第8話 石鹸とAI
食事を終えた一行は、休む間もなくシレンの指示を受けることとなった。
「みんな、食事を終えたところで申し訳ないが、これからみんなにはお仕事をしてもらう」
その言葉に、五人の少女たちの視線が一斉にシレンへと集まる。不安と好奇心が入り混じった、どこか落ち着かない沈黙。
「みんなにやってもらいたい第一のことは、マヨネーズ作りだ」
「マヨネーズ……?」
ニーシャが首を傾げ、不思議そうに言葉をなぞった。
「みんな、さっきの食卓でサラダの上に乗っていたドレッシングがあっただろ?」
「美味しかったやつだー!」
ライムが思い出したように、プルプルと身体を震わせる。
「そう。それは世界で俺しか知らない、とんでもないドレッシングなんだ。でも、俺一人でいっぱい作るのは大変だから、みんなに手伝ってもらいたいってわけだ」
その説明で、少女たちは自分たちの役割を理解したようだった。
一行はそのまま調理室へと移動し、シレンによる「即席マヨネーズ教室」が開店した。卵を割る手つき、油を注ぐスピード、そして乳化させるための攪拌――。シレンは現代の知識を噛み砕き、分量の目安を丁寧に教えていく。
「うし。みんな、自分で作ったマヨネーズを舐めてみな」
促されて、少女たちがそれぞれの指先に出来立てのソースを乗せた。
「うん! マヨネーズ」
ニーシャが満足げに唸り、ライムも「美味しいねー」と同意する。
「簡単だろ? これを夜までずっとやり続けるってわけだ」
その一言に、ニーシャが露骨に嫌そうな反応を示した。
「え……ずっとなの……?」
その顔を見て、シレンは我に返った。
(……まあ、確かにまだ若い子たちに、監禁同然で一日中単純作業をさせるのは精神的に良くないか)
「あぁ……。じゃあ、交代制でやるか。とりあえず、もう少しマヨネーズを書き溜めてから、ローテーションして二人ずつぐらい休めるようにしよう」
これなら飽きずに、かつ効率を落とさずに続けられるはずだ。少女たちの顔に安堵の色が浮かぶのを確認し、シレンはステラを手招きした。
「それじゃ、少ししたらまた戻ってくるから作り続けてくれ。……ステラ、ちょっとこっちに来てくれ」
「承知いたしました」
シレンはステラを伴い、調理室の隅へと移動した。マヨネーズの量産体制は整った。次は、もう一つの「現代知識」――石鹸作りの準備に取り掛かる番だ。
シレンは調理室の喧騒から離れた廊下で、ステラに向き直った。
「ステラにはやって欲しい仕事がある。屋敷中の暖炉から『木灰』を集めてきてほしい。それと、キッチンにある『動物の脂身』もだ。できるだけたくさんな」
ステラは不思議そうに小首を傾げた。今は冬でもないため、暖炉は使われていない。だが、掃除されずに残っている灰はあるはずだ。
「灰と脂……ですか? マヨネーズの次は、まさか屋敷の大掃除でも始めるおつもりで?」
「いや、これは稼ぐための『もう一つの矢』だ。マヨネーズは食卓を支配するが、今から作るのは貴族の『美』を支配するものになる」
シレンは声を潜め、確信に満ちた目でステラを見た。
「さっきライムの粘液で言っただろ? 『美肌の秘薬』を作るって。嘘じゃない。木灰から抽出した成分と脂、それに白身とあの粘液を混ぜて、最高の石鹸を作るんだ。これをソルド商会に持ち込めば、マヨネーズ以上の利益が出るはずだ」
「……坊っちゃん。そこまで本気だったのですね」
ステラの目が、単なるメイドの目から、商売を支えるパートナーの目へと変わる。
「承知いたしました。灰は貯まっている分をすべて掻き集めます。脂身も、料理に使わない部位を徹底的に選別してきます。……それで、本当に私、お肌がプルプルになりますか?」
「ああ、保証するよ。だから頼んだぞ、ステラ」
「ふふ、お任せください!」
現金なもので、「美肌」という言葉が効いたのか、ステラは先ほどまでの疲れを微塵も感じさせない足取りで、バケツを手に屋敷の奥へと消えていった。
シレンはステラが戻ってきた後、屋敷の裏手にある作業小屋へと移動し作業を始めた。
「おぉ、すごいな」
木灰を煮出す作業が始まると、小屋の中には鼻を突くようなツンとした刺激臭が立ち込めた。
シレンはチョッピーの指示を脳内に投影しながら、未知の錬金術——石鹸作りに着手した。
まずはステップA:強アルカリ液(灰汁)の抽出だ。
「ステラ、その集めてくれた灰を鍋に入れてくれ」
小屋の外まで流れる独特の臭いに顔をしかめながらも、シレンの手つきに迷いはない。煮出した液体を布で慎重に濾すと、黄金色に透き通った強力なアルカリ液が抽出された。
「よし、次はステップB:鹸化反応だ」
シレンは別の鍋で、ステラが用意した動物の脂を火にかける。脂が溶け、透明な液体へと姿を変える。
(チョッピー、温度はどれくらい?)
