第1章 台本?そんなもの、最初の5分で消えました
開演のチャイムが鳴った瞬間、舞台上は沈黙に包まれた。
だが、沈黙は10秒しか続かなかった。
「……えーと、私は宇宙飛行士です。地球に帰ってきました。カレーが食べたいです。」
主演の山田蒼が、台詞を忘れたままアドリブで始めた。
舞台袖の佐藤ひなたは、頭を抱えた。
「それ、3ページ後の台詞! しかも“カレー”はまだ出さないって言ったじゃん!」
ヒロイン役の高橋美月は、蒼の台詞に合わせて泣き始めた。
「地球を救うには……カレーしかないの!」
観客がざわつく。
音響の中村光が、なぜか爆発音を鳴らす。舞台が戦場のような雰囲気になる。
「光! それ、宇宙船が墜落するシーンの音!」
「え? 今じゃないの?」
舞台は、台本から完全に逸脱していた。
だが、部員たちは止まらない。台本が消えたなら、即興で創るだけだ。
蒼は「俺はカレー屋の息子だった」と語り、美月は「この香りが、私の記憶を呼び覚ます」と涙を流す。観客は笑いながらも、どこか引き込まれている。
ひなたは舞台袖で絶叫する。
「蒼! それ、設定違う! 君は宇宙飛行士! カレー屋じゃない!」
だが、誰も聞いていない。
舞台は、支離滅裂なまま進んでいく。
——そして、5分が経った。
ひなたは、演出ノートを閉じた。
「もういい。これは、演劇だ。事故でも、演劇だ。」
観客の笑い声が、講堂に響いていた。




