1-1 不思議な出会い(1)
「……滝浦、真くん、だよね?」
学校からの帰り道、途中に広い公園があって、ぼくがそこにさしかかったところ。
ふり向くと、そこにクラスメイトの女の子がいた。
名前は、関口玲凪、って言ったっけか。
高校に入ってもう2年生。
それも2カ月くらいが経つが、関口玲凪とはいままでろくに口をきいたこともない。
そんな程度の仲だ。
クラスの中でも成績はよいほうで、仲のよい友人数人と、よくいっしょにいる姿を見る。
部活は家庭科部だったか。
お菓子とか料理作り、あとアクセサリー作りとかやってるような部。
まあ、まじめでそつのない優等生といっていいような存在だ。
その関口玲凪が目の前に立って、にこにこと笑いながらこちらを見ている。
どういうことだ。
ぼくは訝しんだ。
玲凪は特別に美人ってほどでもないかもしれないが、でもクラスの中では可愛いほうだろう。
いや、こうしてあらためて見ると、なかなか可愛い。
身長は165cmくらいか、どちらかというと細めだがすらっとした感じの体格をして、うちの高校の制服である紺のブレザー、シャツの胸には赤いリボンが結ばれ、チェックのスカートがひざのすぐ上まで。
制服をきれいに着こなしている。
ブレザーの上からでも、ほんのりと胸のふくらみがわかる程度にはある。
いや、これはぼくの邪念。
彼女に失礼だろう。
ぼくはその邪念を取り払おうと、心の中で必死にもがいた。
玲凪はぼくの表情をうかがっているのか、ときどき首をかしげるようなしぐさをしながらぼくの顔をのぞき込む。
そのたびにショートカットの黒髪が揺れる。
その様子も、ぼくを少しどきっとさせるくらいの効果はあった。
彼女への邪念から気をそらそうと思ったのと、それよりも彼女になんの返事もしないのは悪いと思ったので、ぼくはいちおう、
「……そうだけど」
と返事をした。
すると、玲凪はまた話しかけてくる。
「……あのさ、滝浦くんってさ、国語、得意でしょ?
テストのときも、いつもクラスで1位だし。
文章書くのもうまいし、こないだも夏休みの宿題の作文、先生にえらいほめられてたよね?
あれは、ほとんど絶賛って感じだったな……」
「えーと、それは今回声をかけてきた理由と関係あるのか」
「え、それは……。
滝浦くんの国語力は、すごく本が好きで、いろんな本をいっぱい読んでるからだということを、ある人から聞きまして……ちょっと興味を持ちまして……」
あんまりよくわからない理由だな。
ぼくは、あえてあまり関心がないふりをしてため息をつき、
「あー、そういうことか」
とだけ反応してみた。
玲凪はちょっと落胆したような顔をした。
無理もない。
つれない反応をされたのだから。
その玲凪の表情を見てさすがに、ちょっとかわいそうかな、と思った。
それに正直言うと、玲凪がなぜぼくにこんなに興味を示しているのか、その理由が気になった。
それで、ほんのちょっとだけ玲凪に助け船をだそうと思った。
「えーと、そのある人がだれかは知らんけど、言ってたことはそのとおり、ほぼ事実だ。
……で、きみがぼくの国語力と読書量にそんなに関心を持ってるのは、なんで?」
玲凪の顔がぱっと明るくなった。
興味津々といった感じでぼくの隣に近づくと、真横からまじまじとぼくの顔を見つめながらこう言った。
「……実はですね、滝浦くんにちょっとお願いしたいことがありまして……」
ほう。ぼくに玲凪がお願いか。
幸先いいな。
なにが。
なにを期待してるんだ、おれは。
「なにを?」
玲凪はあいかわらずにこにこしながら、ぼくの周囲を蝶のようにひらひら歩き回る。
「あたしの友だちにね、明美と紗英ってのがいて」
「うん。
鮎原明美と菊池紗英だな」
この二人は、ぼくらと同じクラスで玲凪と仲がよく、いつもいっしょにいる子たちだ。
三人がいっしょにいる姿をよく見かけるから、なんとなくぼくもおぼえていた。
「よくおぼえてたね、名前。そのとおり。
その二人がね、いまケンカしちゃってるの」
「ほう」
