国家観
為政者でなくても国家観を持つのは大事だ。国家のあり方や役割を定義し、理想を語る。理想が無ければ現実と向き合えない。
国家は大きな共同体だ。強者が弱者を搾取する社会なんてバカでも無能でも作れる。弱肉強食を言い訳にするのは思考停止だ。だから累進課税が存在する。所得の多い人ほど納税額が大きくなる。これで基本的に富の分配が出来るようになる。しかし、安易な増税は勤労意欲を失うし、分配の仕方を間違えれば財政難になる。
貧困層に税金を無闇にばらまくのではなく、勤労意欲を刺激し労働環境を整備し生産性を上げる。物価上昇にも耐えられるようにする。
第一次産業と第二次産業は大事だけれど、第三次産業の活性化も不可欠だ。やはり教育は無視できない。教育というと子どもばかりに目が行きがちだけれども、壮年期や老年期の人達が学ぶ場所も必要だ。
経済活性化も国としてやらなければならないけれど、安全保障や治安は国の要だ。警察と軍が健全に機能してこその国である。軍も警察も暴走せず、民間人や市民を守る矜持が大前提だ。
外国人に喧嘩を売ったり差別したりするのは犯罪だ。同時に外国人から差別を受けたら怒り罰するべきである。国や民族に優劣は無い。
先祖がアジア侵略したからといって、刹那的に自暴自棄に生きるのは甘えだ。外国から攻め込まれたら降参して大人しく殺されてしまおうと考えるのは狂気である。そんなふざけた考え方では子孫や同胞を守れない。世界から否定されてもしぶとく生き残る覚悟としたたかさは持つべきだ。
老若男女を問わずに日本人には様々な教育が必要だ。産業を活性化し税収と所得を増やし、正しく富の再分配をする。資料を読み込む読解力や、騒がしい報道陣を冷徹に見つめる姿勢や、理性的な発信が色んな立場の人達に求められている。
産業・行政・学術・軍が協力し合って少子高齢社会を生き残る。高齢者は若年層を尊重しながら、高齢者同士で支え合う。八十代の現役農家の存在を忘れてはならない。
若年層は悲観する暇が有ったら起業して色々と試してみてはどうだろう。失業している高齢者を敢えて雇って叱咤激励して富を生み出す。必ずしも物質でなくてもかまわない。
高齢者同士の連携、深い生涯学習、若年層と高齢者の釣り合いの取れた関係。優れた若年層を高齢者は敬意を払い、真摯な高齢者を若年層は尊重する。両者に優劣は無い。
日本を理性と学びの国にしようではないかと私は思う。