶にある正解の数値と、シレンの書いた数字を照らし合わせる。

「……バカな」

ソルドの目が剥かれた。

彼が商会の精鋭たちに数時間かけて計算させた結果と、寸分違わぬ答えがそこにあったからだ。

「……坊主、お前。まさかこれ、すべて暗算でやったのか?」

「まあ、そんなところです」

「暗算だと……? この複雑な換算を、瞬きする間に?」

ソルドは石盤とシレンの顔を何度も交互に見比べた。

大商人として数多の才人を見てきたソルドだったが、目の前の少年が放つ「異質さ」に、初めて鳥肌が立つのを感じていた。

「とんだバケモンを弟子にしちまったな……。計算能力だけで言えば、王都の財務官をも軽く凌ぐぞ、お前は」

ソルドは感嘆のため息をつき、頭を乱暴にかきむしった。

驚きを隠しきれないその表情には、恐怖すら混じった、最高の称賛が込められていた。

「マヨネーズといい、石鹸といい……そしてこの頭脳だ。シレン、お前。二億どころか、この世界を牛耳れるぞ」

「まさか。俺はただ、静かに暮らしたいだけですよ、師匠」

シレンは平然と答えたが、ソルドはその言葉を微塵も信じていなかった。

その後も、ソルドの試練を受けてはチョッピーに横流しするという時間が続いた。




────ソルドとの濃密な勉強会が終わり、気がつけば書斎の窓の外は深い群青色に染まっていた。机の上に置かれた石盤は、計算式の書き込みで真っ白になっている。

「……ふぅ。だいたい分かったぜ。お前の処理能力は化け物級だが、驚くほど『常識』だけが欠如していることがな」

ソルドが呆れたように息を吐く。マヨネーズや石鹸という異次元の発想を持ちながら、この世界の基本的な貨幣価値や貴族の儀礼すら怪しいシレンに、ソルドは相当な違和感を抱いたようだ。

まあ、常識がないのは仕方ない。中身は異世界の人間なのだから。

「そこは今日でおおよそ叩き込んだ。後は……魔法だな」

ソルドの言葉に、シレンの肩がわずかに強張る。この世界に来て一番の懸念事項、それが魔法だった。

「よほど勉強しなかったんだな。魔法に関しては一切が無知。おまけに、試してみても発動の気配すらねぇとは」

「これでも没落貴族ですからね。きっと昔の俺は、勉強もせずにダラダラと過ごしてたんですよ」

他人事のように肩をすくめるシレンに、ソルドの眉間にしわが寄る。

「いや、貴族なら早いうちから家庭教師を付けて学び始めるもんだ。……あと、なぜ他人事みたいに言うんだ?自分のことだからな?」

こっぴどく叱られてしまった。シレンが頭をかいていると、ソルドがカバンから、一際重厚な装丁の「一冊の束」を取り出した。

「と、いうわけで、これが役立つわけだ」

「なんですか、それ?」

それは、先ほどの在庫目録とは比べものにならないほど厚く、古い革の香りが漂うものだった。

「これは『魔導書』だ」

「魔導書……!?」

シレンの目が輝く。ファンタジーの代名詞とも言えるアイテムだ。

「これを読んで、少しは魔法の勉強もしとくことだな。いいか、貸してやるだけだ。死ぬほど貴重なもんだから、マヨネーズで汚したりするんじゃねぇぞ」

ソルドはそう言い残すと、「じゃあ、またな」と足早に馬車へと戻っていく。

静かになった書斎で、シレンは独り、机の上に置かれた魔導書を見つめるのだった。

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