「でね、なんとか二人を仲直りさせたいんだけど、ケンカの理由がちょっとややこしくて。
だから、ちょっと知恵が必要なの」
「はあ」
「それで……。
滝浦くんにお願いというのは、ちょっとあたしを助けてもらえないかな、ということなんだけど。
どうかな?」
「え?」
玲凪はぼくの反応に少々困惑したようなニュアンスを感じ取ったのだろう。
そりゃそうだ。実際、困惑した。
特に仲のよいわけではない、というか、いままでろくに口をきいたこともなかった玲凪からの、さらに親しくない彼女の友だち二人の仲直りを手伝え、というお願いだ。
困惑しないわけがない。
彼女はぼくの反応をうかがうかのように、恐る恐るといった感じにゆっくりとこう続けた。
「……お願いしたいのには、もうひとつ理由があって。
というのも、あたしに姉がいるんだけど、姉に相談したの。
いま離れて住んでるから電話でだけどね。
そしたら、
『あー、そういうことね。
あたしが手伝ってもいいんだけど……。
そうだ。
あたしと玲凪、どっちが先にこの問題を解決できるか、競争しない?』
そんなことを言われてしまって。
『でも、あんた一人じゃたいへんだろうから、ハンデをつけよっか。
あんたのクラスに滝浦って男子いるでしょ。彼に助けを借りるといいよ。
あの子、文芸部の後輩なの。
ミステリー小説とかSFいっぱい読んでて、事件の推理とか得意だし、けっこう頭の切れるやつだからさ。
それに彼、ああ見えてけっこう気遣いできるし、やさしいところもあるよ』
つまり、あたしはそこで初めて姉が滝浦くんと同じ部活で先輩後輩の間柄だったこと、親しくしてたことを聞いた……と、いうわけ。
――それが滝浦くんに声をかけた理由です」
「……でも、関口さんのお姉さんって、だれ?」
「え?
知らないの?
だって同じ文芸部で、滝浦くんともよく話したって、姉が……」
「でも、文芸部に関口って苗字の女性はいなかったけど……」
そう言いかけて、あっ、と気がついた。
「……もしかして……。
岡本玲香さん!?」
そう真が叫ぶのと、玲凪があわててこう言い足すのが重なった。
「あ!
あの……あたしたち姉妹って高校入る前に親が離婚してて……。
姉は父親のほうについていったんで、苗字がちがうの!」
玲凪は、ぼくとことばが重なってしまったことに気づくとさらにあわてて、両手を前に出して振りながら謝った。
「あ!ごめん!!
そうそう、そうなの!」
ぼくは理解した。
「あ、いや、そういうことか……。
岡本先輩、ぼくと同じ歳の妹がいるってのは聞いてたけど。
それがまさか関口さんだとはな……」
「……はい、そういうこと、です……」
恥ずかしそうに下を向いて玲凪はかすれ声を出した。
「でもごめんな、なんか関口さんの家庭事情というか、プライベートに踏み込んじゃったみたいで……」
「いえ、それは全然なんとも思ってないんで……。
こちらこそ説明不足で、ごめんなさい……」
ぼくと玲凪は続くことばが見つからなくて、しばらく無言のまま歩いていた。
しかしどうにもこの沈黙を破りたくなったので、ぼくは玲凪に話しかけた。
「岡本先輩……いや、関口さんのお姉さんも家庭のことはなんも言ってなかったから、全然知らなかったよ。
……関口さん、けっこう苦労してるんだな」
玲凪は一瞬ぼくをきょとんとしたような顔で見てから、妙に悟ったような平静さで答えた。
「あたしは苦労してないよ。親たちが勝手に離婚しただけで」
ぼくは玲凪の横顔を見ながら言った。
「いや、でもなにも感じないってことはないだろ?」
玲凪はちらっとぼくの顔を見て、また前を向くと上目で空を見上げた。
「……そうだね。
いろいろ感じたり考えたりしたことはあったし、いまもあるよ」
そう言ってからまたぼくを見て、ふっ、とうっすら微笑んだ。
「……滝浦くんって、意外とやさしいとこあるね。
確かに姉の言ったとおりだ」
「なんだよ、意外と、って」
玲凪は笑った。
「あ、ごめんね!悪気はないよ。
だってさ、滝浦くんって、室田くんとか以外にはふだんクラスのだれともあまり付き合ったりしてないじゃない?
