君が代
「君が代」の斉唱を学校で行うのは本当に暴力なのだろうか。アメリカでも中国でも国歌斉唱は学校でも色んな所でも行われている。
過去に虐殺や迫害が有ったにも関わらず、アメリカの先住民族も、中国の先住民族も国歌を歌っている。国歌斉唱の強制が本当に先住民族や少数民族への暴力ならばアメリカも中国も異常ということになる。
相互扶助組織、大きな共同体としての国家を感じるには天皇を国の象徴とするよりもむしろ国歌斉唱が理にかなっている。共同体としての国家を否定するならば、災害が起きても一切国に頼ってはいけないし、外国にいる時に何か起きても大使館に逃げてはいけない。同調圧力は非常に窮屈だけれども、同じ国民同士という理由で相互扶助するのは必要な事だ。
どうしても国歌斉唱が苦痛であるならば、歌わなくて良いだろう。しかし、歌いたがっている人を見下したり、邪魔したりする資格は誰にも無い。「君が代キモい」と嘲っている人達が外国人から対等に扱われるとは思えない。
国民の幸せを直接的に触れずに、ひたすら皇統の永続を願う歌だから、君が代は無味乾燥に思えるだろう。しかし、平和を前提としなければ皇統の永続は無理だし、安易な革命を願えば戦争や内戦も起きる。君が代はそれなりの妥当性がある。
かつて日本が植民地にした国の人達に皇統を強要したり、創氏改名をしたりした暗い過去が確かにある。その被害に遭った人達や子孫達にとっては君が代は確かに忌まわしい歌ではある。
しかし中国やフランスの国歌が過激で、アメリカの国歌も戦争を肯定するような楽曲だと皆、知っているだろうか。建国時に国家存亡の危機の防衛戦争だから国民を鼓舞する歌が採用された。
日本は敗戦国だから日本の歴史や国歌にどんな事を言っても良いとするならば、日本のアジア侵略もまた肯定される。戦勝国が敗戦国に何しても良いならば、日本のアジア侵略もまた肯定される。日本は近代化に成功してアジアの国々に一度は勝ったのだから。それが駄目ならば敗戦国をネタにすべきではない。