1-4 不思議な出会い(4)
放課後になってしばらくたった、午後4時近く。
よく晴れて、まだ空は明るい。
ぼくは学校から登下校する際に通る道中にある公園、そう、初めて玲凪と話したときと同じ公園に来ていた。
公園はけっこう広くて駅からも近いせいか、平日でもそこそこ人が多い。
ぼくは公園の中央の広場からはずれた、奥のほうにあるベンチに座って、リュックの中にいつも入れている文庫本を取り出し、ひざの上で開いていた。
けれども、それを読むとも読まぬともつかない状態。
心は別のところに行っている。
そんな気分で玲凪を待っていた。
公園の中にいるのは、遊んでいる男女の子どもたちが十数人、そしてその母親とおぼしき大人の女性が数人、男性もちらほら。
あとは杖をついた高齢の男性や女性。
大きな押し車型のカートを引いて来ている、白髪の女性もいる。
ぼくのような年ごろの10代の男子・女子はひとりもいない。
かといって、ぼくがこの中で目立つ存在ってわけでもない。
ここに来ているみんなが、それぞれ自分のしていることに夢中なので、だれひとりとしてぼくを見る者も、興味を示す者もいない。
ぼくのほうも、彼ら彼女らには特別興味はない。
その、おたがい無関心という状況が、ぼくを安心させてくれる。
公園ってのはそんなふうに、孤独であって孤独でないところが、居心地いいのだ。
だからぼくは日ごろ、公園にひとりでふらっと来ることも多い。
好きな場所だ。
さて、玲凪は今ごろ、クラスメイトの秋野仁美にインタビューをしているはずだ。
それが終わり次第、玲凪とここで待ち合わせる約束になっている。
もうそろそろ来るころだと思うんだが。
と、思いながらなにげなく公園の入口のほうに目を向けたら、玲凪が入って来るのが見えた。
周囲を見回しながら、おそるおそるこちら、つまりぼくの座っているベンチの方向に歩いてくる。
そして間もなく、ぼくを見つけたようだ。
ぼくと目線が合うと、笑顔になって思いっきり手を振って駆けてくる。
やめろ、その青春ものアニメやコミックに出てくるヒロインみたいな所作。
ぼくは思わず苦笑した。
ほんと、この子はこういうしぐさが自然に身についてるみたいだ。
それも、だれからも好かれるそつのない優等生たる資質ということか。
いやはや。
玲凪はぼくの前までたどり着くと、息を軽く弾ませながらほっとした様子で、
「ごめんね、待った?」
と言った。
ぼくはできるだけ、彼女を待ち焦がれてなどまったくいなかったぞ、というような、限りなく冷淡っぽい冷静さを装って答えた。
「いや、別に。
……ご覧のとおり、読書して時間つぶしてた」
玲凪はぼくの様子に特別な反応をすることもなく、
「そっか」
と言って、ぼくの隣に座ると、ぼくにひっつくように身体を寄せてきた。
そして、あわてるぼくにかまわず元気な声を張り上げた。
「秋野さんの話、聞けたよ!」
ぼくは、あいかわらずの玲凪の物理的な近さに、どきまぎしながら答えた。
「……おう、そうか……。
どうだった?」
ところが、玲凪の表情が少し曇る。
「それがね……」
玲凪が話した、その一部始終。
それは、こんなふうだった。
***
「放課後、秋野さんに会って、本格的に話ができたの。
話を聞いた場所は、滝浦くんが許可してくれた文芸部の部室。
確かに滝浦くんの言うとおり、彼女のプライバシーに関わることを聞くことにもなるわけだから、場所としては最適だね!」
玲凪の言葉に、ぼくは返した。
「……まあ、文芸部の部室なら、先輩がた3年は受験準備で部活を卒業してるから来ない、ぼくと同じ2年にはぼく以外に部員はいない、後輩となるはずの1年生で入部してくれたやつも今んところいない……。
ということで、最近はぼくが出席してるとき以外、ほぼいつも空いているし、あの部室の前の廊下も閑散としてて、あまり人が通らないからね。
だから、プライバシーを守って聞き取りするには最適な場所、ってわけだ」
すると、玲凪がちょっと不満げな顔をして言った。
「待って。
……なんであたしが数に入ってないの?」
「え、どういう意味?」
「あれ、知らないの?