だから、他人にあんまり関心ない、冷たい人なのかなー、って思ってた。
……あ、これも失礼だったね!ごめんね……」
本当に悪気がないのはわかった。
玲凪は、こんなふうにいつも思ったことをまっすぐ話す素直な子なのだ、きっと。
話す相手がそれをわかってくれる人だと判断したときは。
「ああ、わかってる。
気にしてない」
玲凪は、ぼくの返事を聞くと安心したようにまた笑顔になり、そしてふたたび上目で空を見ながら言った。
「んー、姉もまあ、いろいろ思うことはあったんじゃないかなあ」
ぼくたち二人は、とぼとぼと公園の脇を通る道路を歩きながら話していた。
少し先に行くと、公園の周りを囲む木々の切れ目の向こうに、芝生の間に並んだベンチのひとつが空いてるのを見つけた。
ぼくは玲凪に言った。
「関口さん、あそこのベンチが空いてるから、あそこに座って話さない?」
玲凪は目をパッチリ開けると笑顔で答えた。
「うん、いいね。
そうしよっか」
ぼくと玲凪は、二人ともリュックをおろすとベンチに腰をかけ、それぞれ自分のそば、相手とは反対側にリュックを置いた。
玲凪とぼくとが座った距離は、微妙に近かった。
きょう初めて本格的に会話をした男女にしては、ちょっと近過ぎる気がする。
玲凪が、そんなことをあまりに気にしない子なのか、それとも意図してのことなのか。
ぼくはもう少しでくっつきそうなくらい真近くにいる玲凪を意識しないわけにはいかなかったが、それを玲凪に気づかれないようにしようとふるまった。
「……関口さんのお姉さん、いま大学行ってるよね。東京の大学」
玲凪はぼくのほうを向くと、静かに答えた。
「うん。東京の公立大学。
文学部・人間社会学科・心理学教室っていうところ。
人の心に興味があるんだって。これは滝浦くんも聞いてるかな?
向こうでは父の家、あ、マンションだけどね、そこで同居してるから、そこから通ってる」
そして玲凪は、すーっと息を吸うと続けた。
「あたしが小学6年、姉が中学2年のときに、両親は離婚したの。
いままで両親と住んでいた家は、父親が母親にゆずってくれた。
あたしはその家と、母親の世帯にそのまま残って、でも姓は母の旧姓の「関口」に変わった。
姉は父親の側に行ったので姓は変わらず「岡本」のまま。
だけど父といっしょに新たなマンションへと引っ越した。
で、姉が高校2年のときに、父は東京へ転勤になった。
それで姉は、父と住んでいたそのマンションの部屋で一人暮らしになって、残りの高校生活を送ったの。
それで今年の春に東京の大学に受かって、父が住んでいる東京のマンションに引っ越した。
……これが、あたしたち姉妹と両親にまつわる経緯、ってところ」
そこまで話すと、玲凪は、ふーっ、と深呼吸をした。
そして、空を見上げながらひとりごとのように言った。
「どうなのかなー、姉はあの性格だから、もうそのままあっちで就職するんじゃないかなあ」
「そうか。
まあ、それはぼくもわかる気がする。
岡本先輩って、すごい活動的だしね。
東京で仕事するとか、合ってる気がする」
「そう思うでしょ!そうなの!
姉ってそういう感じ!
あたしみたいにのんびり屋さんじゃないからねえ」
ちなみにぼくは玲凪に尋ねてみた。
「関口さんも大学行くんだよね。
どこ行くかとか、考えてる?」
「あたし?そうだね……。
あたしはね、こっち、地元の国公立めざそうかなー、って思ってる。
ここらへんって都会ではあるけど、東京みたいに都会過ぎないっていうか、適度に都会、適度に郊外じゃない?
あたしにはこういう環境もちょうどいいかなー、って。
東京はいろいろ刺激が多いし楽しいことも多いとは思うんだけど、とにかく生活するのにお金がかかるし。
すでに姉が東京行ってるしね。
まあ、姉もいっぱいバイトしてなるべく親の負担減らそうとしてるみたいだけど。
姉妹二人とも大学行くってなるわけだから、親の負担ハンパないじゃない?
