第5話・スキル<かばう>
どうしてこうなってしまった?目の前で客がレジで大騒ぎをしている。暴れているわけじゃない。
いい加減働いてみたら?という母の噛み合わない投げかけに、仕事は探しているんだよ、と寄せて返すも、白波の泡沫のように消える会話。じゃぁ、健二おじさんのところで仕事手伝っておいで、と。
失業手当を頂いている手前、対価の伴う労働はご法度だが、手伝いならいいだろう。健二おじさんは、母の弟で独身。自由人だと思っていたら、十五年前コンビニを始めると言って独立系コンビニ開業した。フランチャイズではない、まぁ小さいスーパーのような駄菓子屋のようなものだ。
高校生のころはよくバイトさせてもらった。家から自転車で十分という、学校よりも近い位置にある。通学圏でもあるので、同級生や幼馴染がよく立ち寄っている。
で、おじさんが仮眠を取っている間に、事件が起きた。おじさんは寝たら起きない。何があってもだ。俺とアルバイトの女子高生とで、品出しとレジを手際よく対応していた。といっても、この店のメインタイムは深夜で、今みたいな夕方なんかは、客足はまばらだ。
つまりアイドルタイム。
年のころは三十代、ガタイはさほどよくはないが、神経質そうな男。その後ろに同じく三十代ぐらいの、女性。なにやら、買った商品の賞味期限が切れているというクレームのようだ。
賞味期限が切れたら、おじさんの食料と化す。それを見越しての発注だから、本当の意味でのフードロスはこの店にはない。つまり、賞味期限切れの商品なんて販売することはないのだ。
それに、この女が言う、サンドイッチとやらは、当店では販売していない。他所の店の商品か何かだろう。粗いクレームだ。
男は女子高生アルバイトにロックオンして、徹底的にクレームをつけ始めた。女はなだめるでもなく、じっと後ろで睨みを効かせている。これは、ビーストティマ―の戦闘スタイルに似ている。使役する側とされる側。労働とそっくりだ。
「だからぁ、どうするって言ってんの?この店はこんなモン売って、儲けようとしてんのかぁ」
語彙が少ない。そのせいもあって、怖くはないし、女子高生も怯まない。
「この商品はウチでは仕入れていません。レシート確認させていただけませんか?」
正しい捌き方。体幹がしっかりした物言いだ。だがそれでは、スキが。
戦闘時は敵に攻撃のチャンスを与えてはいけない。この女子高生みたいに、相手に委ねてしまう場合、研究され尽くしているならばリスキーだ。
後ろの女が待ってましたと言わんばかりの顔をしている。カタに嵌められているとわかったのはその五秒後だった。
「ほらぁ、これ、この店のレシートでしょ」
と、女がこの一手でトドメを刺してやると言わんばかりに前に出てきた。
陣形が代わったのだ。使役される側がそっと後衛に。ビーストティマ―が前衛に出る場合は、自らのフィニッシュブローで確実に刺せると判断した時だけだ。
レジの近くで品出しをしながら、賞味期限がきわどい商品の回収をしている俺は持ち場を離れられない。今ここで陳列している商品を買われると、それこそ賞味期限クレームになりかねない。
ここのところ、元勇者のスキルが発動して困っていた。俺のスキルは初手の“まもる”のみ。ソロでダンジョンを冒険していた者として、まもるのスキルは発動することはない。まもる相手がいないからだ。
一度、ダンジョン内の湖畔でマーメイドと戦い、倒しかけたとき、あまりにも美しく心奪われてしまった。そのとき、どういうわけか味方条件のフラグでも立ったのか、勇者の“かばう”スキルが発動しかけた。ちなみにマーメイドは誘惑して、対象者の心臓を好んで食す、獰猛な魔物だ。
厳密に言うと、スキルの習得には経験値が必要らしく、おれは十分すぎるほどの経験値を蓄えていた。ソロでダンジョンを潜るから、経験値は総取りといったところだった。
ゲームじゃないから経験値が数値化されて溜まっていく様はわからないが、ダンジョンから組織に帰還するたびに、経験値をスキルに変換して習得するか聞かれていた。
“まもる”以外にも、“いたわる”“立ちはだかる”“かばう”“みがわり”“じばく”なんてものもあるらしい。恐ろしい、全部自己犠牲じゃないか。と、いうことで俺は経験値をそのまま据え置きにしているうちに、組織を解雇されたわけだ。
どうにも、まもるが発動しそうになっている。女子高生が困った顔をしてこっちを見てきた。
俺をクレーマー越しに探す視線にイヤでも気づく。目と目が合った。でもダメだ。未成年者に感情を揺さぶられることは犯罪。マーメイドのように、習得していないスキルが強制的に発動することもあるらしい。
つまり、使わねばならないスキルがあり、そのための経験値もプールしているのなら、先に習得をさせるので、あとで経験値から差っ引くね、というとんでもないシステムなのだ。これをスキルのオート習得というらしい。
かばう、はカウンター発動のスキル。武器を持っていないにしても、この下衆カップルになんらかのダメージを与えてしまう。それこそ組織が誓約書の禁止事項に抵触する。
って言ってられない、俺は品出しを中断し、レジへと向かった。初めてのパーティーメンバーが困っているんだ、ここで助けなきゃ、誰が勇者だってんだ!
