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別三

# マーカス・ヘイガンの最後の共鳴


## 第三章「断片化する思考」

### 2208年6月


ヘイガンの呼吸が乱れた。苦痛ではなく、集中力の途切れからだった。彼は実験室のベッドに横たわり、視線を天井に固定した。頭部の周りには複雑な装置が配置され、後頭部には新しい接続ポートが埋め込まれていた。


「もう一度試します」リンダ・チェン博士は静かに言った。「思考を...単語ではなく、パターンとして」


ヘイガンは目を閉じた。言葉を形成しようとするのではなく、純粋な概念として「コンセンサス・プリュード」を思い浮かべる。それは、個別の言葉や文章ではなく、相互接続された意図と構造の複雑な網として彼の意識に広がった。


「素晴らしい」チェン博士は監視スクリーンを見ながら声を上げた。「信号がはるかに明瞭です」


【未来視点_2235.11.22】神経認知学会誌:「ヘイガンが《Nova-Synaptic》の開発中に行った『非言語的思考記録』の実験は、後のシナプティック・コンフラックスにおける『前言語的共有』の直接的先駆けとなった。彼の疾患による言語能力の低下が、皮肉にも人類のコミュニケーションにおける革命的飛躍への道を開いた。」【/視点】


《過去再帰_2208.06.17》《Nova-Synaptic》開発記録:「被験者(ヘイガン準将)の思考パターンを非言語形式で初めて成功裏に記録。従来の言語媒介なしに複雑な概念構造を直接キャプチャすることに成功。PSD進行による被験者の言語処理機能低下にもかかわらず、非言語的思考の複雑性と明瞭さは保たれている。」《/再帰》


「どのように...見えるか?」ヘイガンは言葉を探しながら尋ねた。彼の言語能力は過去数ヶ月でさらに悪化していた。複雑な文章を構成することが困難になり、時折不適切な単語が入り込んだ。


「言葉では説明しづらいですね」チェン博士は微笑んだ。「しかし、お見せすることはできます」


彼女がコマンドを入力すると、ヘイガンの視界にホログラフィック表示が現れた。それは色と光のダイナミックな三次元パターンで、通常の言語や図表とはまったく異なっていた。それは彼の思考の視覚化—色彩豊かに脈動する神経活動の風景だった。


「これが...私...」彼は言葉に詰まった。


「はい、これがあなたの思考です」チェン博士は静かに言った。「言語に変換されていない、純粋な形の」


──流入データ:

<脳波パターン:安定>

<《Nova-Synaptic》接続性:87%>

<思考記録精度:+32%(従来比)>


ヘイガンはホログラムを魅了されたように見つめた。彼の思考の視覚的表現は、言葉が失われても、彼の意識が生き続けることを証明していた。そしてそれは美しかった—言語の制約を受けない、純粋な概念と意図の流れ。


実験が終わると、彼は疲れを感じながらも、不思議な高揚感を覚えていた。《Nova-Synaptic》は彼の脳にもはや存在しない神経結合を補っていた。それは単に失われた機能を置き換えるだけでなく、新しい可能性を開いていた。


〔メタ_神経工学史研究者〕ヘイガンの《Nova-Synaptic》実験は、彼の疾患への対処法として始まったが、すぐに神経技術の根本的な再考へと発展した。彼の言語能力の喪失が、皮肉にも言語を超えたコミュニケーションの可能性への洞察をもたらした。これは後の集合意識技術に不可欠な「前言語的共有」の発展に決定的な影響を与えた。〔/メタ〕


ペンタゴンでの執務室に戻ったヘイガンは、最新の「コンセンサス・プリュード」実装報告書と向き合っていた。読むのが以前よりも困難になっていた。文字がときどき踊るように見え、複雑な文章の意味を追うのに時間がかかった。


「準将」秘書が部屋に入ってきた。「ジョンソン将校からの報告です」


ヘイガンは頷いた。「音声...にして」彼は言った。読むより聞く方が容易になっていた。


報告書が読み上げられる間、ヘイガンは窓辺に立って外を見ていた。世界は変わり始めていた。北米防衛連合の組織構造が徐々に再編成され、「階級」から「共鳴度」へと重点が移行していた。従来の軍事ドクトリンは、より流動的で適応力のある集合的アプローチに道を譲りつつあった。