うちは、離婚しても両親はちゃんとあたしたちの学費を出してくれてるけど、なんか申し訳なくってね。
だから、あたしもなるべく親に負担かけたくないの。
滝浦くんは?東京の大学?」
「いや、ぼくもこっちの国公立にしようかな、って思ってる。
ぼくも学費や生活費のこと、親にあまり負担かけたくないしね。
それにぼくは大学で勉強したいことが決まってるんだ。
で、その専攻がこっちの国立大学にあるってこともある」
「え?なに専攻したいの?教えてよ。
滝浦くんがなに勉強したいのか、知りたい!」
「うん。いいよ。
……これ言うの、関口さんが最初だぞ」
玲凪は背筋をぴんと伸ばして、右手の指を眉のあたりにあて敬礼のしぐさをすると、うれしそうに言った。
「それは光栄だね。
ほかの人には絶対秘密にします」
「まあ、別に秘密にしなくてもいいけど……。
ぼくは行動科学とか、社会と環境の関係とか、そういうことを勉強したいと思ってる。
それを専攻できる学科が国立大学にあるんだ。
人間科学部とか、現代システム科学部とか、そういう学部にね。
なんて言ったらいいか……たとえば人間が自然環境を守りつつ、持続していく社会を作るためにはどうしたらいいか……。
そんなことを学びたいんだ」
「へえ……
滝浦くんって、すごいね!
そんな壮大なこと考えてるんだ。
行動科学?人間科学部かあ……そういうのもおもしろそうだね!
あたしはまだそんなに具体的に考えてなかったけど……。
漠然と、英語の勉強したいんで、文学部とか外国語学部とかかなー、ってふうにしか思ってなかった。
えらいね、滝浦くんは先のことまですごくしっかり考えてて」
「……いや、そんなことないよ。
ぼくも、もともとは自分が好きな小説の勉強をしたいと思ってたんだ。
英米の文学が好きだからね。推理小説とか純文学。
それで、英米文学を専攻できる学科に行こうと最初は考えてたんだ。
でも、そういう小説の中に書かれていることの多くが、実際の出来事がもとだったりするんだよ。
そんな、小説をとおして知った実際にあった出来事がいろいろ気になって、考えてるうちに実際の世の中にも関心が出てきた。
いまの世の中って、環境破壊とか、戦争とか、いろいろな問題が起こってるじゃん。
それで、それにかかわる勉強を大学でやりたいな、と思うようになっただけだよ。
自分ひとりだけじゃ大したことはできないけど、ぼくなりになにかできることを見つけたいと思ってね。
……少しずつでも世の中をなんとかよくしたい、ってふつうだれでも思うじゃん」
玲凪はぼくを見つめて、感心したように目を大きく見開いた。
「いや、そんなこと、ふつうなかなか考えないよ!
えらいよ!滝浦くんは。
でも、そういうことはあたしも少しは考えるかなあ。
だからそういう専攻もいいね。あたしも考えてみよっかなあ。
それか、あたしの場合は文学部かな。
……でもさ、もしそうだったら、あたしと滝浦くん、同じ大学を受験することになるね!
合格できたら、大学でもいっしょだね!
ワーオ!!」
玲凪は手をたたいて喜んだ。ベンチから跳び上がりそうな勢いだ。
なにをそんなにうれしがってる。
しかし、ぼくが玲凪と同じ大学を志望するとなると、少々複雑な気がする。
だって、どっちかが落ちたりしたらそりゃ両方とも気まずいだろ。
でも、そんなことは玲凪の眼中にはないようだった。
もうすでに、二人とも同じ大学に入るという前提のもとに話を進めてくる。
玲凪はスマホで国立大学の公式サイトをささっと検索すると、ぼくが行きたいと言った学部のページを順々に見ていった。
「……へえ。
人間科学部って、社会学とか心理学とか、福祉、共生学かあ……。
なんかいろんな学問をやるんだね。むずかしそうだなあ……」
「いや、ほかの学部とくらべてそんなにむずかしいわけじゃないよ。
いろんな学問が混じってるから高度に感じられるかもしれないけど、やることは一貫してる。
生きやすい社会を作るにはなにが大切かとか、障がい者や高齢者の住みやすい社会の構築とか、環境を壊さない持続的な社会のあり方とか、学生はみんなそんなテーマを卒業論文で選んでるみたい」
「いやじゅうぶんすごいって!
なんで滝浦くん、そんなことまで考えてるの?
すごくない?」
「別にすごくはないよ。すべて小説から始まってるだけだし。
ぼくはただの小説ファンさ。
……関口さんは小説を読んだりする?
日本のとか、外国の文学とか」
「あたしはね、英米の人なら、カズオ・イシグロとか知ってる?
