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10月 第3火曜日

 



 火曜日の二時間目、花岡朱兎は一年三組の授業を受け持っていた。

 やっと秋晴れらしい、爽やかな晴天。女子高生たちがガヤガヤと見守る中、朱兎は三塁手を指差しホイッスルを鳴らした。

「はいはーい、利き手が先に出ちゃうのは分かるけど、もっとグローブ使わないと突き指しちゃうよー? あと、みんなもそうだけど、取ったらできるだけ早く投げることー」

 高く通る声でアドバイスすると「はーい」と素直に返事をする生徒の中に、一人だけ「せんせぇ……」と唇を尖らせる生徒がいた。

 ピッチャーをやりたいとノリノリでマウンドに立った生徒だ。サードランナーをじとーっと見つめている。

 授業の中ではチーム制というより、交代で守備をさせる。色々な視点から、少しでも多くのスポーツに興味を持ってもらいたいという恩師のやり方を受け継いでいるのだ。

 中でもピッチャーは希望者を募って順番に投げさせている。やりたがる生徒もいれば、疲れそうだから絶対ヤダという生徒もいるからだ。

「どしたーぁ? 別に全部ピッチャーが取らなくていいんだよー。むしろ打球は後ろの野手に任せて、自分は投げることに集中していいからねー」

「そうじゃなくて先生……」

 朱兎に視線で訴えている。その先にはランナーが一人。ツインのおだんご頭にしているそのサードランナーは、ソフトボール部の俊足、根積千宙ねずみちひろである。

 千宙はピッチャーと朱兎の視線に気付き「へへー」と得意気に笑ってみせた。

「せんせーぇ、根積さん盗塁ばっかしてずるーい! ただでさえ速いんだから、ソフト部でもない私たちがアウトになんてできるわけないじゃないですかーぁ!」

「ずるくないよー? 盗塁は立派なルールだもーん。先生、早くプレイ再開してくださーい」

 ピッチャーは納得いかない様子で肩を落としている。千宙を塁に出した時点でちょっと心配していたのだが、朱兎の心配は現実になってしまった。

 。不満はごもっともだ。どちらも真剣にプレイしているがゆえの蟠りである。せっかく三振を奪っても、すいすいと盗塁されては点が取られてしまう。

 しかし、運動部に有利な授業はソフトボールに限らない。バスケットボールの授業をすればバスケ部が有利だし、バレーボールの授業をすればバレー部が有利。

 そしてその度にこういった不満の声は上がるのだ。学生時代体育はなんでも得意だった朱兎でさえ、実際不満に思ったこともあるし、逆に朱兎自身もハンデを付けられたことがあり、その際は仕方なくハンデを受け入れてきた。

 そのためチーム戦の競技は予めどちらのチームも不利にならないようにある程度は振り分けるのだが、たまにこうしてぶつかってしまうのも致し方ない。

「おっけー! じゃあさ、根積さんには悪いけど、代走で誰か出てくれるー?」

「えー! せっかく三塁まで来たのにーぃ」

 朱兎が攻撃チーム側に呼びかけると、ベース上で千宙が地団駄を踏んだ。無理もない。しかし、守備側はもちろん、攻撃側からも「まぁ根積さんならしょうがないよねぇ」という声が上がった。

 手を挙げる生徒が駆寄ると、しぶしぶ三塁を後にする千宙。朱兎がぽんと肩に触れ「ごめんねぇ?」と声をかけると「ふわーぁい」としょぼくれた返事が返ってきた。あとで個人的にフォローするのも体育教師の役目だ。これも恩師の受け売りである。

 結局、千宙の代走で出た生徒がホームベースを踏むことなく、バッター三振でチェンジを迎えた。その後も、今回の代走について抗議する声はなく授業を終えることができた。

「ケガした子いないかなーぁ? ……いないね? んじゃ、今日はここまでねー」

「ありがとうございましたー!」

 同時に終業のチャイムが鳴る。バラバラと校舎へ駆けていく生徒たちの中から千宙を見つけ「根積さーん」と引き留めた。

「ごめんねぇ、せっかく自慢の足を生かせる場面だったのに」

「いえ、気にしてませんから……」

 そうは言っても、声も表情もしょんぼりちゃんである。

「しょうがないのは分かってます……。別に試合じゃないんだからムキになることもないし……」

「うーん、そう弁えてくれたら先生も有り難いんだけど……。あっ、そういえば、先月の試合も大活躍だったよね! 根積さんの足はソフト以外でもたくさん生かせるから、ソフトの授業ではハンデ付けて申し訳ないけど、バスケとかサッカーの授業の時は思いっきり生かしちゃって! 私は運動はなんでも好きだったけど、得意じゃない種目もあったんだー。特別足が速いわけじゃなかったから、根積さんが羨ましいよぉ」

 朱兎は校舎に吸い込まれていく生徒たちの背を見送りながら、自分の過去を思い出す。

 運動神経抜群で新体操では全国大会を制覇したことのある朱兎は『運動はなんでもできて当然』という目で見られていた。無論、朱兎にだって苦手な競技は多少ある。動きは俊敏だが、緋馬と違って短距離走では上の下だし、泳げはするが特に速いわけでもなかった。

