先祖と子孫
先祖の蛮行に対して子孫が責任をどれだけ持てば良いのか。そもそも先祖と子孫は突き詰めれば他人なのだから責任を負わなくても良いという考え方もある。
先祖が万死に値する行動をとったからといって子孫が集団自決するのは確かに異常だ。責任を取るとはそんな事ではないだろう。ひたすら謝罪して相手の言いなりになるのもおかしい。
しかし先祖のしてきた事に無関心なのも実に不誠実だ。先祖が何時何処で誰に何を何の為にしてきたのかは知る義務がある。歴史は大事なのだ。先祖には先祖の言い分が有るし、相手にも相手の言い分がある。子孫は理性的に歴史を受け止めるしかない。
先祖の蛮行の上で繁栄を享受しているならば、それを真摯に受け止めて世界に対して何らかの貢献を考える行動するのが筋だ。逆に先祖のせいで貧しい思いをしているのであれば、先祖を反面教師にして問題解決をするしかない。
先祖に対しては感謝と理性的な批判の両方が必要だ。俺を生んだことを恨むと親に怒鳴るのは甘えだ。自分の人生は自分のものだ。
先祖と完全に決別し、先祖に対して一切責任を負わないのであるならば、靖国神社は無用の長物になる。しかし中国や韓国は日本人が日本の先祖に責任を持つべきだと主張しながら、靖国参拝を否定している。矛盾していると私は思う。先祖に対して責任を負うために敢えて靖国参拝するのは理にかなっている。靖国参拝したからといって先祖を全肯定したり賛美したりするわけではないのだ。日本の報道陣も何も分かっていない。
戦没者と戦争被害者に謝罪しA級戦犯を批判する。その為の靖国参拝が何故、悪いのか私には分からない。
中国や韓国が靖国参拝をあれだけ否定するならば、日本人に対して戦争責任を求めるべきではない。先祖と子孫を分断するならば、今を生きる子孫は先祖に対して何も責任を持つ必要がないからだ。
私の考えが滅茶苦茶だと思う人が沢山いるだろうが、私は決してふざけてはいない。
どうしても靖国参拝が駄目なら千鳥ヶ淵で黙祷するのも良いだろう。