第3話・時間魔法<行動速度向上>
隣町のお茶工場、契約社員から正社員登用実績あり!学歴不問・給与二十五万円~、週休二日制。まぁ悪くないだろうということで、ハローワークからの紹介で面接に。
自転車で行きたいところだが、駐輪場がないらしく、バスで向かう。地元のローカルバス、誰が使ってるんだといつも思っていたが、乗ってみれば、案外学生たちが使っていて驚く。
週休二日ってことは、土日が休みだって思っていたらどうも違うようだ。求人票を母に見られ、朝食時に「これ、完全週休二日制じゃないから、たまに土曜日か日曜日出勤よ」だと。ネットで調べたら確かにそうだった。なら、土日勤務の日あります、とか週五または六勤務って書けばいいのに、と俺はバスのなかで大人の世界の苦さについて噛みしめていた。
大卒で一年間、組織で契約社員という経歴はあるものの、誓約書では組織のことを職歴に記載しないと、あったものだから、大卒後から無職のままという扱いになる。
大学時代何頑張りました?なんて聞かれても、ダンジョン下層にいた魔王を倒しましたぐらいしか言えない。特技っていっても、スライムを一分で五十八体倒しました、なんてことぐらいだ。魔法なら一通りは習得しているが、そりゃぁ披露してはいけないと言われたし。
でも、もし誓約書を反故にしてしまったらどうなるのか?その辺は実は知らない。組織の窓口に聞こうにも、誓約書に“組織の窓口に連絡してはいけない”と書かれている。
目的の会社というか工場まで、八駅ほど。工場の名前がバス停にもなっている。これは、広告的にスポンサーになっているのか?御茶葉屋乃介工場前、バス停の名前に使われているおかげで、うちの母も父も知っていた。面接に行くことは父も知っているが、「あそこ知ってる」と言っていたし。こういうとき、知名度というか認知度があると助かる。親が安心すると自分も安心できる。
そういうものだ。
大き目の交差点を左折する、横断歩道で一旦停止したその時だった。地元の高校前を過ぎていたこともあって、バス内はガラガラになっていた。運転手、俺、横一列シートの老婆、後部座席の女子高生、そして、女子高生の後ろに座っていたバスジャックのみ。
女子高生を後ろから羽交い絞めにし、ナイフを首元に当てる。女子高生は声が出てないが、老婆がそれを見て悲鳴を上げた。バスの窓ガラスが揺れるほどの大きな声。
運転手が一旦停止から動き始めようとしていた時だったので、深くブレーキを踏み込んだ。その拍子に、女子高生の首にナイフの先が少し刺さった。チクッと言う程度だと思うが、血が滲み、女子高生は気絶した。男はナイフを見て慌てふためき、右手にナイフを大きく降り上げたまま、前方の俺と老婆の座席シートの方にズカズカと歩いてきた。
オークに似ている。見た目もそうだが、無防備に武器を振り上げて突進。最初ダンジョンでオーク単体に遭遇した時は肝を冷やしたが、対処法は簡単。攻撃パターンが単調なのだ。振り上げた武器を相手めがけて縦方向に降ろす。縦の攻撃には横移動が有効。バスは狭い、通路で立ちふさがり上半身だけ横移動で交わすかと判断した。が、老婆が邪魔だ。
ここでソロ戦闘者としての欠点を実感した。パーティーでダンジョンを踏破したわけではないので、“味方を守る”という戦闘方法を知らないのだ。溢れるほどの未使用経験値を手にしているが、すべてソロ戦闘によるものだ。
いけない、バスのオーク男が迫って来た。攻撃魔法なんてかけられない。火系はバス車内全体が火の海になりかねないし、水系は電気系統の故障につながって、乗客と運転手が感電するかもしれない。氷系は水系と同じ理由で却下、溶けたあとが面倒くさい。
石化・毒・呪いといった物騒な魔法は、後方の女子高生にまで魔力影響してしまうかもしれない。眠りの魔法でもいいのだが、こんな相手を自由に扱える魔法は自然摂理が働いているのか、魔力切れを起こす。つまり、起こす魔法は明日以降にしかかけられない。犯人が逮捕されて留置所なんかに入れられたら、起こす魔法がかけられない。この女子高生も寝てしまったら厄介だ。探して起こす魔法をかけるのも一苦労だ。眠りが深くなると昏睡となって、起こす魔法も複雑な術式が必要になる。
それなら石化の方がマシか、と考えているうちに、バスのオーク男はナイフを軽く振り上げ、そして俺に狙いをつけて振り下ろした。
老婆に目をやる。眠っている。運転手は電話をかけている、女子高生は気絶している。となると、これだな。誰も傷つけない魔法、時間魔法。
俺は自分の動きを通常時の六十倍の速さにする魔法をかけた。これは、自分に流れる時間とその他で流れる時間に六十倍の差をつける魔法だ。
目に追えない速さで、オーク男のナイフ攻撃をかわしそのままナイフを取り上げた。
もちろん指紋がつくと厄介なので、ハンカチに柄の部分を包んでと言う具合に。
オーク男は何があったかわからないはず。そのままオーク男の腹を軽く一発、目が覚めたら苦しいだろうが勘弁して欲しい、手加減したから。
後方へ向かい、女子高生の傷を確認し、ここは敢えて回復魔法を使わずそのままに。傷も証拠として必要だろうし。時間の差があるから、脈が測りにくいが、三十秒ほど脈を取った。つまり、俺以外の世界では三十分(千八百秒)に相当する。脈が正常であることを確認したあたりで、時間魔法が解除された。
バス内には突然前のめりに倒れる男、まだ気絶したままの女子高生、電話をかけているバス運転手、眠っている老婆、そして何事もなかったかのように座っている俺の五人がいた。
すっかり忘れていた。
時間の帳尻合わせが始まったのだ。俺側に時間が追い付こうと、現実時間も三十数分経っていた。時間の歪ができてしまわないようにという自然摂理なのだ。
いつもは、時間魔法を使って敵を倒し切る。味方もいないから、時間の帳尻合わせの感覚がない。ダンジョンに潜るときは、時計は外す。バッグに入れたままだ、戦闘で何度も壊した経験からのことだ。
時計の針が恐ろしい勢いで三十分進んだ。時間が飛ぶような感覚だ、だからといって周囲が俺より速く動くようなことはできない。
ただの、帳尻合わせ。
俺はスマホがブルっと震える。着信のお知らせ、留守電のお知らせだった。着信、留守電二件。どちらも面接担当官からで、一件目は面接時間五分すぎた頃、そして二軒目はその十分後。
そう、面接時間をオーバーしていたのだ。バスのなかで約四十分ほど過ぎていたらしい。
留守電を聴きつつ、俺は警察からの事情聴取を軽く受けた。とりあえず運転手も含めて、病院で検査となったが、俺は断った。既に担架に乗せられている女子高生とすれ違ったとき、「ありがとうございます」と言われた。
見えていたのか? どういうことだ? と聞きたいことはあったが、女子高生はそのまま救急車で病院へと搬送されていった。
俺は横断歩道を渡り反対車線のバス停へ向かい、自宅へと向かった。ちょうど面接をしていたなら終わって帰宅するぐらいの時間だった。両親には、ダメだったと言えばいい。
「魔王復活してくれたら、組織に戻れっかなー」といけないことをまた思ったが、そうなったら、また勇者に戻れるなぁと。きっと忘れている。今の辛さと過去の苦しさを天秤にすると、今の方が勝つのはなぜだろう。
とりあえず、自宅そばで牛丼でも食べて帰ろう。魔法を使うと、腹が減るんだ。