あたしも部員なんだけど!」
「は?」
「え?」
おたがいに疑問符を投げ合ってどうする。
「滝浦くん、部員名簿とかちゃんと見てないの?
あたし、家庭科部だけじゃなくて、いちおう文芸部員でもあるんだよ。
……まあ幽霊部員だけど。
だから、いちおうあの部室を使う権利はもともとあるんだよ」
「なに?」
「全然知らないんだね。
……えとね、じゃあ経緯を語ります。
あたし、高校に入ったとき、すぐ姉に文芸部に誘われたんだ。
『頭数揃えたい、っていうこっちのメリットもあるから、籍置くだけでもいいんで入部してよ!』
っていうことで、入部届だけ出したの。
実際に出席したことは一度もないんだけどね。
……それは申し訳ないとは思ってますが……」
「……なんでそれ、早く言ってくれない?」
「だって、姉からとか、宮村先生からもう聞いてるかと思ってたから……。
意外だなあー、滝浦くんがそれ知らないなんて。
……って、滝浦くんに話してなかったあたしもあたしだけど」
ちなみに今、玲凪の話の中に出てきた宮村先生というのは、国語の先生にして、文芸部の顧問。
うら若き女性……ではなく、もう中年にさしかかっているが、なかなかお美しい女性教諭で、生徒の間……男子・女子を問わず……でもときどき話題になるほどの美人だ。
独身だが、本人に結婚の意志は当面ないもよう、というのは本人の談。
先生と雑談した際、なにかの流れでそういう話題になって、先生自身がそう言ってた。
そんな感じで、ぼくは宮村先生とは部活に関すること、勉強のことだけでなく、たまに個人的な相談にものってくれたりするような、良好な関係になっている。
とても気さくでいい先生だ。
実年齢より精神的に若く、いろいろなことについての知識も豊富で、ぼくらの年齢の流行りもの……つまり、マンガ、ゲームやネット上の話題など……もそこそこ知っていたりするので、非常に話がしやすい。
正直に言うと、ぼくは大人になったら、宮村先生みたいな大人の女性とお付き合いできるといいんだがなあ、とかひそかに思っていたりする。
……あ、これは脱線。
恥ずかしいことを口走った。
口走ったのが心の中だけなのは幸いだった。
頭の中を玲凪にもどして、ぼくは玲凪に嘆くように言った。
「だれからも全然聞いてないよ、そんな話……。
それ、早く言ってくれよ。
知ってたら、同じ部の部員として、もうちょっとそれなりの対応できたのに……」
「え、それなりって、どんな対応?」
「うーん……まあ、部員待遇、っていうか……」
「なにそれ!」
そう言って、玲凪は鼻の下に人差し指を当てて、くすっ、と笑う。
「やっぱおもしろいね、滝浦くんって」
また、玲凪と二人の漫才問答になってしまった。
ぼくはちょっと咳払いをして、話題をもどすことにした。
「……まあいいや、その話は。
せっかくだからこれを機会に、これからでも文芸部にも顔出してくれるとうれしいけどね。
で、秋野さんとの話はどうだった?」
玲凪は急にまじめな顔になって言った。
「そうそう、それ。
……まず結論から言うとね、秋野さん、認めた。
自分が紗英のキーホルダーを盗ったことを。
だけどね、そこに至るまでの理由がね……聞いてよ……」
玲凪の悲しげな表情にぼくはなにかを察して、真顔になるとうなずいた。
「聴くよ、もちろん」
