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10月 第2金曜日 その2

 


 花岡朱兎は双子の兄・緋馬の顔面に枕を押しつけた。

「朝から余計な面倒増やさないでよねっ! いーい? 私が戻るまで、ずぇーったい外に出ちゃダメだかんね?」

「んむー、んむー!」

 いちごネグリジェ姿の花岡緋馬を見られていたらどうしよう……。その不安とイライラが交錯する朱兎。当の本人は枕の下でもがき苦しんでいるが、反省だけなら誰にでもできる。

「夏鶴ーぅ! 心配だから、こいつが出かけないように見張ってて!」

 衣装部屋から叫ぶと、末っ子の夏鶴がにやにやしながら顔を出した。久しぶりの双子のわちゃわちゃを楽しんでいるようだ。もちろん、もめていることを楽しんでいる。悪趣味だ。

「いいけどー? でもおにぃ、これから球場行くんだろ?」

「だからよ! すぐ戻るつもりだけど、支度ができようが時間がなかろうが、ずぇーったい降りてきちゃダメ! 分かったぁ? バカ兄貴ー」

 朱兎が枕で顔面を押さえ、夏鶴が「おにぃ、バッカだなぁ」と布団越しに足をふみふみする。緋馬はもがきながらも、両腕で大きく丸を作って意思表示した。花岡兄妹の力関係は、妹たちが圧倒的に強い。

 危機感という言葉を知らない緋馬の脳天気に、家族一同いつも振り回される。周りからすればちょっとおつむの足りないところもかわいく見えるのだろうが、家族からすれば野球と女装にしか興味がない長男には頭が痛い。

 まだすっぴんだが仕方ない。あの少女からインコを引き取り、何も聞かせないスピードで立ち去ろう……。朱兎はイライラをごまかすために階段を駆け下りた。

「花岡さーん!」

 エントランスを抜けると、少女はインコを握ったままぶんぶんとこちらに手を振ってきた。インコ的には災難極まりない。心優しき少女に救われたと思いきや、迷い鳥ではなく人間のほうに興味が移ったのだから。

 花岡さんには違いないのだが、名乗ってもいないのに花岡さんと呼ばれることに違和感を覚える朱兎。手のかかる兄のフォローに辟易しながらも、なるべく笑顔が引きつらないよう心がける。

「おまたせー。偶然だねぇ? 今日は自転車じゃないんだ?」

「はいっ! 今日はこの近くの学校に用事があったので、どうせなら朝のランニングがてら行ってみようと思いまして!」

 また練習試合会場の下見とかだろうか? 聞きたいところだが、話が長引いてもいけないので本題に入る。

「このインコちゃんね? じゃあ私が責任持って飼い主さん探すから」

 朱兎が手を出すと、少女は「あ、そうだった」とインコを見つめる。救おうとした命を忘れるほど興奮していたらしい。一歩間違えれば握りつぶしていたかもしれない。

「あのっ、さっきお姉さんと一緒にいたの、ドルフィンズの花岡緋馬さんですよねっ? やっぱり、やっぱり家族だったんですか?」

 少女は希望と期待の眼差しで、お目々をキラキラさせながら顔を近付けてきた。インコを渡したら用事が済んでしまうのを意識しているのかそうでないのか、胸元で軽く握りしめたまま質問を続けてくる。

「今日も縦浜スタジアムでナイターありますよね? これからスタジアム入りですか? 次はいつ頃帰ってきますか? 日本シリーズ終わってからですか?」

「えっとぉ……私も分かんないや。あいつ……緋馬は忙しいし、連絡もなしにひょっこり帰ってくるから……」

 更にぱあっと笑顔を輝かせた表情を見て、失言に気付く朱兎。天を仰ぎたくなった。

「帰ってくるっ? やっぱりここに住んでるんですねっ! そっかぁ、そっかぁ……!」

 希望に満ちたあどけない表情はかわいいのだが、ゆっくり話している場合ではない。

 マンションの住人や地元の人ならば、花岡兄妹がこの街で育ったことは無論知っているが、一応有名人なので、わざわざ「そうだよ」と教える義理はない。

 心は痛むが、ここいらでおいとましないとだ。

「もういいかな? 私も仕事の支度しなきゃだから」

 朱兎はもう一度手を出す。

「あっ……あたしが、やっぱりあたしが探しますから大丈夫です!」

「え、でも……」

 思わぬ挙手に戸惑う朱兎。マンションはオートロックだ。こうして中の住人が出てくるか、ロックを解除しなければ入れない。よって部外者はマンション内をうろうろできない。一体どうやって探すというのか……。

