10月 第3火曜日 その2
「ねー、どう思うー?」
花岡朱兎はダイニングテーブルで頬杖をついていた。
キッチンでは妹の夏鶴が夕食を作っている。今夜はツナと千切りキャベツのオムライスだ。
「知らねーよ。バカおにぃのケツ拭くつもりねーし。バラされたらそん時はそん時じゃね? 自業自得。おにぃの脳天気もちょっとはマシになるかもよ?」
銀縁メガネが曇り気味にも関わらず、慣れた手付きでたまごをくるりんぱする夏鶴。口は悪いし男の子みたいな格好をしているのに、料理も裁縫も得意だからもったいない。ちゃんと女の子らしい服を着て髪も伸ばせば綺麗系なのにな……と妹を眺める。
花岡姉妹が暮らすこのマンションは3LDK。二人で使うにはもったいないくらいの広さだが、『どうせ買うなら、セキュリティ万全のとこがいいっしょ? んー、ぼくってなんて妹思いなんだろー!』という、自分のセキュリティはガバガバな緋馬の計らいで選ばれた。
普段は洗濯物を干すくらいしか用がない緋馬の衣装部屋が南側。中央にはリビングがあり、東側に朱兎と夏鶴の部屋がそれぞれ並んでいる。北側にはバスルームとトイレというファミリータイプの間取りである。
夏鶴の高校入学と共に越してきたのでもう三年半になる。はなおかの定休日には四人でテーブルを囲むこともあるが、基本的には姉妹二人での夕食だ。初めは心配していた母も『夏鶴がいるから問題なさそうね』と放置気味である。
それよりなにより、花岡家の心配の種は……。
「そうは言ってもさ、週刊誌とかテレビ局にウロつかれたら面倒じゃない? 緋馬が困るのは自業自得に変わりないけど、これが大ごとになって解雇なんてされようもんなら……」
「おねぇの欲しがってた乾燥機付き洗濯機が買って貰えない、だろ?」
「ちっがーう! ……いや、それもほんのちょーっとはあるけどさ?」
一柳さつき。高等部の部員が欲しがるほどの逸材……。喜怒哀楽がハッキリしている純真無垢な、そこら辺にいるただの少女だと思っていた……。
帰宅後、千宙との会話を夏鶴に話した。初めは興味なさげに「ふーん」と聞き流していた夏鶴だったが、さくっと検索し『夕月リトルユニコーンズ』という強剛クラブチームの全国大会優勝時のエースピッチャーだという記事を発見。千宙が言っていたことは、誇大な情報ではなかったのだ。
あの少女にはまたどこかで再会するような気がしていた。偶然に会いすぎたからだ。そして家まで知られてしまった。それどころか緋馬のいちごパジャマ姿を見られてしまったのだ……。
あの日が最後にはならないかもという予感が的中してしまうとは……。
「出たっ! サイテー。だけどさ、そのさつきって子がほんとに入学してくるとは限んないんだろ?」
「まぁそうなんだけどねぇ……。うーん、よりにもよって願書をもらいに来た朝だったとは……」
「弱みを握られたからって、そこまで過敏になることないんじゃね? ルイボスでいい?」
「うん、ルイボスティーでいい。いやいや、私が高等部の講師って知ったら、毎日纏わり付いてきそうじゃない? 邪険にしてバラされても嫌だし……」
でろーんとテーブルに突っ伏す朱兎。夏鶴は電気ケトルのスイッチを入れ、ティーポットにルイボスティーの葉を入れた。ライトグリーンとオレンジ色のマグカップを食器棚から取り出し「邪魔邪魔、起きろっ」とテーブルに並べる。もう一つ棚に残っているピンクのマグカップは緋馬のものだ。
「考えすぎじゃね? おねぇはポジが売りだったのに、年取ったらネガ入ってきたな」
「しっつれーねー! まだまだオバサンじゃないわよー!」
ガバッと起き上がると、ほかほかぷるぷるのオムライスが運ばれてきた。朱兎は「わっ、おいしそー!」と目を輝かせる。夏鶴はテーブルにつき、温かいルイボスティーを二つカップに注いだ。
「とにかくさ、そのさつきって子が入学するとも限らないんだし、今からヒヤヒヤしてても神経の無駄使いじゃん? いっただっきまーす」
「まーねー。いっただっきまーす!」
リーグ優勝を決めたドルフィンズは、来週末開幕の日本シリーズに向けて最終調整中である。よって、いくら脳天気がユニフォームを着て走っている緋馬といえど、さすがに帰宅はしないだろう。幼い頃から突拍子もない行動で家族を困らせる長男。二十二にもなってまだ心配されるとは、我が兄ながら情けない……。
「気になるんなら、本人に直接聞きに行けば?」
スマホをいじりながらオムライスを食していた夏鶴が顔を上げた。
「本人に? どうやってよ。夕霧小学校の校門の前で待ち伏せでもしてろって?」
「まぁおねぇの容姿なら見た目で不審者扱いはしないだろうけど、そうじゃなくて試合でも見に行ってみたらってこと。クラブチームの試合なら、観客として行けるだろ?」
どうやらリトルユニコーンズの試合情報を調べていたらしい。朱兎にスマホを向け「これ」と指指す。リトルユニコーンズのSNSページだった。ちょうど今週末、市内で練習試合が行われるようだ。
しばしシュミレーションする朱兎。偶然を装って試合後に近付き、鎌をかけて『進学先は決めたの?』とかなんとか言って聞き出すのもありかもしれない……。
「おー、なっちゃん冴えてるー! てんさーい!」
「なっちゃんって言うなっ! もう飯作ってやんねーぞ?」
「やぁだー! ごめんごめん。そうだね、それなら会いに行けるかも。話せるかどうかは分かんないけど、ワンチャン行ってみっか!」
「ぶっちゃけ、どこに入学しようがおねぇの心配が消えるわけじゃないんだろうけど……。またおにぃと間違われて囲まれないようにな? しっかりぶりっこ服着てけよ?」
淡々とクールに話す夏鶴だが、先回りの忠告はごもっともだ。野球バカの兄と新体操バカの姉を持つオタク系の末っ子が一番冷静である。もっとも、反面教師でそうなったのは言うまでもない。
「ぶりっこじゃないもん! ちゃんとメイクもして普段着で行くわよ、普段着で」
朱兎はぺろりとたいらげ「ごちそうさまぁ」と食器を片付ける。三兄妹の中で、昔から朱兎が一番食べるし一番速い。デザートのかぼちゃプリンを手にテーブルへ戻ると、夏鶴が録画していたアニメを見始めた。『第七話』と書いてある。
以前に一話だけ見たことがあるアニメだ。夏鶴にあらすじを聞くと、現代にタイムスリップしてきた侍が、現代を生き抜くために『サムライ村』というアミューズメントパークで生活費を稼ぐアニメだと言っていた。
興味はないが、とりあえず視線だけテレビに向ける。さつきが侍なら、緋馬は神出鬼没の忍者かな……なんてスプーンを咥えながら思う。
初っぱな、侍が女子高生にちょんまげ頭を下げている。シュールな絵面だ。黙ってプリンをすくった。
『信じてくだされ! 嘘ではござらん。どうか、どうかわたしが過去から来た者だということは内密に、どうか内密にしてくだされ! ここで働く以外、わたしがこの時代で生きていく術がないのでござる!』
『いいわよ? 内緒にしてあげる。その代わり……』
『その代わり?』
『わたしの奴隷になりなさい?』
「えぇーっ!」
「おねぇ、うっさい!」
心の声が漏れたと同時に、夏鶴に頭をはたかれる朱兎だった。