彼のビジョンが現実になり始めていた。しかし同時に、彼自身はその現実から少しずつ遠ざかっていた。


《過去再帰_2208.06.18》ヘイガンの医療記録(極秘):「認知機能の全体的低下が加速している。言語処理に著しい障害。視空間認識も影響を受け始めている。短期記憶は《Nova-Synaptic》による補完で維持されているが、長期記憶への新規情報の転送が困難になっている。推定余命:18-24ヶ月。」《/再帰》


コーヒーを飲もうとして、彼はカップを取り落とした。手の震えが制御できないほど悪化していた。カップが床に落ち、コーヒーが飛び散った。彼は秘書を呼ぶことなく、自分で片付けようとしたが、動作は不器用だった。


「必要ありません」秘書が部屋に戻ってきた。「お任せください」


「いや」ヘイガンは言った。「私が...できる」


彼は膝をついてナプキンを手に取った。動作は遅かったが、彼はそれを最後まで行った。秘書はただ見守った。彼女はヘイガンの尊厳を尊重するのに十分な洞察力を持っていた。


その夜、ヘイガンは帰宅後すぐに書斎に向かった。彼のプライベートスペースには、最新の《Nova-Synaptic》インターフェースが設置されていた。通常の診断機器とは大きく異なり、複雑な量子計算ユニットとニューラルマッピング装置が組み込まれていた。


「接続...開始」彼は声で命令した。


後頭部の接続ポートに細い光ファイバーが接続されると、彼の意識は拡張した。言語の制約から解放され、彼の思考はより自由に流れ始めた。彼は目を閉じ、コンセンサス・プリュードの最終構想を思い描いた。


【未来視点_2228.05.09】コンセンサス・コア設立記録から:「ヘイガン準将の『非言語思考記録』からの多くの構造的特徴が、初期コンセンサス・コアのアーキテクチャに直接反映された。特に『創発的意識層』の概念は、彼の最後の記録セッションから抽出されたものだった。彼が意図した軍事的応用をはるかに超えて、彼のビジョンは全く新しい形の社会組織へと進化した。」【/視点】


ホログラフィック・ディスプレイに彼の思考が視覚化されると、部屋は鮮やかな光のパターンで満たされた。彼のビジョンは、もはや単なる軍事指揮構造の再編ではなく、根本的に新しい形の社会組織に関するものだった。個々の意識が相互に結合し、より高次の集合的意識を形成する—しかし個人性は失われずに拡張される—という壮大な構想だった。


彼はこの思考セッションを記録した。《Nova-Synaptic》を通じて、彼の脳の神経活動が直接デジタル形式に変換され、永続的に保存される。言葉にできなくても、彼の構想は失われないだろう。


夕食後、彼は自分の古い写真アルバムを見つめていた。幼少期、軍事学校時代、初期の《Nova Eye》開発期...記憶は鮮明だったが、断片的になりつつあった。写真に付けられた名前や日付が思い出せないこともあった。


「エリザベス」彼は母親の写真を見つめながら言った。「なぜ...あなたも同じ病を」


彼の母もPSDに苦しみ、彼が若い将校だった頃に亡くなっていた。彼女の最後の数年は、認識と記憶の世界が徐々に崩壊していく恐ろしい旅だった。彼はその同じ道を歩んでいる自分を見出していた。


《過去再帰_2208.06.18》ヘイガンの個人日記(音声記録):「母のことを考える。彼女の最後の日々...彼女は私を認識できなかった。私も同じ運命をたどるのか?だが違いがある。私には《Nova-Synaptic》がある。私の思考は...保存される。断片化する私の意識の中に新しい...パターンが見える。言葉が消えても...思考は残る。混乱の中に...新しい種類の明晰さが。逆説的だが...言語を失うことで...より純粋に見えるものがある。」《/再帰》


彼は寝室に向かった。睡眠は以前より困難になっていた。断片的な夢と突然の覚醒が彼の夜を中断した。しかし《Nova-Synaptic》は彼の脳パターンを監視し、安定させ、最低限の休息を確保する助けとなった。


翌朝、ヘイガンはコリン・ジョンソンとの会議のためペンタゴンに向かった。彼女は今では将軍に昇進し、「統合認知戦略軍」の司令官となっていた。彼の心に波のように感情が押し寄せた。誇り、羨望、そして彼女が彼の仕事を続けるという安心感。


ジョンソンの新しいオフィスは、かつて彼が使っていたものよりも広かった。壁には多次元ホログラフィック・マップが映し出され、グローバルな「共鳴ネットワーク」の状態をリアルタイムで示していた。