────
人肌より少し熱い、40度から50度の間をキープしてください。
────
抽出した灰汁を、溶けた脂に少しずつ、糸を引くように注ぎ入れる。
「……いくぞ」
シレンは木べらを握りしめ、一定の速度で、同じ方向に向けてひたすら混ぜ始めた。最初は分離していた脂と液が、混ざり合い、徐々に白濁していく。一分、五分、十分……腕の筋肉が悲鳴を上げ始めるが、ここで手を休めれば全てが台無しになる。
「坊っちゃん、代わりましょうか?」
「いや、これは俺がやる。感覚を掴みたい」
一時間を経過した頃、さらさらとしていた液体に粘り気が生まれ、木べらを持ち上げると跡が残る「トレース」の状態になった。
「今だ、ステップC:白身と粘液の投入!」
ここでシレンは、マヨネーズ作りで余った卵白と、例の「ライムの粘液」を投入した。
白身のタンパク質とスライムの保湿成分が、石鹸の素地と化学反応を起こし、真珠のような光沢を放ち始めた。
「最後はステップD:型入れだ」
シレンは丁寧に、用意した木箱へそのとろりとした液体を流し込んだ。
「よし……。あとはこれを暖かい場所で数日置けば、世界を揺るがす『石鹸』の完成だ」
真っ白な湯気を上げる木箱を見つめ、シレンは確かな手応えを感じていた。
────石鹸の試作を終え、独特の臭いを中庭の作業小屋に残してきたシレンは、再び活気あふれる調理室の扉を開けた。
「おー! いっぱい出来てるじゃないか! みんなありがとうな!」
視界に飛び込んできたのは、整然と並べられたマヨネーズの小瓶の山だ。一人では途方もない作業も、多種多様な少女たちの手が加われば、これほどまでの成果に繋がる。単純な「数の暴力」とも言える効率の良さに、シレンは驚きを隠せなかった。
「あの、領主様」
声をかけてきたのは、金髪のエルフ、レレナだった。自分から話しかけてきてくれたことが、シレンには純粋に嬉しかった。
「どうした?」
「材料が……なくなりつつあります」
「おお、まじか」
確認すると、あんなにあった卵や油、酢のストックが底を突きかけている。
「じゃあ、買ってこないとだよなぁ。なかなか骨が折れるな……」
シレンが独り言のように呟くと、レレナが真剣な眼差しで食い下がった。
「買い出しを是非、このレレナとフーティーに行かせてはくれませんか?」
ありがたい提案ではあるが、シレンは即座に懸念を抱いた。
「いや、市場まではちょっと距離があるからな。流石に二人にあの距離を歩かせるわけにはいかないよ」
「領主様。わたくしたちを……舐めているでしょう?」
「えっ?」
予想外の反論にシレンが固まると、レレナは自信ありげに胸を張った。
「子供に見すぎているのです。わたくしたちは、見たところ同い年でしょう?」
(まぁ、確かにそうだな。中身は高校生だとしても、今の俺は少年と呼べるくらいの外見だしな)
「そもそも、距離の問題なら大丈夫です。わたくしにはこの羽が――」
レレナの背中で、虹色に輝く妖精の羽が繊細に震えた。
「わ、私にもあります!」
フーティーも恥ずかしそうに、しかし誇らしげに真っ白な羽を広げて見せる。
「なるほど……レレナもフーティーも、二人とも飛べるんだな! 流石だ!」
シレンの素直な賞賛に、フーティーは顔を赤くしてモジモジと俯き、レレナは冷静に話をまとめた。
「ですから、買い出しは私達にお任せください」
「なら任せた! レレナ、フーティー、君たちはとても頼りになりそうだ。よろしく頼む」
シレンとレレナは、確かな信頼を込めて握手を交わした。
その様子をじっと見ていた魚属のナギョが、我慢できなくなったように会話に割り込んできた。
「ナギョも買い出しに行く!!」
「しかし、ナギョさんは空を飛べませんよね?」
もっともな指摘をレレナが突きつける。シレンは彼女の鰭が特徴的な姿を見て、一つの可能性を提案した。
「ナギョ。もしかして、泳ぐのは得意だったりしないか?」
「もちろん! 任せて!」
ナギョは満面の笑みで胸を張った。
「なら、近くの川で食料を集めてきてくれないか? 」
「任せて!」
ナギョの気合に応えるように、シレンは他のメンバーにも声をかける。
「ステラとニーシャとライムも、川の食料集めに参加してきてくれ」
「分かった」
「はいー」
「承知いたしました」
それぞれの役割が決まり、屋敷の中に活気ある連帯感が生まれる。
「うん。ではそれぞれよろしく頼む。俺は屋敷でまだまだ作業してるから、みんな任せたぞ?」
シレンの見送る中、空へ、そして川へと、少女たちはそれぞれの得意分野を活かして駆け出していったのだった。




