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第3話 計算とAI

重いマヨネーズを背負い、照りつける太陽の下を歩くこと二時間半。

シルドの足は棒のようになり、意識が朦朧としてきた頃、ようやく「ソルド商会支部」の重厚な石造りの建物が視界に入った。

「はぁ……はぁ……死ぬ、マジで死ぬ……」

(徒歩10キロを舐めてた。せめて馬車でもあれば世界が変わるのに!!)

俺は心の中で毒づきながら、ステラに支えられるようにして建物の中へと足を踏み入れた。

「こんにちは……」

掠れた声で挨拶をすると、カウンターにいた受付係が顔を上げた。

「おや、シルド様ではありませんか! よくぞお越しくださいました」

(……誰だ? ああ、そうか。没落したとはいえ一応はこの土地の領主様だ。顔くらいは割れてて当然か)

「お久しぶりです。突然ですが、ソルドさんはいらっしゃいますか?」

「えっ、社長ですか? ……もしかして、シルド様が社長をお呼びになられたのですか? さあ、どうぞ中へ!」

……どういうことだ?

アポなしの突撃で門前払いを食らう覚悟だったのに、まるで王様でも迎えるような手際の良さで奥の応接室へと通される。

部屋の中には、服のボタンが弾けそうなほど恰幅が良く、指先から首元までこれ見よがしに宝石を散りばめた男が立っていた。彼こそがこの地の経済を握る男、ソルドだろう。

「坊主!?」

ソルドは俺の姿を見るなり、目を丸くして驚愕の声を上げた。

「なんで、こんなところにいやがるんだ!」

(……ずいぶん親しげだな。以前のシレンと関わりがあったのか?)

「……お久しぶりですね」

「久しぶりってことはねえだろう。てか、なんでそんな畏まってやがる」

いきなり出鼻をくじかれた。どうやら以前のシレンは、この成金趣味の商人とかなりフランクな付き合いをしていたらしい。

「ソルドさん、どうしてこちらに来られているんですか? 受付の方は、僕があなたを呼んだと思っていたみたいですけど」

「あぁ、それはだな」

ソルドはガリガリと頭をかいた。

「この領地を、丸ごと買い取りに来たんだよ」

「んにゃぁ!?」

思わず、前世でも出したことがないような変な声が出た。

「こら! 声がでけぇんだよ。一応極秘なんだから外に漏らすんじゃねえぞ」

「な、なんで買い取ろうなんてしてるんですか」

「そりゃあ、どっかの誰かさんが破産確定だからだよ」

あぁ、やっぱり借金取り絡みか。

「売れるもんがもうほとんど残ってねえみてえだからな。二の足踏んでる連中の裏をかいて、格安で買い取ってやろうと思ったんだが……」

ソルドはジロジロと俺の顔を覗き込んできた。

「お前、どっか頭でも打ったのか? 前と性格がてんで違ぇじゃねえか」

(……下手に隠すとボロが出るな)

俺は正直に白旗を上げることにした。

「……実は、ちょっと記憶喪失でして。昨日以前の記憶が全部ないんですよね」

「なんだそりゃ。呪いでもかけられてんじゃねえのか?」

「説、ありますね」

俺が肩をすくめると、ソルドは「はっ」と鼻で笑った。

「まあ、話は変わっちゃうんですけど、……ソルドさん、ちょっと商談に入りたいんですけど、いいですか?」

「ほーう。この俺に商談とは、坊主も随分でかくなったじゃねえか。言ってみろ」

俺は、ステラに持たせていた小瓶を恭しく取り出し、机の上に置いた。

「これなんです。……我が家に代々伝わる『黄金のソース』です。これに関する商談がありまして」

「ほーん。嘘だな」

……へ?

「人間、嘘をつく時は特徴的な身体の反応を示す。お前のは『嘘の身体』だ。お前さんの家が、そんな美味そうなもんを隠し持ってるわけがねえ」

(冗談じゃない。こいつ、易々と嘘を見抜きやがった)