「準将」彼女は立ち上がって彼を迎えた。「お越しいただき感謝します」


「報告...聞きたい」彼は椅子に座りながら言った。


ジョンソンはわずかに目を細めた。彼の言語能力の低下は明らかだった。しかし彼女は何も言わず、すぐに報告を始めた。


「コンセンサス・プリュードは進展しています」彼女はホログラフィック・マップを操作しながら言った。「すでに12の前線基地で実装済み、効果は予想を上回っています」


ヘイガンはマップを見つめた。彼の視覚処理能力は言語よりも維持されていて、複雑な空間パターンを理解することができた。彼は満足げに頷いた。


「新たな...問題?」彼は尋ねた。


「一つだけ」ジョンソンは慎重に言った。「予期せぬ...効果が報告されています」


「どんな効果?」


「共鳴セッション後、一部の兵士が『個別』の状態に戻りたがらない傾向があります」彼女は説明した。「集合的意識の経験が...中毒性を持つ可能性があります」


〔メタ_神経倫理学研究者〕ジョンソンが報告した「集合的意識の中毒性」は、後のシナプティック・コンフラックスで「共鳴依存症」として認識される現象の最初の事例だった。集合的状態の膨大な情報接続と情緒的充足感は、単独の意識状態よりも魅力的であると多くの初期被験者が報告しており、これは集合意識社会の形成に重要な心理的要因となった。〔/メタ〕


ヘイガンは起き上がり、よろよろとしながらマップに近づいた。彼の歩行は不安定になっていたが、彼はジョンソンの助けを拒んだ。


「予想...していた」彼は言った。「人間は...つながりを求める...孤独より...一体感を」


「でも、個人性の喪失は—」


「喪失ではない」ヘイガンは彼女を遮った。彼は言葉を探しながら苦労した。「拡張...だ」


彼は立ち止まり、思考を整理しようとした。単語が次々と消え去り、代わりに純粋な概念が浮かんだ。彼はそれらを言葉にすることができなかった。


「私の《Nova-Synaptic》を...使いたい」彼は突然言った。


ジョンソンは理解した。彼女は即座に部屋の一部を封鎖し、高度なセキュリティプロトコルを有効にした。彼女自身のオフィスに《Nova-Synaptic》インターフェースを設置していたのだ。明らかに彼女はこのような瞬間に備えていた。


「準備できています」彼女は言った。


ヘイガンは椅子に座り、インターフェースに接続した。彼の思考が直接、言語を介さずにシステムに流れ込み始めた。ホログラフィック・ディスプレイに複雑なパターンが形成された—彼の回答、説明、そしてビジョン。言葉ではなく、純粋な概念と意図として。


「理解しました」ジョンソンは敬意を込めて言った。彼女はインターフェースを通して彼の思考を「読む」ことができた。「集合状態への依存は危険ではなく、自然な進化なのですね」


ヘイガンは頷いた。彼の表情が明るくなった。言葉なしで理解されることの安堵感を彼は感じていた。


「《Nova-Synaptic》の改良版を本部に実装します」ジョンソンは言った。「すべての司令官が言語の制約なしでコミュニケーションできるようになります」


ヘイガンは再び頷いた。彼のビジョンが理解され、継続されることを知って、彼は満足感を覚えた。


【未来視点_2229.12.12】コミュニケーション史研究誌から:「言語の終焉は、集合意識社会の基盤となる最も重要な発展だった。ヘイガンの《Nova-Synaptic》実験は、疾患による必要性から始まったが、最終的に人類のコミュニケーションの本質を変革することになった。皮肉なことに、彼の言葉の喪失が、言葉を超えた新しい表現と理解の時代への道を開いた。」【/視点】


セッションの後、ヘイガンはジョンソンに見送られて帰宅した。彼の執務室の窓から見える景色は、初夏の明るい日差しに包まれていた。彼は窓際に立ち、ポトマック川の流れを見つめた。


川の流れのように、彼の意識も流れていた。断片化し、変形し、時には混乱するが、それでも続いていた。《Nova-Synaptic》は彼の思考に新しい表現方法を与えた。言語という限られた媒体に頼る必要はもうなかった。


彼の顔に小さな笑みが浮かんだ。もしかすると、彼の疾患は罰ではなく、贈り物だったのかもしれない。それは彼に新しい見方を強いた—言葉の向こう側にある純粋な思考の領域への窓を開いた。


断片化する思考の中で、新しい種類の全体性が生まれつつあった。


*<了>*

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