「片っ端からピンポンして、この子をモニターで見せれば飼い主さん見つかるかもしれませんよね!」

「……まぁ、そりゃそうだけど……」

 いいことを思いついたとばかりに得意気に小鼻を膨らませるので、面倒ごとを引き受けてくれるなら……と朱兎は手を引っ込めた。

 だが、もう一つ最大の面倒ごとを確認しなければならない……。

 いや、わざわざ『緋馬のいちごネグリジェ見ちゃった?』などとは聞けない。でも、もし見ていたのなら口止め、もしくは言い訳をしないといけない。

 いやいや、どう確認すればいいのだ? 何か見たかと聞けば、人間誰しも余計な疑問と興味が湧き上がる。

 いやいやいや、少女はここまで、緋馬の格好には触れていない。ということは……。

 いちごネグリジェはセーフ……?

「花岡さんのお姉さん、お名前聞いていいですか?」

 あれこれ考えていたところに、少女の顔がどアップで映った。身長一五五センチの朱兎より十センチ程度高い。見下ろされる形になる。

「えっ、私の?」

「はいっ! あたしはさつきです。一柳いちやなぎさつきといいます! 夕霧ゆうぎり小学校の六年生です!」

「六年生! ……背も高いししっかりしてるから、てっきり中学生だと思ってたぁ」

 そう言われてみると、このあどけない表情やリアクションは中学生よりは幼い。朱兎は星花では高等部の担当だしダンス教室では小学生担当なのに、小学生と中学生の区別もつかなかったとは、自分もまだまだだな、と思う。

「朱兎だよ。朱色の朱に兎って書いて朱兎」

「へーぇ! 花岡さんも緋色の馬って書いて緋馬さんですもんね! お姉さんも赤繋がりですかぁ」

「あー、まぁそうかな……」

 曖昧な返事をしたが、すでに家族だというのはバレている。乙女な童顔兄貴なので朱兎が姉と思われているのか、はたまた俗称でお姉さんと呼ばれているのかは不明だが、もし前者なら訂正したい。

「あの、さつきちゃん?」

「はい! なんでしょう!」

「えっとね、緋馬は滅多に帰ってこないけど、ここにいたことは口外しないでもらえるかな?」

「えぇー……」

 不満げに眉尻を下げるさつき少女。やはり有名人の家を突き止めたとなると人に自慢したくなるのは当然だ。

「ごめんね? プロ野球選手でも芸能人でも私生活をゆっくり過ごせないって、みんなストレスなんだよ? さつきちゃん、ソフトボールやってるって言ってたよね。もしさつきちゃんがソフトボールで有名になって、おうちの周りで知らない人たちにうろうろされたら嫌じゃないかな?」

「……うーん、常に見られてるみたいで、ってことですよね……」

 自分に置き換えて理解はしてくれたようだ。しかし、自慢できない残念さがにじみでている辺りが子供らしい。

 しょんぼり肩を落とした関係で緩んだのか、インコがバタバタと羽根を動かし出した。先程までぎこちなかった片方も同様に動いている。そして、さつき少女のがっかりを象徴するかのように華麗に羽ばたいて行った。

「あっ、インコちゃん……!」

 さつき少女は、自由に羽ばたいて行くインコの姿を残念そうに見上げる。朱兎も一緒に見送る。インコは旋回したのち、六階の一室のベランダに止まった。

「おうち、かな?」

 朱兎が見上げたまま言うと、さつき少女は「そうかもですね」と頷いた。ちらりと横目で見れば、いつの間にか笑顔を取り戻していた。「ばいばーい」とインコに手を振っている。

 すっかり時間を食ってしまったが、朱兎は改めてさつき少女に向き直る。そして小指を差し出した。

「約束ね? 緋馬がここにいたことは内緒!」

 さつき少女は朱兎のどんぐり目をじぃっと見つめたのち「はい!」と大きく頷いて小指を絡ませてきた。

「ここに住んでることも、かわいいパジャマ着てたことも言いません! 絶対に口外しません。スポーツガールは嘘つきません!」

 ……見られていた……!

 インコ騒動が解決し爽やかな気分になったのもつかの間、何よりも一番起きてはならない問題が生じてしまった……。

 にひっと白い歯を見せてきたさつき少女と小指を絡ませた朱兎の背を、再び滝汗が流れていった……。



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