カレーが刻む、小さな英雄譚
しいなここみさまの「華麗なる短編料理企画」参加の一品です!
「はぁ!?」
俺は鏡を見て声を上げた。
俺はしがない高校生――のはずだったのだが、鏡を見ると知らない男子の顔が映っていた。
髪型、なんかかっこいい。色は赤がかってる。鼻筋、シュッとしてる。瞳、琥珀色。おそらく俺より5歳は年下、そんな顔。なんだか異国情緒あふれる色彩だ。
そしてこの部屋。確かに俺の部屋と設計は似ている。ベッドと窓の位置は同じだし、机も似たようなところにある。でも、それ以外は全く別物。そもそも俺の部屋に鏡なんていうものはない。
なにより違和感があるのは――ものすごくカレーの匂いがすることだ。
あ~、いい匂い。まあどうせ夢だろうし、二度寝するか。
――そんな考えで、俺はもう一度眠りについた。
◇ ◇ ◇
――夢じゃなかった。
俺は愕然としていた。
夢だと思っていた世界が本当は現実だった――それだけで、かなり衝撃だ。
というか、そこまで詳細に覚えていることが夢ではないと思える材料なのだが。
俺は二度寝する前からずっと気になっていることがある。
この部屋、隅までカレーの匂いがこびりついているのだ。
普通じゃないとわかるくらいには。
どうしてこうなったのか。
――俺の疑問はすぐにぶっ飛んだ。
俺が朝ご飯を食べようとリビングへ行き、最初に目にしたものがカレーだったからだ。
陶器の器に輝く白米と濃厚なカレーが盛られていた。
朝ご飯から胃にストレートを打つ人がどこにいるだろうか。
俺は部活のゲン担ぎでしか朝にカレーを食べたことがない。
それなのに、母親(と思われる女性)は涼しい顔で鍋を洗っている。
――え、これが普通ってこと?まじかよ。
俺は驚きつつもカレーを平らげた。
そのカレーはスパイシーで濃厚で、朝から食べるには少し重かったけれどおいしかった。
◇ ◇ ◇
俺はまだ夢の中にいるような心地で午前を過ごした。
なにせ、起きたら違う人の身体なのだ。
まだ、ここが夢の中であることを諦めてはいない。
だが、部屋のどこにいてもするカレー臭が現実を突き付けてくる。
俺は、期待していた。昼ごはんに。
――そして、裏切られた。
昼ごはんは、スープカレーだった。
もちろんスパイスが濃く、まろやかさは全くない。
「う、うぅ……」
俺は完食した。味は良く、朝にカレーを食べた後でなければおかわりをしたかったほどだ。
そして、夜も。その次の日の朝も。毎食、カレーが食卓に並ばない日はなかった。
母親はずっと、「あなたのため」と言いながら作り続けている。
◇ ◇ ◇
ある朝、俺は耐えきれなくなった。
「毎食毎食カレーばっかりで!重いんだよ!」
用意されていたインドカレーを完食した俺は、そう叫んだ。
だが母親は淡々と昼のカレーの準備をしながら、にこりともせず言った。
「あなたのために作っているのよ。魔物に勝つにはスパイスが必要なの」
「魔物?それ、いつもカレー食べてればいいって話?」
「そうよ。カレーのスパイスはね、魔物にとっては天敵なの」
俺は思わず立ち上がり、手を大きく振った。
「やめてくれ!胃がやられるって!」
すると母親は急に顔を近づけて言った。
「でもね……あなたは『伝説のスパイスの申し子』なんだから」
俺の心臓は、いつぞやの激辛カレーの辛さよりもずっと熱くなった。
◇ ◇ ◇
俺は、スパイスの調合をすることでカレーを特別仕様にできる――そんなチートを持っていたらしい。
母親が俺にずっとカレーを食べさせてきたのには、魔物対策の他にも「スパイスに触れさせたい」という理由があったそうだ。
”俺のカレーがあれば、魔物だけでなくその長である魔王まで倒せる”
そんな確信を持った俺は、このチートを活用することを決断した。
その日から俺は、母親の調理を手伝いながら”スパイス調合士”としての道を歩み始めたのだった。
◇ ◇ ◇
決めたのはいいものの、カレー作りは簡単ではなかった。
俺は、前世含め家庭科の授業以外で包丁を触ったことがなかった。
それでも、野菜を切らなければならない。
スパイスを調合するのが大切とはいえ、それ以外の工程を他の人に任せると魔物対策の効きが悪いことがわかったからだ。
最初は、なべ底に野菜が焦げ付いた。
気が付いた時には鍋の中の水分はほとんどなくて、周囲に焦げ臭いにおいが漂っていた。
あわてて火を消したけれど、遅かった。
食べてみると、炭素と涙の味がした。
そんなところからのスタートでも、くりかえしているとだんだんうまく作れるようになっていった。
俺が作ったカレーはまだまだ母親の足元にも及ばないし、スパイスの調合も時々間違える。
でも、そのカレーを勇者のパーティに配ると、魔物へのダメージが多くなることが分かった。
こんな俺が作ったカレーでも、世界の役に立っているような気がして誇らしかった。
◇ ◇ ◇
それから、どれくらいの時間が経っただろう。
毎日毎食カレーを作り続け、俺は「伝説のスパイスの申し子」として、ちょっとだけ名前が知られるようになった。
魔王討伐にも同行し、俺の作るカレーで勇者たちは強化されていった。
……なんかすごそうに思えるけど、実際はただの料理係だ。
でも、あのとき母親が言った「あなたのために」って言葉が、今なら少しわかる気がする。
「だれかのために」何かをするのって、気持ちがいい。
「だれかのせいで」よりは。
◇ ◇ ◇
目が覚めた。
知らない天井――ではない。
もとの”俺”、高校生の部屋だ。
「――戻ってきたのか」
カレーの匂いは、しなかった。
俺はゆっくりとベッドから起き上がり、洗面所へ向かった。
鏡には、間違いなく黒目黒髪の”俺”が映っていた。
ぼーっとする俺に、鏡の中の俺が重なった。
一瞬、赤髪、琥珀色の目の”俺”が映った気がした。
”俺”の色彩はまるでカレーのようで、あの日々を思い出した。
あの、努力し続けた日々を。
――高校生の俺は、努力が苦手だった。
でも、別の俺を経験して。
――努力も悪くないかもしれない。
そう思い始めていた。
鼻の奥に微かに残るカレーの匂いを感じながら、俺は机に向かった。
ギャグにも青春にもシリアスにも振れなかった悲しき料理。