「へへっ、先生でも苦手なものがあるんですか?」

 お褒めの言葉をいただいて少し機嫌を取り戻した千宙が、疑いの眼差しを向けてくる。

「あったり前じゃーん! もっと足が速かったなーって何度思ったことか!」

「えー、お兄さんはドルフィンズトップなのにですかー?」

「そうそう。あいつには小学校の頃から一度も勝てたことないかんねー。その代わりあいつは野球バカだから、ボール飛んでくると掴んじゃうくせがあってさ、サッカーとかバレーボールの授業では散々怒られてたらしいよ? 『緋馬がチームにいると反則するから』って、仲間に入れてもらえなかったこともあったって笑ってたー」

「あははははっ! ほんとに野球が身体に染みついちゃってたんですねぇ。私もそれくらいソフト上手くなれるよう頑張ります!」

「うんうん! 頑張ってー!」

 すっかり上機嫌になった千宙。「ありがとうございましたー!」と、ご自慢の足を見せつけるかのようにラットのごとく駆け出す。どうやら傷付けずに済んだようだ。朱兎

 はホッと胸を撫で下ろした。

 夢を与えるのも、プロ野球選手の仕事だ。ゆえに差し支えない程度のエピソードはバラしてしまう。もちろん、緋馬のイメージを崩さないことが前提だ。

 ずっこけエピソードのほうが多い兄の過去から、それを選別して引っ張り出すのは骨が折れるが……。

 ソフト部の部員は、他の生徒たちよりも特に緋馬の話を聞きたがる。というのも朱兎がこの四月に非常勤講師として星花に戻ってきた際、ソフト部副顧問が「あの新しい先生、ドルフィンズの花岡やで。顔も名前もクリソツやろ?」と部員たちに振りまいていたらしいのだ。

 昨年の三年生は妹の夏鶴と同級生だが、夏鶴が緋馬との関係を聞かれることは一度もなかったという。花岡など珍しくもない名字だし、朱兎とは逆に夏鶴と緋馬は全く似ていなかったからだ。

 その夏鶴の同級生たちに、星花ソフト部を有名にした部員たちがいる。千宙たち一年生たちの中にも、そのレジェンドたちに憧れて入部した部員もいると聞く。時代は変わったなぁ、なんて母校を誇らしく思う。

「花岡先生ーぇ!」

 ボールやグローブを詰め込んだカゴをガラゴロと体育倉庫へ運んでいると、校舎へ消えたはずの千宙が駆け戻ってきた。あっという間に朱兎の隣に並び「手伝いますよ!」と一緒に押してくれた。

「どうしたの? 次の授業始まるから着替えちゃいな? これ、私一人でも片付けられるから大丈夫よ?」

「あーいえ、手伝いに来たわけじゃないんですよ。先生に聞きたいことがあって」

「聞きたいこと?」

 湿った匂いのする体育倉庫へカゴを入れ、朱兎はガチャリと鍵をかける。向き直ると千宙はこくんと大きく頷いた。

「中等部に願書を出したのか気になってる子がいまして。ソフトボールのクラブチームでは有名な子なんですよ。わりと狙ってる中学がいるらしいんですけど、うちの部員が、その子がこないだ星花の願書をもらいに来てたの見たって言ってて」

「願書? 中等部の願書は一月から受け付けじゃなかった? 私は非常勤だし、その辺は詳しくないけど……」

 朱兎が首を傾げると、千宙は「一月ー?」と飛び上がった。

「そうなんですかぁ! 私は高等部入学だし、スポーツ推薦のことは全く分かんなかったんで、スポーツ推薦のことだから体育の花岡先生なら何か知ってると思ったんですけど……。そっかぁ、んじゃまだ分かんないかぁ……」

 がっくりと肩を落とす千宙。来年度の新入部員のことまで気にしているとは、よっぽどソフト部が好きなのだろう。

 朱兎も中等部からスポーツ推薦で入学したが、その際は全て母が手続きした。その後はぎりぎりの点数で高等部へ進学してはいるが、ぶっちゃけ願書のことも推薦のこともさっぱりである。

「ごめんねぇ、力になれなくて。それに私は高等部の担当だから、根積さんが欲しい情報は仕入れられないかもぉ……」

「ですよねぇ……」

 役に立てなかったとはいえ、こうして生徒に頼られることがすごく嬉しかった。朱兎はがっちりと千宙の肩を抱き、校舎を目指し歩く。

「そんなにすごい子なんだ? 今でも充分強いのにぃ。個人情報云々で教えられないこともあるけど、もし情報を仕入れたら教えられる範囲で根積さんに報告するよ!」

「ほんとですか! お願いします! あぁ、一柳さん来てくれたら嬉しいなーぁ……」

 一柳……どこかで聞いたような? と朱兎は足を止める。千宙が「どうしました?」と振り返った。

「一柳、何ちゃん?」

「さつきちゃんです。一柳さつきちゃん。リトルリーグで全国大会まで行ったエースですよ!」

「一柳……さつき……!」

 朱兎の脳内で、黄金のバットを背に担いだ侍少女が振り返った……。


☆今回のゲスト

藤田大腸さん作「いきなりお姉さま!? ~千宙と千佳の姉妹千里道珍道中~」より 根積千宙さんをお借りしました!

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