玲凪は、自分を落ち着かせるかのように、すーっ、と息を吸って、ゆっくりと吐いた。
そして、なにかを訴えるように、ぼくの目を真っすぐに見ながら話し出した。
「……あたしは秋野さんにね、紗英のぬいぐるみのキーホルダーがなくなったということと、その日の秋野さんの行動……いつ、どこで、なにをしてたか、ってことを、あらためて尋ねたの。
できるだけ、秋野さんを疑ってかかってる感じにならないよう気をつけながらね。
はじめのうち、秋野さんは黙っててなにも言わなかった。
あたしは、滝浦くんの言ったとおりのことを、秋野さんに話したんだ。
……つまり、キーホルダーがなくなったその日の4限の時間帯に、盗んだ疑惑を持たれている明美が教室に入った可能性はない。
なぜなら明美がその時間中、体育の授業にずっと出席していてグラウンド上にいたことを、あたしが近くで見ていたから。
それから、同じ時間帯に、B組の教室から体操着を着た女子がひとり、出ていくのを目撃した人がいること……これはあたしがその女子から聞き取りできて、滝浦くんにすでに伝えたこと。
この二つのことね。
すると、しばらくして秋野さんは、あたしから目をそらしてうつむいたまま、震えるような声で言ったの。
『……ごめんなさい……。
それは、あたし……。
……あたしが盗んだの。
体育の時間中、トイレに行ってきますって先生に言って授業を抜けて、そのまま真っすぐ教室にもどった。
そして、菊池さんのバッグからキーホルダーをはずして、それを自分のポシェットに入れて隠し、教室を出た。
その後、疑われないようにトイレに寄って、それから体育の授業にもどったの。
そう、だから、関口さんの言うとおり、犯人は鮎原さんじゃない。
あたし。
……ぬいぐるみのキーホルダーは、今もあたしが持ってる』
そう言って、持ってきていたリュックの中を開けると、その中から紗英のぬいぐるみのキーホルダーを取り出して、あたしの前の机の上に置いたの。
そのとき、キーホルダーの金具の部分が机の上に当たって、ジャラッ!と音を立てた。
その音が今も、耳の中で鳴ってるみたいに残ってる。
あたしは、秋野さんの告白を聞いて、言葉が出なかった。
ショックから落ち着くまで、1、2分はかかったかも。
やっと気を取り直すと、秋野さんに尋ねた。
『……どうして、こんなこと、したの?』
秋野さんはまたしばらく黙ったままだった。
でもやがて、ゆっくりと、吐き出すように重い声で、言ったの。
『……したくて、したんじゃない。
角田くんが、やってほしいって……』
『え?
……どういうこと?』
秋野さんは顔を上げた。
その表情は、とても苦しそうで、悲しそうだった。
あたしはそのとき、触れてはいけないものに触れてしまったような気がしたの。
秋野さんは話を続けた。
『角田くんにこう頼まれたの。
<……ある人から、菊池のキーホルダーを盗ってこいって頼まれてる。
その人は、自分にとって逆らえない人なんだ。
だから、やらなきゃならない。
だけど、盗めるタイミングは、体育の時間ぐらいしかないだろ?
女子も男子もいなくなって教室が空になるのは、そのときくらいだから。
でも、その時間に男子のおれがひとりで教室に入っていくのは、目立つし怪しまれ過ぎる。
……だから、仁美、おまえにお願いしたいんだ。
頼む!