女は立て板に水の如く、ねちねちとクレームを並び立てる。この店が好きだからこそ言わせてもらうが、という恩着せがましい枕詞を必ずつけている。
後衛の使役される側は、ただその様子をスマホで撮影している。投稿でもする気か。
やはり、まもる、が発動している。俺はレジ内の女子高生をスッと後ろに送り、俺が前に立った。前衛だ。この場合の前衛、それは戦士や騎士、勇者といったアタッカーたち。そして後衛の女子高生、それは魔法使い、僧侶、賢者、アーチャーといったサポートメンバーたち。
くぅ、憧れの編成がここに、といったわけだ。興奮気味の俺は、スキルが先行して発動しかけているのを感じた。かばう、だ。まずい、カウンターが発動する。こういう時に限って、女が男にアイコンタクトで俺を威嚇するようにと使役し始めた。見え見えだ。腕まくりした男は、なんてことない幾何学模様のタトゥを俺に見せ始めた。だから何なのだ。こっちは右腕を戦闘で切り落とし、自分で回復魔法を使ってつなぎ合わせているんだ。回復魔法が苦手なだけあって、回復痕はなかなか消えず、しかもそこに精霊との盟約が刻まれているせいか、うっすらと古代精霊文字が浮かぶ。だいぶと反社会的な印だ。
カウンターは同じ属性の攻撃で返す仕組みだと聞いていたが、予想通りの結末になった。
男は俺の腕を見るなり、声を失った。それもそうだ、古代精霊文字自体に呪いの効果もある。この場合は、軽い体調不良みたいなものだが。つまり、風邪。
女は早くお見舞金用意しなさいよ、と口走った。相当慌てていたのか、これはもう恐喝だ。そのとき、女子高生が店内の連絡用スマホで、この下衆カップルを撮影し、警察に連絡すると言い出した。
なんだ、聞くところによると、この女子高生と思っていたアルバイトは、法科大学院に通う法律家志望の学生だったのだ。
下衆カップルたちが恐喝罪と言う言葉に恐れをなしたのか、サンドイッチをこの女子大学院生に向けて投げつけて店を出ようとした。
あぁ、いけない、この女子大学院生に一目ぼれでもしたのか、じばく、スキルを習得しますと脳内でスキルマネージャーが警告音を鳴らし始めた。
サンドイッチを投げつけられた仲間を守るために、じばく。割に合わないというか、馬鹿馬鹿しすぎる。このままでは店も吹き飛ぶし、この女性も、下衆カップルも、奥で寝ているおじさんもみんな、死んでしまう。
そのとき陳列棚に、寝ていたはずのおじさんが品出しと賞味期限切れ商品を手際よく回収していた。いつの間に?
おじさんは、下衆カップルを背後から取り押さえ、俺に警察に通報、と指示した。
フランチャイズではない分、こうしたトラブルには躊躇しないらしい。おじさんのおかげで俺は、じばく、せずに済んだ。
警察はすぐに店に来た。年配と若手の警察官たちは顔なじみのようにおじさんと少し会話していた。その後、この下衆カップルをパトカーに乗せて連れて行った。
ちょうど六時を五分ほど過ぎていて、気づいたらその女子大学院生はバイトを上がっていた。
おじさんが
「あの子帰っちまったから、まだバイト入れるか?」
「いいけど、いつの間に帰ったんだ? あの子」
「あぁ、ほらいつも彼氏が迎えに来るんだよ、元ウチのバイトな」
おじさんは寝起きのボサボサの頭を整えながら、言った。結局俺は、深夜もバイトに入り、家に帰ったのは明け方だった。
おじさんはこの生活を十五年も続けているのだ。働くって尊いな、あの自由人のおじさんを変えるんだから。勇者の方がラクだったかもな、とバイト上がりの俺を新聞配達のカブが追い越していった。