愛国主義は本当に醜いのか
愛国主義に対して否定的な印象を持つ人が日本では非常に多い。個人が国旗を掲げると異常者扱いされる。しかしアメリカや中国が同じ事をしても、それを咎める人はあまり見かけない。
日本もかつてアジアに非人道的な事を散々してきたけれども、中国もアメリカも非人道的な事をしている。アメリカはヴェトナム戦争やアフガン侵攻やイラク戦争で非常に卑劣な事をしたし、南米の政権を何度も潰してきた。原爆を二発も投下した。中国もまたモンゴル・チベット・ウイグルで民族浄化の疑いがかけられている。天安門事件で学生を殺傷もした。
非人道的な事を理由に愛国主義を否定し国旗を掲げるのも駄目ならば、中国もアメリカも駄目だということになる。戦勝国は良くて敗戦国が駄目ならば、結局日本のアジア侵略も正当化される。
愛国主義は少数民族や外国人を威嚇するだけの薄っぺらい思想ではないのだ。その様に考える人は「愛」とは依存と暴力だと捉えているのだろう。
「愛」を信頼と慈悲と捉えるならば、愛国主義もまた理性的でなくてはならない。国家を相互扶助共同体として捉えて強者が弱者を救い、弱者は強者と対等になるように努力する。
依存ではなくて相互扶助。暴力ではなくて理性。
完全に愛国主義を否定するならば、自国内で起きた災害や事件を無視したり冷笑したり、外国で差別や迫害を受けている邦人を嘲笑ったり、過去に起こした戦争をスッカリ忘れたり、他国に依存して奴隷状態になったりしなければならない。あまりにも無味乾燥ではないか。
国の為に死んだり、外国人を無闇に攻撃したり、歴史や戦争を賛美したりするのは確かに不健全だ。そんなものは依存だし愛国主義とは言えない。むしろ国の為に生き、外国人と程良い距離を保ち、歴史や戦争を理性的に理解する事こそ愛国主義ではなかろうか。
異国で邦人が差別されれば不満を持ち、自国内で災害や事件が起きれば心を痛め、歴史に思いを馳せ、他国と対等になる努力をして、奴隷になる事を認めない。それも愛国主義だ。
愛国主義を否定すれば素晴らしい世界市民になれるなんて幻想である。日本語を疎かにして英語を流暢に使いこなせれば良いわけでもない。母国語を使いこなせればならなければ外国語も使いこなせないものだ。言葉もまた、愛国主義と密接に関係する。
愛国主義を頭ごなしにキモいキモいと馬鹿にするだけでは何も良いことにはならない。外国人も自分達も愛国主義が有ると理解した方が余程、相互理解になる。