俺は冷や汗を拭い、即座に前言を撤回した。

「……えー、訂正します。僕が自作した、黄金のソースがあります。これならどうですか?」

「よろしい」

うむ、やりづらい。ハッタリが通じない相手は、思っていたよりずっと厄介そうだ。

「この黄金のソースのことを『マヨネーズ』というのですが、ぜひご試食いただきたくて」

シルドはそう言って、机の上に小瓶を差し出した。

「ほう、これか?」

ソルドは躊躇することなく、大胆にも瓶の封をあけた。貴族が持ってきた正体不明のソースを、毒味もせず指で直接すくい、ペろりとなめる。

「んぐ……っ!? 坊主、こりゃあ……売れるぞ。間違いねえ!」

ソルドの瞳に商売人の鋭い光が宿る。

「ありがとうございます」

「で、話ってのはなんだ」

ソルドが居住まいを正した。ただの世間話ではないことを察したのだろう。

「今、僕には2億ゴールドの借金があるらしいんです。これを商売道具にして、一週間で稼ぎ切りたいと考えているのですが」

「……いや、まあ、確かによく売れるとは思うがよ。さすがに一週間で2億は無理があるんじゃねえか?」

「正直キツいですが、やらなきゃ領地がなくなっちゃいますからね」

シルドが淡々と答えると、ソルドは「ほーん」と鼻を鳴らして彼をじっと見つめた。

「だがな坊主、商売ってのは計算ができなきゃ成り立たねえんだよ。お前、算術なんてできねえだろ?」

(俺が算術ができない? これでも現代でしっかり高校に通っていたんだが……。この世界の貴族は数学もできないと思われているのか?)

「ある程度ならできると思いますよ」

「ほう、威勢がいいな。じゃあ、13足す12は?」

「25」

「……ほう。じゃあ、9掛ける8は?」

「72」

ソルドの眉がぴくりと動いた。

「お、おう。じゃあこれはどうだ。13掛ける21は?」

(13×21か。21×10が210、21×3が63、合わせて……)

「273」

シルドが即答すると、ソルドは椅子を鳴らして立ち上がった。

「嘘だろ!? 坊主、本当にお前、どうかしちまったんじゃないか!?」

(いや、これくらい普通にできるだろ。この世界の計算レベル、どうなってんだ?)

「誰でもできますって、これくらい。もう少し難しいやつをお願いします」

「……分かった。それじゃあ、これならどうだ!」

ソルドは意地になったように、これまでの問題とは明らかに次元の違う数字を叩きつけてきた。

「11253掛ける、42351だ! これを解いてみろ!」

(はぁ!? ゴリ押しじゃねえか!難しさのベクトルがキモイ!!)

あまりの桁数に、シルドは内心で毒づいた。筆算をすれば解けないことはないが、この状況で何分も沈黙するのはスマートじゃない。流石にこれは面倒くさすぎる。

(チョッピー、11253×42351は?)

俺が脳内で救いを求めた瞬間、視界の端で青い光がまたたき、コンマ数秒で正解が浮かび上がる。

『 答えは**「476,575,803」**です。』

チョッピーの軽快な声をバックに、シルドは瞬き一つせず口を開いた。

「4億7657万5803、ですね」

一瞬、部屋から音が消えた。

ソルドは口を半開きにしたまま彫像のように固まり、背後にいたステラに至っては、あまりの衝撃に持っていた荷物を床に落とした。

「……は?」

「ですから、4億7657万5803です。合っていますよね?」

ソルドは慌てて机の引き出しをひっかき回し、そろばんを取り出して、弾く。

……三分後。

「ま、マジかよ……。端数まで、一の位まで完璧に合ってやがる……。坊主、お前、暗算でこれをやったのか?」

ソルドの指がガタガタと震えている。

「ええ、まあ。記憶はなくても、体に染み付いているみたいで。これくらい、商売をするなら基礎中の基礎ですよね?」

(悪いなソルドさん。俺の脳内にはAIのチョッピーがいるんだ。桁が増えようが二乗になろうが関係ないんだよ)

「……信じられねぇ。マヨネーズとかいう化け物じみたソースを開発した上に、宮廷魔導師も真っ青の算術能力だと……?」

ソルドの目が、先ほどまでの「没落した哀れな子供を見る目」から、「底知れない怪物を鑑定する目」へと完全に切り替わった。

「ソルドさん。計算ができるなら、話は早いですよね? このマヨネーズを、一週間で『2億の価値』に変えるためのプランがあるんです。……聞いていただけますか?」

シレンが不敵に微笑むと、ソルドは毒気を抜かれたようにドサリと椅子に座り直し、ニヤリと笑った。

「……聞こうじゃねえか、シレン様。あんた、ただの記憶喪失じゃねえな。……丸ごと買い叩くつもりだったが、考えを変える必要があるようだ」

ソルドはシレンに期待の眼差しを向けるのであった。

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