プロローグ 開演5分前、混乱は始まっていた
都立碑文谷高校、講堂の舞台袖。
佐藤ひなたは、演出ノートを握りしめていた。ページの端は折れ、赤ペンの書き込みがびっしりと並ぶ。「台詞変更(ver.7.3)」「カレーうどん→本物使用」「爆発音、3回まで」——そのすべてが、今にも崩れそうだった。
「ひなた先輩、カレーうどんの容器、どこにありますか?」
「え? えっと……コンビニで買ったやつ、誰か持ってきてるはず……」
演劇部の校内発表会は、文化週間の目玉イベント。ひなたは演出として、完璧な舞台を目指していた。だが、開演5分前、舞台袖はすでに戦場だった。主演の山田蒼は台詞を忘れ、音響担当の中村光は「爆発音のタイミング、まだ決まってません」と言い、ヒロイン役の高橋美月は「泣くシーン、どこだっけ?」と台本をめくっている。
「落ち着いて。大丈夫。これは演劇。演劇は……混乱しても、成立する。」
そう自分に言い聞かせながら、ひなたは舞台袖のカーテンの隙間から客席を覗いた。
ざわつく生徒たち、保護者、先生。誰もが“普通の演劇”を期待している。だが、これから始まるのは、誰も予想しない“史上最悪の1時間”だった。
その瞬間、講堂の照明が落ち、開演のチャイムが鳴った。
ひなたは深呼吸し、舞台袖の暗闇に身を沈めた。