おれのために、どうか、やってもらえないか……>
あたしは角田くんと付き合ってて、彼が好きなの。
でも、彼は最近、なんかあたしに冷たくなった気がしてて……。
あたしへの気持ちが冷めちゃったのかな、って、あたし悩んでて……。
それから、角田くんはこうも言った。
<これが成功したら、夏休みに二人でどこか旅行に行かないか>
そんなことを彼が言ってくれるの、ひさしぶりだったから、それがうれしくてね……。
だから、断れなかった。
バカみたいだよね。
だから、悪いことだと、もちろんわかってたんだけど、OKしてしまって……』
そこまで言うと、秋野さんは静かに涙を流したの。
秋野さんの気持ちは、すごくわかるような気がした。
だから、あたしもこれ以上秋野さんに問いただすのがつらくって。
だから、あたしは秋野さんを抱きしめて、思わずこう言っちゃったの。
『……秋野さん、わかった、もういいよ……。
もう、これで、だいじょうぶだから。
ほかのだれにも、このことは言わない。
あたしといっしょに事件を調べてる、もうひとりの人を別にしてね。
その人はとても信頼できる人だから、絶対、ほかの人にもれることはないよ。
だから、だいじょうぶ……』
ってね……。
あたしは秋野さんの背中をなでで、なぐさめた。
そして、聞き取りをそこで止めた。
滝浦くん、ごめん……。
とにかく、これがあたしが聞けた全部。
ここまでしか聞けなかった……。
ほんと、ごめんなさい……」
玲凪はそう言うと、申し訳なさそうにぼくに頭を下げた。
いや、上出来じゃないか。
予想以上だ。
ぼくはそう思った。
ぼくが聞きたかった肝心なことは、ちゃんと聞き取りできている。
そして、ぼくの推理の裏も取れた。
ほぼ完璧だ。
ということになれば、もうその先のストーリー……犯人も、そしてその動機も、たぶんぼくの推理のとおりだろう。
この事件の解決まで、ゴールはもうすぐそこだ。
えらいぞ、玲凪。
ぼくは玲凪に言った。
「関口さん。
そんな、頭下げることないよ。
関口さんのインタビューはパーフェクトだ。
ありがとう。
ぼくがほしかった情報は、全部取れた」
ぼくの言葉を聞いた玲凪は頭を上げた。
恥ずかしそうに頬を染め、目はちょっと潤んでいるように見える。
「……いいよ、そんなになぐさめてくれなくても。
やっぱり、滝浦くんはやさしいね……」
「いや、関口さん。
なぐさめてるんじゃなくて、ほんとにそう思ってる。
関口さんの聞き取りのおかげで、この事件はもうすぐ解決できるよ。
ぼくの見込みだけど、自信がある」
「……ほんとに?」
「ああ。
関口さんがここまで聞き出してくれたことに、感謝だよ」
玲凪は右目に思わず手の甲を当てた。
ぐずったように、震えた声でぼくに訴えた。
「……探偵仕事って、思ってたより、つらいもんだね……。
見たくない、人の心の奥をのぞき込むみたいで……。
……あたし、秋野さんに聞き取りしただけで、つらくなって自信なくなっちゃったけど、滝浦くんの今の言葉で、ちょっと元気出てきた……」
玲凪がそのまま、ふらっ、と倒れ込みそうな様子だったので、ぼくは思わず玲凪を支えようと、彼女を両腕で抱えた。
玲凪はその一瞬、身体を固く縮こまらせた。
ぼくは、あ、マズい、いやがられないかな、と心の中であわてたが、玲凪からは拒否のそぶりも、その意思表示とおぼしき様子も全然なかった。
それどころか、ぼくの胸に自分の顔をぐっと押しつけた。
そして、ひっく、ひっく、と泣き始めた。
「……ありがとう、滝浦くん……。
……滝浦くん、ほんとやさしくて、いいやつだね……」
そして、両手でぼくの両腕にしっかりとつかまった。
ぼくは頭がカッとなって、言葉が出てこなかった。
これ以上、どうしていいかわからなくて、動けなかった。
だけど、玲凪がとても愛おしく思えた。
だから、ぼくは玲凪がぼくの胸で泣き続けるままにしてあげた。
そして思った。
あとは総仕上げだ。
この事件の張本人、つまりあいつに、犯行とその動機を白状させること。
しかしそのためには、その前に、あの子の証言を先に得なければならない。
おそらく犯人も、そしてその動機もすでに知っているであろう、彼女の証言を。
玲凪となら、できるだろう。
そんな確信のような思いを抱いて、ぼくは玲凪の両腕を支え続けた。