そうだよね、当然知ってるよね。その人とか。
なんかちょっと怖い話だったり、いろんな話を書く人だけど、すごい引き込まれちゃうの!
滝浦くんはどんなものを読む?」
「ぼくはアガサ・クリスティー。推理小説の作家で有名だよね。
それにSF。ロバート・A・ハインラインとか、フィリップ・K・ディックとか。
それから、サマセット・モームって作家が好きなんだ。
どのジャンルでも、わりと20世紀の作家が多いかな。
なんかちょっと昔のころの、あの雰囲気がいい」
「あー、いいね!
モームはあたしも読んだよ。『月と六ペンス』とか。
おもしろいよね!
クリスティーは読んだことないけど、姉は読んでるみたい。
本棚にいっぱいあったもん、クリスティーの文庫本。
……あー、意外と接点あるね!
よかったあ、滝浦くんって全然話せる人で!」
玲凪は、うれしそうに自分のひざとぼくの肩を交互にたたきながら笑った。
ぼくは、玲凪のはしゃぎようにどう反応したらいいかわからずにいた。
でもいまの会話で、ぼくと玲凪の間に接点が意外とあるということはわかった。
それはまあいちおう収穫だろう。
「……で、その、助けてほしいっていうことはなんなのかな?」
ぼくのことばを聞いてわれに返ったのか、玲凪は真顔にもどった。
「そうそう、そうだった。
本題にもどります……」
やがて、玲凪はちょっとの間沈黙した後、おもむろに顔を上げてぼくを見つめると話し始めた。
「ところでね、その事件の話で、あたし、姉と賭けをしてるの。
どっちが先にこの事件を解決できるか、って」
「賭け?
なにを賭けてんの」
「あたしが勝ったら、姉があたしにマクドナルドでランチセットの好きなものをおごる。
姉が勝ったら、あたしが姉にビッグマックのセットをおごる!」
ぼくはあきれたようについ玲凪に言ってしまった。
「……なんだその賭け。
アホか」
そのことばに、玲凪はぼくを睨むと、ぷくーっと頬を膨らまして不満気な表情をした。
「……そんな言い方ないじゃん」
ぼくは少しの間黙っていたが、やがてバツが悪そうに言った。
「ごめん。
口が悪かった」
玲凪はそれを聞くと、ふくれた顔を止めて少しやさしい表情になると言った。
「……反省してくれてるならいいです」
ぼくは黙ってうなずくと、玲凪が続きを話すのを待った。
玲凪が口を開いた。
「滝浦くんって、けっこう辛口だよね」
「え、そうかな」
「うん、そう」
きりりとした表情でそう言ってから、玲凪はこう続けた。
「でもそういうとこ、すごーく滝浦くんのおもしろいとこかも。
姉がなんで滝浦くんのことを気に入ってるのか、なんかわかる気がする」
「先輩がぼくのことを気に入ってくれてるのか。そりゃ初耳だな。
それは、ほめことばと受け取っていいのかな」
「もちろん!いいですよ」
玲凪は威勢よくそう言った。
でも、その元気さの中に微妙な冷めた感じが見てとれた。
ぼくにはその表情の意味がわからなかったが、玲凪はなにか言いたいことを隠しているような気がした。
すると玲凪が小さく叫んだ。
「あ!」
ぼくはふたたび玲凪の顔を見た。
玲凪の表情はもうもとの楽しそうな笑顔にもどっていた。
彼女は右手の人差し指をぴん!と立て、自慢げに言った。
「思い出しましたが、このおごりはあたしの側が勝った場合、協力者である滝浦くんにも適用されます。
なので、滝浦くんもお好きなマクドのセット、食べられるから!」
「はあ……少しモチベが上がったかな」
「少しかいな!」
「すいません、だいぶ上がりました」
「それならよろしい!」
玲凪はそこですっくと立ち上がると、両足を広げて両手を腰に当て、胸を張ってうれしそうにぼくを見つめながらうなずく。
おい、そんなに胸張るな。
そんなに大きくないとはいっても胸が目立っておれを刺激するから。
「ふう……まずは、当事者二人のケンカするに至った経緯を知りたいね」
「それはそうだよね!順を追って話すね……」
玲凪は、友だち二人をめぐるささやかな事件(と言っては失礼か)のストーリーを、ぼくに語り始めた。